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「ハンゲの海戦」の版間の差分

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'''ハンゲの海戦'''({{lang-ru|Битва при Гангут}}、{{lang-sv|Slaget vid Hangö}})は、[[1712年]][[7月27日]]に[[バルト海]]の[[ハンゲ半島]](ハンコ半島)沖で[[スウェーデン海軍]]と[[ロシア海軍]]との間で行われた海上決戦。この[[海戦]]はロシア海軍の最初の勝利で終わることとなり、ロシアがバルト海で勢力を誇るようになる原因となった。


ロシア海軍は二つの島の間に防衛線を張り、スウェーデンの艦隊を攻撃した。スウェーデン海軍の[[ガレー船]]は一隻が転覆し、士官も多くが負傷した。司令官以下艦隊は降伏し、海戦は幕を閉じた。
ロシア海軍は二つの島の間に防衛線を張り、スウェーデンの艦隊を攻撃した。スウェーデン海軍の[[ガレー船]]は一隻が転覆し、士官も多くが負傷した。司令官以下艦隊は降伏し、海戦は幕を閉じた。
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この海戦の敗北により、スウェーデンはバルト海での活動を大きく制限され、[[フィンランド]]の支配が困難になった。そのため、[[大北方戦争]]終結の一因となったのである。この海戦は、[[ポルタヴァの戦い]]と並ぶ、大北方戦争における一大決戦でった。
この海戦の敗北により、スウェーデンはバルト海での活動を大きく制限され、[[フィンランド]]の支配が困難になった。そのため、[[大北方戦争]]終結の一因となったのである。この海戦は、[[ポルタヴァの戦い]]と並ぶ、大北方戦争における一大決戦でった。


ハンゲはロシアでは'''ガングート'''と呼ばれ、長らくロシア海軍ではこの[[海戦]]の勝利を祝い、艦にガングートの名をつける伝統があった。
ハンゲ ({{lang|sv|Hangö}}) は、[[フィンランド湾]]北岸の[[フィンランド]]の都市の名で、現在ではフィン語でハンコと呼ぶ。ハンゲ半島 ({{lang|sv|Hangö udd}} {{small|ハンゲ・ウト}}) はロシアでは訛って'''ガングート''' (Gangut) と呼ばれ、長らくロシア海軍ではこの[[海戦]]の勝利を祝い、艦にガングートの名をつける伝統があった。



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2009年1月31日 (土) 04:38時点における版

ハンゲの海戦(ガングート海戦)
戦争大北方戦争
年月日1712年7月27日
場所バルト海ハンコ半島
結果:ロシアの勝利
交戦勢力
ロシアの旗 帝政ロシア スウェーデンの旗 スウェーデン王国バルト帝国
指導者・指揮官
フョードル・アプラスキン ニールス・エーレンスケルド
戦力
ガレー船 プラムガレー船、小型艦
損害
死傷者466人 死傷者950人
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ハンゲの海戦ロシア語: Битва при Гангутスウェーデン語: Slaget vid Hangö)は、1712年7月27日バルト海ハンゲ半島(ハンコ半島)沖でスウェーデン海軍ロシア海軍との間で行われた海上決戦。この海戦はロシア海軍の最初の勝利で終わることとなり、ロシアがバルト海で勢力を誇るようになる原因となった。

ロシア海軍は二つの島の間に防衛線を張り、スウェーデンの艦隊を攻撃した。スウェーデン海軍のガレー船は一隻が転覆し、士官も多くが負傷した。司令官以下艦隊は降伏し、海戦は幕を閉じた。

この海戦の敗北により、スウェーデンはバルト海での活動を大きく制限され、フィンランドの支配が困難になった。そのため、大北方戦争終結の一因となったのである。この海戦は、ポルタヴァの戦いと並ぶ、大北方戦争における一大決戦でった。

ハンゲ (Hangö) は、フィンランド湾北岸のフィンランドの都市の名で、現在ではフィン語でハンコと呼ぶ。ハンゲ半島 (Hangö udd ハンゲ・ウト) はロシアでは訛ってガングート (Gangut) と呼ばれ、長らくロシア海軍ではこの海戦の勝利を祝い、艦にガングートの名をつける伝統があった。