コンテンツにスキップ

「Wikipedia:井戸端/history20091024」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Hatukanezumi (会話 | 投稿記録)
Jidane (会話 | 投稿記録)
478行目: 478行目:
:[[ノート:インターネット依存症の症例]]のことですか?何かを啓発したいとかの個人的価値観に基づいたモチベーションで記事を書くくらいなら、休んだほうがいいと考えます。--[[利用者:Yatobi|夜飛]]<small>([[利用者‐会話:Yatobi|話]]/[[特別:Contributions/Yatobi|歴]])</small> 2008年10月12日 (日) 05:58 (UTC)
:[[ノート:インターネット依存症の症例]]のことですか?何かを啓発したいとかの個人的価値観に基づいたモチベーションで記事を書くくらいなら、休んだほうがいいと考えます。--[[利用者:Yatobi|夜飛]]<small>([[利用者‐会話:Yatobi|話]]/[[特別:Contributions/Yatobi|歴]])</small> 2008年10月12日 (日) 05:58 (UTC)
(コメント)我々の目的はよりよい記事を作ることですから、[[Wikipedia:礼儀を忘れない]]に沿った解決を望みます。--[[利用者:Folivora|Folivora]] 2008年10月12日 (日) 07:32 (UTC)
(コメント)我々の目的はよりよい記事を作ることですから、[[Wikipedia:礼儀を忘れない]]に沿った解決を望みます。--[[利用者:Folivora|Folivora]] 2008年10月12日 (日) 07:32 (UTC)

== ノートページでの問題 ==

こんにちは。私はサッカー関係の記事で活動している[[利用者:Jidane|Jidane]]という者です。

私は[[UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02]]という記事での編集方針の違いで、[[利用者:田中智裕]]さんといざこざを起こしてしまいました。田中智裕さんとは同じ中学に通っていて、お互いを知っております。その記事で私の編集をことごとく差し戻す田中智裕さんに、その編集の真意を聞いている途中で私は、学校名を出すというひどい編集もしてしまいましたが、一応お互いの言い分は分かったのです。その途中で、田中智裕さんは私の実名を私のノートページで出しました。([{{fullurl:利用者‐会話:Jidane|oldid=22263245}} 参照])本人には直接話してみるつもりですが、Wikipedia上ではどういった対応を取ればいいのでしょうか。よろしくお願いします。--[[利用者:Jidane|Jidane]] 2008年10月12日 (日) 08:47 (UTC)

2008年10月12日 (日) 08:47時点における版

井戸端は、ウィキペディア日本語版について、運営、方針、新しいアイディアや作業の仕方、その他様々な事で質問や提案、議論、意見交換を行う場所です。詳しくはWikipedia:井戸端/ヘルプをご覧ください


This page is for discussion of Japanese Wikipedia, normally in Japanese. But see also Help for Non-Japanese Speakers. If you want to just inform Japanese Wikipedians of something, you can use Wikipedia:お知らせ.


ここに質問を投稿する前に
以前の議論を検索する
  • 井戸端タグについては井戸端タグの説明文書をご覧ください。
  • 井戸端ウォッチリストではサブページを含めた井戸端の投稿状況が確認できます。
  • 以下は、►(右向き三角)のクリックによって期間ごとの話題がツリー表示されます。
運営方針
  • 投稿された全ての話題はサブページに移動し、Category:井戸端の話題にカテゴライズされています。
  • サブページは、最新の投稿から10日間経過するか、最初の投稿から30日が経過すると、井戸端への読み込みが解除されます。
投稿しましょう


アイコラ、その他の記述に大きな疑問が..ω..

自動で実行されるスパム行為防止のため確認用の文字列を入力しました。greattrueです(,゚゚,)

ω「インターネット上のコラージュ画像を検出するプログラムが開発された。これにより、現在では掲載されづらいことから、お宝映像と称されて公開されることが見受けられる」 ってことですけど、コラージュ画像を検出して管理者とかに警告しても日米英など先進国のサイトはともかく、規制が緩く取り締まりもいい加減な南米や中国、中東、アフリカだったら馬耳東風じゃないですか?(え、そんなこたあないって(('|,|'))

音楽やビデオなど著作権関係も同じことじゃないかしら??--218.45.107.171 2008年9月23日 (火) 17:39 (UTC)[返信]

該当箇所は「日本での情勢」と明示されてますね。Wikipediaは、百科辞典なので意見を表明する場所ではありません。でも、日本とアメリカの情勢しか書いていないのが中立でないと違和感を感じたのはもっともなことだと思います。もし余力があるならば、南米や中国、中東、アフリカなどの情勢がわかる中立な資料を入手して、加筆してみるとよいと思います。Wikipedia:五本の柱Wikipedia:基本方針とガイドラインWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを読まれることをお勧めします。--H335 2008年9月23日 (火) 23:05 (UTC)[返信]

非常にくだらん質問

よく「稀」という漢字を「まれ」とひらがなに直されていることがあるのだが、漢字に正したほうがいいんじゃねぇか?--奇跡の生還者 2008年9月26日 (金) 08:42 (UTC)[返信]

」は漢字区分としては「人名漢字」(→人名用漢字)に位置し、常用漢字ではないことが主な置換理由のようです。これに類するケースには「」(ため)などがあります。昨今のかな漢字変換ではその辺りは常用漢字とそれ以外がシームレスに変換される傾向があり、まあ一昔前ならワープロを手に入れた、昨今ではパソコンからネットカキコする際に、生半な悪筆家が「漢字いっぱいのほうが文章カッコええぢゃん?」風味に「片っ端から変換してみる」という傾向(爆言)がありますが、「正しい日本語」の範疇からすると芳しくない(実質的に誤植の範疇)方向性であるため、そこは草取りの範疇で一般的な表記に直される次第です。--夜飛/ 2008年9月26日 (金) 09:27 (UTC)[返信]
(編集競合しましたが、補足の意味で追加)Wikipedia:表記ガイド#漢字に、原則として常用漢字を使うという記述があります。「稀」は人名用漢字ですが常用漢字ではありませんので、これに従えば「使わない」ということになろうかと思います。なお、表記ガイドの該当の部分自体には「漢字の字体は、原則として常用漢字表に従います。」とあり、これは字体についてのみ規定するもので、使用する字の種類を定めたものではないのではないかという疑問が生じうるかもしれませんが、後段に「ただし、歴史的文書の引用と固有名詞の表記に際しては、常用漢字以外の漢字を使用してよい」というような書き方があることから、原則としては常用漢字を使うというふうに解釈してよいと思います。―sketch/ 2008年9月26日 (金) 09:35 (UTC)[返信]

一覧に付する記号

テレビ番組関連記事などにおいて、一覧に「○」や「■」などの記号表記が目立ちます。中にはこれが多すぎて何が何だか分からなくなっているものもあります。しかもこの記号が意味するところは、例えばテレビ東京日曜深夜アニメ枠では「斜字は16:9SD画質マスターフルサイズ放映」「■は東名阪ネット、もしくはTVOかTVAのみネット」「◆はアニメ専門チャンネルではAT-X以外のチャンネルで放映(AT-X初出後に放送の例も含む)」などという、さほど重要とも思えない情報ばかりです。何か良い方法はないものでしょうか。--Avanzare 2008年9月27日 (土) 05:07 (UTC)[返信]

類似する論点について、ノート:播州の秋祭りノート:播州の秋祭り/投票に議論があります。この議論が長大なものになり、投票にまで至ってやっと決着したことを考えると、このような符号を解決する手っ取り早い方法は今のところなく、閲覧者からみて、また百科事典として有益かどうか、読みやすいかどうかという点から、個別に議論していかざるをえないのではないかと思います。
テレビ東京日曜深夜アニメ枠に限って言えば、仮にその符号で示されている内容が有益であったとしても、符号を用いるよりリストに個別に注記したほうが分かりやすいように思えるので、使わないほうが良いだろうと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2008年9月28日 (日) 04:18 (UTC)[返信]
播州の秋祭りに関してはその顛末をまったく存じませんでしたが、議論を見る限り「結論は明らかなのに、特定のユーザーが特定の記述に執拗にこだわっている」という印象を受けました。
さて今回の件ですが、Category:テレビ放送枠内の記事は大抵が単なる番組一覧となっており、記号はあまり見られません。しかしCategory:アニメのシリーズ・放送枠になるとこれが一転し、どの記事を見ても記号だらけになってしまいます。これらの記号を一見して意味を理解できないのは私だけではないはずです。
しかも、その記号はどれも他のテレビ番組一覧記事ではあまり顧みられていない記述(画面サイズや放送形態など)に終始しています。果たしてそういった記述は必要なのかどうか、そこから議論すべきはずですが、ノート:アニメシャワーでは反対意見が出ています。そういった記述の重要性が私には理解できないのですが、これも私の頭が硬いせいなのでしょうか。--Avanzare 2008年9月29日 (月) 12:43 (UTC)[返信]
記号の有用性について(あくまでも個人の推測です)。書かれている内容は「高画質での録画・視聴を追求する」ために必要な情報ではなかろうかと思います。
用途例:
  • 仮に「16:9の画面いっぱいにブルーレイディスク(以下「BD」)並の高画質で安定した(電波のゆらぎがない)状態で受信でき、かつ、画面にロゴマークが写らず番組の中間にCMが入らない」状態を理想としたとき、これから放送される番組について、自分の置かれた視聴環境で「どの程度理想に近い状態が実現されるか」「(複数の局の視聴が可能なら)どの局の放送を選択すればもっとも理想に近いものが得られるか」の判断に利用する。
  • あるTV放映作品がBD又はDVDで発売になったとき、BD又はDVD購入の判断をするにあたり、過去に自分が録画したものの画質はどの程度であるのかを知るために利用する。
熱狂的なアニメファンには画質にこだわる方が多く見受けられるように感じます。上述のように考えれば、他のテレビ番組一覧記事では顧みられずアニメ関係記事だけに非常に強いこだわりが見られるのも(私個人としては)納得がいきます。しかしながら、「それは百科事典に記載すべき内容か」と問われるなら私の答えは「否」ですが。
ノート:アニメシャワーに書くべきかどうか迷ったのですが、個人の推測に基づくおしゃべりに該当すると判断しましたのでこちらに書かせていただきました。ノート:アニメシャワーは議論の場として「実際にその記述が必要だと考えている方」が必要性についての説明を書くべきであって、私のような推測での発言は議論展開を乱すかな、と思ったものですから。)--zenkota 2008年10月13日 (月) 01:35 (UTC)[返信]

撮影場所を明記していない著作物の取り扱いについて

絵画など、著者が死後50年経過後のものは著作権が無くなっていると思いますが、一部の画像の中に撮影場所を明記していない物が含まれています。 絵画の場合、大抵はストロボなどの光源による変質を防ぐため撮影禁止になっているのですが、個人で撮影した場合はその禁止事項を破って撮影したことになります。また、書籍などからの撮影は2次著作物からの撮影となり別の意味で著作権が発生すると思うのですが、現地を訪れても禁止事項のため撮影が出来ないなど、現地を訪れないと撮影禁止で有ることがわからないなどの事象が判明します。この様な場合の取り扱いはどう考えればいいでしょうか?所有者の意に反したモラル破りの物は掲載できるのでしょうか?--Domodomo 2008年9月28日 (日) 03:36 (UTC)[返信]

これまでの運用でも、撮影禁止の場所で撮影された写真は掲載できないとされています(削除対象になっています)。ただし、(1)撮影を禁止できることについて法令上の根拠があり(あるいは、法令上の根拠がなくても、そうした写真は掲載しないことについてウィキプロジェクト上での合意があり)、(2)その撮影場所において写真撮影が禁止されていることを削除依頼者または投票者が立証した場合、に限って削除されていると思います。
「モラル破り」については、「モラル」というものは人によって様々な見方があるものですから、方針化(他ユーザに強制すること)にはなじまず、各ユーザの良心に任せる他はないと思います。法令または規則によって客観化された規範に反する場合のみとすべきでしょう。--ZCU 2008年9月28日 (日) 04:10 (UTC)[返信]
『2次著作物の著作権について』絵画を忠実に撮影した写真や、その写真を掲載している書籍において、「その絵画部分」に著作権が発生しているかどうかは微妙だと思います。そこに創作活動が無いからです。また、絵画を撮影した写真を撮影した場合に、それが判別できるかどうかというのも微妙なところがあります。
『モラル破りの現地撮影について』たとえば、絵画モナ・リザは、ルーブル美術館では撮影禁止ですが、コモンズに掲載されています(commons:Image:Mona Lisa.jpg)。「大抵はストロボなどの光源による変質を防ぐため撮影禁止」ではなく、「物のパブリシティ権を守るために撮影禁止」や「宗教施設や美術館などで静寂を破ったり秩序を乱したりするから撮影禁止」の場合が多いと思います。入場券を購入した時点で撮影禁止に同意した(契約した)と考えられるのならば、契約違反で撮影されたものは無効であるとも考えられます。
現状は、都度議論するしかないんでしょうね。特にPDになっている絵画を、出版されたカタログから撮影またはスキャンした場合は、私はPDだと考えられなくも無いと思います。難しい問題ですね。--Inoue-hiro 2008年9月28日 (日) 07:36 (UTC)[返信]
こんにちは。Inoue-hiroさんが例示されているモナ・リザについては、撮影禁止になったのは2005年9月からであり、May 2004撮影のコモンズの画像はモラル的にも問題のない画像に思います。Domodomoさんが心配されていらっしゃる「書籍などからの撮影は2次著作物からの撮影となり別の意味で著作権が発生する」については、絵画を平面的に写真撮影する行為は著作性がなく写真の著作権は認められないとする考えが一般的のようです(文化庁の解説頁)。--Giftlists 2008年9月30日 (火) 06:35 (UTC)[返信]

Thijssie!botとリンクについて

ゼルダの伝説 ふしぎの木の実でのThijssie!botの編集に、いくつか疑問があります。

  • ウォッチリストでボットの編集を隠しても、Thijssie!botの編集は隠されない。Botフラグがないからでしょうか?
  • 言語間リンクがすべて「Oracle of Seasons」へのリンクとなり、「Oracle of Seasons and Oracle of Ages」などが消されている。
  • 上記の削除が間違いである場合、「Oracle of Seasons」と「Oracle of Ages」の2つに分けられていれば、2つとも言語間リンクをつけても良いのか? また、どちらか片方しかない場合はリンクをつけるべきか。

Thijs!botが無期限投稿ブロックを受けてたりと、なんだか怪しいです…… --ほくろ 2008年9月28日 (日) 05:55 (UTC)[返信]

言語間リンクの混乱については、英語ですがm:Interwiki conflictsに文書があります。今回の場合は "Home confusion" にあたりますので、他言語版の "Oracle of Seasons" からはリダイレクトのゼルダの伝説 ふしぎの木の実 大地の章にリンクさせておきました。 --fryed-peach [会話|投稿] 2008年9月28日 (日) 15:17 (UTC)[返信]
Thijs!botがブロックを受けた原因は、投稿間隔が短いことであり、今回のbotのミス=他のinterlang botにも発生しうる問題とは別に考えてください。--しるふぃ 2008年9月28日 (日) 15:25 (UTC)[返信]

