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2009年6月23日 (火) 11:14時点における版

マーク・フィリプーシス
Mark Philippoussis
マーク・フィリプーシス
基本情報
フルネーム Mark Anthony Philippoussis
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 同・メルボルン
生年月日 (1976-11-07) 1976年11月7日(47歳)
身長 195cm
体重 102kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1994年
ツアー通算 14勝
シングルス 11勝
ダブルス 3勝
生涯獲得賞金 6,987,402 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(1996・99・2000・04)
全仏 4回戦(1997・2000)
全英 準優勝(2003)
全米 準優勝(1998)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1996)
全仏 3回戦(1996・97)
全英 ベスト4(1996)
全米 ベスト4(1996)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 8位
ダブルス 18位

マーク・フィリプーシスMark Philippoussis, 1976年11月7日 - )は、オーストラリアメルボルン出身の男子プロテニス選手。フルネームは Mark Anthony Philippoussis (マーク・アンソニー・フィリプーシス)という。1998年全米オープン2003年ウィンブルドンで、4大大会の男子シングルスに2度準優勝した。身長195cm、体重102kgの大型選手。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。自己最高ランキングはシングルス8位、ダブルス18位。これまでにATPツアーでシングルス11勝、ダブルス3勝を挙げる。(新聞の一般表記では「フィリプーシス」となっているが、「フィリポーシス」と表記されることも多い。)

フィリプーシスの最大の武器は“スカッド・サーブ”と呼ばれる弾丸サーブで、サーブ・アンド・ボレーのプレースタイルを持ち味にする。彼のテニスはセカンド・サーブでも果敢にエースを狙うため、必然的にダブル・フォールトが多くなる。またそのプレースタイルのため故障も多く、好不調の波が大きい選手である。

フィリプーシスはボリス・ベッカーに憧れて、6歳からテニスを始めた。1994年にプロ転向。1995年全米オープン3回戦で当時の王者ピート・サンプラスに挑戦し、“スカッド・サーブ”で世界の観客に強烈な印象を与えた。同年の10月に「セイコー・スーパー・テニス」で初来日し、マイケル・チャンとの決勝戦まで勝ち進んだ。このトーナメントはスポンサー離脱のため1995年の大会が最後となり、フィリプーシスは“最後の準優勝者”となった。

1996年ウィンブルドン全米オープンで、フィリプーシスは4歳年上の先輩選手パトリック・ラフターとペアを組み、2大会連続で男子ダブルス準決勝に勝ち進んだ。2人は両方とも、オーストラリアを代表するダブルス・コンビのマーク・ウッドフォードトッド・ウッドブリッジ組に連敗した。しかし、ラフターが1997年全米オープンで初優勝した後、フィリプーシスとラフターは仲違いをしてしまい、とうとう和解できずに終わってしまった。

フィリプーシスは1998年全米オープン2003年ウィンブルドン選手権で、4大大会に2度の準優勝がある。前者はパトリック・ラフターとの「オーストラリア対決」の決勝戦であった。その後3度の手術を乗り越えて進出した後者の決勝戦では、スイスロジャー・フェデラーに 6-7, 2-6, 6-7 のストレートで敗れた。フェデラーの4大大会初優勝の相手はこのフィリプーシスである。

それから再び長期間のスランプに陥ったが、2006年7月第3週にアメリカロードアイランド州ニューポート国際テニス殿堂がある)の大会で3年ぶりのツアー優勝を果たし、通算11勝目を挙げた。2007年以後、彼は故障のため男子ツアーの出場から遠ざかっている。

外部リンク