「日本製鉄東日本製鉄所釜石地区」の版間の差分
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* [[山田久志]] - [[阪急ブレーブス]]に在籍したプロ野球選手。富士製鐡釜石野球部出身(最後に在籍した[[1968年]]当時はまだ八幡製鐡と合併していなかった)。 |
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2009年8月5日 (水) 09:13時点における版
新日本製鐵釜石製鐵所(しんにっぽんせいてつ かまいしせいてつじょ)は、岩手県釜石市鈴子町にある、新日本製鐵の製鉄所である。正式名称は新日本製鐵株式會社棒線事業部釜石製鐵所(-ぼうせんじぎょうぶ-)(「社」は常用漢字体ではなく康熙字典体)である。
概要
明治から戦前にかけては日本有数の製鉄所として名を馳せていたが、戦後の製鉄業界の最盛期である1960年代を過ぎてからは次第に規模を縮小してゆき、現在に至る。なお、釜石線陸中大橋駅近くには釜石鉱山があり、同線で鉱石輸送を行っていた他、明治時代から昭和にかけては釜石鉱山鉄道という専用鉄道も並行して存在した。今日では専ら、線材の一大生産拠点となっており、とりわけラジアルタイヤに用いるスチールコード用線材に至っては国内シェアの多くを占める。
製品
- スチールコード用線材 (ラジアルタイヤの強化に欠かせない)
- PC鋼棒 (コンクリート材補強に用いる)
- PWS用(長大橋の吊下げに用いる
- 軟鋼(ボルト、ナット、パチンコ玉などに加工)
- 軟鋼線材(鉄線、金網、ホッチキスの針などに加工)
ほか
アクセス
ラグビー部
70年代から80年代にかけて、日本選手権7連覇の偉業を達成し、「北の鉄人」と呼ばれたラグビー部をかつて所有していた。2001年4月25日に、釜石シーウェイブスとしてあらたに発足した。
沿革
- 1858年1月15日(安政4年12月1日) - 南部藩士の大島高任が日本で初めて高炉法で出銑に成功。その功績を讃え、1958年(昭和33年)から12月1日が「鉄の記念日」となっている。
- 1880年(明治13年)9月13日 - 官営釜石製鐵所発足・操業開始。
- 1883年(明治16年) - 官営釜石製鐵所閉鎖。
- 1884年(明治17年) - 田中長兵衛が官営釜石製鐵所の払い下げを受ける。
- 1886年(明治19年)10月16日 - 製鐵所として初めての出銑に成功。49回目の挑戦だった。後に10月16日は釜石製鐵所の創立記念日となる。
- 1887年(明治20年)7月 - 釜石鉱山田中製鐵所創立。
- 1917年(大正6年)3月 - 田中鉱山株式会社発足、同社釜石鉱業所となる。
- 1924年(大正13年)7月11日 - 田中鉱山が三井鉱山の傘下に入り、釜石鉱山株式会社に社名変更。
- 1934年(昭和9年)1月29日 - 官営製鐵所や釜石鉱山などの官民合同で日本製鐵株式會社が発足、同社の釜石製鐵所となる。
- 1945年(昭和20年)7月14日 - 日本本土初の米海軍による艦砲射撃で被害を受ける。(釜石艦砲射撃)
- 8月9日 - 第2回目の艦砲射撃。
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 過度経済力集中排除法により日本製鐵が分割され、釜石製鐵所は富士製鐵株式會社が継承。
- 1961年(昭和36年) - 線材工場操業開始。
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 新日本製鐵株式會社発足、同社の釜石製鐵所となる。
- 1989年(平成元年)エラー:和暦テンプレートの解説ページを参照してください。[元号要検証] - 高炉・転炉を休止。100年以上燃え続けた火が鉄の街釜石から消える。