執拗な広告の掲載

シュワルツ・エチエンヌにおいて当該会社の広告から丸写しと思われる広告的記述が執拗に投稿されています。個人的には百科事典に広告的記述は相応しくないと考えて削除して来ましたが、皆様どうお考えでしょうか。投稿者の投稿履歴を見たところ前述の他にはシミエールにしか投稿していないので、この2社の代理店であるラベールの関係者かと推測したりもしているのですが。--プリズム11 2008年9月29日 (月) 00:30 (UTC)[返信]

該当利用者に{{spam}}を入れておきましたので、それでも続くようであればWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックの方針文章の要熟読に報告すればよいです。--hyolee2/H.L.LEE 2008年9月29日 (月) 00:36 (UTC)[返信]


呼び出し回数の多いテンプレートについて

Template:和暦のように複雑なロジックが入るテンプレートを必然的に1つのページ内にいくつも張るようになってしまう(サーバ負荷、その他もろもろの理由で)ようなテンプレートの使用は問題であると考えます。これらのテンプレートは存在自体まずいのではないだろうか。--Goki 2008年9月29日 (月) 03:48 (UTC)[返信]

Template:和暦自体の必要性は別にして、負荷が大きい問題に関しては、年代ごとにサブページに分けてやればよいのではないかと思います。呼び出し履歴を見る限りでは、とりあえず慶応以前をサブページに回せば大分負担が減るのではないでしょうか?--Freetrashbox 2008年9月29日 (月) 04:19 (UTC)[返信]
たとえば日本史の出来事一覧の NewPP limit report によれば
Preprocessor node count: 46184/1000000
Post-expand include size: 210188/2048000 bytes
Template argument size: 40966/2048000 bytes
Expensive parser function count: 0/500
なので、サーバ負荷は問題ない範囲ではないでしょうか。--Jms 2008年9月29日 (月) 04:27 (UTC)[返信]
実際の負荷がどれくらいのものかは分かりませんが、一度確定してしまえばそれっきりの内容に対して何度も計算が行われるのが非効率的だとは私も感じます。ウィキテキストの再利用性を下げてしまわないかという懸念も。例えば、編集画面において選択範囲の西暦年を[[西暦年|西暦(和暦)]]に変換するようなガジェットを作る、とかでいいんじゃないかと思うんですが(不自由なPerserFunctionで記述するよりもずっとすっきり書けるだろうし)。--cpro 2008年9月29日 (月) 04:29 (UTC)[返信]
「一度確定してしまえばそれっきりの内容に対して何度も計算が行われるのが非効率的だとは私も感じます。」
これが言いたかったんです。言葉足らずで申し訳ないです。あ、ちなみに[[西暦年|西暦(和暦)]]というリンクの張り方は私は反対です。理由は西暦年と和暦年は1対1の関係ではないため。(元号の切り替わりは作者が対応しているようですが、明治5年以前の欠陥には誰も対応できていない。)--Goki 2008年9月29日 (月) 04:33 (UTC)[返信]
一度で済むことを何度もやらない、ということが主眼なら、少なくとも使いかたとしては subst すればよいだけでは。リンクの張り方云々はここで議論するよりは当該テンプレートそのもののノートで議論すべきでしょう。--Jms 2008年9月29日 (月) 05:05 (UTC)[返信]
議論も進めていますが何か?また、「subst:すればよいだけ」であったテンプレートも最終的には削除されています(生没年関連のテンプレート)。これらの話も含めて全体的な話としてあげているわけです。--Goki 2008年9月29日 (月) 06:33 (UTC)[返信]
最近 (というかけっこう前からだと思うが) は、テンプレートを展開した結果がキャッシュされているので、記事を閲覧するたびにテンプレート展開が発生するわけではないでしょう。発生するのは、テンプレートを呼び出している記事が編集された場合と、左記のキャッシュの寿命がすぎたとき (ここ最近だと2、3日くらい?) だけのようです。
そういうわけで、負荷は問題にしなくてよいように思われます。もしも問題になるほどの負荷なら、編集しているときに問題になるはずです (投稿ボタンを押してもなかなか結果が表示されなかったりするはず)。また、一般論として、編集されるとテンプレートの展開条件は変わりうるので、「一度確定してしまえばそれっきりの内容に対して何度も計算が行われる」とも言いきれないんじゃないかと。 --Hatukanezumi 2008年9月29日 (月) 11:49 (UTC)[返信]
一般論として、キャッシュもありますし、テンプレートの制限にひっかかっていなければ、サーバの負荷は気にする必要はないと考えます。呼び出し回数が多いことに対しては、WP:HRTに基づいて保護するなどして、編集回数を抑えればキャッシュ破棄の多発も防げます。
{{和暦}}に限っていえば、わざわざテンプレートにするほどのものか疑問に思います。調べるのには便利でも、直接記事に使うのはためらいます。リンクの形式も表記ガイドに沿っていないという問題があります。 --fryed-peach [会話|投稿] 2008年9月29日 (月) 13:13 (UTC)[返信]
{{和暦}}はノートで意見を書いていただけると助かります。作者は完全に意固地になっていて私が何を書いても無駄な気がしている状態。(存在理由も理由になってないし。もう書く気がおきない。)--Goki 2008年9月29日 (月) 13:57 (UTC)[返信]
わたしも{{和暦}}自体は「考えすぎ」なテンプレートだとは思うんですが (パラメータの値域を大化元年から保証している理由もよくわからん)、ページ内での「呼び出し回数の多いテンプレート」という文脈で問題にするのは変でしょう。私信。ところでここには関係ないが、Gokiさんの会話ページに書いたこと[1]を返答なくログ化してしまったのはなぜ? --Hatukanezumi 2008年9月30日 (火) 00:22 (UTC)[返信]
私は変だとは思っていません。和暦テンプレートの使用を1度認めると、引数が異なる複数個の使用がされることが間違いないのでこう書いているわけです。なお、会話ページについては「回答しない」という回答であると考えていただいて結構です。--Goki 2008年9月30日 (火) 01:30 (UTC)[返信]
そうですか。あなたと議論すること自体には益がないということは理解しました。 --Hatukanezumi 2008年9月30日 (火) 03:37 (UTC)[返信]
はい、了解しました。なお、回答しないというのは無視しているというわけではないこともご留意願います。要約欄に「注意」とだけ書かれてもなんのことかわかりません。てっきり、和暦テンプレのムダ話かと思ったじゃないですか。--Goki 2008年9月30日 (火) 05:15 (UTC)[返信]
とりあえず。もともと2008年(平成18年)となっているのをわざわざこのテンプレートに置き換えるのはやめてほしいです。恐ろしい無駄です。--Calvero 2008年9月29日 (月) 15:13 (UTC)[返信]
作者に直接書いてやってください。私の言うことは聞く耳を持っていないので。--Goki 2008年9月30日 (火) 01:30 (UTC)[返信]
作者というのは私のことだと思いますが、まだノートでご意見の内容について一度お伺いして、少し意見を述べただけなので、「完全に意固地になっていて」とか「聞く耳を持っていない」とか言われても困ってしまいます。また、このテンプレートの使用法や内容についてのGokiさんのご意見にも、一部賛同しています。詳しくは、ノートに書きます。--唐棣色 2008年9月30日 (火) 05:53 (UTC)[返信]
私の勘違いです。申し訳ないです。「意固地になっている…」の節は唐棣色さんのことではありません。別の記事で執拗に差し戻しを繰り返した利用者約1名と、変な論旨で「ああいえばこういう」コメントを繰り返し、関係のない話題をこの説に書いて悦に入っている利用者約1名のことです。--Goki 2008年10月3日 (金) 19:28 (UTC)[返信]

記事末尾の「ウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています」の記述の是非について

こんにちは。すこし前から一部の記事の末尾にある「このページはウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています」といった記述が気になっています。最初に気付いたのがウィキプロジェクト 国関連のページだったため、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_国にてこのテンプレートの経緯を質問したところ、詳しい理由は不明なものの、かつてプロジェクトのページ管理のために使われたのではないか、そして現在では必要なさそうだという感触を得ました。事実、現在の「ウィキプロジェクト 国」の「テンプレート」(プロジェクトページ提示の「ひな形」を意味)にはこのフレーズがなく、プロジェクトへのリンクおよびプロジェクトからのトレースという点ではカテゴリ、または infobox や navibox へリンクを埋め込むことで十分対応できると思われました。そこで「ウィキプロジェクト 国」およびその下位プロジェクトの「ウィキプロジェクト 日本の市町村」、またこの種の文言がプロジェクトの「テンプレート」にない「ウィキプロジェクト 漫画家」関連のページにおけるこの種の文言の除去をはじめました。

ところが、その過程で「ウィキプロジェクト 大学」などでも同種の記述が使用されており、こちらでは現在のプロジェクトの「テンプレート」にも「この項目は、ウィキプロジェクト 大学のテンプレートを使用しています。」の文言が含まれていることに気付きました。そこでWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_大学にて経緯を質問したところ、Akinoniji氏より「テンプレート自体にも著作権がありますから出典を明記する必要があります。そこで下部に出典を明記するためにこの文言があるという理解です」というコメントを頂戴しました(「Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_大学」2008年9月27日 (土) 18:10 (UTC))。これは私にとってはとても意外なものでした。もしAkinoniji氏の理解どおりであれば(メディアウィキの)テンプレートのsubst展開でもページ内に展開したテンプレートについての表示が必要になりますし、ページの統合、転記、他言語版からの翻訳などでも同様の処置が必要であると思われますが、コミュニティの合意としてはそのような処置は必要ないという結論に至っていると理解しています(subst展開についてはかつてかなりこじれた議論があったことと記憶しています)。しかし著作権に関しては私には知識の及ばない面が多く、いずれにせよ、この種の文言の記載については、コミュニティ全体の合意があるほうが望ましいと考え、井戸端に話を持ち込んだ次第です。

私としては「このページはウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています」の文言は読者に利するところはほとんどなく不要なものと考えていますが、出典記載のために必要であるならば各ウィキプロジェクトの「テンプレート」への適用が推奨されるべきでしょう。ただしそうであるならばもっと小さく、洗練された形で加えてほしいですし、メディアウィキのテンプレートとの混乱を招く「テンプレート」という文言は「ひな形」などに置き換えてほしいと考えています。ご教示、ご意見よろしくお願いいたします。--Aotake 2008年9月29日 (月) 08:35 (UTC)[返信]

「名前空間」のテンプレートも雛形だと思います(言語版によっては訳されています)。Aotake氏の作業時の違和感は全うだと思います。テンプレートやプロジェクトへの案内は自己言及であり記述する場合には本文と違いが分かるようにかつ目立たずに記載されるべきです。雛形は雛形であってプロジェクト内では著作性を有しないものとして扱うべきであると私も思います。johncapistrano 2008年9月29日 (月) 09:01 (UTC)[返信]
かなり昔に著作権の配慮で載せていたはずですけど、著作権に関する理解が乏しかった時代の遺物かと思います。「ウィキプロジェクト 日本の市町村」の文章は見つけ次第削除するようにしてますけど、なにぶん数が多すぎるもので…、助かります。--Knua 2008年9月29日 (月) 17:46 (UTC)[返信]
少なくとも、著作権上の問題ということであれば、ウィキプロジェクトを表示するのはおかしいのではないかと思います。載せるのであれば著作権者(執筆者・作成者)の氏名、もしくは編集履歴へのリンクにするべきです。「出典記載」というのが引用のことであるならば、こういうのは引用とはいわないような気がします。GFDLの要件を満たす目的であるならば、編集の要約欄でこれを行うのが通例であって、テンプレート上で表示するのは、やはり何か違うと思います。--Calvero 2008年9月30日 (火) 17:16 (UTC)[返信]
コメントありがとうございました。まだ十分に議論を尽くしているとは言えないとは思うのですが、井戸端から消えてしまわないうちにここまでのところをまとめますと、「『このページはウィキプロジェクト某々のテンプレートを使用しています』の文言は不要であって除去して構わない。もし今後もテンプレートを使用する際にGFDLの要件を満たす必要があるのならば、要約欄での言及によって行うべきである。」ということでよろしいでしょうか。--Aotake 2008年10月3日 (金) 07:50 (UTC)[返信]

城内実の記事

城内実の記事内容は、選挙前なのに表現が中傷的でまずいように思います。ご検討願います。—以上の署名の無いコメントは、寂華会話履歴)さんが[2008年9月30日 (火) 17:44 (UTC)]に投稿したものです。[返信]

個別の記事の内容については、ここではなく該当ページのノート:城内実でやるべきかと思います。--koon1600 2008年9月30日 (火) 18:04 (UTC)[返信]

私は一度は選挙妨害的な表現を見てリバートしましたが、また書き込まれましたのでもう関係しません。よろしくお願いいたします。 —以上の署名の無いコメントは、寂華会話履歴)さんが 2008年9月30日 (水) 18:25 (UTC) に投稿したものです(テンパわたるによる附記)。[返信]

漫画や小説の表紙、ゲームのパッケージ等の画像の記事への添付

海外版で普通に使われているのに日本語版で使われてないのはなぜでしょうか。あと、コモンズにある画像なら使っていいのでしょうか。--118.19.75.203 2008年10月1日 (水) 12:35 (UTC)[返信]

