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「キャリア (国家公務員)」の版間の差分

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昇格や給与などの待遇は他の公務員(ノンキャリア)と比べ物にならないほど良いと思われがちだが、明らかな差がつくのは入省して相当の経験を積んでからとなる。キャリアは法制担当など責任の重い仕事が割り振られることが多い。また、定時終業など先ず望めず、退庁時間が非常に遅くなることも少なくない(ただ本省勤務者はノンキャリアも含め、概して退庁時間が遅いのが常態ではある)。ほぼ全員が本省[[課長]]クラスまで横並びで昇進し、その後熾烈な出世競争をくぐり抜け、脱落した者は省庁の[[地方支分部局]]、[[地方公共団体]]、[[外郭団体]]などの幹部職員として出向したり、[[民間企業]]に再就職あるいは[[政治家]]に転身する。一部は高級官僚(慣例的に本省[[局長]]クラス以上を指す)まで昇進し、一般に同期入省又は後年入省の[[事務次官]]が誕生するまでに、同年次のキャリア組は退官する。これらの慣行から生じるのがいわゆる「[[天下り]]」であり、この意味において「天下り」はキャリア制度の一環を成しているといえる。
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なお、[[日本銀行]]や元々国の機関であった組織(旧[[鉄道省]]の[[JR]]や旧[[電気通信省]]の[[日本電信電話|NTT]]など)も、特定大学出身者の優遇などといった形でキャリア制度が残存し、[[特殊法人]]、[[地方公務員]]や戦前からある[[大企業]]でも、キャリア制度に類似した採用、昇進のシステムを存続させているところもある。
なお、[[日本銀行]]や元々国の機関であった組織(旧[[鉄道省]]→[[日本国有鉄道]]の[[JR]]や旧[[電気通信省]]→[[日本電信電話公社]]の[[日本電信電話|NTT]]など)も、特定大学出身者の優遇などといった形でキャリア制度が残存し、[[特殊法人]]、[[地方公務員]]や戦前からある[[大企業]]でも、キャリア制度に類似した採用、昇進のシステムを存続させているところもある。


=== キャリア公務員の頂点 ===
=== キャリア公務員の頂点 ===

2009年5月19日 (火) 12:26時点における版

キャリア(career)とは、日本における国家公務員試験の上級甲種またはI種(旧外務I種を含む)に合格し、幹部候補生として中央省庁に採用された国家公務員の俗称。有資格者ともいう。

概説

キャリア制度

高級官僚とその候補生の登用、昇進のシステムがキャリア制度(キャリアシステム)と呼ばれる。採用時の試験区分によって選抜された幹部候補グループ(「キャリア」と呼ばれる)は、その他の職員(「ノンキャリア」と呼ばれる)と区別して一律に人事管理が行われ、より早いスピードで昇進、高級官僚ポストをほぼ独占する。しかし、各省庁毎にシステムが若干異なり、また省庁ごとに違う意味で捉えられることが多いため、統一的な定義はない。またどういう人までをキャリアと呼ぶかも、各省庁で違う。一般的には国家I種の「行政」「法律」「経済」区分に合格した者を指すことが多いが、広義には技官を含めた国家I種合格者全体を、限定的には国家I種の「法律」区分に合格した者のみを指すことがある。狭義ではI種合格者の中でも本省(内局)に採用された者のみを特にキャリアとみなし、外局地方支分部局で採用された者はこれに含まない。また、法務省においては検察官がキャリアとして扱われたり、非常に多くの職員を抱える警察組織においては国家II種警察庁採用の警察官が準キャリアやセミキャリアなどといった俗称で形容される待遇を受けるなど、例外も多い。「制度」とは呼ばれるものの現行のキャリア制度について法的根拠は存在せず、全くの慣行として事実上の運用がなされている。

昇格や給与などの待遇は他の公務員(ノンキャリア)と比べ物にならないほど良いと思われがちだが、明らかな差がつくのは入省して相当の経験を積んでからとなる。キャリアは法制担当など責任の重い仕事が割り振られることが多い。また、定時終業など先ず望めず、退庁時間が非常に遅くなることも少なくない(ただ本省勤務者はノンキャリアも含め、概して退庁時間が遅いのが常態ではある)。ほぼ全員が本省課長クラスまで横並びで昇進し、その後熾烈な出世競争をくぐり抜け、脱落した者は省庁の地方支分部局地方公共団体外郭団体などの幹部職員として出向したり、民間企業に再就職あるいは政治家に転身する。一部は高級官僚(慣例的に本省局長クラス以上を指す)まで昇進し、一般に同期入省又は後年入省の事務次官が誕生するまでに、同年次のキャリア組は退官する。これらの慣行から生じるのがいわゆる「天下り」であり、この意味において「天下り」はキャリア制度の一環を成しているといえる。

