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'''ジェノヴァ'''(イタリア語:'''Genova''', ジェノヴァ語: '''Zena''')は[[リグーリア州]][[ジェノヴァ県]]に属する人口約600,000人の[[イタリア|イタリア共和国]]の都市。ジェノヴァ県の県庁所在地であるとともにリグーリア州の州都であり、周辺コムーネを含んだ都会としての人口は約90万人でイタリア有数の大都会のひとつである。 また英語では'''ジェノア'''(Genoa)となる。
'''ジェノヴァ'''([[イタリア語]]: {{lang|it|Genova}}, [[ジェノヴァ語]]: {{lang|roa|Zena}})は[[リグーリア州]][[ジェノヴァ県]]に属する人口約600,000人の[[イタリア|イタリア共和国]]の都市。ジェノヴァ県の県庁所在地であるとともにリグーリア州の州都であり、周辺コムーネを含んだ都会としての人口は約90万人でイタリア有数の大都会のひとつである。 また英語では'''ジェノア'''({{lang|en|Genoa}})となる。


海港を備え、古くから[[アマルフィ]]、[[ヴェネツィア]]、[[ピサ]]などとともに[[海洋国家]]として栄えた。その頃は"la Superba"、すなわち華麗な都市との異名があった。また当時より商工業、金融業で栄えた。軍港としても地中海への要港として重要な拠点であった。
海港を備え、古くから[[アマルフィ]]、[[ヴェネツィア]]、[[ピサ]]などとともに[[海洋国家]]として栄えた。その頃は {{lang|it|la Superba}}、すなわち華麗な都市との異名があった。また当時より商工業、金融業で栄えた。軍港としても地中海への要港として重要な拠点であった。


ジェノヴァの古名''Janua''または''Jenua''は [[ケルト語]]の''入り口''の意、他の説によると先住民族の王だったと思われる[[ヤヌス]](イタリア語ではGiano)から来たとも。
ジェノヴァの古名 {{lang|it|Janua}} または {{lang|it|Jenua}} は [[ケルト語]]の''入り口''の意、他の説によると先住民族の王だったと思われる[[ヤヌス]](イタリア語では{{lang|it|Giano}})から来たとも。


現代ではイタリアの最大の貿易港であり、地中海でも有数のコンテナ取扱高を誇っている。[[ミラノ]]、[[トリノ]]と言う北イタリアの産業都市の工業製品や輸入品のみならず、ジェノヴァ自体も大きく発展しさまざまな産業が生まれている。
現代ではイタリアの最大の貿易港であり、地中海でも有数のコンテナ取扱高を誇っている。[[ミラノ]]、[[トリノ]]と言う北イタリアの産業都市の工業製品や輸入品のみならず、ジェノヴァ自体も大きく発展しさまざまな産業が生まれている。
[[2001年]]には[[G8]]の開催地となり、[[グローバリゼーション]]への抗議行動で話題を呼んだ。[[2006年]]にはレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリが[[世界文化遺産]]に登録された。
[[2001年]]には[[G8]]の開催地となり、[[グローバリゼーション]]への抗議行動で話題を呼んだ。[[2006年]]にはレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリが[[世界文化遺産]]に登録された。

