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「Wikipedia:削除依頼/アナログマ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎アナログマ - ノート: (削除)特筆性には問題ないが、元記事の執筆者がGFDL違反による削除票を投じている以上、存続は困難かと
BB-45 (会話 | 投稿記録)
→‎アナログマ - ノート: 削除して新たにアナログマの記事を起こせば良い
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*(削除)履歴継承が必要とされることの根拠となっているGFDLの第4条1項2文B号には、「ただし元の著者たちが この条件を免除した場合は除く」という例外規定があります。即ち著作権を侵害されたとされる執筆者が履歴に自分の執筆記録を残すことを求めておらず、アナログマの記事を削除することに反対していたのであれば、存続も可能だったかも知れません。ですが今回の場合は、地デジカの記事において該当箇所の執筆を行った「元の著者」であるfrommさんがこの議論に参加し、履歴を残すべきであるという立場から削除票に票を投じているため、例外規定が適用される見込みはないと考えます。仮に著作権侵害で裁判になった場合に、frommさんの執筆箇所に創造性が認められるかどうかは、実際にfrommさんがWikipediaを訴えて司法の判断を仰いでみなければ分からない微妙なところだと思うのですが、そもそも司法の判断を仰ぐような状況になること自体がWikipediaにとって抱えたくない面倒事であると思われ、これはまあ削除するしかないのではないかと考えます。なお、特筆性は満たしており、初版を削除した後に項目を立て直すことには問題ないと考えます。個人的にも、民放連がパロディに対して非寛容な姿勢を打ち出している以上は、地デジカの項目にアナログマの詳細を記述するのは色々と面倒事を抱えることのようにも思え、地デジカとは項目を分けたほうが良いだろうという印象を抱いています。--[[利用者:Kanohara|Kanohara]] 2009年6月1日 (月) 13:58 (UTC)
*(削除)履歴継承が必要とされることの根拠となっているGFDLの第4条1項2文B号には、「ただし元の著者たちが この条件を免除した場合は除く」という例外規定があります。即ち著作権を侵害されたとされる執筆者が履歴に自分の執筆記録を残すことを求めておらず、アナログマの記事を削除することに反対していたのであれば、存続も可能だったかも知れません。ですが今回の場合は、地デジカの記事において該当箇所の執筆を行った「元の著者」であるfrommさんがこの議論に参加し、履歴を残すべきであるという立場から削除票に票を投じているため、例外規定が適用される見込みはないと考えます。仮に著作権侵害で裁判になった場合に、frommさんの執筆箇所に創造性が認められるかどうかは、実際にfrommさんがWikipediaを訴えて司法の判断を仰いでみなければ分からない微妙なところだと思うのですが、そもそも司法の判断を仰ぐような状況になること自体がWikipediaにとって抱えたくない面倒事であると思われ、これはまあ削除するしかないのではないかと考えます。なお、特筆性は満たしており、初版を削除した後に項目を立て直すことには問題ないと考えます。個人的にも、民放連がパロディに対して非寛容な姿勢を打ち出している以上は、地デジカの項目にアナログマの詳細を記述するのは色々と面倒事を抱えることのようにも思え、地デジカとは項目を分けたほうが良いだろうという印象を抱いています。--[[利用者:Kanohara|Kanohara]] 2009年6月1日 (月) 13:58 (UTC)

*(削除)履歴不継承のみの問題。早めに削除して、新たに同じ項目で記事を起し直せば良いでしょう。
むしろ履歴不継承で問題を抱えた記事を消さないことで正常な記事を起し直すことの阻害となっています。[[利用者:BB-45|BB-45]] 2009年6月2日 (火) 17:00 (UTC)

2009年6月2日 (火) 17:00時点における版

大部分が独自研究と考えられるし、単独の記事としては特筆性を欠くのではないでしょうか。ITmediaサーチナの記事がありますから、地デジカの記事に関連するエピソードとして記載することは出来るとは考えますが。--アト 2009年5月1日 (金) 10:01 (UTC)(追記)また、当記事の初版に対し履歴継承の不備が指摘されております。(初版[1]地デジカ[2])--アト 2009年5月11日 (月) 04:59 (UTC)[返信]