なお、日本銀行や元々国の機関であった組織(旧鉄道省日本国有鉄道JRや旧電気通信省日本電信電話公社NTTなど)も、特定大学出身者の優遇などといった形でキャリア制度が残存し、特殊法人地方公務員や戦前からある大企業でも、キャリア制度に類似した採用、昇進のシステムを存続させているところもある。

キャリア公務員の頂点

キャリア公務員の一般的な最高職は事務次官である。しかし、省によっては例外が存在する。外務省法務省では、それぞれ駐米大使検事総長の方が格上とされ、事務次官経験者が就任することが多い[1]

また、警察庁の場合は、監督組織である国家公安委員会に官僚は存在しないので、トップは警察庁長官である。なお、警察官僚の場合、警察庁長官以外にも本来東京都の機関である警視庁のトップ警視総監も長官と同様に「警察官僚トップ」の扱いをしている。

さらに内閣法制局のトップである内閣法制局長官は、閣僚ではないが慣例的に閣議への陪席が認められている。

省庁間を越えたキャリア官僚のトップは内閣官房内閣官房副長官(事務担当)である。内閣官房副長官(事務担当)は、事務次官等会議を主宰する全事務次官を束ねる官僚の最高峰であり、認証官である。また、閣議への陪席も認められている。この内閣官房副長官(事務担当)は、旧内務省系官庁の事務次官・長官経験者が就任するのが慣例となっている。しかし、2006年9月発足した安倍内閣においては、旧大蔵省を退官して15年以上になる的場順三大和総研顧問がこれに就任し、従来までの慣例が破られた形となった。

キャリア制度の歴史

キャリア制度とは、明治時代に日本を近代国家にするためドイツの公務員採用制度を参考にし、1888年にスタートした試補制度に起源をもつ。このときには帝国大学出身者は無試験で任用できるようにし、不足した人数を帝国大学出身者以外の試験選抜という形で採用した。もっとも、帝国大学卒業者の無試験任用には批判が多く、1894年に高等文官試験(高文試験)と呼ばれる今のキャリア採用制度と同様な制度が誕生した。高文合格者は高等官と呼ばれたが、他の官吏(判任官など)とは勅令によって厳格に区別され、現在のキャリアと比べても極めて速いスピードで昇進した。戦後、GHQは従来の身分制的な公務員制度を改めるべく、アメリカ的な職階制の導入をはじめ様々な改革を試みたが、各省の抵抗もあって不徹底に終わった。高文試験は名前を変え国家上級を経て国家I種となったが、採用制度と昇進制度は殆ど変化していない。戦後は制度上廃止された高等官に代わり、「キャリア」の語が俗称として定着した。

武官については、陸軍大学校海軍大学校卒業者が高文合格者に類似した形で各軍における指導的な地位についていた(ただし、大学校を卒業していないものでも将官まで昇進する場合も散見された)。戦後、陸海軍武官は実質自衛隊自衛官となり、防衛大学校一般課程、各自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程幹部高級課程統合幕僚学校一般課程及び外国陸・海・空軍大学等の卒業生が指導的地位に昇進している。

なお、古代から官僚は存在し、メリット・システムによる官僚登用制度も存在していた(中国の科挙など)。しかしそれは、基本的に貴族武士を対象とした世襲と門閥即ち家系によるものであり、庶民が高級官僚になることは実際には厳しいものだった。やや例外的に、平安時代は、方略試という官僚登用試験が存在していた。この試験は当時の大学院生が対象であり、また当時の大学(大学寮)は入学資格として、五位以上の官人の子弟であることが要求された。江戸時代では、旗本御家人の子弟のみを対象とした官僚採用試験が行われてはいた。

明治以来の高等文官制度、及び戦後それを非公式に継承したキャリア制度は、世襲や門閥、藩閥による高級官僚登用を防ぎ、かつ職員間の過当競争を回避し[2]、日本の近代国家化・発展に大きな役割を果たした。しかし、近年では官僚の社会経験の乏しさや、出身校の偏りなどが、学歴社会の問題と絡めて批判されることが多い。

