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「日本国政府専用機」の版間の差分

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日本国政府専用機は2機体制であるが、本来要人輸送機は最低でも『正(要人搭乗・主務機)』『副(随行・副務機)』『予備(正・副が出発した後基地で待機・非常時の代替機)』の3機体制で運用されるのが望ましいとされている。もし1機が故障していると使用できるのが1機のみになり予備機がなくなってしまうからで、また海外寄港地で2機とも故障した場合は代替機がなくなり、危機管理上の問題を呈すとみなされているからである<ref>1999年2月に[[ヨルダン国王]]の[[フセイン1世]]が死去した際には、フセイン1世が行政府の長を兼ねていたことから[[国葬]]には[[皇太子]][[徳仁親王]]夫妻と内閣総理大臣[[小渕恵三]]夫妻が共に参列することになり、両者が二機に分乗したため、双方が主務機扱いとなった。このため両機は予備機なしで0泊3日の往復飛行をこなすこととなった。</ref>。しかし当初の2機購入の数年後に[[防衛庁]]が上記の理由で三番機の予算も原案に組み込んだところ、[[大蔵省]]査定ではねられてしまった。そもそも政府専用機の導入は、当時日米間の最大懸念だった米国の巨額の対日貿易赤字を減らすための国策的要素が強いものだっただけに、やがて[[バブル経済|バブル]]が弾けて日本経済が長期にわたる不況に陥ると、三番機の購入に数百億円もの税金を充てるのは難しい状況となった<ref>なお[[イラク戦争]]以後、自衛隊の海外派遣などで政府専用機を活用する機会が増えたことに伴い、政府は三番機の購入を再び模索、防衛庁はこれをうけて[[空中給油機]]としての併用が可能な[[ボーイング767]]を視野に入れた検討を始めたが、同じころ政府が導入を決定した[[ミサイル防衛]]関連予算が膨大なものとなったことから、このときも結局導入を断念している。</ref>。
日本国政府専用機は2機体制であるが、本来要人輸送機は最低でも『正(要人搭乗・主務機)』『副(随行・副務機)』『予備(正・副が出発した後基地で待機・非常時の代替機)』の3機体制で運用されるのが望ましいとされている。もし1機が故障していると使用できるのが1機のみになり予備機がなくなってしまうからで、また海外寄港地で2機とも故障した場合は代替機がなくなり、危機管理上の問題を呈すとみなされているからである<ref>1999年2月に[[ヨルダン国王]]の[[フセイン1世]]が死去した際には、フセイン1世が行政府の長を兼ねていたことから[[国葬]]には[[皇太子]][[徳仁親王]]夫妻と内閣総理大臣[[小渕恵三]]夫妻が共に参列することになり、両者が二機に分乗したため、双方が主務機扱いとなった。このため両機は予備機なしで0泊3日の往復飛行をこなすこととなった。</ref>。しかし当初の2機購入の数年後に[[防衛庁]]が上記の理由で三番機の予算も原案に組み込んだところ、[[大蔵省]]査定ではねられてしまった。そもそも政府専用機の導入は、当時日米間の最大懸念だった米国の巨額の対日貿易赤字を減らすための国策的要素が強いものだっただけに、やがて[[バブル経済|バブル]]が弾けて日本経済が長期にわたる不況に陥ると、三番機の購入に数百億円もの税金を充てるのは難しい状況となった<ref>なお[[イラク戦争]]以後、自衛隊の海外派遣などで政府専用機を活用する機会が増えたことに伴い、政府は三番機の購入を再び模索、防衛庁はこれをうけて[[空中給油機]]としての併用が可能な[[ボーイング767]]を視野に入れた検討を始めたが、同じころ政府が導入を決定した[[ミサイル防衛]]関連予算が膨大なものとなったことから、このときも結局導入を断念している。</ref>。