  • (削除)依頼者票。--アト 2009年5月1日 (金) 10:26 (UTC)[返信]
  • (削除)初版[3]地デジカ[4]と比較すると、「外観は二足歩行・・・」「・・・反響に対して制定・・・」「・・・今後時節・・・」など表現の一致が散見されます。この表現は出典には無く、私や他の利用者の方が独自に書いたものです。履歴継承なき転記に近いように思います。--fromm 2009年5月1日 (金) 12:15 (UTC)削除票に変更--fromm 2009年5月2日 (土) 04:20 (UTC)[返信]
  • (意見)削除に反対する。理由:削除方針ケースE: 百科事典的でない記事の「独自の研究結果の発表」に該当すること及び「単独の記事としては特筆性を欠く」ことが削除理由であるが、前者に関しては、研究=「ある特定の物事について、人間の知識を集めて考察し、実験、観察、調査などを通して調べて、その物事についての事実を深く追求する一連の過程」であり、記事やWebサイトなどを基に概念を整理した本件は研究には当たらない。後者に関しては、アナログマという単語が単独でWeb記事などで使用され、Wikipediaの利用者がその詳細な意味や登場の経緯などを知りたいと欲する機会があれば「特筆性」があると考えられる。アナログマまたはアナロ熊のGoogle検索結果は現時点で1万件を超えており、「特筆性」が無いと言い切れない。利用者:kinsukejp 2009年5月2日 (土) 12:45 (UTC)--以上の署名のないコメントは、Kinsukejp会話投稿記録)さんが 2009年5月2日 (土) 03:49 (UTC) に投稿したものです(KAMUIによる付記)。[返信]
  • (存続)kinsukejpさんのご指摘の通り、アナログマを取り上げるサイトも多く、また地デジカの方針に対抗するという趣旨において一種の社会現象として取り上げられているケースもあり、特筆性はあると考えます。個々のアスキーアートの項目が現在までに多数作成・存続されている事実も、この件に関する特筆性の根拠を補強するものと考えます。(参考:Category:2ちゃんねるAAキャラクター)独自研究であるとのご指摘に対しても、多数の人間が関わって形成されてきたアナログマというキャラクターの概念をまとめた程度の内容に過ぎないように見受けられますので、独自研究であるとは思えません。--FLIP 2009年5月2日 (土) 04:42 (UTC) - 参考リンク表記間違い訂正しました --FLIP 2009年5月2日 (土) 05:11 (UTC)[返信]
  • (削除)特筆性はある程度担保できるとしても、履歴継承の問題は残ります。ウィキペディアでは記事のライセンスにGFDLを採用しており、転記を含めて「著作権はありません」では通りませんので。今回の件については「地デジカの着衣」の段落が無けりゃ問題なかった気がしますね。--KAMUI 2009年5月2日 (土) 05:57 (UTC)[返信]
  • (コメント)まず誤解をさせる書き方になってしまったことをお詫びします。独自研究については地デジカへの統合ではなく削除依頼という形をとった理由です。これはあくまで現在の記事に書かれている内容に対してのことであり、現実的にはニュース記事などを元にして独自研究で無い記事に書き直すことは可能ではあります。現在の記事において参考文献として挙げられているものの内、情報源として使用可能なのは未来検索ガジェット通信のものだけですし、執筆者がアナログマに関してあまり詳しくなかったのか、書かれている内容もしっかりしたものとは言いがたいですから、仮に統合という形をとるにせよ統合側に持ち込める記述はほとんど無いでしょう。ただ、それでも「形として」統合と言う体裁をとるべきではないかと言う意見はアリだと思いますが(もちろん履歴継承の問題を考えなければですが)。それと、FLIPさんの指摘である「多数の人間が関わって形成されてきたアナログマというキャラクターの概念をまとめた程度の内容に過ぎないように見受けられますので、」という意見についてはアナログマについての情報が「常識」に値するもので無い以上、独自研究で無いことの理由にはなりません。Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独自研究は載せないをご参照ください。
特筆性については
  • 現状では地デジカに対するネット上の反応として語られるに過ぎないこと。
  • 現時点でもまだ登場から4日ほどと日が浅く、定着したとはいえないこと。
