「ケン・ノートン」の版間の差分
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== 来歴 == |
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* [[1977年]]11月15日、この年の3月17日に[[プエルトリコ]]で[[ジョージ・フォアマン]]と対戦して、最終の12ラウンドにダウンを与えて判定勝ちした[[ジミー・ヤング]]とアリとの次期世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、僅差の15ラウンド判定勝ち。 |
* [[1977年]]11月15日、この年の3月17日に[[プエルトリコ]]で[[ジョージ・フォアマン]]と対戦して、最終の12ラウンドにダウンを与えて判定勝ちした[[ジミー・ヤング]]とアリとの次期世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、僅差の15ラウンド判定勝ち。 |
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* [[1978年]]3月、この年の2月15日にアリとの世界ヘビー級タイトル戦で判定勝ちして世界ヘビー級チャンピオンに就いた[[レオン・スピンクス]]が初防衛戦 で[[世界ボクシング評議会|WBC]]が指定したノートンとの対戦を拒否してアリとの再戦を選んだため、スピンクスからタイトルを剥奪したWBCによって世界ヘビー級チャンピオンに認定される。 |
* [[1978年]]3月、この年の2月15日にアリとの世界ヘビー級タイトル戦で判定勝ちして世界ヘビー級チャンピオンに就いた[[レオン・スピンクス]]が初防衛戦 で[[世界ボクシング評議会|WBC]]が指定したノートンとの対戦を拒否してアリとの再戦を選んだため、スピンクスからタイトルを剥奪したWBCによって世界ヘビー級チャンピオンに認定される。 |
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* [[1978年]]6月10日、[[ラスベガス]]の[[シーザーズ・パレス]]での初防衛戦で[[ラリー・ホームズ]]に僅差の15ラウンド判定負け(143-142、142-143、142-143)を喫し、タイトルを失う。 |
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* [[1979年]]3月23日、[[アーニー・シェーバース]]とホームズとの次期WBC世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、1ラウンドKO負け。 |
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* [[1981年]]5月11日、[[ニューヨーク]]で[[ジェリー・クーニー]]と対戦し、1ラウンドKO負け、引退。 |
* [[1981年]]5月11日、[[ニューヨーク]]で[[ジェリー・クーニー]]と対戦し、1ラウンドKO負け、引退。 |
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2009年4月14日 (火) 23:42時点における版
ファイル:Ebby Thust with Ken Norton.JPG 1986年11月16日。左はプロモーター | |
基本情報 | |
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本名 | ケン・ノートン |
階級 | ヘビー級 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1943年8月9日(80歳) |
出身地 | イリノイ州ジャクソンビル |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 50 |
勝ち | 42 |
KO勝ち | 33 |
敗け | 7 |
引き分け | 1 |
ケン・ノートン(Ken Norton、1943年8月9日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。イリノイ州ジャクソンビル出身。プロボクシング史上最初にして唯一世界戦で一度も勝利したことが無い世界王者である。その強打でモハメド・アリの顎を割ったことがある。ヘビー級には珍しくボディ攻撃のできる実力派だったが、アリ、フォアマン、ホームズといった怪物たちに囲まれ、生まれた時代が悪すぎたと言えよう。ハンサムな風貌から映画にも出演している(「マンディンゴ」「ドラム」)。
来歴
- 1967年11月14日、プロデビュー。
- 1973年3月31日、モハメド・アリに12ラウンド判定勝ちし、北米ヘビー級タイトルを獲得。アリは、この試合でノートンのパンチを受けて、顎を骨折。
- 1973年9月10日、モハメド・アリと再戦、僅差の12ラウンド判定負け。
- 1974年3月26日、ベネズエラのカラカスでジョージ・フォアマンの持つ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、2ラウンドKO負け。
- 1976年9月28日、ニューヨークのヤンキー・スタジアムにおいてモハメド・アリの持つ世界ヘビー級タイトルに挑戦するが、僅差の15ラウンド判定負け(アリとの計3戦は、ノートンの1勝2敗となった)。
- 1977年11月15日、この年の3月17日にプエルトリコでジョージ・フォアマンと対戦して、最終の12ラウンドにダウンを与えて判定勝ちしたジミー・ヤングとアリとの次期世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、僅差の15ラウンド判定勝ち。
- 1978年3月、この年の2月15日にアリとの世界ヘビー級タイトル戦で判定勝ちして世界ヘビー級チャンピオンに就いたレオン・スピンクスが初防衛戦 でWBCが指定したノートンとの対戦を拒否してアリとの再戦を選んだため、スピンクスからタイトルを剥奪したWBCによって世界ヘビー級チャンピオンに認定される。
- 1978年6月10日、ラスベガスのシーザーズ・パレスでの初防衛戦でラリー・ホームズに僅差の15ラウンド判定負け(143-142、142-143、142-143)を喫し、タイトルを失う。
- 1979年3月23日、アーニー・シェーバースとホームズとの次期WBC世界ヘビー級タイトル戦挑戦者決定戦で対戦、1ラウンドKO負け。
- 1981年5月11日、ニューヨークでジェリー・クーニーと対戦し、1ラウンドKO負け、引退。
戦績
- プロボクシング: 50戦 42勝 (33KO) 7敗 1分
関連項目
- 男子ボクサー一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- ケン・ノートン Jr - 彼の息子で元NFL選手。