この状況を改善するため、平成11年に人事院は「II種・III種等採用職員の幹部職員への登用の推進に関する指針」を作成し各省庁に対し計画的育成者の選抜、育成を促すとともに人事院公務員研修所においてII種・III種等採用職員の登用研修を始めた。

国家公務員制度改革基本法では2012年を目処に現行のキャリア制度を廃止し、新たな採用試験を導入することが定められている。政府は中央省庁の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」を2010年4月に新設し、省益にとらわれない幹部公務員を育成するとともに、ノンキャリア職員の登用を制度的に定める予定である[3]。人事院「採用試験のあり方を考える専門家会合」は3月19日、基本法施行で民間同様の「総合職」「一般職」「専門職」区分を導入すべきであるとする報告書をまとめた[4]

キャリアの現状

戦前まで、高等官の採用数は昭和一桁時代までの旧大蔵省が5〜10人前後であったように現在のそれと比べれば少なかった。とりわけ戦後になって、各省ともキャリアの採用数を増やした為、全員が局長まで辿り着けず、キャリア各人のモチベーションの維持にも大きな作用があったことが指摘されている。

1980年代までは、事務官として採用されると立場的には27〜8歳で地方の税務署長、警察署長、郵便局長等になれ、また本省課長クラスにもなると大企業の社長に行政指導という形で号令をかける立場になれ、更には天下りとして約70歳までは職に困ることは無いばかりか、生涯賃金で多くの民間企業を圧倒するということで、非常に人気が高かった。しかし様々な批判を受け(第一線の職員達からは“現場を知らぬバカ殿”との陰口も聞かれた[5])、現在では20代で署長になることは無くなったこと、行政と政界との確執により、また経済のグローバル化による政府の存在感の相対的な低下によりかつてほど官僚の政治的影響力が無くなっていること、および外資系企業などとの給料の格差、著しいサービス残業やマスコミの公務員叩きによるモチベーションの低下等から、私企業(主に外資系)に流れたり、政界に出る者も多い。 一方で、低成長時代への突入とともに民間企業の魅力も落ちていること、就職の際の競合相手である法曹界が法科大学院制度導入とともに先行き不透明になっていること、自民党民主党双方が官界出身の政策通議員をより幅広く受け入れるようになったことなどから、依然として東京大学などいわゆる著名大学の学生を中心にある程度の人気があり、法務省などの例外を除けば、各省庁における国家一種公務員は東京大学の卒業生が多数を占め、残りもいわゆる一流大学の卒業生である。しかし、採用実態からみると、志願者が相当数減少しているだけでなく、平均的な質が年々落ちていると言われており、従来どおり著名大学、学部の学生だけから採用するのではなく、既卒者や著名でない大学の出身者などにも門戸が開かれはじめている。

総務キャリア

総務省は、旧総務庁・旧自治省・旧郵政省の3省庁の統合によって成立した。キャリアの採用においては、事務官の他、技官の採用も積極的に行っている。総務キャリアは、地方公共団体の幹部として出向して経験を積む機会が多く与えられる。

財務キャリア

財務省のキャリアは、採用が、財務本省(狭義の「財務キャリア」は財務本省採用のキャリアを指し、マスコミ等で「財務キャリア(旧・大蔵キャリア)」と言われるときも、この狭義である場合が多い)、外局である国税庁、地方支分部局である財務局、及び税関に分かれて行われていることが特徴である。昇進スピードは、本省採用>国税庁採用>財務局採用>税関採用であり、財務本省及び国税庁の中枢ポストをはじめとして、重要な国税局長、財務局長、税関長のポストについても、本省採用のキャリアによって占められているのが通例である。逆に、国税庁採用、財務局採用、税関採用、のキャリアは、中小の国税局長、財務局長、税関長が最終ポストである。

外務キャリア

かつては外務省は、国家公務員採用I種試験ではなく「外務公務員採用I種試験」(いわゆる外交官試験)によりキャリアを採用していた。「外交官に比べれば東大法学部卒など霞んで見える」とまで言われ、非常に人気が高く、合格者は大学を中退し入省した程である(事実、東大3年〜4年次中退者が非常に多い)。またかつては、そのブランドより、他省庁からの在外公館出向者(アタッシェ制度)に対して差別的な扱いをしているとの指摘もあった。「外務キャリアの不当な特権意識を助長している」等の批判を受け、2001年より、外務キャリアは他省庁と同様に国家公務員採用I種試験合格者から採用されることとなった。