仮にここで削除が成立したとしても、将来的にアナログマの記事が立てられることを否定するつもりはありません。現在ウィキペディア内に記事の存在する数々のアスキーアートのように定着し愛されるようになるかもしれない、アナログ放送を象徴するキャラクターとして広く認識されるようになるかもしれない、あるいはドワンゴが着うた等の形で商品化を試みるかもしれない。将来的に十分な特筆性を持った存在になる可能性は十分にあります。しかし、組織の後ろ盾のある地デジカと違い、そうならない可能性も十分にあります。この先どうなるにせよまだ記事を立てるべき段階では無いでしょう。
また、当然ながらfrommさん、KAMUIさんのご指摘にある履歴継承の問題だけでも削除すべき理由になると考えます。--アト 2009年5月2日 (土) 06:39 (UTC)[返信]
  • (参考)「アナロ熊公式ホームページ」には「このサイトはネタです。This site is a joke of course.」と記述されています。--Katze Fleischer 2009年5月2日 (土) 12:27 (UTC)[返信]
  • (削除)この手のネットで一部で話題になった程度で{{特筆性}}があり単独記事にできるというのはウィキペディアの大原則であるWikipedia:信頼できる情報源に基づくWikipedia:検証可能性を満たさない考え方です。なお、削除によってけじめをつけた後、地デジカへのリダイレクトとして作成することには反対しません。--Katze Fleischer 2009年5月2日 (土) 12:27 (UTC)[返信]
  • (存続)別記事であり履歴継承の有無を削除理由とすることは出来ない。記載内容に類似があるのは関連項目であることから自然であり、ましてや組織の後ろ盾の有無は何ら立項を制限する理由とはならない。普及度については、単純にネット上での検索ヒット数を比較しても、現時点でgoogleにて地デジカ30万件弱に対してアナログマ20万件弱、別綴りのアナロ熊が更に29万件存在しており、既に無視できる段階ではない。拙速に削除するのではなく、今後の経過を見て地デジカとの統合を検討する等が宜しいのではないでしょうか。なお、jokeというのはアナログマの発端についての説明であると考えられ、アナログマの記事中に取り込むべき情報ではあっても、やはり削除事由に当るとは思われません。--Caspar 2009年5月6日 (水) 01:20 (UTC)[返信]
  • (コメント)あえて単独記事にせず、派生元のクマーの中の一節に留めるというのはどうか。--浜須賀 2009年5月10日 (日) 01:25 (UTC)[返信]
    • (コメント)アナログマについては地デジカの記事中に出典付きで記述されているので、敢えてクマーに書かなくてもよい気はします。--KAMUI 2009年5月10日 (日) 09:56 (UTC)[返信]
    • (コメント)現状アナログマはAAとしてよりは地デジカのパロディキャラとして名前が知られていますからクマーの記事を中心にするべきでは無いと考えます。将来的(と言うほど先のことではないかも知れませんが)に単独の記事とするほどの特筆性があると見なせる様な状況になるとしてもそれはAAとしてでなく地デジカの関連キャラクターとしてものになるでしょうし。もちろん、クマーの記事にクマーからアナログマが派生したことを記すことは有益と考えますが。--アト 2009年5月10日 (日) 15:39 (UTC)[返信]
  • (報告およびお願い、追記)アナログマについてこれまでに無いきちんとした分析を行った記事が出ました。「アナロ熊」が暴いてしまった「地デジカ」の秘密。私が削除依頼を出した時点に比べ特筆性についてはいくらか担保出来るようにはなってきました。ただ、一方で地デジカのパロディとしての立場を超えたわけで無いのは事実であり、地デジカの記事の中での説明とは別に記事を立てるのは意味が薄いとも言えます。履歴継承の問題がありますら、アナログマの記事を一時的にせよ削除しなければならない事は変わりませんが、その上で削除後リダイレクトとすべきか、単独の記事として立て直すべきか、現在の状況を踏まえて改めてご意見を伺いたいかと思います。--アト 2009年5月11日 (月) 04:59 (UTC)(追記)なお、私としては現時点では地デジカへのリダイレクトという形にすべきと考えます。--アト 2009年5月14日 (木) 18:38 (UTC)[返信]