さまざまな面で[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]]専用機の[[エアフォースワン]]に倣った日本の政府専用機だが、両者の大きな違いはその用途にある。エアフォースワンは「政府」専用機ではなく「大統領」専用機で、大統領個人が「良識の範囲内」で公私にわたって自由に使用することが認められており、国内遊説や選挙戦はもとより、休暇時の保養地への移動にも使われている。一方、日本の政府専用機はあくまでも[[公用車]]や[[御料車]]と同様に政府所有機であり、その用途は公用に限られる。しかも通常は外遊時にのみ使用され、国内での移動に利用されることはほとんどない<ref>国内での利用は、2000年の[[第26回主要国首脳会議|九州・沖縄サミット]]の際の[[森喜朗]]の沖縄入り、2004年の日韓首脳会談の際の小泉純一郎の鹿児島入り、2008年の[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]の際の[[福田康夫]]の北海道入りなどこれまでに数回しかなく、しかもそのほとんどが国内遠隔地における外国首脳との会談がらみとなっている。</ref>。したがって年間の飛行回数や飛行時間はエアフォースワンにくらべると格段と少なく、導入当初は「虎の子」「宝の持ち腐れ」などといった批判を浴びることも少なくなかった。
さまざまな面で[[アメリカ合衆国大統領|アメリカ大統領]]専用機の[[エアフォースワン]]に倣った日本の政府専用機だが、両者の大きな違いはその用途にある。エアフォースワンは「政府」専用機ではなく「大統領」専用機で、大統領個人が「良識の範囲内」で公私にわたって自由に使用することが認められており、国内遊説や選挙戦はもとより、休暇時の保養地への移動にも使われている。一方、日本の政府専用機はあくまでも[[公用車]]や[[御料車]]と同様に政府所有機であり、その用途は公用に限られる。しかも通常は外遊時にのみ使用され、国内での移動に利用されることはほとんどない<ref>国内での利用は、2000年の[[第26回主要国首脳会議|九州・沖縄サミット]]の際の[[森喜朗]]の沖縄入り、2004年の日韓首脳会談の際の小泉純一郎の鹿児島入り、2008年の[[第34回主要国首脳会議|北海道洞爺湖サミット]]の際の[[福田康夫]]の北海道入り、2009年5月の太平洋・島サミットの際の[[麻生太郎]]の北海道入りなどこれまでに数回しかなく、しかもそのほとんどが国内遠隔地における外国首脳との会談がらみとなっている。</ref>。したがって年間の飛行回数や飛行時間はエアフォースワンにくらべると格段と少なく、導入当初は「虎の子」「宝の持ち腐れ」などといった批判を浴びることも少なくなかった。


== 導入への過程 ==
== 導入への過程 ==

2009年5月21日 (木) 11:50時点における版

日本国政府専用機
訪米した小泉総理を迎える儀典官と儀仗兵 ジョージア州サバンナのハンター陸軍飛行場にて(2004年6月8日)

日本国政府専用機(にほんこくせいふせんようき)とは、日本国政府が所有・運行を行い、政府要人の輸送および、在外の自国民保護などのために使用される航空機である。

諸元

苫小牧市上空を飛行中の政府専用機(2005年4月)

名称

  • 政府による正式呼称:「日本国政府専用機」
  • 航空自衛隊における正式名称:「特別輸送機」
  • 英語表記:「Japanese Air Force One/Two」

コールサイン

  • JAPANESE AIRFORCE 001/002: 主務機/予備機。任務飛行中の政府専用機を指し、それ以外は下記となる。
  • CYGNUS 01/02[1]: 訓練時、および任務外移動時。

機体

外装

訪米した小泉総理を迎える儀典官と儀仗兵 ワシントンD.C.郊外アンドリュース空軍基地にて(2006年6月28日)
  • 胴体:白地に、金のアンダーライン付き赤の帯。前方の左側には「日本国 日本の旗 JAPAN」、右側には「JAPAN 日本の旗 日本国」の文字(左右対称にするため)、後方の両側には小さく「航空自衛隊」の文字
  • 主翼:左翼の上に「JAPAN」の文字。両翼の上下計4ヵ所に航空自衛隊の国籍標章 [4]
  • 尾翼:垂直尾翼の左右両側に大きく航空自衛隊の国籍標章 [5]、その前方部に小さく機体番号。

