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「若隼人幸治」の版間の差分

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'''若隼人 幸治'''('''わかはやと こうじ'''、[[1971年]][[1月3日]]-)は [[宮城野部屋]]所属の元十両力士。[[鹿児島県]][[熊毛郡 (鹿児島県)|熊毛郡]][[中種子町]]出身だが館内の出身地の読み上げでは鹿児島県[[種子島]]出身となっている。本名は稲子幸治(いなご こうじ)。趣味は、野球観戦とパチンコ。好物は[[UCC]][[缶コーヒー]]。また同部屋の[[光法賢一]]も種子島出身である。
'''若隼人 幸治'''('''わかはやと こうじ'''、[[1971年]][[1月3日]]-)は [[宮城野部屋]]所属の元十両力士。[[鹿児島県]][[熊毛郡 (鹿児島県)|熊毛郡]][[中種子町]]出身だが館内の出身地の読み上げでは鹿児島県[[種子島]]出身となっている。本名は稲子幸治(いなご こうじ)。趣味は、野球観戦とパチンコ。好物は[[ユーシーシー上島珈琲|UCC]][[缶コーヒー]]。また同部屋の[[光法賢一]]も種子島出身である。


== 来歴 ==
== 来歴 ==

2005年6月14日 (火) 19:39時点における版

若隼人 幸治わかはやと こうじ1971年1月3日-)は 宮城野部屋所属の元十両力士。鹿児島県熊毛郡中種子町出身だが館内の出身地の読み上げでは鹿児島県種子島出身となっている。本名は稲子幸治(いなご こうじ)。趣味は、野球観戦とパチンコ。好物はUCC缶コーヒー。また同部屋の光法賢一も種子島出身である。

来歴

幼い頃から相撲を始め、小学校では地区の相撲大会で連続優勝するなど活躍を見せた。中学校では柔道部に所属したが、力士に憧れていたため相撲も続けていた。3年生の時に宮城野部屋から4度の勧誘があり、その熱意に打たれて卒業とともに入門した。1986年3月場所に本名の『稲子』で初土俵を踏んだ。決して早くは無かったが順調に番付を上げて行った。後に『若隼人』と改名し幕下に昇進してからは三段目との往復が何度かあったが幕下に定着し、1994年11月場所に新十両に昇進した。1996年3月場所には西十両3枚目間で番付を上げ、幕内の土俵にも上がり、同じ鹿児島県出身の元大関で幕尻まで番付を落としていた霧島との一番でも白星を挙げ、8勝7敗と勝ち越した(この相撲が引退時に思い出の一番として上げた)。翌場所は東十両3枚目という番付であったが5勝10敗と負け越し入幕の夢は叶わなかった。それ以降も、幕下に陥落することもあったが十両上位で活躍していた。しかし1999年9月を最後に十両から陥落。一時は幕下の中位まで番付を落としたが、西幕下6枚目まで番付を戻した。しかし、その後は番付が下降する一方で連続出場記録も2001年7月場所で途絶えてしまった。2001年11月場所には三段目まで陥落した。同場所は勝ち越し翌1月場所と3月場所には幕下に復帰したが負け越し、5月場所には再び三段目に陥落。7番相撲で勝ち越しを掛けたが負け越し、その相撲を最後に現役を引退した。
引退後に元女子プロレスラーCoogaこと神谷美織と結婚し、神田で飲食店を経営している。

改名歴

  • 稲子 幸治 (いなご)
  • 若隼人幸治 (わかはやと)
  • 若勇闘幸治 (わかはやと)

その他

四股名は故郷由来の薩摩隼人からではなく、字は異なるが本人が尊敬している北勝鬨(現・勝ノ浦親方)の本名である久我準人(くが はやと)の準人から由来している。

関連項目

大相撲力士一覧