  • (コメント)履歴継承ですが、著作権法上の著作物とは思想又は感情を創作的に表現したものであって、WikipediaのGNU Free Documentation Licenseでも、創作的表現の有無が問われています。「外観は二足歩行・・・」「・・・反響に対して制定・・・」「・・・今後時節・・・」などの表現は、対象とは直接、関係がない(地デジカでなくてもよい)説明形式であり、これが著作物に該当するとは考え難く、履歴継承は不要ということと考えます。また、地デジカに対抗して出てきたことは確かですが、最近は、映像の右上に「アナログ」と表示されるなど粗末に扱われているアナログ放送に対するアイロニーの表現として利用されている例も散見されます。よって現行のまま残しても問題ないと考えます。--kinsukejp 2009年5月14日 (木) 20:00 (UTC)[返信]
    • (コメント)双方を比較するとむしろ当時の地デジカと合わせるためにわざわざ同じ表現を使用したと見るべきでしょう。それと誤解されているかもしれませんが付け加えますが、履歴の継承のみを理由とした削除の場合はあくまで手続きの不備による削除ということになりますから、改めてきちんとした手順に則って再投稿することは可能です。従って、現在の文章を100%そのまま残したいということでなければ履歴の継承を理由とした削除に無理に反対する必要性は全く無いと思うのですが。それと、「粗末に扱われているアナログ放送に対するアイロニーの表現として」と申されますが、もし仮にその通りだとしても、それを信頼できる資料によって検証可能な形で示すことが出来なければ意味はありませんよ。--アト 2009年5月14日 (木) 18:38 (UTC)[返信]
    • (コメント)同じ表現を使用したとしても、使用部分(「外観は二足歩行・・・」等)が思想又は感情を創作的に表現したものでなければ、著作権法上の問題は生じない、すなわち履歴継承は不要ということです。再投稿が可能か否かとは関係なく、不要な手続きは不要ということです。また、検証可能性ですが、リダイレクトの根拠である「地デジカのパロディとしての立場を超えたわけで無いのは事実であり」の発言について、信頼できる資料によって検証可能な形で示されているとは見受けられません。ご自分では検証可能性を示さず、他者には検証可能性を要求する理由について説明願います(例えば特権や適用除外があるなど)。 --kinsukejp 2009年5月15日 (金) 12:10 (UTC)[返信]

コメント アトさんは果たして「アナロ熊」が暴いてしまった「地デジカ」の秘密を全文読まれたのでしょうか?これを読んだならば、アナログマがいかにインターネット社会での大衆の特徴ある意識の表出であるか明白で、特筆性が十分担保された項目であることが分かるはずです。また、著作権法上の問題は生じず履歴継承は不要なのは上記の方と同様で明白です。アトさんにおかれましては出された削除依頼でご自身の望む方向の結果に拘らず、一歩引いた目を持つことが必要かと思われます。--118.243.86.110 2009年5月15日 (金) 04:21 (UTC)[返信]

  • (コメント)済みませんが、私は「「アナロ熊」が暴いてしまった「地デジカ」の秘密」によってアナログマの特筆性はある程度は担保できるようになったと書いたはずです。もちろんこの記事は熟読しています。「地デジカのパロディとしての立場を超えたわけで無いのは事実であり」については、単にこの記事も含めアナログマに関する報道が地デジカへのネットの反響として捉えたものにとどまっていると言っただけです。私が問いたのはアナログマが地デジカへの反響の一部として捉えるか、そこから独立して記事を立てるべきものかということです。また、履歴の継承についてはむしろわざわざ地デジカの記事と対比させるような書き方をとっており「原著作物の創作的表現が存在しないと認められる程度」の改変とは言えないでしょう。そもそも、私に削除をごり押ししたいという意思があるのならわざわざ存続の方向に導くような記事を紹介するわけが無いでしょう。私はアナログマが出現したスレッドを見ていましたし、「アナロ熊のうた」も何度も聴いています。削除依頼をアナログマを貶める目的で行っているわけではありません。少なくとも私は私なりにアナログマに関する解説をウィキペディアの求める水準を完全に満たした上でウィキペディアに存在させるための道を探っているつもりです。--アト 2009年5月15日 (金) 05:45 (UTC)[返信]

コメント 読んでいらっしゃるのなら、なおさらお分かりになる筈なのですが、、、。

  • 単にこの記事も含めアナログマに関する報道が地デジカへのネットの反響として捉えたものにとどまっている」ここがお分かりでない部分だと思いますね。アナログマは地デジカを含め日本の地上デジタル電波行政に関しての矛盾・無駄への一部国民意思の表出なのですよ、上記記事も筆者の思考の行間にこの事がにじみ出ております。