内装

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  • 総理執務室、事務室、会議室などがある[6]。1階後方には一般客室(ビジネスクラス仕様)があり、随行報道記者などが利用する。ここで記者会見が開催されることがある。
  • コックピット:他のボーイング747型機と同様に2階前方にある。コックピット天井にある脱出用ハッチの開口部には、専用器材を取り付けることにより国旗を立てることができる。

用途

沿革

  • 1987年(昭和62年): 政府専用機2機の導入を閣議決定(予算は両機で計360億円)
  • 1991年(平成3年): 9月 一番機 JA8091 受領、11月 二番機 JA8092 受領
  • 1992年(平成4年): 4月 総理府から防衛庁に管理移管、運輸省における民間航空機としての登録を抹消し、航空自衛隊の機体識別番号が与えられる[3]、同月 初の海外飛行(アメリカ・ワシントンD.C.に試験飛行)
  • 1993年(平成5年): 2月 渡辺外相兼副総理が初使用(訪米)、4月 宮澤総理が内閣総理大臣として初使用(訪米)、6月 特別航空輸送隊を編成、9月 天皇皇后が初使用(訪欧)
  • 1995年(平成7年): 8月 日本航空羽田空港における地上ハンドリングを受託
  • 2002年(平成14年): 4月 要人輸送100回
  • 2005年(平成17年): 4月 政府が三番機の導入を断念
  • 2006年(平成18年): 9月 海外寄港地200ヵ所
  • 2007年(平成19年): 4月 大規模改装工事終了(通信機能の強化、座席のグレードアップ、会議室及び随行員室の内装変更など)

概説

新千歳空港での専用機(2004年3月)

日本は現在2機の「日本国政府専用機」を保有している。機種はボーイング747シリーズの中でも最大級のボーイング747-400である。アメリカ大統領専用機 (747-200) が「空飛ぶホワイトハウス」と呼ばれていることにあやかり、「空飛ぶ総理官邸」と呼ばれるほか、天皇皇族が搭乗する際は「御召機」(おめしき)または「御料機」(ごりょうき)とも呼ばれる。要人が政府専用機を使用する際は、通常任務機と予備機が共に飛行し[10]、任務機が故障した場合には直ちに予備機が使用できるという体制をとっている。なお、政府専用機のうちの1機が整備などで使用できない場合は、日本航空が同社の機材を予備機として提供している[11]

両機は総理府の予算で購入され、航空自衛隊に運用を委託する形で使用を開始。現在では防衛省が管理する航空自衛隊機で、乗組員は航空整備士[12]から空中輸送員(客室乗務員[13]まで、すべて「航空自衛隊特別航空輸送隊第701飛行隊」、通称「特輸隊」と呼ばれる組織に所属する自衛官である。なお、国内外における機内食の企画、調整などは日本航空の系列会社である「ティエフケー」が行っている[14]

日本国政府専用機は2機体制であるが、本来要人輸送機は最低でも『正(要人搭乗・主務機)』『副(随行・副務機)』『予備(正・副が出発した後基地で待機・非常時の代替機)』の3機体制で運用されるのが望ましいとされている。もし1機が故障していると使用できるのが1機のみになり予備機がなくなってしまうからで、また海外寄港地で2機とも故障した場合は代替機がなくなり、危機管理上の問題を呈すとみなされているからである[15]。しかし当初の2機購入の数年後に防衛庁が上記の理由で三番機の予算も原案に組み込んだところ、大蔵省査定ではねられてしまった。そもそも政府専用機の導入は、当時日米間の最大懸念だった米国の巨額の対日貿易赤字を減らすための国策的要素が強いものだっただけに、やがてバブルが弾けて日本経済が長期にわたる不況に陥ると、三番機の購入に数百億円もの税金を充てるのは難しい状況となった[16]

