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「聖イエス会」の版間の差分

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=== 創立までの経緯 ===
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[[1936年]]、日本ホーリネス教会(きよめ教会)の伝道師であった大槻武二は[[瀋陽]](中国)での開拓伝道の任命を受け、奉天聖潔教会に赴任。[[1938年]]1月9日、聖霊の[[バプテスマ]]を体験し、キリストの内住を確信するに至る。以降、大槻の祈りによって活発に神癒(病の癒し)が起こるようになる。その後、大槻はいったん帰国。[[1940年]]、牧師按手礼を受け、翌[[1941年]]東亜伝道会から再び中国へ派遣される。同年11月の[[大連]]での神癒集会から、[[リバイバル]]運動のうねりが起こり、中国全土に一大センセーションが巻き起こる。[[1942年]]7月24日の旅順信義会聖会までの9ヶ月間で228回の集会が開かれ、神癒の恩恵にあずかった者の数は8025名にのぼった。一方、時を同じくして日本では「きよめ教会」が国家によって弾圧を受け、[[1942年]]にはいわゆる「[[ホーリネス教会]]弾圧」が起こり、多くの牧師が投獄されたが、大槻は中国で伝道に従事していたため難を逃れた。大槻は1942年8月帰国、その後日本国内で巡回伝道師なり、全国からの招聘を受け、教派を越えて集会をもった。このとき訪れた[[京都市]]・[[神戸市]]([[兵庫県]])・[[平塚市]]([[神奈川県]])・[[福山市]]([[広島県]])・[[福井市]]などが、後に聖イエス会発会の基盤となった。大槻はその後も超教派での活動の継続を考えていたが、[[1946年]]、神の導きを受け、聖イエス会創立を決意した。
[[1936年]]、日本ホーリネス教会(きよめ教会)の伝道師であった大槻武二は[[瀋陽]](中国)での開拓伝道の任命を受け、奉天聖潔教会に赴任。[[1938年]]1月9日、御名による聖霊の[[バプテスマ]]を体験し、キリストの内住を確信するに至る。以降、大槻の祈りによって活発に神癒(病の癒し)が起こるようになる。その後、大槻はいったん帰国。[[1940年]]、牧師按手礼を受け、翌[[1941年]]東亜伝道会から再び中国へ派遣される。同年11月の[[大連]]での神癒集会から、[[リバイバル]]運動のうねりが起こり、中国全土に一大センセーションが巻き起こる。[[1942年]]7月24日の旅順信義会聖会までの9ヶ月間で228回の集会が開かれ、神癒の恩恵にあずかった者の数は8025名にのぼった。一方、時を同じくして日本では「きよめ教会」が国家によって弾圧を受け、[[1942年]]にはいわゆる「[[ホーリネス教会]]弾圧」が起こり、多くの牧師が投獄されたが、大槻は中国で伝道に従事していたため難を逃れた。大槻は1942年8月帰国、その後日本国内で巡回伝道師なり、全国からの招聘を受け、教派を越えて集会をもった。このとき訪れた[[京都市]]・[[神戸市]]([[兵庫県]])・[[平塚市]]([[神奈川県]])・[[福山市]]([[広島県]])・[[福井市]]などが、後に聖イエス会発会の基盤となった。大槻はその後も超教派での活動の継続を考えていたが、[[1946年]]、神の導きを受け、聖イエス会創立を決意した。


=== 創立以降の沿革 ===
=== 創立以降の沿革 ===

2009年3月10日 (火) 13:53時点における版

聖イエス会(せいイエスかい、英語名称は「Congregation of Jesus」)は、1946年1月5日、大槻武二によって創立され、現在、京都市右京区に本部を置くプロテスタント系のキリスト教団である。

沿革

創立までの経緯

1936年、日本ホーリネス教会(きよめ教会)の伝道師であった大槻武二は瀋陽(中国)での開拓伝道の任命を受け、奉天聖潔教会に赴任。1938年1月9日、御名による聖霊のバプテスマを体験し、キリストの内住を確信するに至る。以降、大槻の祈りによって活発に神癒(病の癒し)が起こるようになる。その後、大槻はいったん帰国。1940年、牧師按手礼を受け、翌1941年東亜伝道会から再び中国へ派遣される。同年11月の大連での神癒集会から、リバイバル運動のうねりが起こり、中国全土に一大センセーションが巻き起こる。1942年7月24日の旅順信義会聖会までの9ヶ月間で228回の集会が開かれ、神癒の恩恵にあずかった者の数は8025名にのぼった。一方、時を同じくして日本では「きよめ教会」が国家によって弾圧を受け、1942年にはいわゆる「ホーリネス教会弾圧」が起こり、多くの牧師が投獄されたが、大槻は中国で伝道に従事していたため難を逃れた。大槻は1942年8月帰国、その後日本国内で巡回伝道師なり、全国からの招聘を受け、教派を越えて集会をもった。このとき訪れた京都市神戸市(兵庫県)・平塚市(神奈川県)・福山市(広島県)・福井市などが、後に聖イエス会発会の基盤となった。大槻はその後も超教派での活動の継続を考えていたが、1946年、神の導きを受け、聖イエス会創立を決意した。