==歴史==
==歴史==
[[紀元前6世紀]]頃から人類が居住していたとされる。ローマ時代には以前より天然の良港という環境を生かし、海運業や軍港として発展した。[[1100年]]頃より[[自治都市]]となり、その後[[ジェノヴァ共和国]]として発展する。[[ヴェネツィア]]、[[ピサ]]、[[アマルフィ]]などの他の海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増した。特に商船、軍艦による通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、[[黒海]]貿易を独占するなどした。[[コルシカ島]]、[[カッファ]]などの[[クリミア半島]]南岸諸都市、[[コンスタンティノポリス]]の[[金角湾]]北部、[[イスラーム]]統治下の[[イベリア半島]]諸都市などに[[植民地]]あるいは商館を築くなど、[[地中海]]の覇権をヴェネツィアや[[オスマン帝国]]と争った。[[16世紀]]には金融業で財を成した貴族が多く現れ、繁栄がピークに達した。<!--一部「[[ジェノヴァ共和国]]」の項より転載-->
[[紀元前6世紀]]頃から人類が居住していたとされる。ローマ時代には以前より天然の良港という環境を生かし、海運業や軍港として発展した。[[1100年]]頃より[[自治都市]]となり、その後[[ジェノヴァ共和国]]として発展する。[[ヴェネツィア]]、[[ピサ]]、[[アマルフィ]]などの他の海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増した。特に商船、軍艦による通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、[[黒海]]貿易を独占するなどした。[[コルシカ島]]、[[カッファ]]などの[[クリミア半島]]南岸諸都市、[[コンスタンティノポリス]]の[[金角湾]]北部、[[イスラーム]]統治下の[[イベリア半島]]諸都市などに[[植民地]]あるいは商館を築くなど、[[地中海]]の覇権をヴェネツィアや[[オスマン帝国]]と争った。[[16世紀]]には金融業で財を成した貴族が多く現れ、繁栄がピークに達した。<!--一部「[[ジェノヴァ共和国]]」の項より転載-->
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[[画像:Genova-Cimitero di Staglieno-Angelo di Monteverde-DSCF9031.JPG|right|thumb|180px|Angelo di Monteverde([[:it:Cimitero monumentale di Staglieno|スタリェーノ墓地]])]]
[[画像:Genova-Cimitero di Staglieno-Angelo di Monteverde-DSCF9031.JPG|right|thumb|180px|Angelo di Monteverde([[:it:Cimitero monumentale di Staglieno|スタリェーノ墓地]])]]
歴史のある町並みが市内中心地に大きな規模で残っており、貴族の邸宅から庶民の町まで、中世自治都市の栄華を伝える雰囲気がある。また旧港を中心とした地域は、[[1992年]][[万国博覧会]]の際に[[建築家]][[レンゾ・ピアノ]]の再開発プロジェクトにより、文化観光地域に生まれ変わっている。
歴史のある町並みが市内中心地に大きな規模で残っており、貴族の邸宅から庶民の町まで、中世自治都市の栄華を伝える雰囲気がある。また旧港を中心とした地域は、[[1992年]][[万国博覧会]]の際に[[建築家]][[レンゾ・ピアノ]]の再開発プロジェクトにより、文化観光地域に生まれ変わっている。
*王宮({{interlang|it|Palazzo Reale (Genova)|Palazzo Reale}})
*王宮(Palazzo Reale)
*[[ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度|ガリバルディ通り]]({{interlang|it|Via Garibaldi (Genova)|Via Garibaldi}})
*ガリバルディ通り(Via Garibaldi)
*ドーリア・トゥルシ宮殿(Palazzo Doria Tursi):現在はジェノヴァ市の市庁舎となっている。ジェノヴァ出身の[[ヴイオリニスト|バイオリニスト]]、[[ニコロ・パガニーニ]]愛用の[[ヴァイオリン|バイオリン]]が保管されている。
*ドーリア・トゥルシ宮殿({{lang|it|Palazzo Doria Tursi}}):現在はジェノヴァ市の市庁舎となっている。ジェノヴァ出身の[[ヴイオリニスト|バイオリニスト]]、[[ニコロ・パガニーニ]]愛用の[[ヴァイオリン|バイオリン]]が保管されている。
*ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)
*[[ドゥカーレ宮殿]]({{interlang|it|Palazzo Ducale (Genova)|Palazzo Ducale}})
*サン・ロレンツォ大聖堂(Cattedrale di S. Lorenzo)
*サン・ロレンツォ大聖堂({{lang|it|Cattedrale di S. Lorenzo}})
*赤の宮殿(Palazzo Rosso):外壁が赤みがかった石でデザインされている。内部は美術館となっている。
*[[赤の宮殿]]({{interlang|it|Palazzo Rosso}}):外壁が赤みがかった石でデザインされている。内部は美術館となっている。
*白の宮殿(Palazzo Bianco):内部は美術館となっている。
*[[白の宮殿]]({{interlang|it|Palazzo Bianco}}):内部は美術館となっている。
*コロンブスの家(La Casa di Colombo):[[探検家]][[クリストファー・コロンブス]]が青年期を過ごした家。
*コロンブスの家({{lang|it|La Casa di Colombo}}):[[探検家]][[クリストファー・コロンブス]]が青年期を過ごした家。
*キオッソーネ東洋美術館(Museo D'Arte Orientale Edoardo Chiossone)
*キオッソーネ東洋美術館({{lang|it|Museo D'Arte Orientale Edoardo Chiossone}})
*ポルト・アンティーコ(旧港、Il Porto Antico)
*ポルト・アンティーコ(旧港、{{lang|it|Il Porto Antico}})
*海の博物館(Galata - Museo del Mare)
*海の博物館({{interlang|it|Galata - Museo del Mare}})
*ジェノヴァ水族館(Acquario di Genova):欧州有数の水族館。建物は半分地下に建設された。
*[[ジェノヴァ水族館]]({{interlang|it|Acquario di Genova}}):欧州有数の水族館。建物は半分地下に建設された。
*スタリェーノ墓地(Cimitero monumentale di Staglieno):墓域と森を合わせ約33万平方メートルの敷地に墓石が200万以上ある。敷地内は往時の貴族、裕福層、庶民層、[[キリスト教]]、[[ユダヤ教]]、イギリス風庭園など階層別、宗教別に区切られ、中心部には[[パンテオン]](神殿)がある。[[大理石]]のすぐれた彫像が多い。
*[[スタリェーノ墓地]]({{interlang|it|Cimitero monumentale di Staglieno}}):墓域と森を合わせ約33万平方メートルの敷地に墓石が200万以上ある。敷地内は往時の貴族、裕福層、庶民層、[[キリスト教]]、[[ユダヤ教]]、イギリス風庭園など階層別、宗教別に区切られ、中心部には[[パンテオン]](神殿)がある。[[大理石]]のすぐれた彫像が多い。