  • 「むしろわざわざ地デジカの記事と対比させるような書き方をとっており」これこそまさにアナログマの精神・真骨頂ではないですか。

世の中は是是非非ばかりで成り立っているばかりではありませんよ。--118.243.86.110 2009年5月15日 (金) 06:40 (UTC)[返信]

  • (コメント)繰り返しになりますが、「わざわざ地デジカの記事と対比させるような書き方をとった」としても、その部分が思想又は感情を創作的に表現したものでなければ、著作権法上の問題は生じません。まずは著作権法について勉強されるべきかと思います。また、検証可能性について、ご自分では検証可能性を示さず、他者には検証可能性を要求するのはいかがなものかと思います。他の方もおっしゃる通り、引き時ではないでしょうか。--kinsukejp 2009年5月17日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
  • (コメント)検証可能性については「アナロ熊」が暴いてしまった「地デジカ」の秘密を挙げることで満たしているかと思います。地デジカのパロディでなく、例えば、アナログ放送を象徴するものとして定着したとみなせるような資料をご提示いただければこれは容易に覆ります。「引き時」とおっしゃいますが、私は記事自体を存続させる道も模索しており、言われずとも状況によっては「引くこと」も考慮に入れているつもりです。もっとも、現時点ではそのような状況では無いと考えてはいますが。それから、「他の方もおっしゃる通り」と言われますが、履歴継承の部分について反対意見を述べられているのは118.243.86.110さんとkinsukejpさんだけですし、有効票に限ればゼロCasparさんだけですし、有効票に限ればCasparさんだけです。それに「ずは著作権法について勉強されるべき」とおっしゃいますが、事実の表現に係わる創意工夫に対しては著作権は存在するはずです。そうでなければニュースや辞典の類には著作権が存在しないということになってしまいませんか?--アト 2009年5月16日 (土) 19:12 (UTC)--アト 2009年5月16日 (土) 19:20 (UTC)[返信]
  • (削除)アトさんの示した資料により、最低限の検証可能性は満たされていると思います。ただし、一般報道で取り上げられたというのならともかく、一部ネットニュースやコラム的なもので紹介された程度では、単独で立てるほどのものとは思えません。出典に基づいて検証可能性を満たすように書けば、かなり短い記事となってしまうと思います。履歴継承にも懸念が示されていますし、削除でやむを得ないかと思います。ただし、局地的に波紋を呼んだ現象でありましたし、検証可能性もありますので、地デジカへのリダイレクトにしたうえで、地デジカに加筆することは非常に有意義であると思います。
あと、少し苦言を。kinsukejpさんはアトさんに対して「ご自分では検証可能性を示さず、他者には検証可能性を要求するのはいかがなものか」とおっしゃいますが、ウィキペディアの利用者として、記事の内容に対して3大方針のうちの1つである検証可能性を求めることは、ごく自然な行為であると思います。そのうえ、アトさんは削除を主張する立場にも関らず、わざわざ記事の検証可能性を立証されており、非常に本件に対して真剣に取り組んでいらっしゃると思います。それなのに、一部の発言をことさらあげつらって批判されるのは不適切ではないでしょうか。
また、118.243.86.110さんへ。アナログマがそうした精神を持っていることはよく分かりますし、私もアナログマに非常に好感を持っています。ただし、ウィキペディアは中立的な観点によって書かれなければなりません。行政にすりよるような態度でもいけませんし、反政府的な態度でもいけないということです。仮に118.243.86.110さんのおっしゃるとおりに電波行政への批判が行間ににじみでているとしたら、ウィキペディアにおいてはそれはあまり適切な書き方ではありません。電波行政への批判や、アナログマの精神を主張したいのならば、別の場ですべきです。--NamiShelter 2009年5月18日 (月) 12:41 (UTC)[返信]
