「ネオ・ニューリーダー」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
51行目: | 51行目: | ||
*[[ニューリーダー]] |
*[[ニューリーダー]] |
||
*[[竹下派七奉行]] |
*[[竹下派七奉行]] |
||
*[[安倍派四天王]] |
|||
*[[YKK (政治同盟)|YKK]] |
*[[YKK (政治同盟)|YKK]] |
||
2009年7月5日 (日) 23:57時点における版
ネオ・ニューリーダーは、中曽根康弘政権末期より、自民党内で安倍晋太郎・竹下登・宮澤喜一のいわゆるニューリーダーに続く、次々世代指導者を評した造語(ネオとは、ギリシア語で「新しい」を意味する語)である。
当時、彼らは閣僚経験を経て派閥のプリンスとしての地歩を固めつつあった。1988年のリクルート事件では、事件に関与したニューリーダー及びネオ・ニューリーダーが謹慎を余儀なくされる中、これに関与していなかったネオ・ニューリーダーが急速に勢力を拡大した。この結果、派閥継承をめぐり”戦争”と形容される抗争を繰り広げることになる。
論者により該当者は異なるが、主に以下の人物が挙げられる事が多かった。このうち、小渕・渡部・三塚・森・河野・藤波・海部は早稲田大学出身、さらに河野以外は早大雄弁会に在籍しており竹下登に連なる人脈であった。
- 後の第84代内閣総理大臣
- 前民主党代表
- 後の第80代内閣総理大臣
- 後の第82・83代内閣総理大臣
- 後の衆議院副議長
- 安倍派出身
- 安倍派の後継者を巡り、塩川正十郎・加藤六月を含めた安倍派四天王では、森・加藤がリクルート事件での謹慎する中で、急速に力をつけたのは三塚であった。森を味方につけた三塚と塩川を推した加藤の間で三六戦争が発生、福田赳夫の説得で塩川が降りたことから三塚の勝利に終わり、1991年に加藤は派閥を除名される。
- 後の第85・86代内閣総理大臣
- 後の自民党幹事長
- リクルート事件で失脚
- 河本派出身
- リクルート事件をきっかけに、海部は派閥領袖の河本敏夫を差し置き首相に就任。
- 後の第76・77代内閣総理大臣