経済産業キャリア

警察キャリア

警察官は国家公務員(更には国家Ⅰ種、Ⅱ種、Ⅲ種採用)たる者と地方公務員(都道府県採用)たる者とで区別されており、その区別は現在、各省庁のなかではもっとも厳しい。また、警察の場合、役職以外に階級差別の問題も発生する為、他の省庁より一層差別化が進んでいる。警部補を初任とする国家Ⅰ種採用者(いわゆる「キャリア」)は30歳直前で所属長級の警視に昇任する。巡査を初任とする都道府県採用者(いわゆる「ノンキャリア」)よりも数段早くかつ無試験で昇任(例えば、同じ大卒でもノンキャリアで採用された者が警視の階級に達するのは、最も早く昇任試験を突破し続けたとしても40歳を過ぎてからである)し、両者の格差は非常に大きい。

日本の警察は警察庁長官を頂点とするピラミッド構造をとっているが、他省庁との最大の違いは組織のトップにも官僚が立つという点である。この点、検察庁も同じである(但し、検察庁の場合は事務官ではなく司法試験に合格した検察官)。

警察庁内部には政治家が任用されるポスト(大臣副大臣大臣政務官など)は一切無く、警察庁の中枢の役職は全て警察官僚(警察官)が就任し、政治登用は一切無い。この為、日本の警察組織は国家組織の中でもとりわけ官僚パワーが強く運営は完全に官僚主導型である。

国家公安委員会は警察組織を管理する国家機関ではあるが、警察法上、警察機関ではないため、国務大臣である国家公安委員会委員長が日本警察のトップという位置付けにはならない。

以上は事務官キャリアの場合であるが、技官は事務官ほど出世はせず、最上位は情報通信局局長である。 なお、国家II種試験に合格して警察庁に採用された警察官は一部で準キャリアと呼ばれ、巡査部長を初任とし、キャリアと同様に無試験で昇任するなど都道府県採用者に比べ有利に処遇されている。しかし、最高幹部(警察庁長官や警視総監、警察庁内部部局次長、局長級や大阪府警本部長など)へ至ることが殆どできないと見込まれる点では他省庁の国家Ⅱ種採用者と同様である。ただ、現在40代半ばで警視の階級にいるものが最高位であり、退職までにどの階級に到達するかは現時点では不明である。なお、各地方警察本部から推薦で入庁してくる警察官とは全く別個のものである。

防衛キャリア

自衛隊員自衛官だけでなく、事務官技官防衛省職員も含む)の身分は、ごく一部の防衛施設庁労務職を除き、全員が特別職国家公務員である。警察のような国家公務員、地方公務員による区分けといった図式は存在しない。一般的に、防衛省におけるキャリアとは、国家I種試験事務系合格者であり、内部部局(内局=防衛省本省)において採用された者を言い、通称「背広組」と呼ばれる。幕僚監部に所属する自衛官(いわゆる「制服組」)は、軍事的見地から防衛大臣を補佐するのに対し、背広組は政策的・法律的見地から大臣を補佐する。防衛キャリアは20代後半で「部員」と呼ばれる他省の「課長補佐」に相当するポストに昇進し、同期のほぼ全員が、本省課長級ポストまでは概ね横並びで昇進する。彼らは、事務次官や、既に廃止されたが以前では防衛施設庁長官まで上り詰めることが可能であるが、一方、技官のI種採用者は防衛施設庁ナンバー3の技術審議官等が最高ポストとなる。なお、防衛省II種試験採用者が「部員」相当級へ昇進するのは早くとも30代後半以降になる。

内局のキャリアは、他省庁への出向や留学を除いては地方勤務の機会はほとんどなく、役人人生のほぼ全てを内局で過ごす。他官庁では、政策系部局と実施系部局が混在しているのが当然であるが、内局はどちらかというと政策系であり、人事が狭い範囲にとどまっていることには賛否両論がある。なお、技術系ではあるが、2006年に防衛施設庁技術審議官他3名が天下りを背景にした官製談合で逮捕された防衛施設庁談合事件は記憶に新しく、防衛庁(現・防衛省)発表資料を見る限り、これらセクショナリズムの弊害を是正しようという動きが起こっているようである。

