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「サーベラス (モニター)」の版間の差分

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[[1911年]]に[[オーストラリア海軍]]が成立すると、その所属艦として引き継がれた。旧式化が著しく弾薬庫などとして使用された。1921年にプラティパス II(HMAS Platypus II)と改名され、港に係留されてオーストラリア海軍の[[J級潜水艦]]部隊の支援用に使われた。
[[1911年]]に[[オーストラリア海軍]]が成立すると、その所属艦として引き継がれた。旧式化が著しく弾薬庫などとして使用された。1921年にプラティパス II(HMAS Platypus II)と改名され、港に係留されてオーストラリア海軍の[[J級潜水艦]]部隊の支援用に使われた。


J級潜水艦部隊の解散に伴い、1924年に[[スクラップ]]として売却された。一旦は解体工事が始まったが、1926年に防波堤に転用されることとなり、ヴィクトリア州メルボルン郊外のブラックロック(Black Rock)にあるハーフムーン湾(Half Moon Bay)に沈められた。船体が残された世界でも稀なモニター艦となったが<ref>モニター艦に近い[[砲塔艦]]としては、チリ海軍の[[ワスカル (装甲艦)|]]が[[博物館船|記念艦]]として保存されている。</ref>、波浪の影響で破損が進行しており、地元で保存運動が行われている。
J級潜水艦部隊の解散に伴い、1924年に[[スクラップ]]として売却された。一旦は解体工事が始まったが、1926年に防波堤に転用されることとなり、ヴィクトリア州メルボルン郊外のブラックロック(Black Rock)にあるハーフムーン湾(Half Moon Bay)に沈められた。船体が残された世界でも稀なモニター艦となったが<ref>モニター艦に近い[[砲塔艦]]としては、チリ海軍の[[ワスカル (装甲艦)|ワスカル]]が[[博物館船|記念艦]]として保存されている。</ref>、波浪の影響で破損が進行しており、地元で保存運動が行われている。


== 艦歴 ==
== 艦歴 ==

2009年3月31日 (火) 17:09時点における版

1871年に撮影されたサーベラス
艦歴
発注 1867年7月1日
起工 1867年9月1日
進水 1868年12月2日
就役 1870年9月12日
退役 1924年
その後 1926年9月2日、防波堤として沈められる。
除籍
性能諸元(竣工時)
排水量 3,340トン
全長 69m(225フィート
全幅 14m(45フィート)
吃水 5m(16フィート)
機関 型式不明石炭専焼缶5基
+Maudslay Son & Fieldレシプロ機関2基2軸推進
最大出力 1,370hp
最大速力 12.4ノット(1900年4月13日に記録)
航続距離 6ノットで途中停止しつつ10日間の連続航海可能
乗員 96名(戦時には40名増員可能)
兵装 254mm(10インチ)前装式連装砲塔2基
12ポンド単装榴弾砲2基(青銅製)
ノルデンフェルト四銃身機関砲4基(1883年装備)
ノルデンフェルト6ポンド速射砲2基(1890年装備)
マキシム・ノルデンフェルト14ポンド速射砲2基(1897年装備)
装甲 舷側:150~200mm+オーク材230~280mm
甲板:25~38mm+チーク材250mm
ブレストワーク部:200~230mm+オーク材230~280mm
砲塔:230~250mm
司令塔:-mm

サーベラス(HMVS Cerberus)は、オーストラリアビクトリア植民地政府海軍が保有したモニター艦オーストラリア海軍が承継し、1921年にプラティパス II(HMAS Platypus II)と改名した。防波堤として船体が現存している。

概要

イギリス植民地であったオーストラリアビクトリア植民地政府海軍の軍艦(HMVS=Her Majesty's Victorian Ship)として、イギリスで建造された。モニター艦に分類され、特に艦中央部にブレストワークと呼ばれる上部構造物を備えることから、ブレストワーク・モニターと呼ばれる系列である。完成後、オーストラリアへの航海時には、航洋性能を高めるために臨時の改装が施されていた。燃料となる石炭搭載量がわずか210トンであったため、回航には相当の困難が伴った。

サーベラスは、ビクトリア政府海軍の主力艦として、メルボルンなどポートフィリップ湾一帯の防衛任務に当てられた。1883年以降、水雷艇対策として各種の速射砲が追加された。

1911年オーストラリア海軍が成立すると、その所属艦として引き継がれた。旧式化が著しく弾薬庫などとして使用された。1921年にプラティパス II(HMAS Platypus II)と改名され、港に係留されてオーストラリア海軍のJ級潜水艦部隊の支援用に使われた。

J級潜水艦部隊の解散に伴い、1924年にスクラップとして売却された。一旦は解体工事が始まったが、1926年に防波堤に転用されることとなり、ヴィクトリア州メルボルン郊外のブラックロック(Black Rock)にあるハーフムーン湾(Half Moon Bay)に沈められた。船体が残された世界でも稀なモニター艦となったが[1]、波浪の影響で破損が進行しており、地元で保存運動が行われている。

艦歴

  • 1867年 イギリスのPalmers Shipbuilding and Iron Companyの造船所で進水。
  • 1870年 竣工。
  • 1871年 オーストラリアへ回航。
  • 1911年 オーストラリア海軍に移籍。
  • 1921年 プラティパス IIと改名。潜水艦の係留母艦任務。
  • 1924年 スクラップとして売却。
  • 1926年 防波堤として沈められる。

同型艦

インド海軍向けに、同型のモニター艦マグダラ(HMIS Magdala)が建造された。ボンベイ(現・ムンバイ)の防備に当てられた。

注記

  1. ^ モニター艦に近い砲塔艦としては、チリ海軍のワスカル記念艦として保存されている。

関連項目

外部リンク