まず、前提として・・・『漫画や小説の表紙、ゲームのパッケージ等の画像』はほとんどが著作権がまだ生きていますので、著作権侵害ではあります。しかし、英語版等いくつかのwikipediaにおいて著作権侵害のものでも画像を載せていることがありますが、これはフェアユースの考え方に基づいています(乱暴に言えば明らかに著作権侵害である小説の表紙やら何やらを載せても、フェアユースであると主張すれば使うことが出来る)。
日本の法律にはこの規定はなく、また日本語版wikipediaでも認めない方針なので、日本語版ではフェアユースによる画像使用は認められません。また、英語版で使われているからといって日本語版に持ってくると削除されます。コモンズ(こちらではフェアユースは禁止されています)にあるものについても、日本において法的にまずいものは使うべきではないというようなことは言われますね。--koon1600 2008年10月1日 (水) 13:14 (UTC)[返信]
たとえば、コミックスの単行本を並べた画像だと、どうなるんでしょう? 特定の表紙を大きく見せないのであれば、問題ないようにも思うのですが…。ゲーム機本体はよくて、コミックスは駄目…というのも、おかしな話ですので…。ゲームセンターCXではフィギュアもOKなんですが、どこで線引きされるのでしょうか?--124.108.239.168 2008年10月2日 (木) 13:53 (UTC)[返信]
ちょっと待ってください。まず、米国著作権法のもとにおいて、フェアユースの抗弁に基づく著作物利用は、著作権侵害ではないでしょう(何かにそう書いているのでしょうか)。米国著作権法のもとでのフェアユースの抗弁は、反射的にみて著作権に課せられた制限なのであって、いわば、もともと著作権が及ばない領域なのです。
次に、ウィキペディア日本語版で、米国著作権法のフェアユースの抗弁がまったく認められないわけではありません。そうではなくて、ウィキペディア日本語版で利用するためには、米国著作権法と日本著作権法の両方において適法でなくてはならないのです。つまり、米国著作権法において適法な理由としてフェアユースの抗弁は認められるが、日本著作権法でも適法ではならないので、それだけでは問題の半分が片付いたにすぎず十分ではないということです。
ウィキメディアコモンズの画像をウィキペディア日本語版で表示する場合に、日本著作権法を考慮する必要はあるのか、という点について。これについては、たしかに意見が分かれています。個人的には、以前はこの点について安全側に倒すべきという考えを私は持っていましたが、ウィキペディア日本語版コミュニティが表示しても良いという合意を形成するのならば、それでも良いだろうといまは思っています。
「コミックスの単行本を並べた画像」「特定の表紙を大きく見せない」の話について。日本の著作権法上は、「著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得」できないサイズより小さくすれば、問題ないでしょう。例えば、極端な話、何十という単行本をずらっと並べて、一つ一つの表紙は何が書いてあるのか分からない状態で、これだけの巻数が出版されていますと示す画像であれば、大丈夫です。しかし、想定されているのはそういうケースではなく、個々の表紙がもう少しはっきり見える状態でしょうから、ケース・バイ・ケースで個別に検討するしかないものと思います。
ゲーム機本体はよくて、コミックスは駄目だという点について。これを奇妙だと思う心理は分からなくありませんし、ゲーム機本体も絶対に大丈夫だというわけではありませんが、日本の判例はそのような立場をとっており、学説上もこれを支持するのが通説だと思われます。
画像:Arino.jpgは、Wikipedia:削除依頼/画像:Arino.jpgをみると、ロゴについては不鮮明すぎて(判例の言い回しを使うと)「著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得」できないという判断、フィギュア本体についてはたんなる工業製品であって著作物ではないという判断がなされたのではないかと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月2日 (木) 20:49 (UTC)[返信]
途中から失礼します。少しはなしは変わりますが、素朴な疑問として以前から思っていたこととして、日本の著作権法の32条1項に基づく形での画像表示は難しいでしょうか。一般に報道機関などはこの条項に基づいてアニメの画像などをニュース中で流したりするのだと思うのですが、ウィキペディアには何か特殊な経緯があるでしょうか。素人な質問ですいません。--Was a bee 2008年10月6日 (月) 15:12 (UTC)[返信]
著作権法32条1項「公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。」
ウィキペディア日本語版では、画像名前空間のページ()を独立したものと扱っていて、画像名前空間のページの記述と画像そのもので主従関係が満たせず引用とならないので、(画像そのものが何かを引用した画像というケースでなければ)画像に対して引用の規定は適用できない、という考え方がとられているようです。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月6日 (月) 15:42 (UTC)[返信]
ありがとうございます。そうか、そういう問題があったんですね。であれば法改正で何か変わるのを待つか、日本語版だけmediawikiの設定を変えるかしないと、なかなか難しそうですね。--Was a bee 2008年10月6日 (月) 22:55 (UTC)[返信]

貨幣の画像の著作権

貨幣に著作権はあるのでしょうか。いろいろな文献を見てみたのですが、素人にはわかりそうにもありません。「国が発行しているもの」「偽造目的ではない」との理由から法律的には問題がないようにも見えますがそのあたりのことについて詳しい方がおられたら教えていただけませんか。現状では、英語版では多用されていて、日本語版では少し使われている感じです。もし法律関係がOKなら英語版からざくっと持ってきて日本語版にも載せたいなと考えています。--Yukke123 2008年10月1日 (水) 13:29 (UTC)[返信]

en:Template:Non-free currencyが貼ってある画像もあります。日本語版では使えない画像です。--hyolee2/H.L.LEE 2008年10月2日 (木) 02:01 (UTC)[返信]
ありがとうございます。しかし、ほとんどの画像は取り込んだ際に著作権は発生しない(単純なコピーの為)ので結局誰の著作なのでしょうか。もし著作権が発生するのであれば著作権を保持しているのが国の場合発行されて50年たてば使用できますし、デザインした人に著作権があるのであるのであればその人が死去してから50年になります。もちろんen:Template:Non-free currencyが貼ってあるのは知っていたのですが、その根拠がどこにあるのかが不明なのでお聞きしました。--Yukke123 2008年10月2日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
貨幣のデザインについては別に存在する原画の二次著作物であり、且つ(原画ではなく)二次著作物は公表済みなので保護される著作物の権利は原作の氏名表示権(名前の表示を求める権利)、原作と二次著作物の同一性保持権(無断で改変されない権利)だと考えます。二次著作物自体の展示権は貨幣発行とともに消失していると考えます(もちろん原画を展示する権利は別に存在します)。公表された美術品(公園の銅像や建物のデザイン)と同じ扱いだと考えます。また著作権以前の問題として貨幣の複製は別の法律で禁止されているでしょう。(貨幣以外の公表された美術品では)二次著作物に手を加えて改変するする権利は原作と二次著作物の同一性保持権が存在する限りは原作および二次著作物のデザイナーの許可が必要です。写真として引用する限りは少なくとも、原作の氏名表示権が残存している場合は誰の原作であるかまた原作にタイトルがあればそれらを引用の解説に含めてに提示する必要があると考えます。もちろん引用で許可された以上の著作物の使い方(たとえばレプリカの作成や公開、コラージュとして別作品への写真の埋め込み)は許可が必要という解釈になりますし、それ以前に(引用ではなく)レプリカやコラージュは貨幣の場合は著作権とは別の法律で禁止されると考えます。もちろん外国の著作権法で別の権利が定められていればそれも合わせて権利を保障する必要があると考えます。--あら金 2008年10月2日 (木) 15:31 (UTC)  [返信]
ありがとうございます。著作権外の問題であるとすれば、英語版ウィキペディアで公表(アメリカの法律でOKなもの・その他の国の法律を考慮したもの)されているものに関しては日本語版ウィキペディアでも公表できると考えてもいいのでしょうか。少なくとも日本国の法律ではOKなように感じます。--Yukke123 2008年10月2日 (木) 15:42 (UTC)[返信]
コンプライアンスを順守するというのと法律で取り締まられないというのは別の観点だと考えます。法律での取り締りはコンテンツの存在するサーバーの設置国に依存します。だからといって権利侵害や法律違反のコンテンツがあればサーバーの位置にかかわらず違反状態の解消は請求されるでしょうし、Wikipediaとしてはコンプライアンスは遵守するという方針なので違反状態を解消するアクションを取るべきだと考えます。知らないでやったとしても知った段階でコンプライアンスを遵守するべくアクションを取るということだと考えます。具体例としては"No-Free"の根拠が単純に著作権だけなのか他にもないか、あるいは原作者は二次著作者に単に原作の利用を許可しただけなのかは原作の権利を譲渡したのか等、権利関係の所在が明確ではないので合法非合法を判断するのは困難のように考えます(全ての関係国の法律を評価する力量があるかということもあります)。一方、コンプライアンス遵守する立場としてはそのコンテンツを利用しないというのがベターな選択だと考えます。--あら金 2008年10月3日 (金) 01:11 (UTC)[返信]
貨幣の場合は、著作権法は適しませんが、刑法の適用になります。刑法148条から153条をお読みになるとご理解いただけるはずです参考リンク
法的遵守は、様々な法律にしたがって行動することに他なりません。ウィキペディア上で出くわす法的関係では著作権法を核に金融商品取引法、個人情報保護法を侵害しているケースが往々にして、削除依頼であがってくる場合がありますので、グレーゾーンの記事(あるいは画像)だと思ったら、依頼をかけていただく、新規であれば投稿しないという姿勢が必要だと思います。--Tantal 2008年10月3日 (金) 22:32 (UTC)[返信]
おはようございます。昨日、日本の通貨(貨幣と紙幣)について長々と書いたものですが。その後にYukke123さんは文脈的に主に「外国の貨幣」についてご質問されているのかなと考え、ならば日本限定でしかも貨幣より条件が厳しい紙幣についてもだらだらと併記した私の書き方ではかえって混乱を招くだろうと一度消去しましたが。日本の貨幣の製造を行っている造幣局では、「貨幣の写真やイラストを印刷物に使用できますか」という質問に対し「通貨及証券模造取締法」の判断になると回答しています(造幣局頁)。通貨に関連する法令は、日本銀行のサイトでまとめられていますが(日本銀行頁)、刑法は行使目的(実際に使用する目的)での偽造や行使を禁止したもので、固形物である貨幣の写真をネット上にあげたいという今回のテーマでは直接的な関係は薄いように思います。昨日書いたことの再掲ですが。コンプライアンスの第一歩は、該当の行為に係る法律等は何なのか、それらの法律が要求している事項は何かを精査することだと思います(法的要求事項が何かわからなければ、それを守ることができません)。法律の中身を精査しないまま闇雲に安全側に倒して自粛というのはコンプラとは少し違う考え方のように感じます。--Giftlists 2008年10月4日 (土) 00:09 (UTC)[返信]

ダウンロードすれば容易に模造紙幣として利用できるとか、通貨として誤認されて使用されてしまうような状態(が可能とは思えませんが)でWikipediaに画像がアップロードされていない限りは問題ないと考えますが。参照(著作権委員会レポート[2])。通貨の著作権と複製の問題をごっちゃに判定してしまうと、たとえばテレビで紙幣を放送することすらできなくなります。--ネコバット 2008年10月4日 (土) 02:40 (UTC)[返信]

「コンプライアンス」が法律・規則遵守のことであるとお考えのようでしたら、それはコンプライアンスの狭義あるいは最低限の範囲です。貨幣の例については明白な条文や判例は検索調査することは困難です。とはいえ条文や判例が見当たらないといって創作者の権利に敬意を払う(尊重する)必要がないと判断することはコンプライアンスが保持された体制であるとは言い難いと考えます。同じように懸念があると知っているならば(今回のケースとは合致しませんが、一般論として、懸念の調査の結果が調査限界の為にグレーになったとしても)知っているのにも関わらず結論を待たず掲載を強行することがあればそれはいかがなものかと考えます(記事それぞれについて懸念を含めて提案して調査を待つということだと考えます。知らないならやむを得ないかもしれません。)また、日本の法規上OKだからといっても、引用に氏名表示権を提示するに配慮はしても損はないと考えます(デザイナーも貨幣に関する重要な属性のひとつですから)。(個人的な意見を言わせていただければ)日本の硬貨については写真を引用することを非とする決定的な根拠というのは見つけることができませんでした。紙媒体に印刷される余地がある紙幣については著作権以外にもいろいろ問題があるように考えます。日本の貨幣の権利関係が、外国に適用できるかどうかは不明という点はすでに述べました。--あら金 2008年10月4日 (土) 06:16 (UTC)[返信]
こんにちは。コンプライアンスが法律だけに限らないのはその通りだと存じます。法律の定めが仮に「100以下」などとなっていても、条例等で上乗せや横出し規制が付加されていることもあります。その分野での明文化されていない慣習的なマナーのようなものもあります。またそういった法律外の規制がなかったとしても「100以下と規定されているのだから99.9998を目指せばいい」という境界線狙いはコンプライアンスの理念に反しているでしょう。逆にコミュニティで話し合って「法律では100以下となっているがこの場では独自のガイドラインを定めて80以下としよう」とより厳しい自主規制をかけるのもありでしょう(私はあまり賛成しませんが)。ただしそうした判断をするためには、まず守らなければならないとする根拠は何か、守るべき事項は何かを知っていなければ始まりません。Yukke123さんはそうした事を知りたいと思い、ここで質問をされたのではないでしょうか。それへのお返事としては、hyolee2/H.L.LEEさんやTantalさんがされているように、根拠を具体的に示すことではないでしょうか。そうでなければそのお考えが正しいか判断がつきかねますし、賛成や反論をすることもできません。せっかく問題提起をしてくださっているのですから、この機会に何が禁止された行為で何が行える事なのか、みんなで出典を持ち寄って確認してみてもいいのではないでしょうか。なお、貨幣の著作権については先に挙げたサイトを参考に再掲しておきます(コンピュータソフトウェア著作権協会頁)。
私の個人的な印象ですとhyolee2/H.L.LEEさんが仰っているように特殊なテンプレートが貼られている画像は注意が必要ですが、それ以外のコモンズの貨幣画像については、日本語版での貼り付けに問題があるようには感じられません。うーん、浅はかですかねえ……。--Giftlists 2008年10月4日 (土) 10:01 (UTC)[返信]
たくさんのお返事ありがとうございます。ここで知ろうとしたものとして、著作権に関して問題がないのであれば(Commonsではなく)英語版Wikipediaで大量にアップロードされている貨幣の画像にフェアユースは関与しないのではないかと考えました。その場合に、日本語版であろうが、英語版であろうがおかれている状況は同じなので英語版の貨幣の画像を日本語版にアップロードして問題は発生しないのではないかと思いました。しかし、一人で判断してしまうとその後大きな問題に発展する可能性があるので井戸端で質問させていただいたしだいです。ちなみに英語版Wikipediaでen:Template:Non-free currencyというテンプレートには一部の貨幣には著作権があるのでフェアユースで使用する旨が記述してありますが、これの根拠はどこにあるのかが不明です。これはアメリカの法律で規定されていることなのでしょうか。--Yukke123 2008年10月5日 (日) 04:35 (UTC)[返信]
こんにちは。私が粗くですが見た限り合衆国の通貨でen:Template:Non-free currencyが貼られたものは見当たりませんでした。合衆国の通貨で具体的に貼られている例はありますでしょうか。通貨の著作権はそれを発行している国によって主張(という表現が適切かはわかりませんが)する国としない国があるようです(合衆国や日本は主張していない国のようですね)。件のテンプレートは、主に合衆国以外の通貨で使用されているように思います。該当の通貨を発行している国が「著作権を主張していない」と証明する責任は、アップロードする側にあります。ただアップロードする方が、その通貨を発行した国の人間でない場合はその証明が難しく、またあちらにはフェアユースという便利なものもありますので、著作権の有無が確認できない通貨についてはあのテンプレートを広く使用しているように見えます。ですので該当の通貨について、それを発行している国の財務省なり日本銀行なりに相当するサイトを丹念に見ていけば、実はフェアユースでなくても使用できるものも紛れている可能性はあるのではないかと思います(作業としてはかなりの手間ですが)。--Giftlists 2008年10月5日 (日) 05:24 (UTC)[返信]

合衆国に限った話ではなく、全体的な通貨の画像として話をさせていただきました。英語版ではフェアユースではかばいきれない法律が関連している(可能性があるが未検証)のにフェアユースでとにかく乗り切ろうというスタンスなんでしょうか…。その国の法律などを精査する必要があるとのコメントをいただきましたが、英語版ではさまざまな国家の通貨の画像を使うのにアメリカ合衆国の法律でしか判断されていない現状という認識でよろしいのでしょうか。--Yukke123 2008年10月5日 (日) 09:34 (UTC)[返信]

こんばんは。そういう意味ではありません。en:Template:Non-free currencyで使用されているアイコンは、en:Image:PDmaybe-icon.svgです。これはパブリックドメインかもしれないしそうでないかもしれない(どちらなのか不明)という意味だと解釈しています。どちらなのか不明であっても、あちらではフェアユースで使用できます(ので実はあんまり熱心に調べていないんじゃないかと思うわけです)。日本語版ではどちらなのかを調べて、PDであるとわかれば使用できます。著作権があることが判明している画像にはen:Template:Non-free fair use inが重ね掛けされています。ですので、en:Template:Non-free currency単独の画像について、一つ一つを調べていけば使用できるものがあるのではと思います。そして調べる先は、その通貨を発行している政府のサイトが最適ではと提案したのが前回のコメントの主旨です。--Giftlists 2008年10月5日 (日) 11:38 (UTC)[返信]

