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「カレリア」の版間の差分

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[[Image:Many Karelias.png|right|250px|thumb|'''カレリア''' 国境線西側のフィンランドには北カレリアと南カレリアが広がる。[[白海]]、[[オネガ湖]]、[[ラドガ湖]]、[[フィンランド湾]]など水域が多い]]
[[Image:Many Karelias.png|right|250px|thumb|'''カレリア''' 国境線西側のフィンランドには北カレリアと南カレリアが広がる。[[白海]]、[[オネガ湖]]、[[ラドガ湖]]、[[フィンランド湾]]など水域が多い]]


'''カレリア'''(Karelia, Karjala)は、[[フィンランド]]の南東部から[[ロシア]]の北西部にかけて広がる[[森林]]と[[湖沼]]の多い地方の名前である。そこに住む人たちのことをカレリア人と呼ぶ。フィンランド、[[ロシア]]、[[スウェーデン]]にとって歴史的にも重要な地方である。
'''カレリア'''(Karelia)は、[[フィンランド]]の南東部から[[ロシア]]の北西部にかけて広がる[[森林]]と[[湖沼]]の多い地方の名前である。そこに住む人たちのことをカレリア人と呼ぶ。フィンランド、[[ロシア]]、[[スウェーデン]]にとって歴史的にも重要な地方である。

カレリアは、[[カレリア語]]と[[フィンランド語]]ではKarjala(カリャラ)、[[ロシア語]]では{{lang|ru|Карелия}}(カレリヤ)、[[スウェーデン語]]ではKarelen(カレーレン)と表記する
カレリアは、[[カレリア語]]と[[フィンランド語]]ではKarjala(カリャラ)、[[ロシア語]]では{{lang|ru|Карелия}}(カレリヤ)、[[スウェーデン語]]ではKarelen(カレーレン)と呼ぶ


今日、政治的にはロシア共和国の[[レニングラード州]]と[[カレリア共和国]]、フィンランドの[[北カレリア県]]と[[南カレリア県]]に分割されている。
今日、政治的にはロシア共和国の[[レニングラード州]]と[[カレリア共和国]]、フィンランドの[[北カレリア県]]と[[南カレリア県]]に分割されている。


==歴史==
全盛期の[[バルト帝国|スウェーデン・バルト帝国]]は、ホワイト・カレリア(White Karelia、[[白海]]沿岸)、オロネッツ・カレリア(Olonets Karelia、[[ラドガ湖]]より東方)を除いた地域を支配していた。カレリアは、18世紀半ばには、全て[[ロシア帝国]]に割譲された。[[1918年]]のフィンランド独立によりホワイト・カレリア、オロネッツ・カレリア、[[イングリア]]を除く地域はフィンランドの一部となったが、[[1939年]]の[[冬戦争]]および1941年の[[継続戦争]]によってカレリア地峡(Karelian Isthmus)およびラドガ・カレリア(Ladoga Karelia)はソ連に割譲され、現在に至っている。
全盛期の[[バルト帝国|スウェーデン・バルト帝国]]は、ホワイト・カレリア(White Karelia、[[白海]]沿岸)、オロネッツ・カレリア(Olonets Karelia、[[ラドガ湖]]より東方)を除いた地域を支配していた。カレリアは、18世紀半ばには、全て[[ロシア帝国]]に割譲された。[[1918年]]のフィンランド独立によりホワイト・カレリア、オロネッツ・カレリア、[[イングリア]]を除く地域はフィンランドの一部となったが、[[1939年]]の[[冬戦争]]および1941年の[[継続戦争]]によってカレリア地峡(Karelian Isthmus)およびラドガ・カレリア(Ladoga Karelia)はソ連に割譲され、現在に至っている。


==民族==
カレリアはフィンランド人にとっては精神的な故郷ともいわれる。国民的な抒情詩「'''[[カレワラ]]'''」はここで育まれたもので、[[作曲家]][[ジャン・シベリウス]]の交響詩「[[フィンランディア]]」もカレリアの原風景からその着想を得たものだといわれている。なお、シベリウスの作品には、[[付随音楽|劇付随音楽]]及びそれから派生した序曲・組曲として「[[カレリア (シベリウス)|カレリア]]」を題名に持つ作品もある。
カレリアはフィンランド人にとっては精神的な故郷ともいわれる。国民的な抒情詩「'''[[カレワラ]]'''」はここで育まれたもので、[[作曲家]][[ジャン・シベリウス]]の交響詩「[[フィンランディア]]」もカレリアの原風景からその着想を得たものだといわれている。なお、シベリウスの作品には、[[付随音楽|劇付随音楽]]及びそれから派生した序曲・組曲として「[[カレリア (シベリウス)|カレリア]]」を題名に持つ作品もある。


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[[Category:ロシアの歴史的地域]]
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[[Category:カレリア共和国]]
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[[Category:レニングラード州]]
[[Category:スウェーデンの歴史的地域]]
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[[Category:北欧史]]
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2009年1月31日 (土) 04:04時点における版

カレリア 国境線西側のフィンランドには北カレリアと南カレリアが広がる。白海オネガ湖ラドガ湖フィンランド湾など水域が多い

カレリア(Karelia)は、フィンランドの南東部からロシアの北西部にかけて広がる森林湖沼の多い地方の名前である。そこに住む人たちのことをカレリア人と呼ぶ。フィンランド、ロシアスウェーデンにとって歴史的にも重要な地方である。

カレリアは、カレリア語フィンランド語ではKarjala(カリャラ)、ロシア語ではКарелия(カレリヤ)、スウェーデン語ではKarelen(カレーレン)と呼ぶ。

今日、政治的にはロシア共和国のレニングラード州カレリア共和国、フィンランドの北カレリア県南カレリア県に分割されている。

歴史

全盛期のスウェーデン・バルト帝国は、ホワイト・カレリア(White Karelia、白海沿岸)、オロネッツ・カレリア(Olonets Karelia、ラドガ湖より東方)を除いた地域を支配していた。カレリアは、18世紀半ばには、全てロシア帝国に割譲された。1918年のフィンランド独立によりホワイト・カレリア、オロネッツ・カレリア、イングリアを除く地域はフィンランドの一部となったが、1939年冬戦争および1941年の継続戦争によってカレリア地峡(Karelian Isthmus)およびラドガ・カレリア(Ladoga Karelia)はソ連に割譲され、現在に至っている。

民族

カレリアはフィンランド人にとっては精神的な故郷ともいわれる。国民的な抒情詩「カレワラ」はここで育まれたもので、作曲家ジャン・シベリウスの交響詩「フィンランディア」もカレリアの原風景からその着想を得たものだといわれている。なお、シベリウスの作品には、劇付随音楽及びそれから派生した序曲・組曲として「カレリア」を題名に持つ作品もある。

現在ロシア領となっているホワイト・カレリア以北のコラ半島を中心とした地域は、同じウラル語族サーミ人の歴史的地域でもある。また、現在ロシア領となっているイングリア(Ingria, インゲルマンラント)は、フィン人を構成するフィン・ウゴル族ウラル語族)の故地でもある。

関連項目