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===問題視される落書き===
===問題視される落書き===
歴史的建造物に来訪者が落書きを残すケースは多く、[[1980年代]]~[[1990年代]]には[[日本]]人観光客らが訪れた国の[[文化財]]とされる歴史的建造物を汚損したとして逮捕される事例も度々出て問題視された。[[万里の長城]]では、観光客らによる落書き(彫り込んだもの)などにより、[[風化]]が進む事が懸念されている。日本の[[京都府]]の[[古都京都の文化財|大仏殿]]など一般公開されている神社仏閣の汚損も酷い。後述の[[ドイツ]]・[[ハイデルベルク]]の学生牢やハイデルベルク城でも本来の落書きのほか、観光客が[[ドイツ語]]のほか、[[英語]]・[[日本語]]など様々な[[言語]]による落書きを行なっている。
歴史的建造物に来訪者が落書きを残すケースは多く、[[1980年代]]~[[1990年代]]には[[日本]]人観光客らが訪れた国の[[文化財]]とされる歴史的建造物を汚損したとして逮捕される事例も度々出て問題視された。[[万里の長城]]では、観光客らによる落書き(彫り込んだもの)などにより、[[風化]]が進む事が懸念されている。日本の[[奈良市|奈良]]の[[古都奈良の文化財|大仏殿]]など一般公開されている神社仏閣の汚損も酷い。後述の[[ドイツ]]・[[ハイデルベルク]]の学生牢やハイデルベルク城でも本来の落書きのほか、観光客が[[ドイツ語]]のほか、[[英語]]・[[日本語]]など様々な[[言語]]による落書きを行なっている。


また[[天然記念物]]や[[自然]]の景観を汚損する落書きをするケースでは、それら傷付けられた動植物の生命を脅かす事態まで発生しているとされる。[[1989年]]に[[サンゴ]]がスクープを目論んだ[[朝日新聞社]]カメラマンによって傷付けられ(「[http://asahilog.hp.infoseek.co.jp/ 朝日珊瑚事件]」とも呼ばれる・[[やらせ]]の項も参照されたし)大きな社会問題とされたが、同時に落書き問題が方々で発生している事がクローズアップされた。
また[[天然記念物]]や[[自然]]の景観を汚損する落書きをするケースでは、それら傷付けられた動植物の生命を脅かす事態まで発生しているとされる。[[1989年]]に[[サンゴ]]がスクープを目論んだ[[朝日新聞社]]カメラマンによって傷付けられ(「[http://asahilog.hp.infoseek.co.jp/ 朝日珊瑚事件]」とも呼ばれる・[[やらせ]]の項も参照されたし)大きな社会問題とされたが、同時に落書き問題が方々で発生している事がクローズアップされた。

2005年6月28日 (火) 12:33時点における版

落書き(らくが - き・送り仮名が無く「落書」の表記の場合もある)とは、文字文章)やを面白半分や徒(いたずら)に書き記す事・またはその行為。

壁面に描かれた落書きの例
1997年8月に渋谷駅近辺で撮影

概要

この行為・またはそれによって書かれた物は、多くの場合において第三者にしてみれば意味の無いものであるが、古いものでは民俗学などに於いて当時の風俗文化を知る上で大きな手掛かりとなるケースも見られる。ノートの隅や本の端などに書き散らされる物では半ば無意識に書かれる場合もあるが、他人に見せようとして書かれる物では意識的に書き記される。

ただ客観的に価値が無いと見なされた著作物もこのように形容されるなど、この概念が指す対象は広範囲に及ぶ。

問題視される落書き

歴史的建造物に来訪者が落書きを残すケースは多く、1980年代1990年代には日本人観光客らが訪れた国の文化財とされる歴史的建造物を汚損したとして逮捕される事例も度々出て問題視された。万里の長城では、観光客らによる落書き(彫り込んだもの)などにより、風化が進む事が懸念されている。日本の奈良大仏殿など一般公開されている神社仏閣の汚損も酷い。後述のドイツハイデルベルクの学生牢やハイデルベルク城でも本来の落書きのほか、観光客がドイツ語のほか、英語日本語など様々な言語による落書きを行なっている。

また天然記念物自然の景観を汚損する落書きをするケースでは、それら傷付けられた動植物の生命を脅かす事態まで発生しているとされる。1989年サンゴがスクープを目論んだ朝日新聞社カメラマンによって傷付けられ(「朝日珊瑚事件」とも呼ばれる・やらせの項も参照されたし)大きな社会問題とされたが、同時に落書き問題が方々で発生している事がクローズアップされた。

語源と思われるもの

語源としては、古くは落書(らくしょ・おとしがき)と呼ばれる、特定の誰かを揶揄したり風刺する意図で、対象人物の家の門や壁に貼られた・またはわざと目に付く場所に落とされた匿名文章の様式が存在したが、恐らくこれが今言う所の落書きに成ったのであろう。

なお現在にも伝わっている落書には、建武の新政における混乱を風刺した『二条河原の落書』が知られている。

古典的な落書き(?)