話を戻すようですが、著作権に関して2点コメントします。第1に、貨幣の元となったデザインの著作権が有効であったとすると、貨幣が流通しているのは単に複製権が使われているだけであって、貨幣の写真についてはやはり元著作権が有効でしょう。第2に、貨幣の写真には新たに写真としての著作権が発生している可能性があります。平面である絵画を平面である写真にする場合は新たな著作権は発生しないとされていますが、立体を写真にする場合は著作権が発生する可能性があるとされています。どちらについても著作権上問題ないかの検討が必要です。--アルビレオ 2008年10月6日 (月) 14:51 (UTC)[返信]

なるほど。謎が解けました。ありがとうございます。今後は画像を使ってよいと確認できたものとコモンズにある画像を使っていこうと思います。--Yukke123 2008年10月7日 (火) 11:28 (UTC)[返信]

こんばんは。口を差し挟んでしまった手前、私で調べられた範囲をまとめておきます。

en:Template:Non-free currencyの作成経緯
特にコミュニティで話し合いが行われた末の作成ではなく、個人で作られたもののようです。その最初期のテンプレートでは「政府の作った通貨だからPDだろう(超訳)」となっていました[3]。文言が変更されたのは作成の二日後で、ここで今のほぼ原型となる「PDかもしれないし著作権があるかもしれない。だからフェアユースね(超訳)」に変わりました[4]。変更の発端となったのは「ここでの話し合い」のようです。テンプレート制作者さんが、通貨はPDだと考えているが正しいだろうかと質問をしたところ、ユーロは著作権があるのではと指摘され、うーん、ならばザンビアトリニダード・トバゴ北朝鮮といった国々も一つ一つ調べなければいけないのか……と悩んだ末に現在の文言の原型となっているあの形が生まれたようです、ざっと読んだニュアンスでは。今の日本語版と同じ状況ですね。つくづく楽な解決策(フェアユース)があるあちらがうらやましいです。ですのでテンプレートが「Non-free」となっていても、実際に本当に「Non-free」なものは、極少数なのではないかというのが私の印象です。
日本の通貨に著作権がない理由
自国の通貨について曖昧にしておくのもどうかなと思いましたので確認しました。(旧)大蔵省印刷局が発行した『日本のお金』ISBN 978-4173121601に記述がありました。日本のお金のデザインは告示により官報公示されます。著作権法第十三条第二項により国の告示は著作権の対象となりません。そのため日本のお金は著作権の対象外という扱いになるそうです。(合衆国通貨も同様にアメリカ合衆国政府の著作物のためPDです)。ただし「図柄の部分的に使用されている風景や動物などのデザインの基となる写真」には、著作権が存在している可能性もあるので、部分だけ切り出して使用するような場合は承諾が必要になることもあるそうです。
また、同書に外国の通貨についても軽く触れられていました。そこではイギリス・スイスなど(※同書の発行は平成6年)では「紙幣を発行する中央銀行が著作権を持つ例があり、紙幣の券面に著作権表示のマークと年号が印刷されています」と書かれていました。この書き方からすると、個人的な印象だと著作権表示をする国は少数派のように感じられるため、ユーロなどのように著作権表示がされているお金だけを探して省くほうが、作業的には楽かもしれませんね。長々とお邪魔しました。--Giftlists 2008年10月7日 (火) 15:11 (UTC)[返信]
貨幣に著作権がなくとも、それを撮影した写真には著作権が発生しますね。--野𣷓 2008年10月8日 (水) 10:45 (UTC)[返信]
こんばんは。使いまわしですが、著作権情報センターの解説(参考頁)、文化庁の解説(参考頁)、日本写真家協会の解説(参考頁)にもあるように、絵画などの平面的なものを、そのまま平面的に撮影したものについては、その「写真の著作権」は発生しないとする解釈が一般的のようです。対して彫刻のようなでこぼこと立体的になったものにはアングルなどで創作性が加わることが多いため「写真の著作権」が認められるようです。この解釈に準ずると、平面的に撮影した貨幣の写真については「写真の著作権」は発生せず、貨幣を立てたり斜めにしたりして立体的な構図で撮影したものについては「写真の著作権」が発生する余地があると思います。今回、Yukke123さんが日本語版への移設を検討していると思われるコモンズの貨幣画像は、そうした点に配慮してどれも平面的に撮影されていますので、「写真の著作権」が発生する可能性のありそうなものは、私が粗く見た限りでは見当たりませんでした。もしもそうしたものが混ざっていた場合は、それは移設の際に念のために弾いておくといいかもしれませんね。--Giftlists 2008年10月8日 (水) 13:16 (UTC)[返信]

Giftlistsさん調べていただきありがとうございます。大変わかりやすく理解ができました。写真に関しての著作権は大まかですが、このような場合(12)に発生し、このような場合(12)には発生しないということです。--Yukke123 2008年10月8日 (水) 17:54 (UTC)[返信]

どうも話が噛み合っていないように思い、読み返してみたところ、どうやら貨幣硬貨の意味で使っている人(今までの私はこちら)と、紙幣を含めている人あるいは紙幣のことを指している人がいるように思います。 貨幣を美術品の素材として使うような特殊な場合を除き、「紙幣の写真」であれば写真としての著作権は発生しないが、「硬貨の写真」だと照明の当て方などで独自性がありうるので著作権が発生している可能性があります。少なくとも私は「硬貨の写真」の場合、誰が撮っても同じになるとは思いません。(著作権が発生しているほどの独自性かについては自信ありません) なお、著作権には「著作権表示マークと年号」が必須ではないので、「著作権表示があれば著作権がある」ことは言えるが、「著作権表示がなければ著作権がない」とは言えないことを指摘しておきます。--アルビレオ 2008年10月11日 (土) 22:52 (UTC)[返信]

おはようございます。私個人に関していえば、お金全般は「通貨」、硬貨については「貨幣」という書き方で統一しております。私も読み返してみましたが、特に皆さんでお話が噛み合っていないようには感じられないのですが。また「硬貨の写真」には著作権が発生する可能性があるとのことですが。古い小判などはともかく、平均的な世界の硬貨の厚みは、一般的に「平面的な美術」とされる油絵の絵の具の重ねよりも薄く且つ平らなものが殆どです。「平面的な撮影方法」をとった場合、「写真の著作権」が認められていない油絵などと比較して、照明の当て方程度で貨幣にのみ特殊な事情が発生するとは俄かに考えにくいのですが。何か判例のようなものをご存知でしたらご紹介いただけないでしょうか。私も探してみますが。また、下段についてはそのとおりで、最終的な判断は通貨の発行の国の政府のサイト等で確認しないと正確なことはわかりません。それは何度も書いているとおりです。ご指摘の箇所は「選り分け作業」の手順のアドバイスです。--Giftlists 2008年10月12日 (日) 02:08 (UTC)[返信]

LUMIX→ルミックス移動について

メーカーが両方の表記を併用していることを確認し移動したのに「英語表記も商標名として認められている」という理由にならない理由で差し戻され、議論にも応じません。どうしたものでしょう。--プリズム11 2008年10月1日 (水) 20:03 (UTC)[返信]

WP:CALM。そのページのノートを拝見しましたが、議論に応じていないということはないでしょう。「意見が食い違っている」と「議論に応じない」は違いますよね。失礼ですが申し上げますと、「メーカーが両方の表記を併用していることを確認し」たから「移動した」というのは、全くご自身の行為を正当化する理由になっていないように思います。数日ウィキペディアから離れて論理の武装を固められてはいかがでしょうか。--二条ちゃん 2008年10月2日 (木) 14:29 (UTC)[返信]
えっ。冷静にですか。んで、それがわざわざリダイレクト記事ヘのリンクなのは何かの皮肉なのか知らん(^_^;
タイムテーブルは把握されていますか。まさに頭を冷やしつつあるべき反論を待って、反論も差し戻しの修正もされないからここに来ているんですけどねぇ。--プリズム11 2008年10月2日 (木) 16:58 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼 を使ってみてはどうでしょうか。なお Wikipedia:記事名の付け方#外来語 を参照しての提案なので、理由としてまったく変というわけではないでしょう。「外国語表記は基本的に用いず、格好悪いと思っても「できる限り」仮名漢字による定訳、正式名称を優先します」とあって、メーカーが両方併記ということはどちらも正式名称であると考えられるから、日本語(カタカナ)表記を優先する、というのは十分理にかなっています。Wikipedia:記事名の付け方#団体名 をみれば類似の例もあります。あとガイドラインの解釈で曖昧なところ、よくわからないところは Wikipedia‐ノート:記事名の付け方 で質問してみるのがよいと思います。--Calvero 2008年10月2日 (木) 15:32 (UTC)[返信]
ありがとうございます。コメント依頼の仕方を調べてみます。--プリズム11 2008年10月2日 (木) 16:58 (UTC)[返信]

人名への赤リンクの要不要について

人物記事がまだ作成されていない人物へのリンク(人名への赤リンク)を一律禁止にしようという議論が挙がっています。既に特定プロジェクトでは人物一覧記事から赤リンクを除去する合意が取れているものがありますが、今回の議論は全記事が対象となります。既にコメント依頼が挙がっていますが影響範囲を考慮すると連絡が不充分と考えましたので、こちらでもご連絡させていただく次第です。賛否等、ご意見をWikipedia‐ノート:赤リンクにお願い致します。--NISYAN 2008年10月3日 (金) 05:27 (UTC)[返信]

私もこの点については、はっきりとした決まりを作る事に賛成です。私も、人名の赤リンクをやったりやらなかったり実にあいまいな編集をして来ましたが、すべて他の記事を手本にしているので、赤リンクは義務かと思った時期もあれば、しなくてもいいのかな?と思ったりのくり返しでした。人名項目の記事は一度作成されると取り返しがつかなくなるケース(中傷、事実無根等)も多いので、私個人としてはこらから人名を書く編集の際には「赤リンクが出た場合リンクをしない書き方」を自主的にいたします。赤リンクは義務ではないことが分かりましたので。--かんな文移 2008年10月3日 (金) 07:04 (UTC)[返信]
議論の場所がWikipedia‐ノート:赤リンクと指定されており、ここで意見を述べられても議論拡散の可能性があるので、そちらで意見を述べられるのが適切ではないかと思われます。--水野白楓 2008年10月4日 (土) 23:41 (UTC)[返信]
言われてみれば、水野様のご指摘通り、そちらで意見を述べるのが適切かなと。ご指摘ありがとうございました。迅速に返信できずすいません。--かんな文移 2008年10月6日 (月) 14:50 (UTC)[返信]

MediaWiki:Sp-contributions-footerについて

最近、英語版やドイツ語版などでは、利用者の投稿記録の下にen:MediaWiki:Sp-contributions-footerde:MediaWiki:Sp-contributions-footerのような形でツールサーバなどへのリンクをおいて便宜を図っているようです(もともとはフランス語版のアイディアのようです)。グローバルアカウントからそのままログインして利用者ページを作らずに活動する利用者も増えており、こういった方々の様子を知るためにこういったリンク集を投稿記録の下にいれるのは日本語版でも有用だと思いますが、導入についていかが思われますでしょうか。--Aotake 2008年10月3日 (金) 07:58 (UTC)[返信]

私も有用だと思います。導入に賛成いたします。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月3日 (金) 09:50 (UTC)[返信]
賛成です。まずはMediaWiki‐ノート:Sp-contributions-footerで翻訳と動作を検討してはどうでしょうか。--miya 2008年10月3日 (金) 15:13 (UTC)[返信]
enから日本語版向けにローカライズして入れてみました。特に動作の問題は出ないようです。不具合とか用語名についてはノートへ。--Los688 2008年10月3日 (金) 16:12 (UTC)[返信]
早速の導入、ありがとうございました。--Aotake 2008年10月3日 (金) 22:11 (UTC)[返信]

出展のない記述について

出展のない記述を見つけた場合は、Template:要出典を貼るのか、コメントアウトにするのか、どちらが正しいのでしょう?コメントアウトにするだけでは何も解決しないとは思うのですが……。 --ショータ 2008年10月3日 (金) 08:53 (UTC)[返信]

何が正しいのか、というか、何が適切なのかは記述内容や状況によってかわります。もちろん、ショータさんがお書きになっている以外の対応もあります。何が適切なのかをご自身で判断できるようになるまで、その種の行動を取らない方が良いのではないかと思います。ノートでの指摘に留めてはいかがでしょうか。--iwaim 2008年10月3日 (金) 09:41 (UTC)[返信]
自分が加筆できるようであれば、参考文献を渉猟していただき、文献を追加していただくのが1つの方法です。記事の充実も図れますし。逆に自分の専門分野以外であれば、手を出さないほうが。そういう時は、コメント依頼を使うという方法もあります。--Tantal 2008年10月3日 (金) 22:24 (UTC)[返信]
  • 内容は正しそうだが記述が曖昧で、もっと具体的・明確・確実に知りたいような場合にTemplate:要出典を貼る感じでしょうか。内容に明らかな間違いがあり、読者が信じるべきでないと判断できた場合はコメントアウトが宜しいのではないでしょうか(Wikipedia編集方針)。また単に既存記事の読書感想や投稿者のエッセイになってしまっている長文もコメントアウトが適当だと思います(Wikipediaは何ではないか)。前者のケースではこちら側の方こそが知識不足というケースもありますが、その指摘を受ける際には元投稿者が出典を示して下さるでしょう。むしろ後者のケースが厄介なのですが編集合戦などに発展しそうな気配ならノートへ移動させるなどして相手側に納得して頂くことになると思います。--ネコバット 2008年10月4日 (土) 02:20 (UTC)[返信]

古い絵画のスキャンデータの著作権について

美術館や図書館などのウェブサイトにある古い(作者死後50年以上の)絵画のスキャンデータについて、 著作権が主張されうるかどうか解釈できるひとがいたら教えてください。 --H335 2008年10月4日 (土) 01:17 (UTC)[返信]

こんにちは。門外漢なので参考までに。著作権情報センターの解説(参考頁)、文化庁の解説(参考頁)、日本写真家協会の解説(参考頁)を確認しましたが、著作権の切れた絵画を平面的に撮影した写真については、その写真の著作権は発生しないとする解釈が一般的のようです。もう少し突っ込んだ質問を個人的に著作権情報センターにされた方が詳細をサイトで紹介していらっしゃいます(個人サイトの解説頁)。ただ個人的な感想でいえば美術館や図書館などの公的サイトのスキャンデータではなく、一般の個人サイトさんが一生懸命スキャンしてまとめられた画像のような場合は管理人さんに断りなくごっそり持ってきてしまうのは(法律的な問題ではなく)道義的にどうかなとは思います。--Giftlists 2008年10月4日 (土) 01:53 (UTC)[返信]

現在、Wikipedia:利用案内#古地図・歴史地図の投稿と著作権についておよびWikipedia:井戸端#撮影場所を明記していない著作物の取り扱いについてで同種の議論がされています。Commonsに登録する画像の著作権について、別途どこかに統一的に扱う議論の場を設けたほうがいいんでしょうかね? --Inoue-hiro 2008年10月4日 (土) 01:57 (UTC)[返信]