==交通==
==交通==
*[[ジェノヴァ・クリストーフォロ・コロンボ空港]]({{interlang|it|Aeroporto di Genova Cristoforo Colombo}}) : 西郊外にある小規模の[[国際空港]]。[[探検家]][[クリストファー・コロンブス]]にちなんで名付けられた。[[イギリス]]([[ロンドン]])、[[ドイツ]]([[ミュンヘン]])、[[オランダ]]([[アムステルダム]])、[[ベルギー]]([[ブリュッセル]])などと、イタリア国内各都市からのフライトがある。[[IATA空港コード]]はGOA。
*[[ジェノヴァ・クリストーフォロ・コロンボ空港]](Aeroporto di Genova Cristoforo Colombo)
:西郊外にある小規模の[[国際空港]]。[[探検家]][[クリストファー・コロンブス]]にちなんで名付けられた。[[イギリス]]([[ロンドン]])、[[ドイツ]]([[ミュンヘン]])、[[オランダ]]([[アムステルダム]])、[[ベルギー]]([[ブリュッセル]])などと、イタリア国内各都市からのフライトがある。[[IATA空港コード]]はGOA。


==コムーネの行政==
==コムーネの行政==
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== 他の"Genoa" ==
== 他の"Genoa" ==
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2009年2月20日 (金) 03:15時点における版

ジェノヴァ
Genova
ジェノヴァの風景
ジェノヴァの旗 ジェノヴァの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
リグーリア州の旗 リグーリア
県/大都市 ジェノヴァ
CAP(郵便番号) 16100
市外局番 010
ISTATコード 010025
識別コード D969
分離集落 quartieri di Genovaを参照
隣接コムーネ アレンツァーノバルガーリボリアスコボージオ (AL)、 カンポモローネチェラーネジダヴァーニャマゾーネメーレミニャーネゴモントッジョサントルチェーゼサッセッロ (SV)、 セッラ・リッコソーリティリエートウルベ (SV)
公式サイト リンク
人口
人口 611,949 人 (2007年9月30日)
人口密度 2,512.10 人/km2
文化
住民の呼称 genovesi (方言では: zeneixi)
守護聖人 洗礼者聖ジョヴァンニ (San Giovanni Battista)
祝祭日 6月24日
地理
座標 北緯44度24分39秒 東経8度55分56秒 / 北緯44.41083度 東経8.93222度 / 44.41083; 8.93222座標: 北緯44度24分39秒 東経8度55分56秒 / 北緯44.41083度 東経8.93222度 / 44.41083; 8.93222
標高 19 m
面積 243.60 km2
ジェノヴァの位置(イタリア内)
ジェノヴァ
ジェノヴァの位置
イタリアの旗 ポータル イタリア
テンプレートを表示

