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「東武5000系電車」の版間の差分

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2005年に8000系を改造した850系が製造されているので2005年から2006年にかけて廃車される予定
2005年に8000系を改造した800,850系が製造されているので2005年から2006年にかけて廃車される予定

===5070系===
===5070系===
[[画像:Tobu5070.jpg|thumb|東武5070系…[[野田市駅]]にて。2004年撮影]]
[[画像:Tobu5070.jpg|thumb|東武5070系…[[野田市駅]]にて。2004年撮影]]

2005年7月15日 (金) 13:26時点における版

5000系電車(5000けいでんしゃ)は、東武鉄道通勤形電車

21世紀初頭時点では、首都圏大手私鉄において唯一運行されている吊り掛け駆動方式の電車である。

東武5050系電車…壬生駅にて2004年8月8日撮影

概要

1953年~1961年にかけて大量に製造された旧型通勤電車7800系に、8000系と同様の両開き4扉20mの車体を新造して載せ替えた車体更新車である。更新は5000系(2代目)が津覇車輌、5050系と5070系はアルナ工機(現アルナ車両)で行われた。

このグループは、一般に「5000系」と総称されるが、正確には先行試作車的な意味合いの強い初期形車の5000系(2代目)と、2・4輌編成の5050系、6輌編成の5070系に細分化される。ともに冷房化されており、車体の形状や客室の設備・構成等は1980年代まで東武鉄道の標準型通勤電車であった8000系に準じている。ただし、5070系の一部の車内は、同時期の10000系に準じたデザインにマイナーチェンジして製作された。

登場時は、伊勢崎線浅草口や東上線池袋口の幹線運用にも使用され、東上線では5050系の10両編成もの長大編成も見られたが、次第に支線区に移動していき、東上線系統からは一足早く1992年越生線や寄居口の区間運用を最後に全車撤退した。また1997年には廃車が始まり、野田線でも2004年に全車撤退し、現在では伊勢崎線伊勢崎口、小泉線、桐生線、日光線、宇都宮線などの一部で見られるのみとなった。支線区のワンマン化による8000系への代替も決定しており、全車撤退も時間の問題と見られる。

機器類構成

ほとんどが7800系からの流用か、それに改造を加えたものである。1950年代中期の吊り掛け駆動電車の機器としては上質な設計であったが、その原設計から半世紀を経た今日では、非常に前時代な内容と言わざるを得ない。

台車

台車は7800系流用品で、主に住友金属製の鋳鋼台車を使用している。鋳鋼製ゆえ重いが頑丈な台車である。

ほとんどは軸箱支持装置がペデスタル支持軸バネ式のFS-10形(一部はゲルリッツ式のFS-106形)。枕バネについては板バネを用いており、吊り掛け駆動方式ともども極めて古典的である。微振動やレールジョイント部の動揺を抑制するには不利で、乗り心地は空気バネ台車に比してかなり劣る。

車体更新に際し、軸受けを通常型のローラーベアリングから、密封式ベアリングに改造しており、古い外観の中で軸受けだけが現代的である。

電装部品

吊り掛け式の主電動機は、日立製作所製のHS-269-CR形、もしくは東洋電機製造製のTDK-544形である。何れも定格出力142kwの同一出力であるが、定格回転数1,250rpmという性能は、電車用の吊り掛け式直流モーターとしては最高クラスであった。このため、歯車比は4.13で、吊り掛け車としては高い設定になっていた。7800系そのままである。

これを制御するのは7800系以来の日立製MMC-H-10形制御器であるが、5070系のみ東洋電機製ES-567形を使用している。どちらも自動加速形の多段式電動カム軸制御器で、直並列抵抗制御を行う。多段式と言っても1950年代に設計された古いタイプであり、さほど制御段数は多くない。

ブレーキ

ブレーキは、当初改造された5000系では7800系同様にAMA-REブレーキ(自動空気ブレーキ)を採用し、鋳鉄製ブレーキシューや、車体装架式ブレーキシリンダも種車そのままだった。しかしこれはコントロールが難しいうえ反応も遅いため、増備車の5050系以降は、HSCブレーキ(電磁直通ブレーキ)として作動迅速化とメンテナンスフリー化を図った。併せてブレーキシリンダは台車装架とし、ブレーキシューも新型車同様のレジン樹脂製として、制動能力の確保を図っている。5000系ものちにHSC仕様に改造された。