さまざまな面でアメリカ大統領専用機のエアフォースワンに倣った日本の政府専用機だが、両者の大きな違いはその用途にある。エアフォースワンは「政府」専用機ではなく「大統領」専用機で、大統領個人が「良識の範囲内」で公私にわたって自由に使用することが認められており、国内遊説や選挙戦はもとより、休暇時の保養地への移動にも使われている。一方、日本の政府専用機はあくまでも公用車御料車と同様に政府所有機であり、その用途は公用に限られる。しかも通常は外遊時にのみ使用され、国内での移動に利用されることはほとんどない[17]。したがって年間の飛行回数や飛行時間はエアフォースワンにくらべると格段と少なく、導入当初は「虎の子」「宝の持ち腐れ」などといった批判を浴びることも少なくなかった。

導入への過程

第二次世界大戦終結後、皇族首相閣僚の海外公式訪問や国内移動の際に、半官半民の経営体制で、日本のフラッグキャリアである日本航空の特別機が頻繁に使用されることになり、1954年8月には、北海道で開かれた国民体育大会開会式から帰京する昭和天皇香淳皇后のために、初の皇族向け特別機が新千歳空港-羽田空港間で運航された。

1989年竹下登首相の訪米時に政府特別機として使用された日本航空のマクドネル・ダグラスDC-10

その後も特に海外公式訪問の際の特別機として、国際線を唯一運航していたフラッグ・キャリアの日本航空の機材が利用されるケースが多かったものの、1970年代に入りアメリカ政府から対日貿易赤字の縮小を求められ、その過程で、アメリカ製の航空機を政府専用機として購入することで、アメリカ政府の態度を和らげる一助にすることなどを背景に、アメリカ製のボーイング747SPやボーイング707マクドネル・ダグラスDC-10などを中心に導入が検討されはじめた。

また、ベトナム戦争イラン・イラク戦争など、海外の有事の際の邦人救援特別機として同社の機材を使用することを打診した際に、乗務員の安全面などから同社の労働組合が運航に反対するなどの問題があった。さらに自衛隊員の海外派遣に際して、同社の左翼的な一部の労働組合から様々な感情的な反対があるなど、有事の際の海外移動を同社に任せることへの問題が噴出し、この様な問題がない政府専用機の導入への検討が進められた。

その上、1951年の設立から長らく半官半民という経営体系であった同社が、1985年9月に、当時の中曽根康弘首相が進める国営企業や特殊法人の民営化推進政策を受けて完全民営化の方針を打ち出したことなど様々な理由から、1980年代半ばになり急速に政府専用機の導入が推し進められることとなった。

最終的に、日本から無給油でヨーロッパ北アメリカの主要都市に飛ぶことができる当時唯一の機材であることなどから、アメリカのボーイング社が製造するボーイング747-400の導入が1987年閣議決定され、予備機を含め2機が導入されることとなった。

逸話

ヒッチハイク外交

2002年平成14年)6月28日カナダカルガリー郊外の保養地・カナナスキスで行われたG8サミットの帰途、ドイツゲアハルト・シュレーダー首相と秘書官・警護員ら5人が小泉総理搭乗の日本国政府専用機に同乗して来日した。翌々30日に横浜国際総合競技場で行われる2002 FIFAワールドカップの決勝・ブラジルドイツ戦を控え、この観戦に間に合うようぜひ相乗りで行かせて欲しいというドイツ側からの異例の要請を日本側が快諾したもの。約10時間の飛行中、機内ではくつろいだ雰囲気のなかで日独首脳会談(「ヒッチハイク外交」、外務省)が行われたほか、両首脳は食事を共にしながら四方山話に花が咲いたという。小泉総理は総理執務室をシュレーダーに譲って、自らは官房副長官用の個室で休息した。

ドイツ政府要人専用機 “A310-304 VIP”

一国の首脳が他国の政府専用機に同乗して長時間に及ぶ海外フライトを行うというのは、外交プロトコル上の変則であることは言うに及ばず、危機管理の面から見ても異例なこと[18]であり、日本政府専用機ではこのシュレーダーの便乗が唯一の例、しかも例外中の例外となっている[19]

