コンテンツにスキップ

「堤内健」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m編集の要約なし
23行目: 23行目:
*[[宮崎日本大学中学校・高等学校|宮崎日本大学高等学校]]
*[[宮崎日本大学中学校・高等学校|宮崎日本大学高等学校]]
*[[日本大学]]
*[[日本大学]]
*[[横浜ベイスターズ]](2003 - 2007)
*[[横浜ベイスターズ]] (2003 - 2007)
}}
}}
'''堤内 健'''(つつみうち たけし、[[1980年]][[7月20日]] - )は[[横浜ベイスターズ]]に所属していた元[[プロ野球選手]]([[投手]])。現在は同球団の[[打撃投手]]。
'''堤内 健'''(つつみうち たけし、[[1980年]][[7月20日]] - )は[[横浜ベイスターズ]]に所属していた元[[プロ野球選手]]([[投手]])。現在は同球団の[[打撃投手]]。
29行目: 29行目:
現役時代は最速147kmの速球が武器の投手だった。球種は[[スライダー (球種)|スライダー]]や[[フォークボール|フォーク]]を使った。
現役時代は最速147kmの速球が武器の投手だった。球種は[[スライダー (球種)|スライダー]]や[[フォークボール|フォーク]]を使った。


== 概要 ==
== 経歴 ==
;2003年
;2003年
ドラフト9巡目で[[日本大学硬式野球部|日大]]より横浜に入団。同年自由獲得枠で共に入団した[[村田修一]]は大学のチームメイト。8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の[[広島東洋カープ|広島]]戦でプロ初勝利。
ドラフト9巡目で[[日本大学硬式野球部|日大]]より横浜に入団。同年自由獲得枠で共に入団した[[村田修一]]は大学のチームメイト。8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の[[広島東洋カープ|広島]]戦でプロ初勝利。
39行目: 39行目:
[[工藤公康]]の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に[[戦力外通告]]を受け現役を引退。横浜の[[打撃投手]]に転身した。
[[工藤公康]]の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に[[戦力外通告]]を受け現役を引退。横浜の[[打撃投手]]に転身した。


== 背番号 ==
== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
{| {{年度別投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2003}}||style="text-align: center;"|[[横浜ベイスターズ|横浜]]
||4||4||0||0||0||1||1||0||--||.500||74||15.0||15||2||13||0||1||9||1||0||10||9||5.40||5.40||1.87
|-
!colspan="2"|通算:1年
||4||4||0||0||0||1||1||0||--||.500||74||15.0||15||2||13||0||1||9||1||0||10||9||5.40||5.40||1.87
|}

=== 個人記録 ===
* 初登板:2003年8月7日、対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦
* 初勝利:2003年8月16日、対[[広島東洋カープ|広島]]戦

=== 背番号 ===
* '''47'''(2003年 - 2006年)
* '''47'''(2003年 - 2006年)
* '''36'''(2007年)
* '''36'''(2007年)
* '''108'''(2008年 - )
* '''108'''(2008年 - )


== 高校・大学時代の戦績・記録 ==
=== 高校・大学時代の戦績・記録 ===
* 1997年 - [[第79回全国高等学校野球選手権大会]]
* 1997年 - [[第79回全国高等学校野球選手権大会]]
**2回戦、対[[佐野日本大学中学校・高等学校|佐野日大高]]戦、1対2で敗戦。(2投球回 3被安打 1奪三振 1与四死球 1自責点)
**2回戦、対[[佐野日本大学中学校・高等学校|佐野日大高]]戦、1対2で敗戦。(2投球回 3被安打 1奪三振 1与四死球 1自責点)
50行目: 65行目:
* 2001年 - [[全日本大学野球選手権大会]]準優勝
* 2001年 - [[全日本大学野球選手権大会]]準優勝
* 2002年 - 秋季[[東都大学野球連盟|東都大学リーグ]]の[[専修大学|専修大]]戦でリーグタイ記録の1試合18奪三振を記録(チームは敗戦、敗戦投手は堤内)
* 2002年 - 秋季[[東都大学野球連盟|東都大学リーグ]]の[[専修大学|専修大]]戦でリーグタイ記録の1試合18奪三振を記録(チームは敗戦、敗戦投手は堤内)

== 年度別投手成績 ==
{| {{年度別投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
|-
|[[2003年]]||style="text-align: center;"|[[横浜ベイスターズ|横浜]]
||4||4||0||0||0||1||1||0||--||.500||74||15.0||15||2||13||0||1||9||1||0||10||9||5.40||5.40||1.87
|-
!colspan="2"|通算:1年
||4||4||0||0||0||1||1||0||--||.500||74||15.0||15||2||13||0||1||9||1||0||10||9||5.40||5.40||1.87
|}

== 個人記録 ==
* 初登板:2003年8月7日、対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦
* 初勝利:2003年8月16日、対[[広島東洋カープ|広島]]戦


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
71行目: 72行目:


{{横浜ベイスターズ2002年ドラフト指名選手}}
{{横浜ベイスターズ2002年ドラフト指名選手}}
{{横浜ベイスターズ}}
{{DEFAULTSORT:つつみうち たけし}}
{{DEFAULTSORT:つつみうち たけし}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:日本の野球選手]]

2009年1月3日 (土) 06:30時点における版

堤内 健
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県宮崎市
生年月日 (1980-07-20) 1980年7月20日(44歳)
身長
体重
184 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 ドラフト9巡目
初出場 2003年8月7日対巨人戦
最終出場 2003年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

堤内 健(つつみうち たけし、1980年7月20日 - )は横浜ベイスターズに所属していた元プロ野球選手投手)。現在は同球団の打撃投手

現役時代は最速147kmの速球が武器の投手だった。球種はスライダーフォークを使った。

経歴

2003年

ドラフト9巡目で日大より横浜に入団。同年自由獲得枠で共に入団した村田修一は大学のチームメイト。8月7日の巨人戦で初登板、8月16日の広島戦でプロ初勝利。

2004年

肘の手術を受けたこともあって一軍登板はなし。二軍の湘南シーレックスでもわずか2試合の登板に終わった。

2005年

手術の影響もありこの年以降球速がやや衰え、投球のまとまりで勝負する投手になった。二軍では安定した成績をあげるものの、一軍首脳にアピールするだけの特徴がなかったことから、一軍での登板はなかった。新戦力を積極的に上で使う方針が当時のチームに欠けていたことも、昇格を阻んだ一因となった。

2007年

工藤公康の入団に伴い背番号を47から36へ変更。二軍で14試合に中継ぎや敗戦処理として登板しただけで、4年連続で一軍登板はなかった。そして10月に戦力外通告を受け現役を引退。横浜の打撃投手に転身した。

詳細情報

年度別投手成績

このテンプレートは廃止されました。「Template:投手成績」を使用してください。










































W
H
I
P
2003 横浜 4 4 0 0 0 1 1 0 -- .500 74 15.0 15 2 13 0 1 9 1 0 10 9 5.40 5.40 1.87
通算:1年 4 4 0 0 0 1 1 0 -- .500 74 15.0 15 2 13 0 1 9 1 0 10 9 5.40 5.40 1.87

個人記録

  • 初登板:2003年8月7日、対巨人
  • 初勝利:2003年8月16日、対広島

背番号

  • 47(2003年 - 2006年)
  • 36(2007年)
  • 108(2008年 - )

高校・大学時代の戦績・記録

関連項目