  • (アトさんへのコメント)「事実の表現に係わる創意工夫に対しては著作権は存在するはずです。そうでなければニュースや辞典の類には著作権が存在しないということになってしまいませんか?」という発言に対してですが、まず「事実」そのものに関しては、著作権第十条において「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、前項第一号に掲げる著作物に該当しない。」と定められています。つまり、単なるニュース(著作権法上の「時事の報道」)には著作権はありません。アトさんがおっしゃる通り「事実」であっても表現に創意工夫があれば著作物にはなりえますが、そのためにはまず原文のどの部分に創意工夫があるのかという議論があって、次に改変によってもその創意工夫が残されているという議論があって、ようやくその改変に著作権侵害があるという議論に至るということです。つまり、まず原文における創意工夫の議論が必要ということです。また、辞書に関しては、著作権第十二条において「編集物(データベースに該当するものを除く。以下同じ。)でその素材の選択又は配列によつて創作性を有するものは、著作物として保護する。」と定められており、個々の記述には著作権が無くても全体として著作物として保護されるのです。アトさんは著作権法に基づかず、「・・・はずです」という推定で語られています。それでも御自分が著作権法について十分に知識があるとお思いですか? 著作権に関する知識の有る無しに関わらず、多数決で解決することが適切と考えますか?--kinsukejp 2009年5月19日 (火) 00:56 (UTC)[返信]
    • (コメント kinsukejpさんへ)まず著作権についてですが、私が「はずです」という表現を使用したのはkinsukejpさんのこれまでの発言内容からkinsukejpさんは事実の表現に係わる創意工夫に著作権が存在することをご存知でなく、条文だけを読んで勘違いをされているものと考えたため、それを否定する意味合いからです。推定で発言したわけではありません。もう少し詳細な説明が必要でしたら毎日新聞社新聞協会の見解がありますのでそちらをお読みください。もちろん、これらの見解に対し拡大解釈ではないかという批判はあるかとは思いますが、現状日本国内のおいてはこのような解釈に基いて運用されているという事になります。今回のアナログマの記事のケースでは、事実に係わる部分ではなく記事の書き方を流用していますから、事実の羅列と呼べる部分ではなく、著作権の発生する創意工夫の部分が写されているわけです。また、「検証可能性を示せなければ意味がない」というのは記事の記事の削除の是非を決める直接の材料とはならないということです。個人的な見解であることを明らかにした上で参考意見として発言することは否定しませんよ。それに、もしこの私の発言が簡単な意見の表明すら否定するような不適切なものだったとしても、「発言の責任をとって削除票の取り下げ」等と言う行為は許されるものではありませんし、そもそも既に多数の削除票が入っているため私に削除依頼を取り下げる権限はありません。--アト 2009年5月19日 (火) 04:55 (UTC)[返信]
  • (NamiShelterさん、アトさんへのコメント)「記事の内容に対して3大方針のうちの1つである検証可能性を求めることは、ごく自然な行為であると思います。」とおっしゃいますが、ここは「ノート」であって「記事」ではありません。アトさんはノートの内容(当方の発言)に対して検証可能性を要求しています。この点で、NamiShelterさんは誤解されていると思われますが、いかがでしょうか。次に「ノートの内容の検証可能性」ですが、アトさんのおっしゃるようにノートの内容も検証可能性を示すことが理想的と思いますが、記事本文とは異なり、アトさんのおっしゃるように「検証可能性を示せなければ意味がない」とまでは思いません。自分の意見や経験、知見を語る際に毎回、検証可能性を示すことを義務付けては議論も進まないと思いますし、実際、アトさんも全てが検証可能性を示しているとは思えません(上記著作権に関するコメント参照)。アトさんが真面目に検討されているのは重々承知していますし、それゆえに当方も丁寧に説明しているつもりです。--kinsukejp 2009年5月19日 (火) 01:21 (UTC)[返信]
うーん、記事に関する検証可能性のことをおっしゃっていたと思っていたんですが、アトさんの「「粗末に扱われているアナログ放送に対するアイロニーの表現として」と申されますが、もし仮にその通りだとしても、それを信頼できる資料によって検証可能な形で示すことが出来なければ意味はありませんよ。」のことを指していたのですか。しかし、アイロニーの表現となっているということが検証可能でなければ、記事にそのことを加筆できないという点では、意味がないというのはそのとおりでしょう。「地デジカのパロディとしての立場を超えたわけで無いのは事実であり」という主張に検証可能性がないと考えるのであれば、アトさんと同じくその主張に意味がないと指摘するだけで良いのではないでしょうか。わざわざ本論とは直接関係のない発言の一部をことさらとりあげられて最後通牒のように「引き時ではないでしょうか」と書かれていたのにちょっと違和感を覚えたため、指摘させていただきました。--NamiShelter 2009年5月19日 (火) 14:53 (UTC)[返信]
