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「名古屋新聞」の版間の差分

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== 備考 ==
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主宰していた小山松寿は中部日本新聞成立と同時に新聞界から去り、養嗣子である小山龍三が副社長として経営に当たった。なお、中日ドラゴンズの「ドラゴン」は小山龍三に由来している
主宰していた小山松寿は中部日本新聞成立と同時に新聞界から去り、養嗣子である小山龍三が副社長として経営に当たった。


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2009年1月2日 (金) 06:03時点における版

名古屋新聞(なごやしんぶん)とは、1906年(明治39年)創刊の日刊新聞である。愛知県名古屋市を拠点に発行していた。現在の中日新聞の前身の一つ。

歴史

1906年(明治19年)創刊の金城たよりを前身とする。1906年(明治39年)11月3日、大阪朝日新聞通信部にいた小山松寿により創刊された。

民政党寄りの進歩的な論調で名古屋市内を中心に購読者層を拡げ、同じ名古屋の地元紙で郡部を基盤とする政友会系の新愛知とは論調、新聞販売、付帯事業(プロ野球)など激しく対立。熾烈な競争を繰り広げたが、戦時下による新聞社の統廃合命令に伴って1942年(昭和17年)に両社が合併し、中部日本新聞社が設立された。

略歴

  • 1886年(明治19年)3月 - 前身となる金城たより創刊
  • 1894年(明治27年)4月 - 真金城に改題
  • 1896年(明治29年)7月 - 中京新報に改題
  • 1906年(明治39年)11月 - 小山松寿が中京新報を譲り受け、名古屋新聞を創刊
  • 1936年(昭和11年)1月 - 名古屋金鯱軍を結成。(現存せず。中日ドラゴンズとは無関係)
  • 1942年(昭和17年)9月 - 新愛知新聞社と合併し、株式会社中部日本新聞社設立。日刊紙「中部日本新聞」創刊。

題字の地紋

名古屋城の金の鯱をデザインしたもの。終刊まで使用。

備考

主宰していた小山松寿は中部日本新聞成立と同時に新聞界から去り、養嗣子である小山龍三が副社長として経営に当たった。