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「梶原しげるの本気でDONDON」の版間の差分

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:12:30 キテミテDONDON
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:12:45 DONDONレーダー 埼玉情報(蔵づくり本舗)→千葉情報([[京葉ガス]]が、時々提供していた)→神奈川・伊豆情報
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:※現在の首都圏パンチ!に当たるコーナー枠(交通情報と地域情報)。当時の他番組での交通情報とは異なる独特のBGMが使われていた。
:※現在の首都圏パンチ!に当たるコーナー枠(交通情報と地域情報)。当時の他番組での交通情報とは異なり、BGMに[[CASIOPEA]]の「Frou Four」が使われていた。
:12:52 あっと言わせる 素朴な疑問大賞(結論は出さず、リスナーから寄せられた、言われてみれば、確かに疑問な事をいくつか紹介し、もっとも秀逸な物を表彰して、エンディングへなだれ込む。なお、大賞を紹介する時のファンファーレは、[[東海ラジオ放送]]「[[ぶっつけワイド]]」でも使われていた事がある)
:12:52 あっと言わせる 素朴な疑問大賞(結論は出さず、リスナーから寄せられた、言われてみれば、確かに疑問な事をいくつか紹介し、もっとも秀逸な物を表彰して、エンディングへなだれ込む。なお、大賞を紹介する時のファンファーレは、[[東海ラジオ放送]]「[[ぶっつけワイド]]」でも使われていた事がある)
:12:57 エンディング
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2009年3月22日 (日) 12:23時点における版

梶原しげるの本気でDONDON(かじわらしげるのほんきでどんどん…1991年までは「梶原茂の本気でDONDON」)は、文化放送1988年4月11日2000年3月31日まで放送されていた平日昼のワイド番組。放送時間は、月曜日~金曜日の11:00~13:00。文化放送の報道部が制作していた。

出演者

パーソナリティ(探検隊長)

梶原しげる(1991年までは梶原茂、文化放送アナウンサーフリーアナウンサー

アシスタント

古森章斗(1988年4月~9月)
山口理美(1988年10月~1993年3月)
伊藤佳子(文化放送アナウンサー、1993年4月~2000年3月)
根岸理子(伊藤の産休中に担当)
鈴木純子(文化放送アナウンサー、根岸同様、伊藤の産休中に担当)

主なニューズィング・パーソン

探検隊員

  • 他の多くの番組でリポーターと称している出演者や、制作・技術スタッフをこの様に呼んでいた。この番組では、ディレクター放送作家が頻繁に放送に登場した。
    • このうち、主に中継先で、リポートやインタビューを担当する者については、梶原が愛称を付けていて、スタジオからの呼び掛けに応じて登場する際には、愛称にちなんだテーマミュージックが流れた。なお、担当当時は全員文化放送アナウンサーであった。

番組概要

スタッフがその日の朝に決めた、ニュース性の強いテーマについて、2時間かけて、広く深く多角的に掘り下げていく番組。「ニュースの向こうに何かが見える 我らニュースの探検隊」をキャッチフレーズに、身近なニュースから世間を揺るがす大事件まで、ニュースの疑問に体当たりする番組構成だった。また、当日発生した事件や事故をテーマに取り上げる事もあり、速報性という面でも非常に強かった。

さらに、構成と探検隊長の梶原の巧みなトークとによる独特のスピード感を持った聴きやすさ、探検隊員と呼ばれるスタッフたちが、スタジオのトーク中でも、サイレンつきキーホルダーの音(音は「パヒューン! パヒューン!」といった感じで、火災報知器の発報音に近い)を鳴らして飛び込んでくるスタイルや梶原自身による生電話インタビューの多用等、種々の工夫がちりばめられていた。

こうした工夫により、ワンテーマを2時間にわたって広く深く掘り下げる番組が番組として成立したという意味で、日本の報道史上、特筆すべき番組と言えよう。ただし、第一木曜日は、弁護士の遠藤誠による人生相談に充てられていた(「愛と誠の人生相談」)。

それまで、月曜日~金曜日の午前11時台は「陳平のトクする11時」(1981年4月6日~1982年10月1日)「小倉智昭のとことん気になる11時」(1984年4月2日~1987年4月3日)と報道部主体のワイド番組が編成されていたが、その形式を発展させた生ワイドだった。