なお徒に書き記された物では、古典に於いて徒然草に代表される徒然文と呼ばれる様式がある。が貴重品である時代には、徒に書き記す行為でも、書く内容はそれなりに厳選された事であろう。ただし徒然草はある程度意識して書かれた随筆である。

他方、戯れに描かれる絵では、やはり古く鳥獣戯画に代表される滑稽な物が残されているが、現代でも絵によって滑稽さを表現する落書きの様式もあり、猥褻にも滑稽なものなら、風刺を交えて滑稽な物まで、様々な様式が存在している。

また建物の壁や柱・床などに直接描かれる落書きもある。雪舟で描いたネズミの逸話は広く知られているが、たとえば、後述するようなカンボジアアンコール・ワットの壁面に刻まれた訪問者の人名など歴史的建造物の中には、当時の・または後世の人々の落書き(だったもの)が見られ、興味深い事実が明らかになるケースもある。ドイツ・ハイデルベルクの学生牢では収容された学生による落書きが多数残されている。

ファイル:Image Henohenomoheji.png
へのへのもへじ
ヘマムシヨ入道

日本には古くから「へのへのもへじ」や「ヘマムシ入道(またはヘマムシヨ入道)」等の文字遊びとしての伝統的落書きが存在し、今でもこれを(ほとんど無意識に)描く人も見られる。(ヘマムシ入道に関しては、広辞苑の同項に図が見られる)

歴史的落書き

現代社会にあってモラル低下から文化財などへの落書きによる汚損・破壊が懸念されるが、その一方で歴史的に興味深い落書きがあるのも事実である。以下にその例を挙げる。

古代ローマにおける落書き

古代ローマにおいても、ポンペイの遺跡では、建物の壁面になされた落書きが残されている。(stub)

アンコールワットの侍の落書き

アンコール・ワット遺跡には、寛永9年(1632年)に同地を訪れた江戸初期の武士・肥前松浦藩士の森本右近太夫が筆と墨で残した落書きが見られる。

なおアンコール・ワットはこの落書きが書かれた後に一旦忘れ去られ、1860年にフランス人学者のアンリ・ムーオにより(再)発見された。

「父母の菩提(ぼだい)のため、数千里の海上を渡り…」と記されたそれは、一度ホルポト派の手によってペンキで塗り潰されていたが、現在ではペンキの風化によって再び(部分的ではあるが)読めるようになっているという。2003年11月21日には同人物の15代目の子孫がこれに対面を果たした。

南米の古代文明における落書き

グアテマラマヤ遺跡ティカルの建物からは、草ぶき屋根の神殿とか輿に乗った貴族などを描いた落書きが発見され、当時の社会や生活の様子を描いた興味深いものとして知られている。

落書きと社会

現代ではストリートアートタギングなどのような、美術様式化したものや行為自体が何等かのファッションスタイル化した物がある一方、便所の落書きに代表される雑多な物も見られる。

ただ公共施設や他人の家屋・店舗などに勝手にこれらを書き入れる行為は、器物損壊の範疇で扱われるため、けして褒められた行為ではなく、特に第三者を不快にさせる乱雑な物は、落書きという様式の暴力であると見なされる場合もある。

特に他人を誹謗・中傷する意図で攻撃的な文言を書き残した場合は、強迫の範疇によって扱われる。和歌山毒物カレー事件では、容疑者として逮捕された夫婦宅が不特定多数によって落書きされ汚損されたが、これも立派な犯罪行為といえよう。

その一方で近年ではインターネットの普及によって、電子掲示板や個人・団体のウェブサイト上にも、様々な落書きがみられる。これらは他人を不快にさせない範疇に於いては然程問題視されないが、内容によっては荒らしの誹りを受けたり、特定個人・団体に対する中傷と受け取られる場合もある。

意図してそのようなモノを公開するのは論外と言えるが、他方では意図せずそうなってしまうケースもあるため、注意が必要であると共に、ネチケットなどによって・または掲示板管理者などにより、一定のガイドラインが示されている場合も見られる。