キャリアの採用人数が局長級ポスト(防衛参事官。局長たる者と局長ではないが特定の所掌事務を持つ者がおり、いずれも局長級とされている)より少なかった時代は、人数・能力ともに他省庁から格段に見劣りしていたため、大蔵・警察などから送り込まれた出向者により課長級以上のポストの大多数が占められており、植民地省庁と言われていた。しかし、近年のキャリア採用人数の大幅な拡大と、学生間での(防衛省)人気の高まりにより優秀な人材が集まるようになり、現在は内局課長級以上のポストのほぼ全てをプロパー(生え抜き)の人間が占めるに至る。但し、情報本部電波部長は依然警察庁出向者に握られており、また現大臣官房長は財務省からの出向者、現地方協力局長は総務省からの出向者である。

なお、武官にあたる幹部自衛官防衛大学校又は一般大学出身者等)は、文官ではないためキャリアとは呼ばれないが、彼らは制服最高ポストである統合幕僚長をはじめ、陸・海・空幕僚長まで上り詰めることが可能であり、指定職ポストは事務系・技術系を合わせた文官ポストの指定職よりも多く、指揮する部下の数も桁違いに多い。実際上、官吏には文官と武官が存在するのが国家であり、自衛官を武官と考えれば、公務員の職階上は理解がつきやすい。

防衛大出身者及び、一般大学出身で幹部候補生採用試験により採用された者は、一尉までは皆横並びに進級するが、それから先は各人に差が出る。幹部自衛官のうち、さらに幹部学校(戦前の陸軍大学校海軍大学校に相当する機関)で教育を受けた者は、一佐まではほぼ確実に昇進する。さらに言えば、幹部学校指揮幕僚課程(陸自ではCGS、海自・空自ではCSの略称がある。同列のものとして陸自では技術高級課程、海自では幹部専攻科課程が存在する)を修めた自衛官が、キャリア相応の待遇を受けると考えてよい。一佐は各幕僚監部(統幕陸幕海幕空幕)の課長職や、連隊長艦長等に補せられ、数百名の人員を指揮し、場合によっては一千億円を超える装備に対する責任を負う。なお、師団長司令官、幕僚長等は将官のポストである。

行政組織法上の「特別の機関」たる陸上・海上幕僚監部は、それぞれ旧軍陸軍海軍省参謀本部軍令部の両方の機能を持っており、それを内局が内閣の一員の省として調整するという組織構成である。つまり、軍政・軍令を内局・幕僚監部が完全に分化して所掌するのではなく、幕僚監部の軍令・軍政事務を、内局が包括的に管理し調整するという融合型の組織形態がとられている。企画立案・政策実施(運用)を二段階で行う以上、内局と幕僚監部には同程度のカウンタパート(例えば内局の防衛政策課と陸幕の防衛課のように)が必要であり、この点において幕僚監部の課長は、戦前における陸・海軍省の課長と同等の職階であり、中央省庁の課長級と同じ職階であると意識してよい。頻繁に各幕に勤務するような旧軍で言う「軍官僚」的な自衛官も多数存在している。

文部科学キャリア

文部科学省は省庁再編後、事務系・技術系・施設系の3つに分けてI種採用がなされる。

事務系と技術系は旧文部省・旧科学技術庁の事務官(理系出身の者を含む)の流れを汲むもので、官庁訪問の窓口は、官房人事課の各担当となる。昇任昇格はほぼ対等で、入省3〜4年で係長級、7年で課長補佐級、15年で企画官、20年前後で課長級となる。係長級の段階で海外留学へ、課長補佐級になる段階で国立大学の部長や各地方公共団体教育委員会の課長として出向する場合がある。他省庁への出向もある。従来I種採用者は本省課長までは同期が対等に就くことができたが、省庁再編による課長クラスの減少で、課長補佐・企画官の段階で外部への出向を兼ねてフェードアウトするケースが出てきている。なお最近ではI種新採用者が減少しているため、I種採用者が係員のまま(昇任せずに)係長の席に就くケースや、従来I種採用者の係員・係長がいた席(主に各課の法規・企画ライン)に補充的に本省II種採用者を就かせるケースが出てきている。また、昨今の教育改革政策により大臣官房や初等中等教育局等でのプロジェクトチームの増設により(特に中堅の)I種採用者をこれらの非常設のチームに投入する一方で、他局原課への(特に中堅の)I種採用者の配置が不足しているという指摘もなされている。

