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== 外部リンク ==
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* [http://www.boxrec.com/list_bouts.php?human_id=9009&cat=boxer BoxRecによる戦績]
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2008年11月30日 (日) 17:36時点における版

ジャック・デンプシー
基本情報
本名 ウィリアム・ハリソン・デンプシー
通称 マナッサの巨人殺し
拳聖
階級 ヘビー級
国籍 アメリカ合衆国
誕生日 1895年6月24日
出身地 アメリカ合衆国コロラド州
マナッサ
死没日 (1983-05-31) 1983年5月31日(87歳没)
死没地 アメリカ合衆国ユタ州
ソルトレークシティ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 83
勝ち 62
KO勝ち 50
敗け 6
引き分け 9
無効試合 6
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ジャック・デンプシーJack Dempsey1895年6月24日 - 1983年5月31日)は、「マナッサの巨人殺し」「拳聖」などの異名を持ったアメリカ合衆国ボクシング世界ヘビー級王者。ジャック・デンプシーはリングネームであり、本名はウィリアム・ハリソン・デンプシー(William Harrison Dempsey)。

人物

身長185cm、体重85kgとヘビー級では大きいとは言えない体ながら並みいる巨人たちを破壊的な強打で次々とマットに沈めていった。1920年代に闘志剥き出しの激しいファイトと圧倒的な強打で全米を熱狂の渦に巻き込んだヒーローであり、大統領の名は知らなくてもデンプシーの名は知らない者はいないとまで言われた。

なお、日本の漫画、『はじめの一歩』の主人公である幕之内一歩の必殺技の一つであるデンプシー・ロールの由来は、このジャック・デンプシーが実際に使っていた技であり、ジェス・ウィラードから最初のダウンを奪った集中打こそ、まぎれもないデンプシー・ロールである。しかし、当時はこのような名前は付けられておらず、単にブローと表現している。デンプシー・ロールという名前が付いたのは恐らく藤猛の頃からと思われる。

来歴

1895年コロラド州マナッサに貧しい靴屋の息子として生まれる。モルモン教聖徒であった。炭鉱夫として働いていた頃、その腕っぷしの強さと、野獣のようにギラつく目をジャック・カーンズに見初められボクシングにのめり込むようになる。

1919年7月4日、黒人初の世界ヘビー級王者のジャック・ジョンソンを破り国民的英雄となっていたジェス・ウィラードの世界王座に挑戦。2m近い体躯のウィラードを徹底的に殴り続け初回に7度のダウンを奪ってみせる。
試合は結局チャンピオンのウィラードが4回開始のゴングに応じられず3回終了テクニカルノックアウト(TKO)でデンプシーの勝利となったが、ウィラードの顎を7箇所に渡って砕き、あばら骨を数本折り、歯すらもへし折った。この時の一方的な試合はトレドの惨劇と呼ばれている。

晴れて世界王者となったデンプシーだったが、国民的英雄だったウィラードに勝利してしまったことと、そのときの余りにも獰猛で凶暴な試合ぶりからアンチ・ヒーロー扱いされてしまうことになる。

ファイル:Jack Dempsey and Geroges Carpentier in arena before fight.jpg
ジョルジュ・カルパンチェ戦直前の風景

1921年7月2日に行われた3度目の防衛戦は、フランスからやって来たジョルジュ・カルパンチェとの試合だったが、米国での試合にもかかわらず観衆は異国のハンサムボーイの挑戦者を応援するという始末だった。結果は4回に連打を浴びせKO勝ち。なお、この試合は史上初のミリオンダラーゲートとなっている。

しかし、この試合以降のデンプシーは実力なりの評価をされるようになり、逆にヒーローとして崇められるようになった。1926年9月23日ジーン・タニーに判定負けで王座を失ったデンプシーはちょうどタニーと1年後に再戦。7回にタニーから強烈なダウンを奪ってみせるが、ルール改正によりニュートラルコーナーに行くことを忘れていたためにレフェリーに注意を受け、その間カウントが数えられなかったためにタニーはカウント8で立ち上がってしまった。結局この時点でKOできなかったデンプシーは8回に逆にダウンを奪い返され再び判定負けを喫した。この試合はロングカウント事件として有名である。

引退後

引退後は、一時期プロモーターもやったが、現役時代から付き合いのあったアル・カポネの一味が八百長試合をなどと、試合に口出しするようになったのでデンプシーは降りた。

しかし、その後も、ユダヤ系のマイヤー・ランスキーと手を結びマイアミ・ビーチでデンプシー=ヴァンダービルト・ホテルを経営するなど、暗黒街との付き合いは多少はあったようだ。

1983年5月31日に病の為、逝去。"享年89(満87歳没)[利用者の方へ]

戦績

  • プロボクシング: 83戦 62勝 50KO 6敗 9引分け 6無効試合

関連項目

外部リンク


前王者
ジェス・ウィラード
第9代世界ヘビー級王者

1919年7月4日 - 1926年9月23日

次王者
ジーン・タニー