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「海軍大学校」の版間の差分

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[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]の卒業生が海軍士官(兵科将校)に任官後、十年程度の実務経験を経た中から選抜された人材に対する教育機関であり、一般の大学とは異なる。現在の自衛隊であれば[[海上自衛隊幹部学校]]に相当する[[大日本帝国海軍|海軍]]の高級幹部を養成する機関で、受験資格は兵学校での教育を受けた中堅将校である大尉・少佐であることが基本であった。受験資格の付与順において兵学校時代の[[ハンモックナンバー]]は在学時に引き続いて効力を有しており、とりもなおさず兵学校の上席の卒業生がエスカレーター式にそのまま入学する形となり、卒業後、海軍の要職に就いた。
[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]の卒業生が海軍士官(兵科将校)に任官後、十年程度の実務経験を経た中から選抜された人材に対する教育機関であり、一般の大学とは異なる。現在の自衛隊であれば[[海上自衛隊幹部学校]]に相当する[[大日本帝国海軍|海軍]]の高級幹部を養成する機関で、受験資格は兵学校での教育を受けた中堅将校である大尉・少佐であることが基本であった。受験資格の付与順において兵学校時代の[[ハンモックナンバー]]は在学時に引き続いて効力を有しており、とりもなおさず兵学校の上席の卒業生がエスカレーター式にそのまま入学する形となり、卒業後、海軍の要職に就いた。


海軍大学校への入学者は明治期で5名程度、大正昭和初期で10名程度、太平洋戦争が近づい時期でも30名以下と同じ時期の陸軍大学校に比較すると1/3から1/5と定員が少なく、また艦隊勤務などの実施部隊からの叩き上げも「潮気の多い士官」と評価される風土があったことから、陸軍の天保銭組のように大学校卒業が将官への必須要件というわけではなかった。
だし、艦隊勤務などの実施部隊からの叩き上げも「潮気の多い士官」と評価される風土があったことから、陸軍の天保銭組のように大学校卒業が将官への必須要件というわけではなかった。


海大を卒業しないで大将まで昇進した人物として[[加藤寛治]]、[[井出謙治]]、[[安保清種]]、[[野村吉三郎]]がおり、中将への進級者も[[栗田健男]]、[[木村昌福]]、[[田中頼三]]、[[大西瀧治郎]]、[[左近允尚正]]、[[醍醐忠重]]、[[多田武雄]]、[[西村祥治]]、[[松永貞市]]など少なからず存在し、しかも艦隊司令長官、軍令部次長、海軍次官等の要職についている。少将クラスになると[[大田実]]、[[柴崎恵次]]、[[城島高次]]、[[千田貞敏]]、[[五藤存知]]、[[菊池朝三]]、[[野村留吉]]、[[平出英夫]]など多数に上る(いずれも戦死後昇進を含まず)。
海大を卒業しないで大将まで昇進した人物として[[加藤寛治]]、[[井出謙治]]、[[安保清種]]、[[野村吉三郎]]がおり、中将への進級者も[[栗田健男]]、[[木村昌福]]、[[田中頼三]]、[[大西瀧治郎]]、[[左近允尚正]]、[[醍醐忠重]]、[[多田武雄]]、[[西村祥治]]、[[松永貞市]]など少なからず存在し、しかも艦隊司令長官、軍令部次長、海軍次官等の要職についている。少将クラスになると[[大田実]]、[[柴崎恵次]]、[[城島高次]]、[[千田貞敏]]、[[五藤存知]]、[[菊池朝三]]、[[野村留吉]]、[[平出英夫]]など多数に上る(いずれも戦死後昇進を含まず)。

2009年4月11日 (土) 09:28時点における版

海軍大学校(かいぐんだいがっこう)は、日本海軍の上級将校教育機関である。略語として海大とも呼称される。帝国陸軍では陸軍大学校、現在の海上自衛隊では、指揮幕僚課程に相当する。1888年東京築地に開校(海軍兵学校が築地から江田島に移転した年)。初代校長には井上良馨が着任した。

概要

海軍兵学校の卒業生が海軍士官(兵科将校)に任官後、十年程度の実務経験を経た中から選抜された人材に対する教育機関であり、一般の大学とは異なる。現在の自衛隊であれば海上自衛隊幹部学校に相当する海軍の高級幹部を養成する機関で、受験資格は兵学校での教育を受けた中堅将校である大尉・少佐であることが基本であった。受験資格の付与順において兵学校時代のハンモックナンバーは在学時に引き続いて効力を有しており、とりもなおさず兵学校の上席の卒業生がエスカレーター式にそのまま入学する形となり、卒業後、海軍の要職に就いた。