対話なしでIPユーザーさんに貼られた即時削除について

インターネット依存症の症例を新規に投稿したら、対話なしで攻撃的な即時削除を貼られました。 何がどういけないのか定まっていない独断と偏見によるものですが、とりあえずノートに返事しています。 とても百科事典(記事)を作ろうという目的の下に合意が得られない不機嫌さが伺えるので、どう対処したらいいのか教えてください。

本腰で該当文献を探してもいいが、記事を残そうという考えが無いのでWikipedia:独自研究は載せないを突き詰めて文章1行ずつ出展をつけないと納得しないんじゃないかと思われます(あくまで、まじめに対話ができたら)。--DJ Dojo 2008年10月4日 (土) 02:25 (UTC)[返信]

IPユーザーさんの言う「独自研究の発表」は即時削除の方針にはなく、また記事量もまとまっていたので即時削除テンプレートを削除しました。代わりに{{独自研究}}、{{出典の明示}}を貼りました。つきましてはWikipedia:出典を明記するに従った措置をとることをお勧めします。--Sillago 2008年10月4日 (土) 02:59 (UTC)[返信]
対処ありがとうございます。
IPユーザーさんによると、記事名の「症例」が独自研究とのことでした。
その後...ログインユーザーさんから、加筆・修正するでもない批判的な物言いがつきまして...少々反駁しました。
記事削除を目的とした攻撃じゃないのであれば記事名を、
と変更対処しても構わないと思うんですがね。
IPユーザーさんの発言も対立意見じゃないし、段々と個人攻撃人身攻撃)に転移してきたので様子みながら相談させて頂きます。--DJ Dojo 2008年10月4日 (土) 09:50 (UTC)[返信]
私としては「百科事典的になりえない記事」という意味も含んで即時削除テンプレートをつけました。またノート:インターネット依存症の症例にしても、可能な限り応答しますが、まず記事の立つ視点がまずい。これは小手先の調整でどうこうできる範疇ではないと考えています。せいぜい、説明にはあまり重要ではない一覧記事(記事中には盛り込まれる必要が無い)として存続できる可能性はありますが、それとて百科事典の記事としてはかなり異質な一覧化するというか、設立時点ですでに羅列記事以上ではなく、その断片的なケースの列挙にたって総括的判断・評価を付与すれば独自研究でしかない以上は、いずれ削除依頼などで対応すべき記事なのだと考えております。--59.86.2.146 2008年10月4日 (土) 10:11 (UTC)[返信]

(インデント戻し)削除理由は出展じゃないって井戸端で言わず、何がどういけないのかノートで照準を定めて下さい。 もう、テンプレと全然違う泥沼になっているのですが、次の批判は章立てがいけないような事を言うので、素案をノートに書いておきます。

--- フレーム ON ---

削除理由も変容したし、批判ポイントもリピートしたからだいたい出尽くしたようですが、射程範囲の中で批判攻撃を乱射するのではなく、ポイントを絞ってください。

お望み通りの編集・修正する旨を表明しておりますが、記事を削除することを目的として批判されても対処のしようがありません。Wikipedia:中立的な観点に重ねると、「削除する/削除しない」の間が中立になる対話をしても意味ないでしょう。

記事「インターネット依存症の症例」を作る気があるなら、論点を絞って建設的な意見交換をしましょう。 そうでないなら、照準の定まらない無差別攻撃は辞めて下さい。

あなたの好まない内容であるなら、見ない様にすることをお勧めします。

--- フレーム OFF ---

記事を存続させる箇所が見つかったので、Wikipedia:編集方針からはじめてみます。

別案で相談ですが、Wikipedia:あなたはウィキペディア中毒でしょうかテストに貼っているTemplate:ユーモアのようなソフトに注意を促せるテンプレートはないでしょうか?

例えば「Wikipediaに過剰な情熱を注いでいる人は、管理活動に支障を生じる可能性があります。不快に感じる方は閲覧をご遠慮ください。」に、少々ユーモアを加えるなどした不毛な攻撃を受けない予防テンプレ…--DJ Dojo 2008年10月6日 (月) 04:43 (UTC)[返信]

(質問)社名変更に伴う書き換えについて

不勉強で申し訳ありませんが、教えてください。たまたま目にしたのですが、松下電器がパナソニックに変わったので、botが過去の松下電器をパナソニックに書き換えています。例えばある俳優が同社のCMに出演した場合、社名はその時点での呼称でよいのではないかと思うのです。Panasonic社になってから発表されたものと区別する意味でも書き換えてしまうのは如何なものかと思います。もしそのようにすることが、必須であるなら、社名や呼称を変更したり(例:テレビ朝日、ANB、NET)して統一させることも必須なのかを知りたいのです。また議論中なのですが、北海道文化放送の社略称がUHBかuhbかといった事で編集合戦が起こったりしています。この件でもUHBが正しいといった結論が出た場合には、誤使用されている全てのページを編集する必要があるのでしょうか。ご教示いただけると幸いです・--Richard Pman 2008年10月4日 (土) 12:44 (UTC)[返信]

この変更のことでしょうか?
もしそうでしたら、これは「[[松下電器産業]]」を「[[パナソニック|松下電器産業]]」に張り替え、リダイレクトを本来のリンク先に修正しているだけのようですので、記事の表示は変わりませんし、実質的にはリンク先も変更されません:
なお、北海道文化放送の件については、私はあまり強い意見はありませんが、たぶんやったほうが良いだろうとは思います。ただし、もし手作業でやるあることになってしまったら、無理にする必要もないと思います。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月4日 (土) 13:12 (UTC)--修正:2008年10月5日 (日) 01:23 (UTC)[返信]
ご回答ありがとうございます。リンクの件はちょっと誤解していました。本文ページでの表面上の変化はないですね。逆に「松下電器」を知りたくてリンク先を見ると、違った社名に飛んでいく点(リダイレクトの件も含めてですが、以前から若干気にはなっていました。もちろん飛んでいった先に解説があれば納得します)は、問題ないのですね。
UHBの件まで持ち出して申し訳ないですが、ご意見いただけてありがたいです。(以前も書式にこだわる方がいて、投稿するとすぐ後を追ってきて修正する人がいたので...)--Richard Pman 2008年10月4日 (土) 13:52 (UTC)[返信]
松下電器産業からパナソニックへのリダイレクトに関しては、後者の冒頭に「長らく松下電器産業株式会社(まつしたでんきさんぎょう)という社名を用いていたが」とあるので、現在のウィキペディア日本語版の慣習の範囲では、あまり問題はないと思います。草案ですが、Wikipedia:リダイレクト#穏当な転送を行うにも少し説明があります。
UHBに関しては、私の意見は上記のとおりですので繰り返すことは控えさせていただきますが、他の方のコメントも付くかもしれませんね。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 01:23 (UTC)[返信]

前後年受賞者

ある人物を調べていたらその方がある賞を受賞していたのですが、最後の方にその賞の前後年の受賞者も書いてありました。 また、実はこの調べた方は監督さんで、先代と後継の監督の名も書いてありました。 こういうものは必要無いと思うのですが、どうなんでしょうか? (知りたければその賞などを調べればよいのだから) この辺りの指針とかは有るのでしょうか? 一応、テレビ番組では前後番組については何度も話し合いがされてるようですが…--Cee 2008年10月4日 (土) 17:04 (UTC)[返信]

百科事典は必要最小限の情報のみを簡潔に記すというメディアではないため、どのページにも様々な角度からの多面的な情報が出てくることは確かです。このとき問題となってくるのは、どういう情報を、どのページに、どこまで精細に乗せるのか、この点に関して人により様々な考え方がある、という点かと思います。たとえば、各ページの情報量に対する好みの違い(大項目主義小項目主義)、検索やクリックの手間に対する考え方の違い(検索やクリックはめんどくさいと思う、別にめんどくさいとは思わない)、内容の深さに対する要求の違い(エッセンスだけが簡潔に書かれていればいい、いやディティールを詳しく書きこんでほしい)、関連する情報へのリンクをたくさん用意して欲しい、いやリンクが多いと行き先に迷うので数を絞って欲しい、歴史的側面、文化的側面、政治的経済的側面、それぞれについて、詳しい記述がほしい、いや別に要らない、他多数。人によってこうした様々な点に対する好みというのはやはり異なってくるでしょう。そういう様々な選好が在り、かつ全ての観点から見て理想的と言えるような記事が作れない、そういう中で、先代・後代という表記は、ある種の妥協的な情報提示法として機能してるのではないのかなと思います。--Was a bee 2008年10月5日 (日) 00:33 (UTC)[返信]
その賞の記事に受賞監督の一覧がある場合や、カテゴリに受賞監督の一覧がある場合、そこへのリンクがあればそれで良いのではないでしょうか。その監督を説明する上で前後の受賞者が必要な場合は別ですが、通常その監督と前後の監督は百科事典としての説明レベルではあまり関係ない事項(雑多な事項)になるのではないでしょうか。何の記事をさしているのか、どの分野をさしているのか分からないので(雑多な内容を羅列した記事は必要ないとの立場から)一般的な意見を述べさせいただきます。--Inoue-hiro 2008年10月5日 (日) 03:18 (UTC)[返信]
Was a bee さんの意見と似た部分がありますが、カテゴリやテンプレートも多い方がいいという意見と多すぎると見づらいといった理由などで少なくすべきといった意見と双方あります。Wikipedia:記事どうしをつなぐといった観点から考えた場合、賞の記事へ飛ぶためのリンクがあれば十分かもしれませんが、先代次代ないし、受賞者一覧テンプレートがあっても良いのではないかと思います。--Tiyoringo 2008年10月5日 (日) 10:47 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。具体的に言うと星野仙一さんの項目です。最後の方を見ていただければ、なに、これ?と思う方も多いのではと思います。これを見て、監督なら一部スポーツや映画・テレビなど限られるので、人、団体、作品など、かなり広い範囲になる賞をお題にして質問した次第です。--Cee 2008年10月5日 (日) 16:59 (UTC)[返信]

星野仙一さんの記事、拝見しました。この方は非常に有名であり、この記事の末尾でテンプレ表示されている以上の数多くの役職、講演、記録、受賞、の経験があるはずです。そういうなかで、ある程度何らかの選別が行われた上で、これら数点のテンプレが置かれているのだろうな、と思います。これらの情報は基本的にディープな野球ファンでなければ、どうでもいい類の情報でしょう。ですが逆にディープな野球ファンにとってみれば、それなりに意味ある情報とも言えるのだと思います。私はスポーツファンではありませんが、スポーツファンの間で背番号の変化や監督の交代などが結構重要なこととして語られているのは目にします。こうしたところから記事のあり方に対する選好の違いがでてくるのでしょう。とりあえずウィキペディアの記事は、そのほぼすべてが「各分野のディープなファン」というのが主要な執筆の担い手になっています。ですから、普通の人間から見たら大抵どのページも無駄に冗長です。こういう冗長性が不満なのなら、基本的に、表示にパターンを用意する、という方向を探るのが一番現実的ではないかな、と私は思います。というのも、情報を削ってくれ、というのをドンドンやってしまうと、おそらくウィキペディアは何一つ面白くなくなってしまうだろうからです。
とりあえずこの点について参考になるであろうサイトとして、Encyclopedia of Lifeがあります。これは小学生から分子生物学の研究者までが使えるような、全生物についての百科事典を目指して動いているプロジェクトです(注目は集めているものの中身は依然としてほとんど空っぽなのですが)。このサイトでは表示される情報のレベルを設定できるようになっており、大雑把に言って、子供、ふつうの大人、専門家、という三種類の読者が想定されてレベル分けされています(→設定ページ)。ちなみに、このサイトでは情報についても、その信頼性に応じた表示設定が出来るようになっています。完全に権威付けされた情報のみを表示する、という選択肢と、権威付けされてない情報でも表示させる(具体的にはウィキペディア英語版のこと)という選択肢、この二つの中からオプションを設定できます。以上、長くなってしまいましたが、何かのご参考になれば。--Was a bee 2008年10月5日 (日) 20:11 (UTC)[返信]

「個人攻撃」という用語について

ウィキペディア日本語版では、「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎいるように思えます。

まずは、次のリンク先の内容をごらんになってください:

個人攻撃がなぜいけないのかといえば、なによりも、「~~~という主張は間違っている。なぜなら、それを主張している人は×××だからだ」[1]という、論理的には誤った論法だからなのだと思います。むろん、それが人を精神的に傷つけるからという側面もありますが、まずはとにかく、それは論理的に間違っている、ということがポイントです。

相手が理解できない主張を繰り返しているのならば「理解できない主張である」といえばよいのですし、嫌がらせを受けているのならば「嫌がらせを受けている」といえばよいのです。しかし、理解できない主張を繰り返すことや嫌がらせは、個人攻撃とは、別の概念だと思います。

さらに、論理的には誤った論法だとしても、一定の場合には合理的で説得力を持つ根拠となることはありえます。例えば、記事のある記述が学界における通説的な見解と異なっているという場合に、「その記述は疑わしい。なぜなら出典とされている書籍の著者は、異なる専門分野の人であって、別の論点においてだがこの分野における知識の欠如を○○○で批判されている」といった主張には、ある程度の説得力があるでしょう[2]

結局のところ、非難されるべき個人攻撃とは、

  1. まず「~~~という主張は間違っている。なぜなら、それを主張している人は×××だからだ」という論理的には誤った論法であり
  2. かつ、議論の主題に関して合理的・説得的な根拠を提供できず
  3. さらに、それが人を精神的に傷つけたり、萎縮させたりする

という場合ではないかと思います[3]

また、2と3は比較考量にのり、わずかながら説得力はあるがそれが生み出す萎縮効果とはつりあわないとか、たしかに人を傷つける可能性は否定できないがそれが生み出す説得力は絶大であるので許容されるべきである、ということもあるように思います[4]

私は以上のように考えており、ウィキペディア日本語版では「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎいるように思いますが、皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

  1. ^ 「×××」には人種や性別などが入ります。
  2. ^ とくに、「したがって、学界の通説的な見解を先に紹介し、その人物の主張は、「○○は~~と述べる」と補足するに留めるべきだ」とつながるならば。
  3. ^ 概念的には、2と3の要件を満たさずとも「個人攻撃」になりますが、それは非難されるべきことを必ずしも意味せず、たんに論法の分類という衒学的な趣味に貢献する概念に過ぎないでしょう。
  4. ^ 後者の例としては、誰かが虚偽の出典を今まで何度も示してきた場合、ということがありえるでしょう。

--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 01:28 (UTC)--修正:mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC)[返信]