ドイツ政府も元東ドイツインターフルク所有機であったエアバスA310-300を政府要人専用機として保有しており、シュレーダーは同機でカルガリー入りしている。A310-300にはカナダ太平洋岸やアラスカなどで一回の給油を行えば羽田まで難なく飛ぶだけの航続距離があるはずだが、ETOPS180の認定は受けているものの双発機で飛びなれない洋上を長距離飛行することに不安があったのか、次大会のホスト国でもあるドイツが決勝進出したことでよほど気が急いたのか、残念ながらこの相乗りの背景にあるその辺りの詳細な事情が説明されることは一切なかった。

弱ったリクエスト

政府専用機の記念すべき「乗客」第一号となったのは1993年2月14日に訪米した渡辺外相兼副総理だった。ところが渡辺は風邪で体調を崩しており、腹の具合が悪かった。やがて機が巡航高度に達し、客室乗務担当の山川二等空曹が「大臣、お食事はいかがなさいますか」と訊ねると、もとより食欲などない渡辺の答えは「すり下ろしたリンゴと、卵酒をくれないか」というもの。和食にするか洋食にするかを訊ねたつもりだった山川は、この思いがけないリクエストに弱ってしまった。幸いリンゴは積んでいたものの、おろし金などあるはずもなく、また訪問先での検疫事情が詳らかでなかった当時は生卵を積んでいなかったのである。しかし副総理からのリクエスト、それも体調の良くない者のたっての願いに、「あいにく……」とは言えない。そこで山川は一計を案じ、リンゴを包丁でスライスしてから丹念に叩いてペースト状にし、また和食の朝食用に積んであった温泉卵の黄身を解きほぐしてこれでなんとか卵酒を仕立て上げた。

その甲斐あってか渡辺の体調はワシントンに着く頃には大分回復し、ホワイトハウスにおけるクリントン大統領・クリストファー国務長官との会談を無事にこなすことができた。渡辺は日本の市場開放を再三にわたって強く求められてもなんら具体的な約束を与えず、発足したばかりのクリントン新政権に対する「とりあえずのご挨拶」という訪米目的は無事達成された。

山川は帰路、渡辺夫人から今度は思いがけない品を受け取っている。おろし金である。夫の我侭に何の問題もないかのように対応してくれた山川に対する感謝の意を込めて、夫人が大使館を通じてわざわざ調達してくれた心づくしのプレゼントだった。

予備機の活用

前述の通り政府専用機は、通常予備機を含めた2機体制で運行している。基本的に予備機は通常任務機に何らかの問題が発生した場合のみ使用されることとなっており、通常は乗客を乗せることはないが、時には特殊な事情で予備機にも乗客を乗せるケースがある。

2004年5月には、いわゆる北朝鮮による日本人拉致問題に関連して、2002年に日本に帰国していた蓮池薫夫妻・地村保志夫妻の子供5人を日本に帰国させる際に、予備機に5人が搭乗し帰国した例がある[20]

2009年4月には、タイ中部のパタヤで開かれる予定だった東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議に出席するため、麻生太郎首相が政府専用機でパタヤ入りしたが、反政府派による暴動のため会議が中止されたのみならず、タイ政府による非常事態宣言が出され安全確保に問題が生じる事態となったため、当初民間機で帰国する予定だった日本政府の関係職員らを急遽帰国させるために予備機が活用された。この際予備機には機内食などの用意がされていなかったため、麻生首相が自ら宿泊先のホテルからサンドイッチを手配して機内食代わりに差し入れたといったエピソードも生まれている[21]

運航及び整備協力

政府専用機の導入以降、ボーイング747-400型機の国際線運航経験や整備技術力、日本の航空会社として最大の国際線ネットワークがなどが認められ、日本航空が政府専用機の国内外における運航ハンドリングおよび整備協力を運航先の世界各地において行っている。また、政府専用機の整備作業や機内改装などの整備を委託している他、政府専用機のうちの1機が整備などで使用できない場合は、日本航空の機材を予備機として提供している[22]