ただし、艦隊勤務などの実施部隊からの叩き上げも「潮気の多い士官」と評価される風土があったことから、陸軍の天保銭組のように大学校卒業が将官への必須要件というわけではなかった。

海大を卒業しないで大将まで昇進した人物として加藤寛治井出謙治安保清種野村吉三郎がおり、中将への進級者も栗田健男木村昌福田中頼三大西瀧治郎左近允尚正醍醐忠重多田武雄西村祥治松永貞市など少なからず存在し、しかも艦隊司令長官、軍令部次長、海軍次官等の要職についている。少将クラスになると大田実柴崎恵次城島高次千田貞敏五藤存知菊池朝三野村留吉平出英夫など多数に上る(いずれも戦死後昇進を含まず)。

1923年関東大震災で罹災し、1932年、東京・上大崎に移転。新しい海大は庁舎と呼ばれた校舎を中心に兵棋演習場、科学実験場などを備えた大規模な施設であった。

第二次世界大戦末期の1945年5月以降は機能を失い、敗戦後海軍大学校は廃止され、建物は国立予防衛生研究所が使用した。建物は研究所の移転後も残っていたが、1999年取り壊された。

歴代校長

主な卒業生

甲号1期

明治21年11月15日入学、明治22年7月29日卒業、9名

甲号2期

明治22年7月29日入学、明治23年7月30日卒業、8名

甲号3期

明治23年9月2日入学、明治24年7月28日卒業、2名
  • 真崎宏治 中佐
  • 池中小次郎 大佐

甲号4期

明治24年7月23日入学、明治25年8月5日卒業、12名

甲号5期

明治25年12月21日入学、明治26年12月19日卒業、9名

将校科1期

明治27年3月1日入学 - 6月6日、明治29年4月6日 - 明治30年12月15日卒業、5名

将校科2期

明治29年4月6日入学 - 明治30年12月15日卒業、5名
  • 山屋他人 大将 恩賜銀時計
  • 藤田定市 大佐 恩賜銀時計

将校科3期

明治30年3月30日入学 - 明治31年5月2日卒業、8名

将校科甲種1期

明治31年4月29日入学 - 明治31年12月19日卒業、5名
  • 松村龍雄 中将 首席
  • 鈴木貫太郎 大将
  • 中島市太郎 少将 次席
  • 竹下勇 大将

将校科甲種2期

明治32年3月2日入学 – 明治33年6月19日、12月13日 - 明治34年5月24日卒業、7名

将校科甲種3期

明治33年5月20日入学 – 6月19日、12月13日 - 明治35年7月8日卒業、8名

将校科甲種4期

明治35年7月17日入学 – 明治36年12月28日、明治38年12月20日 - 明治39年7月6日卒業、4名

甲種5期

明治39年1月25日入学 – 明治40年12月18日卒業、16名

甲種6期

明治40年4月5日入学 – 明治42年5月25日卒業、12名

甲種7期

明治41年4月20日入学 – 明治42年11月30日卒業、13名

甲種8期

明治42年5月25日入学 – 明治43年11月29日卒業、12名

甲種9期

明治42年12月1日入学 – 明治44年5月22日卒業、13名

甲種10期

明治43年12月1日入学 – 明治45年5月22日卒業、10名

甲種11期

明治44年12月1日入学 – 大正2年5月22日卒業、12名

甲種12期

大正元年12月1日入学 – 大正3年5月27日卒業、16名

甲種13期

大正2年12月1日入学 – 大正4年12月13日卒業、17名

甲種14期

大正3年12月1日入学 – 大正5年11月28日卒業、20名
  • 湯地秀生 中将
  • 植村茂夫 中将
  • 藤吉晙 中将
  • 松下薫 中将
  • 大関鷹麿 大佐 首席
  • 山本五十六 元帥大将
  • 和田信房 中将
  • 鈴木義一 中将
  • 河村儀一郎 中将
  • 阿武清 中将 次席
  • 有馬寛 中将
  • 出光万兵衛 中将