同意です。そういえば、記事に関わる上で求められる知識や情報を整理する能力に欠けると考えられる人物に、「あなたは能力が足りないので記事に関わらないでほしい(かなり要約)」と幾つかの該当人物が行った編集内容を例に挙げ申し上げた際に、その相手が「人格攻撃」だと主張して発奮されちゃったことが…(類似例+1)。一歩間違うと「個人攻撃だ」と主張することは「対話拒否」の言い換え語なんじゃないかと感じることがあります。というか、他者からの指摘が理解できなかったから「根拠の無い中傷」だとみなしているんじゃなかろーか?とも(良くない方向に漏電中)。その一方で、自分の考えをまとめて表現できない方が、記事が非NPOVないし独自研究だと主張して手を入れたがっている際に、「では具体的に何処がそうなのか」や「何処をどうするつもりなのか」と幾ら問い質しても要領を得ない回答しか帰ってこない(結果、当人の主観で気に入らない記述が除去されたり主張レベルの雑記が放り込まれたりする)なんてのも…似たような気分に襲われることが。妥当性も無いのに個人攻撃だとみなすことはWP:POINT案件の一種かもしれませんね。--夜飛/ 2008年10月5日 (日) 03:23 (UTC)[返信]
コメント、ありがとうございます。「人格攻撃」もまたやっかいな言葉ですね。
コメントを受けて考えましたが、やはり、根拠があるのかどうか、というのが重要な点ではないかと思います。ある人に対する評価に根拠があり、またその評価が主題に関する主張・意見・要請の根拠となるという、いわば二段階の根拠によって最終的に説得力を生み出すならば、(それによって人が傷つけられたり、萎縮したりという効果と比較考量した上で)人に対する批判ないしは人に対する否定的評価の表明も許される、と考えるべきではないかと思います。そうでなくては、投稿ブロック依頼など提出しようがありません。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月5日 (日) 05:55 (UTC)[返信]
Wikipediaでの個人攻撃であれば。 個人的には、関係あるのは記事であって、それを書いた人物ではありませんという一文を強く意識しています。たとえば夜飛さんの「あなたは能力が足りないので記事に関わらないで欲しい」というのは「あなたの投稿した記事の内容を見る限り、もう少し予備知識を持って欲しい」と言い換える事もできます。 すると「投稿内容の何が問題か」というのが必然になります。 相手が確信犯(犯という文字は、何かアレですが)であれば説明したほうがモアベターでしょう。 そう意識すると「書いた人」なんていう意識が薄れていきます。 私もやはり「根拠」というのは重要なことであると思います。--秋月 智絵沙(Chiether) 2008年10月6日 (月) 15:52 (UTC)[返信]
でも複数の記事にまたがった問題を取り上げるとどうしても人依存になるのではないだろうか。「打たれ弱い人」が多すぎな気もしないでもない。打たれ強いやつも相当人数いて、その幾人かは荒らしと化しているので、それはそれで困り者なのですが。--Goki 2008年10月8日 (水) 05:46 (UTC)[返信]
あ、思い出しました。昔、他人(未成年者)に相当きついコメントをしておきながら、自分に対する批判については個人攻撃だの何だのといっていたユーザがいましたっけ…。--Goki 2008年10月8日 (水) 05:49 (UTC)[返信]
"Personal attack"を人格攻撃とか人間性への攻撃と日本語でいえば誤解しないものを「個人攻撃」と訳したので誤解する人が大勢いるだけだと考えます。日本語版固有のミスリードだと考えます。--あら金 2008年10月8日 (水) 11:15 (UTC)[返信]
個人攻撃に関連してですが、まずは「礼儀を忘れない」ということが重要であると思います。「あなたは…」というのは投稿者に対する批評にしか見えませんし、攻撃的な印象を相手に与えてしまうでしょうから、具体的な投稿内容を明確に示して「この部分の記述に問題があるのではありませんか」と述べた方が、前向きな対話が図れるし、無用のトラブルを避けられるのではありませんかね。--Folivora 2008年10月9日 (木) 14:54 (UTC)[返信]
Folivoraさんのおっしゃる「投稿内容」とは、ノートなどへの投稿、例えば礼儀を失したノートへの投稿なども含むのでしょうか?
また、私の議題提出は、「個人攻撃」という用語が安易に使われ過ぎているように思うというものであって、いわば「個人攻撃」という用語を安易に使うことによるトラブルを避けようという趣旨を含んでいるつもりですが、その点についてはどうお考えになるか、お聞かせ願えれば幸いです。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月9日 (木) 15:43 (UTC)[返信]
私が投稿内容と申し上げたのは「記事」そのもののことですよ。我々はよい記事を作るという共通の目的を持っている訳ですからね。そのうえで記事の内容についてどのような記述が適切かをノートで議論していく訳ですが、やはりそこは「行動についての公式な方針」にある通り「礼儀を忘れない」ということが重要であると、私はそのように思う訳です。なのでノートに礼儀を失した投稿があれば、それが「個人攻撃」かどうかはさておき、無用のトラブルの原因になるので好ましく無いし、「あなたは…」といった投稿者に対する批評は行わず、記事に書いた内容について問題点を指摘してより望ましいと思われる対案を示すことが適切なのではないかと思う訳です。先ずは、そこからスタートしないと、相手は記事への編集でなく、自分の人格が否定されたと受け取ってしまっている訳ですから、「個人攻撃」という言葉を使わなくても結局はトラブルになってしまうのではないかと、そのような趣旨で申し上げている次第です。--Folivora 2008年10月12日 (日) 02:37 (UTC)[返信]

画像の添付方法

写真を添付したいが、どうしてもその方法が解からない(添付方法に関する説明を読んでも不可解)。写真はどうやって添付すればいいのでしょうか?--ホワイト・ジャック

具体的にどういう点がわからないのでしょうか。添付したい写真というのはあなたが撮影されたものですか。West 2008年10月5日 (日) 10:01 (UTC)[返信]
違います。一般には殆ど知られておらず、今のところは北大の資料館にのみ保存されていることが判っている希少な写真です。編集ページでは[[ ]]の中に「画像:Maresuke Nogi 2.jpg|center|250px」のような感じで入力されているので、同じように入力すれば写真が添付されると思うのですが、どうしてもできないんです。--ホワイト・ジャック
日本語版 Wikipedia では基本的に Commonds あるいは日本語版 Wikipedia に登録(アップロード)されている画像しか扱えませんが、その画像はどちらかにアップロードされているものでしょうか。--光舟 2008年10月5日 (日) 14:32 (UTC)[返信]
技術的なことはさておき、日本語版 Wikipedia では著作権肖像権を侵害するような画像は利用できません。その点は大丈夫でしょうか(何より北大図書館が認めないような気もしますが)。West 2008年10月5日 (日) 14:57 (UTC)[返信]
乃木静子のページに写真を添付したいのですよ。一応、北大がこのページに添付しているのですが、このサイト以外では今のところ何処にも存在が確認されていない物ですので、資料として添付したいと思うのですが。--ホワイト・ジャック
著作権はどうなってますか?パブリック・ドメインであることが確認できたら、アップロードさえすればすぐ表示できるようになります。アップロード自体は簡単な作業なのですぐ終わりますが(アップロードはウィキペディアの画面左端ツールボックスという所にある、「アップロード」というリンクから行います)、何よりまず著作権の状態を確認することが必要です。--Was a bee 2008年10月5日 (日) 15:36 (UTC)[返信]
件の画像については「若いころの乃木静子であるとされる人物の写真」として外部リンクが張られていますが、本人のものと特定できないのならば外部リンクにとどめておく方が宜しいのではないでしょうか?--KAMUI 2008年10月6日 (月) 00:28 (UTC)[返信]
http://ambitious.lib.hokudai.ac.jp/hoppodb/mago.cgi?magoid=0B035060000000005 同意見です。--Namazu-tron 2008年10月6日 (月) 06:07 (UTC)[返信]

提示された画像が、1912年に亡くなられた乃木静子のご存命中に、本人を撮影して製作されたものなら、既に著作権保護期間が満了しているでしょう。1899年施行の旧著作権法第23条では、写真の著作物の保護期間は発行から10年、未発行の場合は製作から10年と定められていました[5]。これは製作から10年以内に発行された場合は発行から10年後まで、10年以内に発行されなかった場合は製作から10年後までという趣旨だと思いますので、最大20年保護されることになります(著作権の保護期間#写真の著作物も同じ計算。田村『著作権法概説』287項も同趣旨と思われる)。すると、この写真の著作権は、旧著作権法の下、遅くとも1932年に保護期間満了で消滅していることになります。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月7日 (火) 09:05 (UTC)[返信]

質問されたホワイトジャックさまは、おそらくローカルにあるファイルについて、Wiki内にタグを置くとアップロードされると勘違いしているとかではないでしょうか?Wikipedia:画像などのアップロードされたファイルにあるように、ウィキメディアコモンズに適切な方法でアップロードすることにより記事中で画像ファイルが読み出せるようになります。 --H335 2008年10月9日 (木) 05:31 (UTC)[返信]

議論の場所

Category:特撮についての議論(Category:特撮中に、特撮作品自体のカテゴリがあることがおかしいような気がするので、Category:特撮のシリーズCategory:海外の特撮作品をつくるべきかという議論)をしたいのですが、テレビドラマのところでやるべきでしょうか?それとも、映画のところでやるべきでしょうか?==TwfijfsaGya 2008年10月6日 (月) 05:59 (UTC)[返信]

Wikipedia:ウィキプロジェクト テレビドラマが目的のところで「放送されているテレビドラマ(特撮・時代劇も含める)の記事に関して統一したフォーマットを提供することです。」と宣言しているのでWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト テレビドラマで相談してみるというのはどうでしょうか?--あら金 2008年10月6日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
(補足)カテゴリーのノートは見る機会はほとんどないので、議論の告知としてWikipedia:お知らせで議論場所のCategory‐ノート:特撮へのリンクつきで議論趣旨をアナウンスするのが良いように考えます。その方法も含めてウィキプロジェクト テレビドラマで事前に相談されたらどうでしょうか?--あら金 2008年10月6日 (月) 14:47 (UTC) [返信]
◆必要ならば、どこか適切な場所のうちのひとつを選んでサブページを作成し、関連しそうな複数の場所にテンプレート展開をするという選択肢もあります。なお、この説明を読んで「具体的にどうすればいいかわからない」ということであれば、この選択肢は使わない方がいいと思います(ちょっとトリッキーでもある手法なので)。--Nekosuki600 2008年10月6日 (月) 14:37 (UTC)[返信]

source タグ に言語を記述した際の枠線

Help:ウィキテキストにおけるHTMLに、sourceタグがあります。 このタグはlang= で言語を指定して使いますが、指定する言語によっては、ソースコードの上部が点線枠で囲まれない場合があります。(記事の例: プログラミング作法) 2ブロック目からは問題なく囲まれているように見えます。よって、内容がまったくないsourceタグを、先頭に追加すれば、(余計な空行があきますが)点線枠で囲まれるようになります。 何か良い解決策はないものでしょうか?迷子の雄猫 2008年10月7日 (火) 05:47 (UTC)[返信]

ご指摘の「プログラミング作法」のページは当方の環境では問題なく表示されているように見えますが、お使いのブラウザの表示の問題ではありませんか?--Aotake 2008年10月7日 (火) 09:52 (UTC)[返信]
私の環境ではFirefox3とIE7で確認したところ、問題なく表示されています。OSとブラウザを書いていただけると、同様の環境を持っているユーザが検証してくれる可能性がありますよ。--Inoue-hiro 2008年10月7日 (火) 10:12 (UTC)[返信]
私の環境(Windows XP Professional SP3)では、Firefox3.0.3では枠が表示され、IE6(6.0.2900.5512/SP3)では表示されません。しかし、表示されない場合でもホイールでスクロールすると一部表示されることがあるようです(PageUp/PageDownでは表示されない)。-- 2008年10月7日 (火) 10:22 (UTC)[返信]
ええと、今はWindows XP2000とInternet Explorer 7なので確認できないのですが、同じOSでInternet Explorer 6だったときには、同じような症状がでていたように思います。たぶん、上に向かって(マウスホイールで)スクロールを早めにさせたときなどに、上部の点線が表示されないのではないでしょうか? もし、そうでしたら、閲覧側が、別のブラウザを使用すれば解決するのではないかと思われます。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月7日 (火) 10:32 (UTC)--訂正:2008年10月8日 (水) 10:45 (UTC)[返信]
確か、IE6はdivタグのボーダー設定に"点線"とか"透明"を設定すると、実線で表示されるなどのCSS再現性のバグがあるようです(後方互換モードで)。そのほかにもCSS標準に準拠していない部分もあるようですので、IE7やFirefox3で表示されるのであれば、CSS標準非互換のIE6で不具合出るのは無視してしまうと言うのも一つの考え方だと思います。HTML標準準拠チェックCSS標準準拠チェックでチェックされて、問題あるようなら該当テンプレートのページで修正案を提言されてはいかがでしょうか--Inoue-hiro 2008年10月7日 (火) 22:33 (UTC)[返信]
たくさんのコメントありがとうございます。当方の環境はWindows XP Professional SP3&IE6(6.0.2900.5512XPSP080413-2111/SP3)ですので、郁さんと同じOSとブラウザかと思います。IE6だけで不具合が出るようであれば無視してしまうのがよさそうです。--迷子の雄猫 2008年10月8日 (水) 00:25 (UTC)[返信]
なお、Windows XP Professional SP3&Netscape 7.1 だと問題なく表示されている旨申し添えます。--迷子の雄猫 2008年10月8日 (水) 10:37 (UTC)[返信]
ええと、私のPCのOSは、Windows 2000 ではなく、Windows XPでした。この点だけ、訂正いたします。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月8日 (水) 10:45 (UTC)[返信]

項目で説明している事象自体の名称が変更された場合、改名提案しなくて良いのか

記事内で説明している事象の名称が変更された場合(会社名・駅名)などが変更された場合、改名提案を告知せずに記事名が変更されることが多いように思います。例えば松下電器産業→パナソニック、西大津駅→大津京駅、雄琴駅→おごと温泉駅などは改名提案の告知を行わずに改名が行われたようです。もちろん改名提案自体は推奨であって告知しないと改名してはいけないという事はないということは承知しています。ただWikipedia:ページの改名の「次の場合は直ちに改名を行ってかまいません。」の部分には記述がないので素直に解釈すれば改名提案は行うべきだと思うのですがなぜか改名提案を告知せずに改名を行い人が多いようです。それともこのような事例は「直ちに改名を行っても良い場合」に含まれるのでしょうか。--Ruruga 2008年10月8日 (水) 13:44 (UTC)[返信]

私は含まれないと思います。基本的には議論が必要ではないかと思います。それらの記事は確認していませんが、改名を行ったユーザーには質問・注意をされたのでしょうか。もし議論を経ない改名が不適当だと思われるなら、まずはユーザーに確認するか移動差し戻しをすると良いと思います。改名の際のコメントで、「直ちに改名を行ってもよい場合に該当するため」などと明記されていなければ、差し戻しを先にしても良いと思いますが。--春日椿 2008年10月8日 (水) 14:51 (UTC)[返信]
納得出来ないなら、ノートで聞けばいいのではないですか? 手続きを踏まないでもいいなら、それでもいいと思います。--ゆきち 2008年10月8日 (水) 14:52 (UTC)[返信]
私は改名に納得していない訳ではないです。改名提案自体は推奨であって強制ではないようですし、差し戻しを行うつもりもないです。ただ告知を行わずに改名を行う事がWikipediaの規則上問題ないのかどうかを純粋に知りたかったのでここで質問させていただきました。--Ruruga 2008年10月8日 (水) 15:02 (UTC)[返信]
Wikipediaの規則上という意味で言及するなら問題ありません。以下個人的意見ですが駅名の改称などは改称日以降なら特に告知せずとも移動して構わないと思います。何が何でも告知せねばならないなんて規則を作ろうとする輩がいればとことん反対しますがそうはならないでしょう。--Goki 2008年10月9日 (木) 03:40 (UTC)[返信]
  • (コメント)偶然か必然かわかりませんが、わたくしが議論無しに移動した大津京駅の例が出ましたので回答します。改名提案を行わずに移動した理由は「駅名変更にともなうページの改名については議論の余地がないと考えたため」です。社名や駅名など誰もが容易に事実を確認できる内容かつ、単純に新旧のみに対応した場合(旧駅名→新駅名、旧法人名→新法人名など)についての変更は、特に改名提案を行う必要はないと考えます。但し、議論が必要な場合(例:改名先がかつて存在した法人と同名の場合…SBI証券など)は性急に改名せず、改名提案などの議論を立ち上げるべきと考えます。--しいたけ 2008年10月10日 (金) 12:16 (UTC)[返信]

本文からノートページへの転記について

私は、mediawikiの実装上ノートページは記事と必ず同時に存在するものなので、ノートページの履歴と記事の履歴を合わせて見ることにより履歴継承がなされていると考えますが、ある記事から、該当したバージョンを明示せずに文章の一部をノートページに転記した場合(そのようなことはしばしば行われていると思われますが)、GFDL違反になるという考え方が必要でしょうか?  またそのようなケースについて特定版削除を依頼するのは適切でしょうか?