課長級以上においては、原課の課長から各局筆頭課長、総括官、官房審議官、部長、局長(次長)、文部科学審議官事務次官があるが、他省庁と同様に選抜が始まり、徐々に内部に残る者が減少する。この段階では、従来は各地方公共団体の教育委員会への教育長ポストへの出向や、国立大学・青少年の家などの文部科学省の施設等機関に出向することが多かったが、地方分権化や施設等機関の大学法人化・独法化により、徐々に出向先が減り、その結果、内部での昇進が遅くなっている。

施設系のI種採用者は主に国家公務員採用I種試験の「理工I」(旧建築)区分合格者から採用され、大臣官房の文教施設企画部が官庁訪問の窓口となる。採用後は同部を中心に国立大学等にも出向し、最終ポストは官房文教施設企画部長となっている。

参照:城山英明、細野助博編著『続・中央省庁の政策形成過程』中央大学出版部、2002年、ISBN 4805711264の「第6章 文部省の政策形成過程」(前川喜平執筆)

国土交通キャリア

国土交通省技官の強い、巨大官庁である。技官が事務次官になれるのは、ここと文部科学省のみである。しかし、異動等においてキャリア事務官は本省内にとどまり早い段階で本省課長に就任できるものの、技官(試験職種問わず)は全国の出先機関(地方整備局、各事務所、公益法人等)の要職(所長、室長・部長級役職)として出向することが多いと言われている。そのため事務官よりも昇進は遅れがちになる。

技官で事務次官に就任できるのは、技監次官級で技官の最高職)経験者のみである。建設省時代は、河川局長もしくは道路局長経験者のみが就任できた。国土交通省になってからは、旧運輸省出身者の局長も就任する可能性も出てきた。技官の中でも試験区分により区別があり、「土木」が一番強い。「土木」以外の職種である「砂防(砂防部長)」、「建築(住宅局長(事務官と交互)・官庁営繕部長)」、「機械・電気・電子(海事局長(事務官と交互)、自動車交通局技術安全部長、航空局技術部長)」などは原則的に( )内のポストまでしか昇進できない(ただし、例外はある)。技官で本省局長に就任できる局は道路局、河川局、住宅局、海事局、港湾局、北海道局のいずれかで、技術的な行政能力・判断を特に必要とする部局のみ(技官の就任できる局長クラス以上のポストは他に各地方整備局長、一部の地方運輸局長、大阪航空局長、北海道開発局長、国土技術政策総合研究所長をはじめ、国土地理院長、気象庁長官、技術総括審議官)。

厚生労働キャリア

厚生労働省のキャリアは、国家公務員採用I種試験合格者と、医師を別途採用する医系技官の二種類存在する。医系技官は局長までしか昇進しない。また、次官人事は旧厚生省と旧労働省のいわゆる「たすきがけ」でおこなわれており、旧厚生採用と、旧労働採用の幹部については人事上の統合は進んでいないが、中央省庁再編以後に採用された平成12年採用以降は一括採用しており、厚生部局と労働部局を交互に経験するため、ほぼ統合している。なお、厚生労働省は旧内務省であり、事務次官経験者は、前述した内閣官房副長官宮内庁長官に進む例もある。

法務キャリア

法務省は、自衛官の制服組と厚生労働省の医系技官と並んで、キャリア採用制度の違う官庁である。

まず、法務省のキャリアというと、国家公務員採用I種試験に合格し法務省に採用された者と、司法試験に合格し司法修習を経て検察官ないし裁判官として採用された者の中から法務省に出向してくる者(ただし、裁判官は出向中は検察官となる。)に分けられ、法務省で実権を握っているのは後者である。 実際、法務省の本省の局長ほか要職の多くは、検察庁から出向する検事(裁判官からの出向を含む。)で占められ、国家I種合格で採用された者が本省の局長となるケースは例外的であり、それも法務省では重要視されていない局に限られる。なお、法務省内でもっとも格が高いとされる局は刑事局であり、刑事局の幹部職員は、ほとんどすべてが検事の有資格者である。また、法務省では、事務次官検事総長を中心とする検察庁のピラミッドの一過程として位置づけられており、刑事局長を経験した検事が事務次官(ごく稀に他局の局長(検事)から事務次官になることがあるが、それは極めてイレギュラーな人事(例:次期次官予定者が病気で倒れ、他に適任者がいない場合等)であり、任期も1年となる)や次長検事東京高等検察庁検事長等の要職を経て、検事総長に至るのが最高の出世コースと言われる。 このように法務省は、検察庁から出向する検事が支配する特殊な省庁であり、その結果、法務省=検察庁と言われることもあるほど、両者は省庁としての運営や政策で協働し、事実上一体といっても過言ではない状況になっている。