その他の要人輸送機

政府専用機とほぼ同時期に購入したアエロスパシアルAS332Lヘリコプター陸上自衛隊運用・現在新機種のEC225LPへ更新中)があり、近・中距離移動に用いられている。また航空自衛隊の多用途支援機U-4(ガルフストリーム IV)も国内の高速移動に使用されている。なお、このU-4であるが2008年8月には当時の福田首相が8日に北京オリンピックの開催式に出席後、9日の長崎原爆の日の平和式典に出席する日程であったことから、深夜の日中間を移動する手段として使われたことがある[23]

今後の課題

アメリカやEUロシアなどの航空機製造国は自国の新造機を政府専用機としているが、その他多くの国ではボーイング・ビジネス・ジェットエアバス・コーポレート・ジェットなどの中型機を導入するか、民間からボーイング757ボーイング727などの中古の中・小型機、もしくはボーイング747-SPなどの中古のワイドボディ機を買い上げて改造する例も多く、ボーイング747-400やエアバスA340など、非常に高価なワイドボディ新型機を新規に購入した例は、日本やブルネイなど、極僅かな国のみである。

また近年において中・小型機の航続距離、双発機(ボーイング737ボーイング777エアバスA330など)の燃費やETOPSなどが飛躍的に向上した結果、短い滑走路を持つ地方の空港からでも容易に離着陸できる小振りの機種の方が汎用性の面においてより優れた選択肢となった[24]ことも、こうした政府専用機小型化傾向の背景となっている。

実際、ボーイング747が安全な離着陸を行うためには最低でも2500〜2750mの滑走路が必要で、そのような長い滑走路を持つのは大都市の国際空港や空軍基地にほぼ限られてしまうことから大型機では運用が中途半端なものとなり、警備上の問題、経済性の低さなどが指摘されるようになっている[25][26]。その点、ボーイング737-600以降の新型機種などでは通常2000mの滑走路もあれば余裕を持って離着陸できるため、運用できる空港が非常に多くなる利点がある。

2008年(平成20年)10月17日付の産経新聞によると、三菱重工業が国内産小型旅客機として開発中のMRJを10機発注する模様。MRJはボーイング737よりさらに小型で燃料効率がよく、また開発に関して国が補助金を出していることから販売を促進する目的も兼ねている。