--H335 2008年10月9日 (木) 04:21 (UTC)[返信]

記事とノートにそこまでの一体性は認められないと思います。例えば記事が特定版削除された場合、要約欄は道連れになって履歴は再構築されるわけですが、ノートは何ら影響を受けないので。他の文書から転記する場合と同様、引用もしくは GFDL の要求に応じた手続きを踏む必要があるでしょう。不備があれば特定版削除が必要だと思います。- NEON 2008年10月9日 (木) 05:35 (UTC)[返信]
もしこれの件だとすると、ノートをワークスペースのように使われてしまうと履歴統合できない複雑なノート履歴になる可能性があります。つまり戻そうとしても他の節の議論の履歴とややこしい状態になるということです。一次退避の意図が記事空間に戻すことにあるならばノートのサブページに記事から一部転記してノートにはテンプレート呼び出し(つまりノート側には{{/サブノート名称}}と書いて埋め込む;釈迦に説法の節はご割愛ください)するなどの配慮も厳密には必要と考えます。--あら金 2008年10月9日 (木) 07:22 (UTC)[返信]
◆ウィキペディア日本語版では、Wikipedia:著作権にもあるように、記事とノートはそれぞれ独立していると解釈しています。したがって、GFDLを満たしていない転記は著作権の侵害となり、削除の対象となります。--iwaim 2008年10月9日 (木) 09:05 (UTC)[返信]
了解しました。--H335 2008年10月9日 (木) 09:41 (UTC)[返信]
それ以前に、H335さんのケースでは、保護逃れと受け止められても仕方ないように思います。GFDL云々とは話がそれますが、一言だけ。--アイザール 2008年10月12日 (日) 02:05 (UTC)[返信]

他の記事に似たような文章になってしまいます。

現在、記事の新規作成のために、作業用ページで記事の下書きをしています。しかし、見てみると他の記事に似たような文章になってしまいました。これって問題はないのでしょうか?--ダークハムスター 2008年10月9日 (木) 10:22 (UTC)[返信]

どのようにでも質問が解釈できるので、回答し難いですねぇ。
(その壱)定義など客観的に簡潔に述べた場合(「AはBである」)、Aは違うもののBなどの述部は他の記事と同一になるケース
定義は通常は学問的事実や社会的に受け入れられている事実を述べた文章になるので(定義が個人的感想であれば独自研究でしょう)その場合は著作権が保護対象にしている創作物としての独自性がないので問題にならないと考えます(だれがみても「多くの種類のりんごは赤い果物である」としか表現仕様が無い場合は創作物としての独自性がないということです)。すべてのケースで定義に著作権が適用されないという意味ではなく、他の記事や外部サイトでは見られないような著作者の工夫が凝らされた表現に対しては事実ではなくその表現形式とそのように表現する意図に対して著作権が認められると考えます。
(その弐)節のサブタイトルなど記事のフォーマットが他の記事と同一になるケース
記事のフォーマットがガイドラインやノートでの同意などにしたがったフォーマットがそんさいして。それに準拠している場合は、そういう投稿規定になっているということなのでWikipediaの中でガイドラインの対象であれば問題にはならないと考えます。ガイドラインで決めたフォーマットに著作権が無いという意味では無いので外部サイトにガイドラインで決めたフォーマットを持っていって利用する場合はGFDLに従った方法で持ってゆく必要があるということです。逆にガイドラインなどで明確に禁止していなければガイドラインに明示されてないことを理由に当該フォーマットが問題のある記事であると主張することもできないと考えます。
(その参)段落などのある程度の大きさの文章以上の規模で論旨が他の記事や外部サイトなどと同一になるケース
このケースはグレーゾーンなのでもめる可能性があると考えます。つまり事実の記述か見解の記述かという判断でもめるということです。事実の場合は(その壱)で述べたとおりですが、見解の場合は執筆者の表現意図が含まれる場合が出てくるばあいがあります。それは著作権の保護対象が含まれることです。表現の同一性については主観的要素も大きいので議論しないと(それも大めの人数で論点を確認しないと…三人くらいではちょっと少ないということです)判断を決定することは難しいと考えます。とはいえ段落単位でコピベして部分的に語彙を編集した位では黒に近いグレーとみなされると考えます。
--あら金 2008年10月10日 (金) 02:30 (UTC)[返信]

特筆性のない幕下以下の大相撲力士

ファンサイトと勘違いしたウィキペディアの利用が、お笑い芸人やTVタレント、モデルなどの芸能関係だけでなく、大相撲力士でも起きているのですね。最近気づいたのは、藤本悠介飛翔富士洋樹が新規作成されていたのを見かけたから。いちいち削除依頼を起こしたり、{{特筆性}}タグを貼ったりしませんが、テレビ中継もない幕下クラス以下の記事作成はちょっと待てよと言いたいです。大相撲力士の場合、本名をそのまま四股名にしているというのも特筆性基準を満たしていないとしてもいいかもしれませんが、やはり関取とされる十両以上かどうかが、決定的な分かれ目とするべきでしょう。--Backyard Editor 2008年10月9日 (木) 10:24 (UTC)[返信]

大相撲に関してウィキペディアへ貢献しようと思うのならば、井戸端での独り言ではなくWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 相撲で議論してください。既出ですけど。--Knua 2008年10月9日 (木) 15:31 (UTC)[返信]

「錆」 から 「銹」 への自動修正

最近、外国人と思われるユーザーが用意したBot利用者:SpBotによる表題の大量修正が行われています。 たとえばここ

修正者本人は、「さび」の本字が「銹」であるというだけの理由で修正にとりかかっているものと思われるが、日本国内ではたとえば大正時代に発行された『言泉』も「錆」を見出しの最初に出している。これは現在発行されているほとんどの国語辞典も同様である。すなわち、すくなくとも日本において「さび」を漢字で書けと言われれば「錆」という字を思い浮かべるのが一般的であり、「本字は『銹』だけど『錆』と書く」とことすら考えていないのが実情だと解釈するのが妥当であろう。

情報が伝播する過程や歴史の流れで物事の意味が変わってゆくのは必然的であり、それらのことを深く考えずに「本来の意味はこうなのだから元に戻せ」というのは「そう変化した理由」を一切無視した暴論であると考える。

以上の理由で、この修正を止めさせたいと思うのですが、どなたかやってもらえないでしょうか。私は英語はもちろんのこと、ドイツ語もロシア語も話すことができません。もし「再修正の必要なし」というのであればそう判断した理由をお聞かせください。よろしくお願いします。--Tmtm 2008年10月10日 (金) 06:54 (UTC)[返信]

IPユーザー氏が手動でやってるように見えるのですが……。--Personofedo会話-履歴2008年10月10日 (金) 07:07 (UTC)[返信]
「酸化鉄」の項目で「錆」から「銹」への編集をしているのは、202.171.156.25さんのようです[6][7]。ひとまずは会話ページで声をかけてみてもらえますか。--Ks aka 98 2008年10月10日 (金) 07:14 (UTC)[返信]
あ、そうですね。失礼しました。一度聞いてみて様子を見ることにします。--Tmtm 2008年10月10日 (金) 08:20 (UTC)[返信]
「失礼しました」だけではなく、SpBotの運用者への謝罪の一言があるべきではないでしょうか。「外国人」への安直な偏見もこのようなプロジェクトでは不快に思う利用者が少なくないこともご理解いただければと思います。--Aotake 2008年10月10日 (金) 08:48 (UTC)[返信]
「外国人」への安直な偏見
というのは具体的にどの部分をさすのですか?
外国人であると判断したことと、「錆」を本来の表記に戻したこととはそれそれ別個のことで、後半の文章に外国人かどうかは関係ありません。冒頭に「外国人」と明記したのは私が最後に書いたとおり、外国語(本件では独語、露語、英語)をちゃんと話せないこと示すために書いたに過ぎません。
それをあなたの勝手な推測で、あたかも私がそう思ったかのような書き方をしないでください。失礼です。--Tmtm 2008年10月10日 (金) 11:07 (UTC)[返信]
私の発言の後半部分についてお問い合わせなさったことについて回答します。そもそも「非日本語話者」を「外国人」と呼ぶこと自体このプロジェクトでは不適切だと私は思います。また、あなたの本来の意図がどうであれ、あなたの発言はあなたが「外国人は日本語を知らず、日本国内の事情を知らないものだ」と考えているように読めますし、そのような発想を不快に思う利用者もいるということをご理解いただけたらと思うということです。--Aotake 2008年10月10日 (金) 11:52 (UTC)[返信]
私もちゃんと謝ってほしいと思うなあ。外国人云々はさておき、「暴論であると考える」とかなり強い調子で糾弾してるわけですよ。しかし糾弾した相手が人違いだった。これを「あ、そうですね。失礼しました。」で済まされたら、私だったら相当むっとしそうです。--cpro 2008年10月10日 (金) 11:59 (UTC)[返信]
多分「日本国内では」とか「日本において」とかが、外国人が「日本国内の事情を知らないものだ」と書いてあるように見せるんでしょうね。ここは日本語版であって日本版ではないのですから「日本人、外国人、日本国内では」などではなく「日本語話者、非日本語話者、日本語では」とすべきなのだと思います。とまあAotake氏の説明を受けて考えていけば氏の意図するところがつかめるやもしれないのに、説明を求めることもせずに「ほにゃららしないで下さい。失礼です」とばっさり切り捨てるのはいかがなものかと。
あと私もちゃんと謝るべきだと思いますよ。「あ、そうですね。失礼しました」というのは周囲の人間に対してなら妥当なところかもしれませんが、間違われた当人に対してのものだとするとあまりに軽すぎますよ。--Personofedo会話-履歴2008年10月10日 (金) 12:34 (UTC)[返信]
Tmtmさんは当初SpBotによる修正と見なしていて、PersonofedoさんとKs aka 98さんの指摘でそれが間違っていたことに気が付かれ、その判断の誤りについて謝罪されていたことは、よく文を読めばわかります。たしかにAotakeさんやcproさんのおっしゃることもわかりますが、利用者:SpBotを見るとSpBotの運用者はドイツ語が母国語で英語とロシア語がわかる(が日本語はわからない)ようです。ドイツ語、英語、ロシア語が話せないと明記している人に対して謝れというのはちょっとキツイ話ではないかと思いますし、日本語が判るとは思えない人に対して日本語の文について謝罪しろ、と言うのはあまりに杓子定規ではありませんか。(もちろん何故日本語が判らない人のbotが日本語の記事を修正していると判断したかは疑問ですし、非難されても仕方がないとも思いますが)--アルビレオ 2008年10月12日 (日) 01:57 (UTC)[返信]

字の画像の掲載

用例字典の一部を模写して投稿することに関して、質問があります。

私は、変体仮名の字体の例を多数(少なくとも数十)を掲載しようと考えています。 そのために、『かな用例字典』(中田易直 ほか『かな用例字典』柏書房、1994年4月。ISBN 9784760110834 )に掲載された文字を模写して、その画像をGFDL/CCライセンスでコモンズにアップロードしようとしています。

『かな用例字典』に掲載された文字図案は、古典典籍からの模写によるものなので、パブリックドメインだと考えています。 ですが、『かな用例字典』は独自にみやすい配置(表)を作っているので、 表としてそのまま模写するのは著作権侵害になるのではないかと思います。 それ以外にも、文字ごとにわかれていないと後々扱いにくくなります。


そこで模写の際には、まず字典のページをスキャンし、その画像を修正しつつ文字単位でベクター画像化する方法をとろうと思っています。 この方法だと、(一からベクター画像を作成するよりは)比較的少ない労力で、品質の高い画像にできるのではないかと思っています。

これを実際にやった場合、著作権等に関する問題はあるでしょうか? また、字体の例を掲載する方法として、もっとよい方法があればぜひ教えてください。 よろしくお願いします。 -- whym /ɯhɥm/ 2008年10月10日 (金) 12:12 (UTC) マークアップ変更 --whym /ɯhɥm/ 2008年10月10日 (金) 12:22 (UTC)[返信]

与えていただいている情報を拝見する限りでは、著作権法上の問題はないと思います。
ただし、GFDL/CCライセンスの付与はできません。「字典のページをスキャンし、その画像を修正しつつ文字単位でベクター画像化する方法」は、それなりの技能を要するとは思いますが、著作権法上は、新たな創作的表現を伴わない単なる複製と扱われます。したがって、著作権の対象となっていない素材(字体)を画像化したものも、著作権の対象にはならず、貴方はそれをGFDL/CCでライセンスする権原を有しません。作成された画像には、{{PD-old-USJP}}か{{PD-ineligible}}を付与することになります。--ZCU 2008年10月10日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
個人的な感想になりますが、模写した成果自体に創作性があるか、というのはこのへんから気になっていました。ただ左記でとりあげている画像にしても、正確に模写/映写すればするほどますます創作性はなくなっていくわけでしで、撮影者も「光の当てかたなどの技術が難しいんだ」といったことを主張するしかないようです[8]。このように技術をつくして模写することは研究上の「業績」を生むことはあっても、著作権法上の「創作性」を生むものではないのだと考えますこのあたりはたしかになやましい問題で、これでわたしが暗黒面に落ちてしまったことはないしょにしといてください。まあそういうわけで、PDとするしかない (結果的に模写者も権利を主張できない) のかとおもいます。 --Hatukanezumi 2008年10月10日 (金) 15:21 (UTC) 加筆--Hatukanezumi 2008年10月10日 (金) 15:24 (UTC)[返信]

私の「模写」が創作ではなく複製行為だということは理解していたのですが、ライセンスを付与できない、ということに考えが至っていませんでした。パブリックドメインにあるものの複製を制約(GFDLやCCの条項)をつけて公開することはできず、パブリックドメインのまま公開しなければならない、ということですね。ZCUさん、ご助言ありがとうございました。

そのうえでさらに、Hatukanezumiさんのコメントや過去の議論を読んで改めて考えたところ、『かな用例字典』のような二次資料に掲載されているものがパブリックドメインかどうかについても、慎重になるべきだと思えてきました。そこで、改めて質問させてください。