タイトル

番組開始当時の文化放送は、DONDONに続けて「吉田照美のやる気MANMAN!」(13:00~15:00)、「いう気リンリン 那智チャコワイド」(15:00~17:00)を放送していた。つまり、当時の文化放送は11:00~17:00まで「○○気」、および「DONDON」「MANMAN」「リンリン」という繰り返し語をタイトルに付けた、3つのワイド番組を連ねていた事になる。ちなみに、やるMANはDONDONよりも、1年先に放送を開始している。

なお、「繰り返し語」、「気が付く」については、以上の3番組の他に「えのきどいちろう意気揚々」、「野村邦丸の気分はZUNZUN!」(那智チャコワイドの二代後の番組)があり、DONDON、やるMANを含めた繰り返し語、「気」付き4番組が、平日8:30~17:50に並ぶ時期(1999年4月~2000年3月)も存在した。

番組の進行

オープニングで、ニューズィング・パーソン(コメンテーター)を紹介し、しばらくフリートークした後、ニュースの向こうに何かが見える! 我らニュースの探検隊! まず最初のコーナーは、NEWSING DONDONというキャッチフレーズを宣言して、番組が正式スタート。CMを挟んで、テーマ発表。同時に、番組がテーマにちなんだ様々な疑問を「疑問その1」から3つほど列挙する。一部コーナーを挟みながら、テーマに関するトークを始める。

12時台初めに、ストレートニュースを内包しており(「主なタイムテーブル」参照)、この部分のみNRN加盟局の一部にネットしていた。ネット時間は局によって異なる。今の所、高知放送宮崎放送がネットしていた時期がある事が判明している。

なお、当番組の前に放送していた「えのきどいちろう意気揚々」の放送中の10時40分頃に、探検隊がスタジオに飛び込んでくるのと同じスタイルで、サイレンの音を鳴らしながら、梶原が出演し(その時、えのきどと梶原の両者が「ああ、どうもどうもどうもどうも」という挨拶から話を始めるのが、「お約束」になっていた)、今日のテーマについて話をして、FAX募集の告知を行っていた。

エピソード

  • サイレンつきキーホルダー(前出)は音の出るボタンが小さかったので、ボタンを押し間違えて、最初に違う音を出してしまう隊員もいた。
  • オウム真理教が問題になる前から独自の調査を定期的に行なっていたため、教祖の麻原彰晃逮捕後、当時、番組に関わっていたスタッフや記者らが度々、法廷に呼ばれて参考人証言した事があった。
  • 番組10周年を記念して、後述の番組本を発刊する際、パーソナリティの梶原の後輩である吉田照美小俣雅子がパーソナリティを務める「吉田照美のやる気MANMAN!」にゲスト出演(途中から伊藤もトークに参加)し、その中で梶原は「最近、TBSのアクセス(「BATTLE TALK RADIO アクセス」)っていう夜の番組で、本気でDONDONと似たような企画やってるね」と発言し、アクセスをライバル視するまではいかないものの、気にしていた事を明かしていた。当番組はこの2年後に番組終了したが、アクセスは出演者の交代を重ねながらも続行中である(2007年8月現在)。

番組終了後の動き

梶原しげるが、全日制の大学院心理学を学ぶ事になったため、番組は終了した。後枠は編成を刷新して「陳平&寺ちゃんのハッピートゥモロー」となり、放送時間も10:00~13:00の3時間となった。

後に寺島尚正が「寺ちゃんの飛び出せ!ハッピータウン」で、同番組に内包する形で独立。それに伴って野末陳平の相手役が、寺島から藤木千穂に変更となった。

一方、梶原は朝ワイド「チャレンジ! 梶原放送局」に移ったが、TBSラジオ・ニッポン放送の同時刻朝ワイドに苦戦して、短命に終わる。

2006年11月9日の「くにまるワイド ごぜんさま~」にて、木曜レギュラーコメンティストの重松清が急遽欠席しため、「プチ」本気でDONDONを放送し、リスナーからの素朴な疑問がメール、FAXで次々と寄せられて、概ね好評だった。また、番組内で、当時の探検隊呼び出し音が復活した。