甲種15期

大正4年12月13日入学 – 大正6年11月29日卒業、20名

甲種16期

大正5年12月1日入学 – 大正7年11月26日卒業、20名

甲種17期

大正6年12月1日入学 – 大正8年12月1日卒業、24名

甲種18期

大正7年12月1日入学 – 大正9年11月26日卒業、29名

甲種19期

大正8年12月1日入学 – 大正10年11月30日卒業、29名
  • 松崎伊織 中将
  • 杉山俊亮 中将
  • 宮田義一 中将
  • 近藤英次郎 中将
  • 堀江六郎 中将
  • 坂本伊久太 中将
  • 山本弘毅 中将
  • 戸苅隆始 中将 次席
  • 岩村清一 中将 首席
  • 草鹿任一 中将
  • 大熊政吉 中将
  • 松永寿雄 少将
  • 小沢治三郎 中将

甲種20期

大正9年12月1日入学 – 大正11年11月25日卒業、26名
  • 小柳喜三郎 大佐 首席
  • 広瀬正経 中将
  • 小島謙太郎 少将
  • 脇鼎 少将
  • 岩下保太郎 少将 次席
  • 小池四郎 中将
  • 宍戸好信 中将
  • 小松輝久 中将
  • 鈴木新治 少将
  • 浮田秀彦 中将
  • 三並貞三 少将
  • 桑折英三郎 中将
  • 大川内傳七 中将
  • 松木益吉 中将
  • 鋤柄玉造 中将
  • 清水長吉 中佐
  • 中村一夫 少将
  • 木幡行 少将
  • 富田貴一 大佐
  • 藍原有孝 大佐
  • 牧田覚三郎 中将
  • 戸塚道太郎 中将
  • 河瀬四郎 中将
  • 伍賀啓次郎 中将
  • 福田良三 中将

甲種21期

大正10年12月1日入学 – 大正12年10月15日卒業、22名

甲種22期

大正11年12月1日入学 – 大正13年11月26日卒業、21名

甲種23期

大正12年12月入学 – 大正14年11月25日卒業、22名

甲種24期

大正13年12月1日入学 – 大正15年11月25日卒業、20名

甲種25期

大正14年12月1日入学 – 昭和2年11月25日卒業、20名

甲種26期

大正15年12月1日入学 – 昭和3年12月6日卒業、22名

甲種27期

昭和2年12月1日入学 – 昭和4年11月27日卒業、20名

甲種28期

昭和3年12月10日入学 – 昭和5年11月28日卒業、20名

甲種29期

昭和4年11月30日入学 – 昭和6年11月27日卒業、20名

甲種30期

昭和5年12月1日入学 – 昭和7年11月26日卒業、21名

甲種31期

昭和6年12月1日入学 – 昭和8年5月20日卒業、24名

甲種32期

昭和7年12月1日入学 – 昭和9年7月19日卒業、21名

甲種33期

昭和8年12月1日入学 – 昭和10年11月卒業、24名

甲種34期

昭和9年11月1日入学 – 昭和11年11月26日卒業、30名

甲種35期

昭和10年10月31日入学 – 昭和12年7月28日卒業、30名

甲種36期

昭和11年12月1日入学 – 昭和13年9月15日卒業、24名

甲種37期

昭和13年12月15日入学 – 昭和15年4月24日卒業、30名
  • 岡田貞外茂 大佐 次席
  • 藤村義一 中佐 首席
  • 杉江一三 中佐

甲種38期

昭和15年4月24日入学 – 10月15日、昭和17年12月1日 - 昭和18年6月2日卒業、27名
  • 島田航一 中佐 次席
  • 山口史郎 中佐 首席

甲種39期

昭和18年7月1日入学 – 昭和19年3月4日卒業、25名
  • 久住忠男 中佐
  • 小野田寛治郎 大佐
  • 蔵富一馬 中佐
  • 東俊雄 大佐
  • 野村了介 中佐
  • 宮本鷹雄 中佐 戦艦大和砲術参謀
  • 工藤兼男 大佐
  • 吉岡忠一 中佐 首席
  • 山本繁一 中佐
  • 関野英夫 中佐
  • 石黒進 中佐
  • 佐藤欣重 中佐
  • 井筒紋四郎 中佐
  • 森幸吉 中佐
  • 花本清登 大佐
  • 間瀬武治 大佐
  • 小牧一郎 中佐 次席
  • 畑野健二 大佐
  • 木下甫 中佐
  • 鳥巣建之助 中佐
  • 千早正隆 中佐

参考文献

  • 実松譲『海軍大学教育 戦略・戦術道場の功罪』(光人社NF文庫、1993年) ISBN 4-7698-2014-3

関連項目