ジェノヴァイタリア語: Genova, ジェノヴァ語: Zena)はリグーリア州ジェノヴァ県に属する人口約600,000人のイタリア共和国の都市。ジェノヴァ県の県庁所在地であるとともにリグーリア州の州都であり、周辺コムーネを含んだ都会としての人口は約90万人でイタリア有数の大都会のひとつである。 また英語ではジェノア(Genoa)となる。

海港を備え、古くからアマルフィヴェネツィアピサなどとともに海洋国家として栄えた。その頃は la Superba、すなわち華麗な都市との異名があった。また当時より商工業、金融業で栄えた。軍港としても地中海への要港として重要な拠点であった。

ジェノヴァの古名 Janua または Jenuaケルト語入り口の意、他の説によると先住民族の王だったと思われるヤヌス(イタリア語ではGiano)から来たとも。

現代ではイタリアの最大の貿易港であり、地中海でも有数のコンテナ取扱高を誇っている。ミラノトリノと言う北イタリアの産業都市の工業製品や輸入品のみならず、ジェノヴァ自体も大きく発展しさまざまな産業が生まれている。 2001年にはG8の開催地となり、グローバリゼーションへの抗議行動で話題を呼んだ。2006年にはレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリが世界文化遺産に登録された。

歴史

紀元前6世紀頃から人類が居住していたとされる。ローマ時代には以前より天然の良港という環境を生かし、海運業や軍港として発展した。1100年頃より自治都市となり、その後ジェノヴァ共和国として発展する。ヴェネツィアピサアマルフィなどの他の海洋都市国家と競いながら、軍事力、経済力の影響力を増した。特に商船、軍艦による通商・金融の分野でヨーロッパ全土に権威をふるい、黒海貿易を独占するなどした。コルシカ島カッファなどのクリミア半島南岸諸都市、コンスタンティノポリス金角湾北部、イスラーム統治下のイベリア半島諸都市などに植民地あるいは商館を築くなど、地中海の覇権をヴェネツィアやオスマン帝国と争った。16世紀には金融業で財を成した貴族が多く現れ、繁栄がピークに達した。 アンドレア・ドーリア海軍提督の頃はスペイン王に協力し、多くの貴族が金融で富を築く。

その後1797年ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍に侵攻され、その傀儡国家であるリグリア共和国となり、1805年にはフランスに併合、ナポレオン失脚後のウィーン会議後も共和国であったため回復させてもらえず、ウィーン議定書によりサルデーニャ王国へ編入され、ジェノヴァは独立を失った。その後リソルジメントでサルデーニャ王国がイタリア半島統一を成し、イタリアの有力な都市の一つとして発展した。

第二次世界大戦後は郊外の新港を中心に発展したが、旧港を中心とした旧市街が未整備のまま一部残され、インナーシティー問題が拡大した。その後1992年万国博覧会(特別博)「国際船と海の博覧会」を開催。都市内部再開発事業などで、古くからの港湾都市としての歴史を生かした新しい町作りに取り組んでいる。

観光

フェッラーリ広場
Angelo di Monteverde(スタリェーノ墓地

歴史のある町並みが市内中心地に大きな規模で残っており、貴族の邸宅から庶民の町まで、中世自治都市の栄華を伝える雰囲気がある。また旧港を中心とした地域は、1992年万国博覧会の際に建築家レンゾ・ピアノの再開発プロジェクトにより、文化観光地域に生まれ変わっている。

交通

コムーネの行政

  • 代表: Marta Vincenzi(2007年5月28日選出)

他の"Genoa"

ジェノヴァの英語名であるGenoaアメリカ合衆国にいくつか有る

関連項目

姉妹都市

出身著名人

外部リンク

公式

観光

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