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[[2002年]]はチームが最下位に沈む中、[[先発投手]]として活躍。チーム唯一の二桁勝利を挙げ、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]の[[石川雅規]]投手と[[最優秀新人 (野球)|新人王]]を争った。
[[2002年]]はチームが最下位に沈む中、[[先発投手]]として活躍。チーム唯一の二桁勝利を挙げ、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]の[[石川雅規]]投手と[[最優秀新人 (野球)|新人王]]を争った。


[[2003年]]には[[開幕投手]]を務める等チームから期待されたが結局3勝10敗と大きく負け越し、チーム2年連続の最下位の原因の一つになった。また、この年[[阪神タイガース|阪神]]の4番[[濱中治|濱中おさむ]]、5番[[片岡篤史]]、6番[[ジョージ・アリアス]]に3連発を浴び、阪神に勢いをつけさせる一因ともなった。ちなみに濱中とは相性が最悪で高校時代(濱中は同じ和歌山の[[南部高等学校]]出身)には場外本塁打を浴び、プロ入り後も10打数5本塁打(2007年終了時)と打たれている。
[[2003年]]には[[開幕投手]]を務める等チームから期待されたが結局3勝10敗と大きく負け越し、チーム2年連続の最下位の原因の一つになった。また、この年[[阪神タイガース|阪神]]の4番[[濱中治|濱中おさむ]]、5番[[片岡篤史]]、6番[[ジョージ・アリアス]]に3連発を浴び、阪神に勢いをつけさせる一因ともなった。ちなみに濱中とは相性が最悪で高校時代(濱中は同じ和歌山の[[南部高等学校]]出身)には場外本塁打を浴び、プロ入り後も10打数5本塁打(2008年終了時)と打たれている。


[[2004年]]の春季キャンプ途中、[[佐々木主浩]]の復帰により背番号22番から21番に変更。シーズン終盤の[[広島東洋カープ|広島]]戦で[[ノーヒットノーラン]]まであと1人の所で[[福地寿樹]]に同年唯一の安打を打たれ、記録達成を逃した。
[[2004年]]の春季キャンプ途中、[[佐々木主浩]]の復帰により背番号22番から21番に変更。シーズン終盤の[[広島東洋カープ|広島]]戦で[[ノーヒットノーラン]]まであと1人の所で[[福地寿樹]]に同年唯一の安打を打たれ、記録達成を逃した。

2008年12月30日 (火) 06:05時点における版

吉見 祐治
横浜ベイスターズ #21
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県和歌山市
生年月日 (1978-08-28) 1978年8月28日(45歳)
身長
体重
188 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 2位
初出場 2001年7月11日
年俸 2,700万円(推定)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本
五輪 2000年

吉見 祐治(よしみ ゆうじ、1978年5月21日 - )はプロ野球横浜ベイスターズに所属する投手背番号21番

プレースタイル

左腕から繰り出す直球と、スローカーブチェンジアップが持ち味。

投手ではあるがコンパクトなスイングでのシュアな打撃に定評がある。2007年は交流戦のソフトバンクホークス戦で新垣渚相手に猛打賞を記録し、年通算で18打数6安打打率.333を記録した。2008年8月17日にも猛打賞を記録した。二軍では本塁打を打ったこともある。

来歴

和歌山県和歌山市出身。和歌山県立星林高等学校を経て東北福祉大学に進学。大学の同期には洗平竜也歌藤達夫がおり、投手としての位置付けは吉見=エース、洗平=二番手、歌藤=三番手だった。2000年に第49回全日本大学野球選手権大会で準優勝、シドニーオリンピック野球日本代表に選出。2001年プロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズを逆指名して2位指名で入団。

2002年はチームが最下位に沈む中、先発投手として活躍。チーム唯一の二桁勝利を挙げ、ヤクルト石川雅規投手と新人王を争った。

2003年には開幕投手を務める等チームから期待されたが結局3勝10敗と大きく負け越し、チーム2年連続の最下位の原因の一つになった。また、この年阪神の4番濱中おさむ、5番片岡篤史、6番ジョージ・アリアスに3連発を浴び、阪神に勢いをつけさせる一因ともなった。ちなみに濱中とは相性が最悪で高校時代(濱中は同じ和歌山の南部高等学校出身)には場外本塁打を浴び、プロ入り後も10打数5本塁打(2008年終了時)と打たれている。

