「ポール・ワイリー」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
m ロボットによる 追加: ru:Уайли, Пол |
|||
108行目: | 108行目: | ||
{{DEFAULTSORT:わいり ほうる}} |
{{DEFAULTSORT:わいり ほうる}} |
||
[[Category:1964年生]] |
[[Category:1964年生]] |
||
[[Category:存命人物]] |
|||
[[Category:アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手]] |
[[Category:アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手]] |
||
[[Category:オリンピックフィギュアスケートアメリカ合衆国代表選手]] |
[[Category:オリンピックフィギュアスケートアメリカ合衆国代表選手]] |
2009年8月13日 (木) 06:28時点における版
オリンピック | ||
---|---|---|
フィギュアスケート | ||
銀 | 1992 | 男子シングル |
ポール・ワイリー(Paul Stanton Wylie、1964年10月24日 - )は、アメリカ出身の男性フィギュアスケート選手。1992年アルベールビルオリンピック男子シングル銀メダリスト。1981年世界ジュニアフィギュアスケート選手権男子シングル優勝。
経歴
- 1964年10月24日、テキサス州ダラスに生まれた。3歳からスケートを始めやがてカルロ・ファッシに師事した。ジュニア時代は男子シングルとペアの両方を掛け持ちして、ペアのコーチはジョン・ニックスであったが男子シングルに専念することになる。
- 1980-1981年シーズン、全米フィギュアスケート選手権のジュニアクラスを制し、世界ジュニアフィギュアスケート選手権も優勝を果たした。
- 世界ジュニア選手権を制し、シニアに転向してからしばらくは特筆する成績を残せなかったが、カルガリーオリンピックの選考会となった1987-1988年シーズンの全米選手権で2位となりカルガリーオリンピックのアメリカ代表を勝ち取った。カルガリーオリンピックではコンパルソリーフィギュアで12位と出遅れ、総合10位に終わった。
- 1991-1992年シーズン、アルベールビルオリンピックの代表選考会となった全米選手権でクリストファー・ボウマンに次ぐ2位となり、2度目のオリンピック出場を決めた。アルベールビルオリンピックではオリジナルプログラムとフリースケーティングともに会心の演技で銀メダルを獲得した。オリンピック後にアマチュアを引退し、プロに転向。
主な戦績
大会/年 | 80-81 | 81-82 | 82-83 | 83-84 | 84-85 | 85-86 | 86-87 | 87-88 | 88-89 | 89-90 | 90-91 | 91-92 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 11 | 2 | ||||||||||
世界選手権 | 9 | 10 | 11 | |||||||||
全米選手権 | 11 | 5 | 4 | 5 | 5 | 5 | 2 | 3 | 2 | 3 | 2 | |
ユニバーシアード | 3 | |||||||||||
世界Jr.選手権 | 1 |