他方、国家I種採用のキャリア事務官にも、局長級のポストは用意されている(例:現任の法務省大臣官房審議官内閣府男女共同参画局長などは国家I種採用の法務省キャリア事務官である。2006年には、入国管理局長に初めてキャリア事務官が就任した)。出世においては、平均すると技官よりは恵まれているものの、事務次官になれないほか、本省の局長になれる可能性もほぼないことから他省庁の事務官に比べると不遇といえる。キャリア事務官の採用数も省の規模(職員5万人以上)に比べると少数で、警察庁キャリア技官等と同様に採用局内限定の出世組であることから「局キャリ」と揶揄されることもある。その反面、採用数が少ないことで他省庁ほど激しい出世レースもなく、ほぼ全員が本省課長級よりも上(行政職(一)11級〜指定職4号以上)の管区局長までは出世でき、課長級で強制的に天下りさせられることはない。トップに立てない代わりに比較的安定したキャリアといえる。とはいえ、出世の見込みの低さから、学生にとっての人気は他の省庁よりも格段に低く、その点は出身大学にも如実に表れている。

なお、法務省は局ごとの縦割り意識が非常に強く、検察庁から出向する検事以外の法務省採用組については、民事局 - 法務局、刑事局 - 検察庁、矯正局 - 矯正管区、入国管理局 - 地方入国管理局といった風に人事も縦割りで行われている(総務省厚生労働省などの省庁再編に起因する縦割り行政ではなく、霞が関最古参の省の一つで、100年以上大きな組織改変もなく存続したことにより、各組織が細分化したことに起因するとみられている)。そのため、キャリアの採用も形式上は省として一括採用しているが、実際は官庁訪問の段階でいずれの局を希望するかを問われ、採用後も原則当該局に配属される。

環境キャリア

会計検査院キャリア

人事院キャリア

内閣府キャリア

公正取引委員会キャリア

金融庁キャリア

金融庁は、その前身である金融監督庁の設立が平成10年6月と、新しい官庁であるため、金融庁(金融監督庁)採用のキャリアの一期生は平成11年採用である。従って現段階では、金融庁幹部の大半は旧大蔵省で採用された者によって占められており、金融庁キャリアが就いているのは課長補佐以下のポストとなっている。

キャリア制度の問題

キャリア制度については、優秀な人材の誘致、幹部職員の早期育成・高い士気の維持といった観点からその有効性を評価する意見がある一方で、戦前の高等文官試験を継承し、法令になんらの根拠を持たない非民主的システムとの批判がある。そもそも、国家公務員法は「職員が、民主的な方法で、選択され、かつ、指導される」(第1条第1項)、「すべて職員の任用は、能力の実証に基づいて、これを行う」(第33条第1項)と、職員の民主的な任用のために成績主義を根本原則として規定しており、採用時の1回限りの試験で幹部職員の選抜を行う人事管理は想定していない。過去の国家公務員採用上級甲種試験も現在のI種試験も、人事院規則により創設された単なる大学卒業者を採用するための試験の一つに過ぎず、それに合格し採用されることは、幹部候補としての資格を法制度上与えられるものではない(もっとも、国会は立法によりこのような制度を廃止し新たな人事制度を導入することは可能であるのにあえてしていないのであるから、そのような意味においては民主的な根拠のある制度であるとの反論は可能であろう)。

また、キャリア職員を中心とした早期退職慣行がいわゆる「天下り」の温床となっていること、採用時の1回限りの試験で幹部要員の選抜を行うため、優秀なノンキャリア職員の意欲を削いだり、キャリア職員の誤った特権意識につながる場合があるなどの問題点が指摘されている。

試験区分、出身大学、および性別による区別、差別も問題化している。特に事務官(国家I種の場合、試験区分が「行政」「法律」「経済」)と技官(国家I種の場合、かつての「機械」「建築」「土木」など)の確執は根強い。例としては旧建設省(現国土交通省)で技官キャリアが、事務官との“パワーバランス”により、1949年より事務次官就任への道が開かれたことが挙げられる。

技官・事務官の処遇(例:国土交通省)

