コンテンツにスキップ

「ケン・ノートン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
HideBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる: 文字置き換え (-プエルト・リコ +プエルトリコ)
Tribot (会話 | 投稿記録)
7行目: 7行目:
* [[1973年]]9月10日、モハメド・アリと再戦、僅差の12ラウンド判定負け。
* [[1973年]]9月10日、モハメド・アリと再戦、僅差の12ラウンド判定負け。
* [[1974年]]3月26日、[[ベネズエラ]]の[[カラカス]]で[[ジョージ・フォアマン]]の持つ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、2ラウンドKO負け。
* [[1974年]]3月26日、[[ベネズエラ]]の[[カラカス]]で[[ジョージ・フォアマン]]の持つ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、2ラウンドKO負け。
* [[1976年]]9月28日、[[ニューヨーク]]の[[ヤンキー・スタジアム]]において[[モハメド・アリ]]の持つ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、僅差の15ラウンド判定負け(アリとの計3戦は、ノートンの1勝2敗となった)。
* [[1976年]]9月28日、[[ニューヨーク]]の[[ヤンキー・スタジアム (1923年)|ヤンキー・スタジアム]]において[[モハメド・アリ]]の持つ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、僅差の15ラウンド判定負け(アリとの計3戦は、ノートンの1勝2敗となった)。
* [[1977年]]11月15日、この年の3月17日に[[プエルトリコ]]で[[ジョージ・フォアマン]]と対戦して、最終の12ラウンドにダウンを与えて判定勝ちした[[ジミー・ヤング]]とアリとの次期世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、僅差の15ラウンド判定勝ち。
* [[1977年]]11月15日、この年の3月17日に[[プエルトリコ]]で[[ジョージ・フォアマン]]と対戦して、最終の12ラウンドにダウンを与えて判定勝ちした[[ジミー・ヤング]]とアリとの次期世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、僅差の15ラウンド判定勝ち。
* [[1978年]]3月、この年の2月15日にアリとの世界ヘビー級タイトル戦で判定勝ちして世界ヘビー級チャンピオンに就いた[[レオン・スピンクス]]が初防衛戦 で[[世界ボクシング評議会|WBC]]が指定したノートンとの対戦を拒否してアリとの再戦を選んだため、スピンクスからタイトルを剥奪したWBCによって世界ヘビー級チャンピオンに認定される。
* [[1978年]]3月、この年の2月15日にアリとの世界ヘビー級タイトル戦で判定勝ちして世界ヘビー級チャンピオンに就いた[[レオン・スピンクス]]が初防衛戦 で[[世界ボクシング評議会|WBC]]が指定したノートンとの対戦を拒否してアリとの再戦を選んだため、スピンクスからタイトルを剥奪したWBCによって世界ヘビー級チャンピオンに認定される。

2009年4月14日 (火) 23:15時点における版

ファイル:Ebby Thust with Ken Norton.JPG
1986年11月16日。左はプロモーター

ケン・ノートンKen Norton1943年8月9日 - )は、男性プロボクサーアメリカ合衆国イリノイ州ジャクソンビル出身。プロボクシング史上最初にして唯一世界戦で一度も勝利したことが無い世界王者である。その強打でモハメド・アリの顎を割ったことがある。ヘビー級には珍しくボディ攻撃のできる実力派だったが、アリ、フォアマン、ホームズといった怪物たちに囲まれ、生まれた時代が悪すぎたと言えよう。ハンサムな風貌から映画にも出演している(「マンディンゴ」「ドラム」)。

来歴

戦績

  • プロボクシング: 50戦 42勝 (33KO) 7敗 1分

関連項目

外部リンク