創立以降の沿革

  • 1946年1月5日聖イエス会発足、5月22日宗教法人設立登記完了
  • 1950年本部を京都市右京区へ移す。本部教会として嵯峨野教会発足
  • 1954年修道学院を聖イエス会ロゴス神学院と改名
  • 1971年全国の聖イエス会の聖歌隊から選抜された黎明合唱団が海外へ派遣される
  • 1972年大槻武二司牧職を勇退(以降、大槻霊父と呼ばれるようになる)
  • 1984年聖霊の傾注(福山教会)
  • 1993年ロゴス神学院京都府船井郡瑞穂町(現京丹波町)へ移転
  • 1995年ホロコースト記念館献館

信仰と教義

基本的教義

旧新約聖書を神の言葉と信じ、信仰と生活の唯一の規範とする福音主義的立場をとり、使徒信条を基本的な信仰の告白としている。ホーリネス教会の流れを汲むため、新生聖化・神癒・再臨など四重の福音を強調している。集会の形態などはペンテコステ派にも似ているが、異言を強調してはおらず、一線を画している。同様に、聖霊の働きを強調しているが聖霊派純福音派などとも流れを一つにはしていない。

神の御名による救い

神による救済・新生は、イエスの神性とメシア性とを信じ、神の御名を呼ぶ行為の結果、聖霊のバプテスマを体験することであるとしている。その根拠として旧新約聖書全般に現出する神の御名に関する記述、特にヨハネによる福音書20章31節、ローマの信徒への手紙10章13節を挙げている。さらに、イザヤ書42章8節などをもとに、神の御名は「我は主なり」を始め、聖書中12個あるとしている。祈りや説教の中で御名が宣言されると会衆も唱和する。コリントの信徒への手紙1、1章2節の記述などから、この習慣が原始キリスト教会に起源を持つものであると主張している。

教団の精神

「キリスト者はキリストのごとく」「教会は使徒行伝のごとく」を標語とし、神の御名によるキリストの内住体験に起因する聖化を強調する。また、人間が創造主の似姿を回復し、神の性質の一部に与ることを神化と呼び、人間救済の究極的な姿とする。

再臨信仰

ユダヤ民族と異邦人が共に神の救済を経験し、両者によって構成される教会の完成によって、メシア再臨がもたらされると信じ、その実現をこの教団の使命としている。ユダヤ民族に対する理解と世界平和のために、ホロコーストに関する教育なども行っている。

組織

教団の運営

教団組織の執行責任者として「司牧」がおかれる。また教団の事務を総理するものとして「代表役員」がおかれる。代表役員を含む4人の聖職者によって構成される聖職者責任役員を「長老」と呼び、司牧を補佐する。責任役員会が決議した議案について審議する機関として、「代議員会」がおかれ、聖職者24名、信徒24名から構成される。また、必要に応じて会の運営に関して助言を行う「顧問」をおいている。

教区・教会

現在104の教会があり、聖職者は司牧によってそれぞれの教会に任命される(監督制叙任制度)。また、20の教区があり、教区内の各個教会間の協力の場となっている。教区長は司牧によって任命される。

以下、全国の教区……北海道教区、東北教区、北関東教区、関東A教区、関東B教区、東海教区、中部教区、北陸教区、京都教区、大阪教区、山陰A教区、山陰B教区、山陽教区、四国A教区、四国B教区、中国A教区、中国B教区、九州教区、沖縄教区、海外教区

信徒

聖イエス会における「信徒」とは、使徒信条を告白しバプテスマ洗礼)を受け、教会の定めた信徒の義務を行うもので、信徒名簿に記載された者のことである。現在約5000人の信徒がいる。

聖職者

会が認定した者で、聖職者名簿に記載されたものを聖職者としている。実績・実務年数・論文提出などをふまえて、研修聖職者、補教師、正教師、牧師に認定され、任命を受ける。聖イエス会では洗礼聖餐を聖礼典としているが、このうち聖餐は牧師の称号を持つもののみが執り行うことができる。

教育機関

聖職者養成機関として聖イエス会ロゴス神学院(京都府京丹波町)を設置している。修業年限は聖書科2年、神学科は4年である。

出版事業

出版事業として事務局の所轄のもとロゴス社が設置されている。伝道用トラクトとして『ぶどう樹』、機関紙として『言(ロゴス)』『あかしびと』などの定期出版物を発行し、その他の不定期出版物も発行している(以下、主な不定期出版物)。

  • 『言泉集』(全20巻)大槻武二著……大槻武二著作集
  • 『エルサレムをめざして』(全2巻)大槻筆子著……聖イエス会初期の記録
  • 『エルサレムへの愛の架け橋』佐藤捷雄著……聖イエス会の歴史
  • 『わたしをだれというか』大槻勝著……マタイによる福音書講解

外部リンク