  • 118.243.86.110=124.155.111.57です。
    (NamiShelterさんへのコメント)「仮に118.243.86.110さんのおっしゃるとおりに電波行政への批判が行間ににじみでているとしたら、ウィキペディアにおいてはそれはあまり適切な書き方ではありません。電波行政への批判や、アナログマの精神を主張したいのならば、別の場ですべきです。」お分かり頂けていないようですね。私が記述した以下の文章「上記記事も筆者の思考の行間にこの事がにじみ出ております。」は外部サイト『「アナロ熊」が暴いてしまった「地デジカ」の秘密』についてのことです、文意を正確にお読み下さい。すなわちWikipediaのアナログマ項目の文章そのものの行間ではありません。所以、アナログマという存在自体が電波行政への批判の精神を体現したものです。(なおIPでの投稿であるからとして、わざわざ投稿記録リンク化するのは何か意図がおありでしょうか?)--124.155.111.57 2009年5月18日 (月) 17:59 (UTC)[返信]
あー、これは失礼しました。なんで「上記」記事という言い方をされるのかなあと思ってたんですが、上に記載されているコラムのことを指していたんですね。お詫び申し上げます。
なお、リンクの件ですが、私は署名にならってお名前にリンクをつけているだけで、特に意図はありません。ご自身の署名をご覧になればお分かりになると思いますが、IPさんは利用者ページがないため、投稿記録へのリンクとなります。アトさんとkinsukejpさんにも署名にならってリンクをつけていますし、IPさんのみを特別扱いしたわけではありません、ご了承ください。--NamiShelter 2009年5月19日 (火) 14:53 (UTC)[返信]
  • (コメント)GFDL違反の件は覆しようがないので削除する他ないと思います。上で挙げられていた日経コラムやiPhoneアプリ[7]やらそれなりにネタはあるので特筆性は問題ないでしょう。このままダラダラ延ばしても仕方ない。存続派の情熱が冷める前に、早いところ削除してもう一度立て直せばよいと思います。--fromm 2009年5月19日 (火) 15:05 (UTC)[返信]
  • (削除)履歴不継承。GFDL違反。--kiku_b(talk/work) 2009年5月24日 (日) 22:50 (UTC)[返信]
  • (削除)履歴継承が必要とされることの根拠となっているGFDLの第4条1項2文B号には、「ただし元の著者たちが この条件を免除した場合は除く」という例外規定があります。即ち著作権を侵害されたとされる執筆者が履歴に自分の執筆記録を残すことを求めておらず、アナログマの記事を削除することに反対していたのであれば、存続も可能だったかも知れません。ですが今回の場合は、地デジカの記事において該当箇所の執筆を行った「元の著者」であるfrommさんがこの議論に参加し、履歴を残すべきであるという立場から削除票に票を投じているため、例外規定が適用される見込みはないと考えます。仮に著作権侵害で裁判になった場合に、frommさんの執筆箇所に創造性が認められるかどうかは、実際にfrommさんがWikipediaを訴えて司法の判断を仰いでみなければ分からない微妙なところだと思うのですが、そもそも司法の判断を仰ぐような状況になること自体がWikipediaにとって抱えたくない面倒事であると思われ、これはまあ削除するしかないのではないかと考えます。なお、特筆性は満たしており、初版を削除した後に項目を立て直すことには問題ないと考えます。個人的にも、民放連がパロディに対して非寛容な姿勢を打ち出している以上は、地デジカの項目にアナログマの詳細を記述するのは色々と面倒事を抱えることのようにも思え、地デジカとは項目を分けたほうが良いだろうという印象を抱いています。--Kanohara 2009年6月1日 (月) 13:58 (UTC)[返信]
  • (削除)履歴不継承のみの問題。早めに削除して、新たに同じ項目で記事を起し直せば良いでしょう。

むしろ履歴不継承で問題を抱えた記事を消さないことで正常な記事を起し直すことの阻害となっています。BB-45 2009年6月2日 (火) 17:00 (UTC)[返信]