これを受けて、同番組では2007年2月19日から2月23日までの1週間、期間限定ではあるが「野村邦丸の何気にDONDON」と言う形で復活。ゲストコメンティストには、本家DONDONのパーソナリティーであった梶原を出演させるという念の入れ様だった。

なお、「ごぜんさま~」ではこの後、2007年4月、6月のスペシャルウィークでも「野村邦丸の○○でDONDON」と(○○にはテーマが入る)称して特集を組んでいる。

また最近では「竹内靖夫の電リク・ハローパーティー」の中で、パーソナリティの竹内靖夫アナや石川真紀アナが「是非、復活して欲しい番組だ」と発言しており、文化放送内部では未だに根強い人気がある様だ。

特別編成

  • 毎年9月1日の防災の日には、全国38局ネットで「防災の日スペシャル」を放送していた(この番組終了後の「防災の日スペシャル」は、文化放送の平日この時間のワイドを担当しているアナウンサーが、そのまま引き続き担当していたが、2004年以降は太田英明が毎年担当している)。
  • また、「防災の日スペシャル」以外にも不定期に全国ネットの単発番組、もしくは「キユーピー・メロディホリデー」(主に祝日に放送)のため放送が休止となることが時折あった。
  • サッカー日本代表の試合の中継の影響で12時からの放送開始となった時は、テーマをサッカー関連にしたこともあった。
  • 1991年1992年頃、文化放送が「10days(7days)スイング・ホリデー」というイベント期間を実施した際には、比較的柔らかめの特集を多く組んでいた。

主なタイムテーブル

11:00 オープニング→今日のコメンテーター紹介
11:05 NEWSING DONDON(東京ワンタン本舗他)
11:20 東急ストア ママ大学 DONDONリクエスト(東急ストア加盟協賛各社)
11:35 ニュースの疑問に体当たり 本気でアタック!!(PT
11:45 DONDON追跡隊
11:55 交通情報
12:00 ブレイクタイム(時報からNEWS NOWまでのつなぎといえよう)
12:01 NEWS NOW(かつての「お昼のニュースパレード」、現在のニュースパンチに当たる枠。当時は東京電力の提供コーナー)
12:10 天気予報(月・水・金 内外薬品)(火・木 浅草のれん会ソーイングハウス
12:13 DONDON歌謡曲(アポロン音楽産業
12:15 もっと知りたいニュースの裏側 行け行けDONDON
12:30 キテミテDONDON
12:45 DONDONレーダー 埼玉情報(蔵づくり本舗)→千葉情報(京葉ガスが、時々提供していた)→神奈川・伊豆情報
※現在の首都圏パンチ!に当たるコーナー枠(交通情報と地域情報)。当時の他番組での交通情報とは異なり、BGMにCASIOPEAの「Frou Four」が使われていた。
12:52 あっと言わせる 素朴な疑問大賞(結論は出さず、リスナーから寄せられた、言われてみれば、確かに疑問な事をいくつか紹介し、もっとも秀逸な物を表彰して、エンディングへなだれ込む。なお、大賞を紹介する時のファンファーレは、東海ラジオ放送ぶっつけワイド」でも使われていた事がある)
12:57 エンディング

関連書籍

『梶原しげるの本気でDONDON-われらニュースの探検隊-』

文化放送編 メディアファクトリー発行 1998年 ISBN 4-889-91664-4
文化放送 月~金11:00~13:00枠
前番組 番組名 次番組
11時台は小倉智昭のとことん気になる11時(1984年4月2日~1987年4月3日)
倉林由男のとことん気になる11時(1987年4月6日~1988年4月8日)
12時台はニュース・録音のベルト番組中心の構成
さだまさしのラジオまっぴるま等)(1985年10月~1987年3月)
→昼はおまかせ 桂竜也です
→昼はおまかせ 月岡逸弥です(1987年4月6日~1988年4月8日)
梶原しげる(梶原茂)の
本気でDONDON
ハッピートゥモロー
(2000年4月3日~2002年10月4日 月~金10:00~13:00)