内務省が存在していた1935年、土木局(現国土交通省)において技官事務官の人事面における内紛が勃発した。当時、局長等主要ポスト(今で言う本省次官、局長、課長級)に就任できたのは事務官(法学部卒のいわゆる高級官僚)“のみ”だった。社会資本整備で技官主導(現在とは違い戦前は、調査、設計、施工監理、管理等を全て技官が担当していた)が最も必要とされた土木局において技官はことのほか“蔑視”されており、昇格したとしても良くて地方出張所長(今で言う地方整備局長)甘んじるなど、長らく苦汁をなめていた。当時の内務省土木局技監(技監とは、内務省土木局の技術官僚の最高職で、土木局の次長職に相当。現国土交通省は次官級(審議官)ポストはある)だった青山士(土木学会23代会長、パナマ運河建設従事者)でさえも、技監でありながら一度も本省勤務できなかった有様であったといわれる。技官の不満は、戦時中や待遇改善の是正を求めるなどを求めたが受け入れてもらえず、宮本武之輔ら技官の不満は頂点に達した。結果、内紛が生じ、青山がその責任を取る形で技監を辞職。事務官(法学部卒)偏重が強過ぎたことにより生じたこの「前例」も背景にあると思われる。

官僚採用における不均衡是正と現状

出身大学では東京大学卒が多く(外務省などでは中退者も多い)、これを改善するため、宮澤喜一首相(当時)が東大卒以外の採用者を増やすように指示を出したこともある。性別に関しては、かつては女性キャリアが少なく、かつ女性の幹部も少なかったが、最近では是正されつつある。採用試験の問題点については官僚#官僚制度の問題を参照。

ノンキャリアの処遇

ノンキャリアとは、公務員試験のうち国家公務員採用I種試験(旧外務公務員採用I種試験を含む)以外の試験に合格し、採用された公務員を指す俗称である。ただし、厚生労働省の医系技官や防衛大学校卒業後防衛省に採用された自衛官を除く場合もある。広義には地方公務員も含む。そもそもキャリアの概念が一様でないため、ノンキャリアの概念も一律に定義することは難しい。

キャリア制度の元では、キャリアでない者=ノンキャリアは事務次官など高位の職への昇格・昇進が望めず、現状ではどんなに出世した者でもせいぜい本省課長級までの昇進で終わることが多く、また同じ「課長職」であっても、キャリアが着任するポストとは分けられていることが多い。そのため、ノンキャリア職員のモチベーション維持や、身分制的な待遇差から生じるキャリア職員との感情的な軋轢などが問題となっている。また、近年ではノンキャリア職員の高学歴化が進み、キャリア職員との待遇の格差が以前ほどの正当性を得られなくなってきたとの指摘もある。昨今のキャリア制度批判を受け、最近はわずかではあるがノンキャリアにも指定職など幹部への扉が開きつつある(例:2006年には、財務省大臣官房審議官に初めてノンキャリア職員が着任した)。しかし現状の抜本的改革のためには、国家I種・II種試験の統合・再編、更にキャリア制度の廃止が必要との主張も各方面よりなされている。

平成19年6月30日に成立した国家公務員法の改正では、「職員の採用後の任用、給与その他の人事管理は、職員の採用年次及び合格した採用試験の種類にとらわれてはならず、第58条第3項に規定する場合を除くほか、人事評価に基づいて適切に行われなければならない。」(第27条の2)という条文が新たに加えられた。

キャリアを扱った作品

ノンフィクション

小説

漫画

テレビドラマ・映画

関連項目

参考文献

脚注

  1. ^ 但し外務省においては、2001年頃に明らかになった不祥事を受けた改革により、事務次官を名実ともに外務官僚の第一人者として指導力・求心力を強化し、またキャリアの最終ポストとすべきとの報告(外務省改革に関する「変える会」・最終報告書)が提出されたこともあって、以後は事務次官経験者が大使職についた例は1例を除いて無い。事務次官#外務省における事務次官も参照
  2. ^ 職務内容が国民への奉仕であり、数値化した業績の指標を出すことが難しい。
  3. ^ 公務員制度、キャリア廃止 改革工程表原案、12年度に新試験”. 日経産業新聞. 1月15日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  4. ^ 「キャリア官僚廃止、「総合職」1千人採用案 専門家会合」アサヒコム
  5. ^ この一方、叩き上げのように細かいことまで容喙してこないので仕事がやりやすいと言う意見もある。

外部リンク