2004年の春季キャンプ途中、佐々木主浩の復帰により背番号22番から21番に変更。シーズン終盤の広島戦でノーヒットノーランまであと1人の所で福地寿樹に同年唯一の安打を打たれ、記録達成を逃した。

2006年はオープン戦好調で左の軸として期待をかけられたが開幕後は一転して不振に陥り、投げると打ち込まれる状態が続いた。防御率は9点台にまで悪化し登録抹消。6月に復帰後は別人のように好投を続けたが打線の援護が無く勝ち星が伸びなかった。9月に入ると再び打ち込まれ二軍落ちし、そのままシーズンを終えた。

2007年ロングリリーフ、および先発ローテーションの谷間での先発起用が主だった。6月19日の対ソフトバンク戦では新垣渚から154km/hの速球をはじき返す先制タイムリーを放ち、投げては3年ぶりの完封勝利を記録し、投打にわたり自身の持ち味を発揮した。同年の最終試合では引退する古田敦也の現役最終打席の対戦相手となった。(記録は安打)

2008年は前年と同様に主にリリーフで起用された。後半戦は先発で登板し8月17日に通算3度目の猛打賞で今季初勝利を飾る。9月9日の対広島戦の6回表、打者も苦戦するコルビー・ルイスの内角のスライダーを綺麗にはじき返し、ライトフェンス直撃のツーベースヒットを放ち、結果そのヒットが勝利打点となった。この試合では吉見は2回裏にルイスに2号本塁打を打たれており、自分のバットで意趣返しをした形となった。試合は9回3失点で完投勝利を挙げ投打で活躍した。

背番号

  • 22(2001 - 2003)
  • 21(2004 - )

通算成績(2008年終了時)

年度 チーム








ホー
ルド
HP














ボーク







2001年 横浜 22 7 0 0 0 1 0 0 0 .000 10 1/3 15 1 7 1 4 0 0 11 11 9.58 3.56
2002年 27 5 1 11 8 0 0 0 .579 188 196 25 47 5 138 2 0 80 76 3.64 6.61
2003年 17 0 0 3 10 0 0 0 .231 81 2/3 117 25 36 0 68 6 0 82 76 8.38 7.54
2004年 21 22 1 1 7 5 0 0 0 .583 106 114 21 35 6 70 7 0 65 62 5.26 5.94
2005年 12 0 0 4 2 0 0 0 .667 59 2/3 57 6 22 0 30 0 0 31 28 4.22 4.56
2006年 17 2 0 2 9 0 0 0 .182 103 1/3 108 15 32 2 78 1 1 60 50 4.35 6.79
2007年 38 1 1 3 4 0 3 4 .429 97 118 9 34 9 62 3 1 48 46 4.27 5.75
2008年 41 1 0 3 6 0 7 7 .333 86.2 96 15 28 6 56 2 0 51 51 5.29 5.85
通算 8年 181 10 3 33 45 0 10 11 .423 732.2 821 117 241 29 506 21 2 423 400 4.92 6.22

打撃成績

年度 チーム























2001年 横浜 8 3 0 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .667
2002年 27 63 7 15 2 0 0 17 6 0 0 4 0 5 18 2 0 .238
2003年 18 27 1 8 5 0 0 13 5 0 0 0 0 0 7 1 0 .296
2004年 23 34 2 6 2 0 0 8 3 0 0 3 0 2 10 0 1 .176
2005年 12 11 1 2 0 0 0 2 1 0 0 6 0 0 4 0 0 .182
2006年 17 26 2 4 0 0 0 4 2 0 0 6 0 0 8 1 1 .154
2007年 45 18 0 6 0 0 0 6 2 0 0 2 1 0 3 0 1 .333
2008年 42 16 1 4 1 0 0 5 2 0 0 3 0 0 5 0 0 .250
通算 8年 192 198 14 47 10 0 0 57 22 0 0 24 1 7 55 4 3 .237


個人記録

アマチュア時代の戦績・記録

関連項目

外部リンク

先代
三浦大輔
横浜ベイスターズ開幕投手
2003年
次代
三浦大輔