特徴

8000系の更新改造が進展する以前、8000系との外見的判別は台車以外では難しかったが、重苦しい吊り掛け主電動機の駆動音と旧型台車の硬い振動によって、乗車すれば5000系と知ることができた。乗り心地と走行音は、それほど特徴的である。

  • 出力:142kw×4
  • 加速度:1.6km/h/s
  • 最高速度:100km/h

各系列解説

5000系(2代目)

1979年に、支線区のサービス改善と輸送力改善のために、7800系を車体更新して造られた。2両編成2本と4両編成2本の計12両があった。製造当初は非冷房車であった。

車体外観および車内設備は8000系と共通で、運転席もマスコン・ブレーキ弁をのぞき共通のレイアウトを使用している。ブレーキ方式は7800系そのままのAMA-RE自動ブレーキ、車体装架ブレーキシリンダ仕様であった。なお、ベンチレーターは当時8000系の冷房化改造に伴い8000系に搭載されていたものが流用された。

4両編成は、浅草方から順にモハ5100-サハ5200-モハ5300-クハ5400と符番され、2両編成は、順にモハ5500-クハ5600と符番されている。なお本系列の登場に際し、従来「5000系」を名乗っていた18m級3扉の車体更新車(1975年製)は、3070系と改称された(初代5000系。詳細は東武3000系の項を参照)。

1984年からは、後から造られた冷房つきの5050系や5070系と水準を揃えるため冷房化された。同時に、走行性能面で独自運用を強いられてもいたことから、ブレーキ方式を台車ブレーキに改造し、保安ブレーキつきHSCブレーキとなった。これによって次項以下に記述する5050系・5070系と併結できるようになった。電動発電機(MG)も冷房装置への電源供給の目的から大型のHB-2000に換装され、側面の行き先表示機も新設された。

この際、4両編成ではパンタグラフの位置・形式が変化した。従前、各浅草方モハに通常型のパンタグラフをそれぞれ1基搭載していたが、冷房化に際しては、モハ5300に下枠交差形パンタグラフ2基搭載へと変更された。東武の通勤型車両の多くは、浅草方から2両目にパンタグラフを2基搭載しており、5000系はやや異彩を放っていた。

1997年には休車となり、長らく館林駅構内に留置されていたが、現在は廃車となっている。

5050系

1980年に登場した、7800系車体更新車の第2陣である。2両編成と4両編成がある。第1次更新車がやや中途半端な性能であったことから、今回は当初から保安ブレーキ機構装備のHSCブレーキと、台車ブレーキシリンダを採用した。また冷房装置を搭載したため、MGは最初から大型のブラシレスMGを搭載した。4輌固定編成の5157Fからは側面に行き先表示機を備えた。

4両編成は、浅草方から順にクハ5150-モハ5250-モハ5350-クハ5450と符番され、2両編成は、順にモハ5550-クハ5650と符番されている。

2両編成の中には、寒冷な日光線鬼怒川線での冬期運用を考慮して6050系同様に霜取り用パンタグラフを増設した編成(5556F・5557F・5558F・5559F・5560F)があった。今はこれらの5編成はすべて廃車となっている。

2004年4月現在、南栗橋車輌管理区館林出張所には4両編成が4本(5151F・5153F・5154F・5158F)と2両編成が6本(5552F・5553F・5554F・5555F・5561F・5562F)在籍する。

また、南栗橋車輌管理区新栃木出張所には4両編成が6本(5155F・5156F・5157F・5160F・5161F・5162F)在籍する。


2005年に8000系を改造した800,850系が製造されているので2005年から2006年にかけて廃車される予定

5070系

ファイル:Tobu5070.jpg
東武5070系…野田市駅にて。2004年撮影

5050系の6輌編成版で、野田線用として1984年から7800系を車体更新して造られた。ブレーキ系統は当初から5050系同様のHSC方式である。製造当初から冷房装置を搭載しており、本線の運用にもついた。また、非常通報装置が設置され、その側面表示灯が新設された。コンプレッサーも流用をやめて新品のHB-2000CAを使用している。また、前面左側の窓に手動ワイパーが新設された。

1985年製造の5178Fからは、車内のイメージアップが図られ、当時最新鋭の10000系と同仕様の車内デザインとなった。また、側面表示灯がLED化された。

編成は、浅草方から順にクハ5170-モハ5270-モハ5370-サハ5470-モハ5570-クハ5670と符番されている。

全車野田線に所属していたが、2004年10月19日のダイヤ改正で廃車。北館林で解体となった。

主な使用線区