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「アポロドーロス」の版間の差分

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'''アポロドーロス'''(Apollodoros)は、[[古代ローマ]]時代の[[ギリシャ]]の[[著作家]]。[[長母音]]表記を省略して'''アポロドロス'''とも。『[[ビブリオテーケー]]』(『ギリシア神話』)の編纂者として知られる。[[1世紀]]から[[2世紀]]頃の人物と推定されている。
'''アポロドーロス'''(Apollodoros)は、[[古代ローマ]]時代の[[ギリシャ]]の[[著作家]]。[[長母音]]表記を省略して'''アポロドロス'''とも。『[[ビブリオテーケー]]』(『ギリシア神話』)の編纂者として知られる。[[1世紀]]から[[2世紀]]頃の人物と推定されている。


[[紀元前2世紀]]後半ごろの[[アテーナイ]]の[[文法]]家に[[アポロドーロス (アテナイ)|アポロドーロス]]という人がいて、著作『神々について』、『年代記』の断片が現存している。かつてこのアポロドーロスと、『ビブリオテーケー』の編者は同一人物と見なされていたが、後年の研究によって、別人説が有力となっている。このため、『ビブリオテーケー』の編者は「偽アポロドーロス」とも呼ばれる。
[[紀元前2世紀]]後半ごろの[[アテーナイ]]の[[文法]]家に[[アテナイのアポロドーロス|アポロドーロス]]という人がいて、著作『神々について』、『年代記』の断片が現存している。かつてこのアポロドーロスと、『ビブリオテーケー』の編者は同一人物と見なされていたが、後年の研究によって、別人説が有力となっている。このため、『ビブリオテーケー』の編者は「偽アポロドーロス」とも呼ばれる。


『ビブリオテーケー』の編者については、9世紀に[[フォティオス]]が言及しているのが初出で、その後[[ツェツェース]]([[:en:John Tzetzes|Tzetzes]], およそ1110年 - 1180年)が引用しているが、それ以前の記録は無い。伝承の諸写本ではこのアポロドーロスを「アテーナイ人にして文法家」、フォティオスも「文法家」と呼んでおり、古代後期の頃からこの両者は同一視されていたと見られる。
『ビブリオテーケー』の編者については、9世紀に[[フォティオス]]が言及しているのが初出で、その後[[ツェツェース]]([[:en:John Tzetzes|Tzetzes]], およそ1110年 - 1180年)が引用しているが、それ以前の記録は無い。伝承の諸写本ではこのアポロドーロスを「アテーナイ人にして文法家」、フォティオスも「文法家」と呼んでおり、古代後期の頃からこの両者は同一視されていたと見られる。

2008年11月25日 (火) 06:18時点における版

アポロドーロス(Apollodoros)は、古代ローマ時代のギリシャ著作家長母音表記を省略してアポロドロスとも。『ビブリオテーケー』(『ギリシア神話』)の編纂者として知られる。1世紀から2世紀頃の人物と推定されている。

紀元前2世紀後半ごろのアテーナイ文法家にアポロドーロスという人がいて、著作『神々について』、『年代記』の断片が現存している。かつてこのアポロドーロスと、『ビブリオテーケー』の編者は同一人物と見なされていたが、後年の研究によって、別人説が有力となっている。このため、『ビブリオテーケー』の編者は「偽アポロドーロス」とも呼ばれる。

『ビブリオテーケー』の編者については、9世紀にフォティオスが言及しているのが初出で、その後ツェツェースTzetzes, およそ1110年 - 1180年)が引用しているが、それ以前の記録は無い。伝承の諸写本ではこのアポロドーロスを「アテーナイ人にして文法家」、フォティオスも「文法家」と呼んでおり、古代後期の頃からこの両者は同一視されていたと見られる。

19世紀に入り、ローベルト(C.Robert)の研究(1873年)によって別人説が打ち出された。すなわち、アテーナイ人の文法家の著書の断片と『ビブリオテーケー』の比較から、文法家の合理主義的神話解釈と『ビブリオテーケー』の古代文学より伝承された神話の無批判的な編纂方針に於ける大きな乖離があることである。また、『ビブリオテーケー』ではカストール(Kastor)が引用されているが、異説はあるにせよ、ストラボンスーイダースの伝えるところによれば、カストールは紀元前1世紀の歴史家であることから、『ビブリオテーケー』の編者としてのアポロドーロスは、最も早くとも紀元前1世紀より遡ることはないとの見解が有力である。とはいえ、年代を紀元前1世紀以後のいつごろに帰すべきかについては諸説の一致を見ておらず、「1世紀から2世紀ごろ」についても推定の域を出ていない。

参考文献