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2009年3月3日 (火) 15:11時点における版
かわむら れいきち 河村 黎吉 | |
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本名 |
河村 石五郎 かわむら いしごろう |
生年月日 | 1897年9月11日 |
没年月日 | 1952年12月22日(55歳没) |
出生地 |
![]() |
民族 | 日本人 |
職業 | 俳優 |
活動期間 | 1921年 - 1952年 |
三船敏郎(右)と
河村 黎吉(かわむら れいきち、1897年9月1日 (一説に6月16日) - 1952年12月22日、本名・河村石五郎)は東京出身の日本の俳優。
神田の錦城商業予科を卒業、13歳で中洲・真砂座で初舞台を踏む。以降は新派劇の無名劇団に参加して地方巡業で各地を転々とし、自ら小劇団を組織したこともあった。1921年、松竹蒲田に入社、当初は仕出し程度だったが、特徴的な風貌と舞台で培われた演技力でたちまち頭角をあらわし、1923年に準幹部俳優、1924年には幹部俳優に昇格した。この間、関東大震災の為に蒲田撮影所は使用不可能となり、大半の所員と共に下加茂撮影所に移る。1925年に下加茂撮影所が閉鎖され、蒲田に引き揚げる。この頃から二枚目半、三枚目がかった役を演じるようになり、次第に芸達者ぶり認められる。また時代がトーキーに入っても、江戸弁の台詞回しの良さから人気は衰えることがなかった。終戦後は東宝に移り、1952年にはのちに東宝のドル箱となる社長シリーズの母体となる『三等重役』に主演。映画も大ヒットし、河村自身も毎日映画コンクール演技特別賞を受賞(但し、受賞が決定したのは本人の死後)。続編にも出演するなど一躍、人気スターとなったが、同年に胃癌のために倒れ、55歳の若さで亡くなった。当り役となった『三等重役』は、人事課長役で共演していた森繁久彌が社長役に出世し、社長シリーズとして1956年の『へそくり社長』からはじまり10年以上続く看板シリーズとなったが、毎回、社長室には前社長の河村の遺影がかけられている。