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「姉小路基綱」の版間の差分

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2008年11月30日 (日) 17:28時点における版

姉小路 基綱(あねがこうじ もとつな、嘉吉元年(1441年) - 永正元年4月23日1504年6月5日))は飛騨戦国大名で飛騨国司

姉小路昌家の子。飛騨の乱の後、古川城に入り古川姉小路を継いだ。当時姉小路家は3つに分裂し、他に小島家の小島勝言と向小島家の之綱という事実上3人の当主がいたが、古川家の基綱が飛騨国司を名乗った。戦国大名としてはやや力不足だったが和歌をよくし、度々宮中歌会に参加した。そのためか京都では名が知られており、嫡男済継と共に今日の飛騨文学の祖となった。左近衛中将等を経て1480年正三位参議、後1504年木曾義元を討ち、従二位権中納言に叙されたが程なく逝去。