落書き世界事情

以下に国によって地域性の見られる落書き事例とその対応について述べる。

イギリス

イギリスロンドンには縦横無尽に地下鉄が走っているが、その窓への落書きがみられ問題とされている。これらはダイヤモンド指輪などによって付けられたもので、ガラス面を直接傷つけるために強度低下が心配され、地下鉄の管理側は罰金を課して取り締まってはいるが、効果は上がっていない。ガラス面につけられたこれらの傷は、気圧の変化が発生しやすい地下鉄という事情もあって、窓の破砕にも繋がりかねない事から、大変危険な行為だと見なされている。

アメリカ

アメリカでは、犯罪抑止の観点から割れ窓理論等の犯罪抑止理論が盛んだが、都市部の落書きも地域の治安を悪化させる要因と見なされ、厳重に取り締まられているとされる。

シンガポール

観光産業に力を入れるシンガポールでは、落書きは都市の景観を汚損する重大な犯罪と見なされている。鉛筆クレヨン等による消す事が比較的簡単な物は初犯に限り注意に留められるが、ペンキや油性ペン等による落とし難い物で落書きした場合は鞭打ち刑が科せられる。1993年にアメリカ人の18歳男性が他人の自動車にスプレーペンキで落書きをして逮捕された。シンガポール政府は当時の合衆国大統領ビル・クリントンによる嘆願書を退け、「鞭打ち4回」の刑罰が執行して国際的にも大きく取り上げられた。


成長と精神と落書き

ある程度自発性が育ってきた幼児は、筆記具と紙さえ与えておけば、何時間でも落書き(もう少し丁寧に「お絵かき」と呼ぶ場合もある)をしている事が多いとされる。もし紙がなくなってしまうと、壁や床・家具障子にまで落書きを始めてしまう事もある。

これら幼児の落書きは、幼児自身の発育過程を把握する上で、興味深い資料となる。

初期の段階では、専ら「何かを書く」という行為に関心を抱いた幼児は、紙の上に筆記具(クレヨンや鉛筆など)に「腕の左右の往復」という形で緩い弧を描く線をひたすら書く。仕舞いには紙が破れるまで線を幾重にも重ねて書く。

線をひたすら描く時期が過ぎると、幼児は丸を描き始める。最初の内こそグルグルと何重にも重なった歪な円を描くが、次第に描くと言う行為と表現する欲求を結び付け始め、これら円はやがて人の顔や物の輪郭として利用されるようになる。多くの場合に一番最初の物は、身近な人間である母親の顔などとする、円に目・鼻・口をあらわす線や丸を書き込んだ物を描くケースが多い。進歩すると母親と父親・祖父母といった書き分けを始めるようになる。

この段階に至ると、急速に認識力が進歩し、両親の顔の違い・近所の人の顔の違いを明確に意識し始める様子が窺え、絵の方も丸や四角・三角を組み合わせた物へと進歩を始め、自動車や飛行機・家や木や花といった様々な物に関心を向けるようになり、同時期に起こる社会性の発達や行動半径の拡大により、多様な人・物・動物・植物を描くと共に、明確な嗜好によって絵にテーマが生まれるようになる様子が見られる。

練習方法としての落書き

線を引く・丸を書く・絵にするという段階は、幼児の発達において見られる現象であるが、その一方で、扱いの難しい筆記用具に慣れるための練習にも用いられる。

例えば漫画を書くためのペンは扱いの難しい筆記用具の一つとされているが、これの扱いを習得する上で、「フリーハンドで横線を引く」・「紙を動かさずに丸を描く」といった段階があり、これを習得する事で、自在に絵が描けるという。

これは線を書くことで適切な一定の筆圧を維持する練習となり、円を書くことで360度全方向へ筆先を滑らせる事が出来るようになる…という理由で、様々な筆記用具の練習にも応用する事が可能である。

精神活動と落書き

他方では自由に落書きさせる事で、児童心理状態を調べる分野もあり、精神的な健康状態を落書きを描かせて測定する手法がある。この方法は失語症に陥っている大人にも適用されることもある。

健康な精神状態にある児童は、様々な物を描く傾向が強いが、事件に巻き込まれたり児童虐待を受けるなど、トラウマPTSDによって精神活動にダメージを受けている児童では、上手に落書きをすることが出来ない。場合によっては極端にデフォルメされた人物像を描いたり、または意味のある絵が描けなくなってしまう現象も見られる。

また精神的なダメージの回復に、落書きを根気良くさせる事でストレスの原因となっている記憶を吐き出させ、治療を行う方法も存在している。これらでは、ストレスの原因を絵を分析する事で周囲が把握し、これを取り除く方向で助けていくとされる。

関連項目