書体の用例集が作られる過程での「模写」については、用例を収集した著者が書道家で、一次資料(古典典籍)の様式の上に、二次資料の著者独自の様式が加わっている場合があるようです。その場合、二次資料も「美術の創作物」と考えられるように思います。私の考えでは、二次資料の著者が研究者としての立場で執筆していて(『かな用例字典』はそれに当たると思います)、文字の区切りの付与や欠損部分の推定といった範囲の加工だけが行われている場合は著作権法上の複製行為である(したがってパブリックドメインのままである)と思うのですが、いかがでしょうか。 --whym /ɯhɥm/ 2008年10月11日 (土) 05:42 (UTC)[返信]

上掲『かな用例字典』(1994年) を書店で立ち読み(をい)してきました。そういうわけで、流し読みしただけなんですが。
  • 「文字の区切りの付与」ですが、連綿が不自然に途切れないようにするために見出し字をふくむ複数の字をまとめて採字している例はありました (凡例にもそんなことが書いてある) が、議論の余地のあるような区切りは入れていないようにおもいました。いっぽう、欠損部分の推定ですが、意図的に字や筆画をつくったような例は、ぱっと見は見つけられませんでした (むしろ、筆画のかすれまで再現されている)。
  • これは原典の影印を集めたものだと考えられます (例: 紀貫之の真筆と推定される文字を忠実に複写再現している)。書道教本の類のように現代の書家が書字したもの (例: 書家が紀貫之の筆法を学んで自分で書いた) ではないです。そういうわけで、個々の字には同書の編纂者に起因する創作性はないと考えます。
  • また、掲載されている字はいずれも近世かそれ以前の写本 (近世については一部、木活字による版本) から採られており、個々の筆蹟について著作権の保護期間が満了していることは明らかですので、PDとして複製して利用できると考えます (ただし、「国文資料編」と「歴史資料編」にわかれているうち後者は、採字もとの資料を明示していませんので、資料の信頼性の面からは使うことを避けたほうがよいかもしれないとおもいました)。
  • いっぽう同書では、文字を同定して掲載する作業を編纂者が行っていますので、個別の文字画像とした場合でも、「ある文字をその文字と同定したこと」の出典として同書を挙げる必要はあるとおもいます (これはライセンスとは関係ありませんが)。
commonsへのアップロードの際に記入する情報ですが、○「出典」(source) に原典の書誌、○「著者」(author) には原典の著者 (わかれば。例: 伝紀貫之) および複製して画像化したのがwhymさんであることを書き、さらに○「出典」または「概要」(description) に、『かな用例字典』から採ったことも書くことになるとおもいます。○「ライセンス」(license) は今回アップロード先がcommonsですから、PD-oldになるのかな。 --Hatukanezumi 2008年10月12日 (日) 08:26 (UTC)[返信]

旧法下で著作権の発生した写真の利用について

1946年以前に創作された物は自由に使えることは知っています。また、1947年から1956年に創作された物も使いたいと思っています。この場合「創作後10年以内に発行されていない」または「発行が1956年以前のもの」であれば利用できると解していますが、前者を確認するのは事実上困難ですから、1956年以前に発行された書籍を片っ端から確認するしか方法はないのでしょうか。なにか画期的な確認方法はないものでしょうか。 --MKP. 2008年10月10日 (金) 12:39 (UTC)[返信]

人物が特定可能な写真の肖像権についてはどのようにお考えでしょうか?著作権とは独立して存在しますが。--あら金 2008年10月10日 (金) 14:51 (UTC)[返信]
アップロードしたい写真が決まれば、地道に調査していくしかないと思います。--ZCU 2008年10月10日 (金) 15:02 (UTC)[返信]

質問への回答にはならないんですが、気になるところがあります。
写真の著作物の著作権の存続期間は、1956年創作(製作)・1957年公表(発行)の場合、1967年に発行後12年(1969年まで)に延長され、1969年に発行後13年(1970年まで)に延長されますが、1971年の公表後50年の改正に間に合わず、結局、保護期間が終了しているように思います。
また、旧著作権法上、美術の著作物を複製した写真については扱いが異なることも注意してください。
利用者:Mizusumashi/写真の著作物の保護期間というのを作ってみました。正確かどうかは、皆さんのご批判を受けたいと思いますが、もしお役に立てば幸いです。--mizusumashi(みずすまし) 2008年10月10日 (金) 18:54 (UTC)[返信]

旧著作権法下の場合、写真単体であれば期間は短いのですが、第24条が適用されるものの場合(文芸学術作品の付録的写真)については、現行著作権法が適用されて伸びてますし、著作者が個人の場合は、死後50年ですから、昔の写真であっても、今も著作権が切れていないものは存在していますので、やはり1枚ごとに確認していくしかないでしょう。--Kstigarbha 2008年10月11日 (土) 02:33 (UTC)[返信]

みなさんご意見ありがとうございます。
肖像権について。幸か不幸か、昔の写真は顔まではっきり判別できるものは少ないですし、私がアップロードしようと考えている写真は建築や鉄道関係のものですので、顔が判別できてしまうものについてはマスクを掛けてアップロードしようと考えています。
文芸学術作品の著作物について。旧法の24条ですね。「文芸学術の著作物で、特にそのために撮影したもの」の保護期間の問題は見落としていました。ありがとうございます。団体名義であれば1957年以前に発表されていれば利用できると思いますが、個人名義では利用できるかどうかの確認は困難ですね。
1950年代に入ると写真の量が増えるので、利用したいものですが。井戸端で質問してみて、また新たな課題がでてきたので、利用者:Mizusumashi/写真の著作物の保護期間のようなものが充実できれば、誰もが安心して古い写真を利用することができるようになるかと思います。--MKP. 2008年10月11日 (土) 06:47 (UTC)[返信]

英語版に載っている外国語新聞記事の原文を日本語版に掲載できますか

現在、自分のサブページにて、Midvinterblotの記事に英語版en:Midvinterblotの文章を翻訳して組み込む作業をしております。英語版には、スウェーデンの新聞『Svenska Dagbladet』の1913年11月6日付の記事の原文が引用されており、初稿投稿後しばらくたってからユーザにより英訳されたため日本語にすることができました。この95年前の新聞記事の原文を日本語版に掲載することに、GFDL上の問題はありますでしょうか。現在はUser:Hana1999/サブページ#脚注のようになっております。--Hana1999 2008年10月10日 (金) 22:44 (UTC)[返信]

信頼できる情報源としてはWikipedia自身を出典として引用することはできないので、本文のrefタグの出典情報としてはオリジナルのスのウェーデンの新聞の名称、日付を使う必要があります。それとは別に他言語版の翻訳なので要約欄にGFDL履歴について引用情報がいるのだと考えます。日本語訳が正しいかどうか、というかこの場合の英訳が正しいかも含むわけですが、それは読める人が新聞と日本語を比べるしかないと考えます。そのための引用情報(検証可能性を満たすための情報)の提示だと考えます。--2008年10月11日 (土) 07:54 (UTC)
ご助言くださりありがとうございました。原文(原語)から訳したのではない、英語版記事の英訳から訳した日本語訳を、原文と並べることには常に抵抗があります。そのため英訳を挟んで並べたものでした。記事の原文は残して英訳を撤去いたします。
(追伸)この場をお借りしまして、先に当方がKEKBで加筆依頼をしておりましたTRISTANについて加筆してくださり、ありがとうございました。 --Hana1999 2008年10月11日 (土) 09:32 (UTC)[返信]
記事「ユンボ」の「歴史と概略」の節の『SICAM社と技術提携した新三菱重工 (現・三菱重工業) が、1961年に代表機種の Y35 を初めて国産化した際にも「ユンボ」の名称で発売したものである[2][3]。』の行(くだり)で仏語原文URLと共にから英語に自動翻訳し、仏・英文の抜粋を転記して、更に日本語の要約を書き、出典としました。次のURL http://www.systran.jp/ で、スエーデン語から英語になります。当方としては、仏語を理解する日本語を母語とする人は少ないが、英語なら出典として十分と考え、更に補足として日本語要約を付けました。理解は出来ない人が居たとしてもスエーデン語やサイトや仏語やサイトも出典としての最小要件は満たしていると個人的には考えますが、Wikipediaの閲覧者の為に、翻訳、抄訳、抜粋、要約を載せた次第です。ご参考に。--Namazu-tron 2008年10月11日 (土) 12:53 (UTC)[返信]
Wikipedia:翻訳のガイドラインに諸々の注意事項があるので。ご参考まで。--あら金 2008年10月12日 (日) 02:20 (UTC)[返信]

地理座標テンプレートの使い方がわかりません。

質問があるのですが、質問内容はタイトルの通りです。。たとえばウィキ座標などの使い方とかですが、現在は例が示されているだけであって、どうやって座標を指定するのか?など具体的な説明がありません。どなたかわかりやすくご教授いただけますでしょうか? よろしくおねがいいたします。--Chacmool 2008年10月11日 (土) 16:03 (UTC)[返信]

Template:ウィキ座標よりもTemplate:coorの方が簡単だと思います。
まず、グーグルマップで表示させたい場所を探します。次に、表示させたい場所の中心で右クリック→「ここからのルート」を選びます。左上に「34.891106, 98.211229」などと表示されるので、この数字をメモします。その数字を{{coor d|34.891106|N|98.211229|E}}のように入れるとOKです(北緯34度53分28秒 東経98度12分40秒 / 北緯34.891106度 東経98.211229度 / 34.891106; 98.211229)。--Freetrashbox 2008年10月11日 (土) 16:42 (UTC)[返信]
Template:Coor title d/docにテンプレートの利用方法(例題つき)を書いていますので参考にしてください。オプションパラメータに設定できる値については、テンプレートの英語版ページに詳しく説明されています。なお、"title"が入っているテンプレートは、ページに1個しか置けません。また、表示位置も自動的にページの右上に設定されます。なお、"title"が入っていないものは記事文中で何回でも利用でき、コードを記述した位置に表示されます。
本当は、英語版Wikipediaのように、座標プロジェクトというのを作って、座標関係のヘルプをちゃんと書かないといけないんでしょうけどね…(現状、日本語版には座標プロジェクトは存在してませんし、このような話題をどこにもって行ったらいいのかも、私はよく分かっていません)--Inoue-hiro 2008年10月11日 (土) 23:48 (UTC)[返信]
Template:ウィキ座標/docで一応書いておいたんですが難しかったですかね…。要望を言っていただければ修正しますよ。--Knua 2008年10月12日 (日) 01:04 (UTC)[返信]

ドラマで使用されている携帯電話は、必要なのか?

よく、ドラマなどで使用されている携帯電話について、こと細かく記述していることがあるのですが、そこまで重要なのでしょうか? 正直、携帯電話マニア以外には、不要なようにも思うのですが…。たとえば、正義の味方 (漫画)など。 --124.108.239.168 2008年10月12日 (日) 02:40 (UTC)[返信]

携帯電話マニアが…というよりも、ドラマに出演している有名人と同じ持ち物を何の著名性も無い個人が持つとしたら、携帯電話こそが劇中で頻繁に登場する上に、作中人物に常に携帯され、もっとも近しいところにある(通話中は顔の横)ため、ファン心理として有名人と自分の同一視をする上での重要視される小道具となるのかもしれませんね。携帯電話以前にはファッションの模倣なんかがそういった方向性にあった訳ですが、携帯電話ともなれば大量生産されているだけに、現行機種ではわずかな出費で有名人と同じものが誰にでも購入できちゃう訳ですし、ごっこ遊びをするための格好の玩具なのでしょう(爆言)。まあ、百科事典としてはそんなファン活動を支援してやる必要性も無いとは思いますがね…携帯電話の機種とキャラクターの性格付けの関連性なんてほとんど独自研究にしかならないし、携帯電話の機種が何処其処の何だからといっても、通信キャリアの違う同等の他製品に入れ替えたとしてもストーリーの進行には関係なさそうだし。過剰な解釈など独自研究に差し掛かってなければ、放っておいてもいいような。--夜飛/ 2008年10月12日 (日) 03:10 (UTC)[返信]
WP:NOT#ウィキペディアは単なる知識ベースではありませんの通りです。ただ、都度注意・削除が必要かといえば注意は一度、削除は当人が飽きて落ち着いたところでトリビアの除去を提案すれば十分と考えます。--あら金 2008年10月12日 (日) 03:39 (UTC)[返信]
グッズ、ガジェットに関する情報については、映画関連とかですでに多くあるような気がしますが、それを排除するつもりであるならば可ですが、そうでなければ排除は無理かと思います。0null0 2008年10月12日 (日) 05:38 (UTC)[返信]

「個人攻撃」に変わる文章について

ウィキペディア日本語版では個人攻撃は絶対に行なってはいけないと考えています。

方針は以下の通り

ネット社会は人を謗り卑下することで名声を得る誹謗中傷サイトが流行っているようでして、世界的にインターネット上の道徳が問題視されるなか、お隣の韓国では深刻な社会問題と化し被害者の告訴がなくても捜査して処罰を与える「サイバー侮辱罪」を新設するようですが、[9]誹謗中傷サイトなど反対派は表現の自由を萎縮すると猛反発していました。

人間の成長とともに教養がつき、単純な悪口から非常に陰湿極まりない誹謗・中傷に進化しますけど、わからせるためなどと言う善意を大義名分にした比喩は使っていいのでしょうか?

例えば、

  • その出展物は「東スポ」と表現する人が存在するほど、時おり信憑性の怪しい記事が掲載される。
  • 某××さんが掛け違えたボタンを、まず某××さんがどのボタンを掛け違えているかを調べ上げ、ボタンの外し方からかけ直し方まで「右手を挙げて左手を沿えて・・・」と全部するのはどうかと考えます。
  • 論点が「自動車のエンジンルームからベルトドライブで隣のリアカーのタイヤに動力伝達されている」風味(激しく漏電中)。

執筆意欲(モチベーション)が著しく下がるんだが、いいか悪いか解らないので教えてください。--DJ Dojo 2008年10月12日 (日) 05:48 (UTC)[返信]

ノート:インターネット依存症の症例のことですか?何かを啓発したいとかの個人的価値観に基づいたモチベーションで記事を書くくらいなら、休んだほうがいいと考えます。--夜飛/ 2008年10月12日 (日) 05:58 (UTC)[返信]

(コメント)我々の目的はよりよい記事を作ることですから、Wikipedia:礼儀を忘れないに沿った解決を望みます。--Folivora 2008年10月12日 (日) 07:32 (UTC)[返信]

ノートページでの問題

こんにちは。私はサッカー関係の記事で活動しているJidaneという者です。

私はUEFAチャンピオンズリーグ 2001-02という記事での編集方針の違いで、利用者:田中智裕さんといざこざを起こしてしまいました。田中智裕さんとは同じ中学に通っていて、お互いを知っております。その記事で私の編集をことごとく差し戻す田中智裕さんに、その編集の真意を聞いている途中で私は、学校名を出すというひどい編集もしてしまいましたが、一応お互いの言い分は分かったのです。その途中で、田中智裕さんは私の実名を私のノートページで出しました。(参照)本人には直接話してみるつもりですが、Wikipedia上ではどういった対応を取ればいいのでしょうか。よろしくお願いします。--Jidane 2008年10月12日 (日) 08:47 (UTC)[返信]