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「海上権力史論」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
マハンは1840年にニューヨークで陸軍軍人であった[[デニス・ハート・マハン]]の息子として生まれた。1859年に海軍兵学校を卒業して[[南北戦争]]での海上勤務を経て1885年にスループ艦の艦長となった。アメリカ海軍の軍人であるだけでなく、[[軍事学者]]でもあり、85年に出版した『メキシコ湾と内海』が評価されて海軍大学校で海軍史と海戦術を教育することになっていた。この『海上権力史論』は大学校での講義に基づいた著作であり、そのマハンの戦略思想は幅広く注目された。
マハンは1840年に[[ニューヨーク]][[アメリカ陸軍|陸軍]]軍人であった[[デニス・ハート・マハン]]の息子として生まれた。1859年に[[海軍兵学校 (アメリカ合衆国)|海軍兵学校]]を卒業して[[南北戦争]]での海上勤務を経て1885年に[[スループ#スループ(軍)|スループ艦]]の艦長となった。[[アメリカ海軍]]の軍人であるだけでなく、[[軍事学者]]でもあり、85年に出版した『メキシコ湾と内海』が評価されて海軍大学校で海軍史と海戦術を教育することになっていた。この『海上権力史論』は大学校での講義に基づいた著作であり、そのマハンの戦略思想は幅広く注目された。


この研究はシーパワーが欧米史においてどのような歴史的影響があったのかを論じるものである。歴史研究ではシーパワーの意義や重要性は明確に認識されてはいない。[[ポエニ戦争]]においてカルタゴに対してローマが勝利し、また[[ナポレオン戦争]]においてフランスに対してイギリスが勝利したことから考えれば、海上の支配が勝者にあったという一致点が浮き彫りになる。しかし既存の研究で海洋に着目したものであり、海上権益を歴史の因果性の中で位置づけた研究は不十分であり、これを歴史研究を参照しつつ明らかにしようとするものである。
この研究は[[シーパワー]]が欧米史においてどのような歴史的影響があったのかを論じるものである。歴史研究ではシーパワーの意義や重要性は明確に認識されてはいない。[[ポエニ戦争]]において[[カルタゴ]]に対して[[共和政ローマ|ローマ]]が勝利し、また[[ナポレオン戦争]]において[[フランス]]に対して[[イギリス]]が勝利したことから考えれば、海上の支配が勝者にあったという一致点が浮き彫りになる。しかし既存の研究で海洋に着目したものであり、海上権益を歴史の因果性の中で位置づけた研究は不十分であり、これを歴史研究を参照しつつ明らかにしようとするものである。


この研究で特に重要な概念は[[シーパワー]]であるが、マハン自身はこれを厳密に定義したわけではない。これは[[海軍力]]だけではなく、海洋を経済的に活用する能力まで含む包括的なものである。国家がシーパワーを発展させるためには後述するように構成要素に着目する必要があり、また海上戦闘の在り方が変化を指摘した。さらに海上戦闘の原則について制海権をいかに得るのかという問題を考察しており、集中や大胆さが海上作戦での原則と考えた。
この研究で特に重要な概念はシーパワーであるが、マハン自身はこれを厳密に定義したわけではない。これは[[海軍力]]だけではなく、海洋を経済的に活用する能力まで含む包括的なものである。国家がシーパワーを発展させるためには後述するように構成要素に着目する必要があり、また海上戦闘の在り方が変化を指摘した。さらに海上戦闘の原則について[[制海権]]をいかに得るのかという問題を考察しており、集中や大胆さが海上作戦での原則と考えた。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2009年4月21日 (火) 00:15時点における版

海上権力史論』(The Influence of Sea Power upon History, 1660-1783)とは1980年に発行したアルフレッド・セイヤー・マハンによる海軍戦略の古典的な著作である。

概要

マハンは1840年にニューヨーク陸軍軍人であったデニス・ハート・マハンの息子として生まれた。1859年に海軍兵学校を卒業して南北戦争での海上勤務を経て1885年にスループ艦の艦長となった。アメリカ海軍の軍人であるだけでなく、軍事学者でもあり、85年に出版した『メキシコ湾と内海』が評価されて海軍大学校で海軍史と海戦術を教育することになっていた。この『海上権力史論』は大学校での講義に基づいた著作であり、そのマハンの戦略思想は幅広く注目された。

この研究はシーパワーが欧米史においてどのような歴史的影響があったのかを論じるものである。歴史研究ではシーパワーの意義や重要性は明確に認識されてはいない。ポエニ戦争においてカルタゴに対してローマが勝利し、またナポレオン戦争においてフランスに対してイギリスが勝利したことから考えれば、海上の支配が勝者にあったという一致点が浮き彫りになる。しかし既存の研究で海洋に着目したものであり、海上権益を歴史の因果性の中で位置づけた研究は不十分であり、これを歴史研究を参照しつつ明らかにしようとするものである。

この研究で特に重要な概念はシーパワーであるが、マハン自身はこれを厳密に定義したわけではない。これは海軍力だけではなく、海洋を経済的に活用する能力まで含む包括的なものである。国家がシーパワーを発展させるためには後述するように構成要素に着目する必要があり、また海上戦闘の在り方が変化を指摘した。さらに海上戦闘の原則について制海権をいかに得るのかという問題を考察しており、集中や大胆さが海上作戦での原則と考えた。

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