注釈

  1. ^ “CYGNUS”(シグナス、意味は「はくちょう座」)は特別航空輸送隊所属機のコールサイン。
  2. ^ ボーイングのコードは 747-47Cで、末尾の「-7C」が「日本国政府」を表すカスタマーコード。自衛隊では B-747-400で、「B-」が「ボーイング」を表す(自衛隊輸送機は通常「C-」、要人輸送にも使う多用途支援機は通常「U-」ではじまる)。
  3. ^ a b 納入時は民間機として機体記号 JA8091 と JA8092 で登録されていたが、自衛隊への移管時に20-1101と20-1102の機体記号識別番号が与えられた。
  4. ^ 国籍標章は左右主翼の上下と垂直尾翼の両側の計6ヵ所につけられており、どこから見ても日本国政府専用機だということが一目で分るよう配慮されているが、これを見た細川総理は「どこかの七つ紋みたいだね」と漏らしたという。
  5. ^ この巨大な国籍標章から、航空マニアの間で政府専用機は「梅干しくん」とあだ名されている。
  6. ^ 旧首相官邸バーチャルツアー -官邸別館・その他編-政府専用機
  7. ^ 法令で定められているのは 1) 天皇および皇族、2) 国賓およびこれに準ずる賓客、3) 最高裁判所長官、4) 衆議院議長および参議院議長、5) 内閣総理大臣、6) 国務大臣。ただし、実際には内閣総理大臣や天皇を初めとする皇族による使用がほとんどとなっており、その他の閣僚(国務大臣)や三権の長は一般の定期便を利用している。
  8. ^ なお、総理の外遊の際には報道各社の同行記者が同乗し、機内で記者会見が行われることもある。
  9. ^ 特に、軽武装の陸上自衛隊北部方面隊普通科隊員の緊急輸送。
  10. ^ 通常約30分の間隔をとって予備機が主務機の後を追う。
  11. ^ 「Route 5」2009年2月号
  12. ^ 政府専用機には1機につき7人の航空機体整備員が同乗し、海外でも自力で機体整備ができるようにしている。また各機には予備のパーツから照明灯や窓磨きにいたるまで、あらゆる状況を想定した備品が搭載されている。
  13. ^ 航空自衛隊に客室乗務員業務のノウハウはないので、担当の自衛官は日本航空に約3ヵ月間出向してサービス技能の研修を受ける。
  14. ^ 「Route 5」2009年2月号
  15. ^ 1999年2月にヨルダン国王フセイン1世が死去した際には、フセイン1世が行政府の長を兼ねていたことから国葬には皇太子徳仁親王夫妻と内閣総理大臣小渕恵三夫妻が共に参列することになり、両者が二機に分乗したため、双方が主務機扱いとなった。このため両機は予備機なしで0泊3日の往復飛行をこなすこととなった。
  16. ^ なおイラク戦争以後、自衛隊の海外派遣などで政府専用機を活用する機会が増えたことに伴い、政府は三番機の購入を再び模索、防衛庁はこれをうけて空中給油機としての併用が可能なボーイング767を視野に入れた検討を始めたが、同じころ政府が導入を決定したミサイル防衛関連予算が膨大なものとなったことから、このときも結局導入を断念している。
  17. ^ 国内での利用は、2000年の九州・沖縄サミットの際の森喜朗の沖縄入り、2004年の日韓首脳会談の際の小泉純一郎の鹿児島入り、2008年の北海道洞爺湖サミットの際の福田康夫の北海道入り、2009年5月の太平洋・島サミットの際の麻生太郎の北海道入りなどこれまでに数回しかなく、しかもそのほとんどが国内遠隔地における外国首脳との会談がらみとなっている。
  18. ^ もし本国で緊急事態が発生した場合、迅速な情報収集に支障が出るばかりか、本国政府機関と首脳との交信が他国に筒抜けになってしまうため。
  19. ^ ただし訪問中の親しい外国首脳を政府専用機に乗せて国内で短距離飛行を行うという例は少なくない。2006年6月30日、アメリカのブッシュ大統領夫妻は退任を2ヵ月半後に控えて最後の訪米となった小泉に念願の「グレースランド巡礼」をプレゼントしたが、その際ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地からテネシー州メンフィスまでの1時間強の空の旅に、小泉をエアフォースワンに同乗させて親しくもてなしている
  20. ^ 拉致被害者の家族5人帰国、曽我さんは第三国で再会案 - asahi.com
  21. ^ 麻生首相ら、混乱のタイから脱出 予備機もフル活用 - MSN産経ニュース・2009年4月13日
  22. ^ 「Route 5」2009年2月号
  23. ^ 朝日新聞2008年8月10日付けの「首相の1日」より
  24. ^ 2007年5月8日、麻生外相が閣僚懇談会で、緊急時の機動性などを理由に小型の政府専用機導入を提案したことが報じられた。ロシアのエリツィン前大統領の葬儀に日本の首脳特使が派遣できなかった事態を踏まえたもの。小型の政府専用機候補としてボーイング C-40 (737-700)エアバスA320ガルフストリーム IVなどが候補としてあげられている。
  25. ^ 実際にアメリカ大統領が地方都市を訪れる際に、VC-25では乗り入れができないためVC-137BやC-9を使用することも多い。なお、日本政府がボーイング747-400の導入を閣議決定した1987年当時、日本外交の中心だったアメリカ東海岸や欧州へノンストップで飛行できる機種がこの747-400の他にはなかったことも選定理由の一つである。日本がボーイング747を世界一多く保有している理由の一つもこれと同じである。
  26. ^ 2009年2月、麻生太郎日本国内閣総理大臣ドミートリー・メドヴェージェフロシア連邦大統領との日露首脳会談が、ロシア連邦サハリン州ユジノサハリンスクで開催される。麻生総理は、当初政府専用機で現地入りする予定であったが、ホムトヴォ空港の滑走路幅が狭く、着陸が不可能であるとして、政府専用機での現地入りを取りやめた。[1]

参考史料

外部リンク