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「埼玉県立大宮高等学校」の版間の差分

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** 水泳部
** 水泳部
** ボート部
** ボート部
** ポテト部
** ダンス部
** ダンス部
** 陸上競技部
** 陸上競技部

2009年9月17日 (木) 04:05時点における版

埼玉県立大宮高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 埼玉県
設立年月日 1927年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
理数科
高校コード 11126A
所在地 330-0834
さいたま市大宮区天沼町2-323
北緯35度54分1.7秒 東経139度38分13.1秒 / 北緯35.900472度 東経139.636972度 / 35.900472; 139.636972
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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埼玉県立大宮高等学校(さいたまけんりつおおみやこうとうがっこう)は、埼玉県さいたま市大宮区に位置する高等学校である。県内の共学(併学)の公立高校では県内一の進学実績を持つ。全日制の課程に普通科、理数科を設置している。通称、おおこう(大高)。2005年度から5年間理数系教育重点校として、SSHスーパーサイエンスハイスクールの認定校となっている。

沿革

経緯

1927年に財団法人成均学園高等女学校として設立された埼玉県大宮女子高等学校と、1929年に大宮農園学校として設立された埼玉県大宮第一高等学校が、1951年統合されて、埼玉県の運営する学校となり、現在に至っている。

年表

女子部

  • 1927年 財団法人成均学園高等女学校設立
  • 1934年 埼玉県大宮高等女学校となる。
    その後、学制改革および設置者の変更により埼玉県大宮女子高等学校となる。

男子部

  • 1929年 大宮農園学校設立
  • 1942年 財団法人大宮実科工業学校設立
    この間、設置者の変更による校名変更がある。(詳細不明)
  • 1949年 埼玉県大宮第一高等学校に校名変更

統合以降

  • 1951年 埼玉県大宮女子高等学校と埼玉県大宮第一高等学校を統合し、埼玉県立大宮高等学校と校名変更
  • 1991年 理数科を設置する。
  • 2006年 土曜授業(隔週)開始。各教室にクーラーが整備された。
  • 2007年 夏季休業削減。初の夏期勉強合宿(2年)と冬期勉強合宿(1年)を実施。なお冬季合宿は2008年は実施されなかった。

その他

  • 2006年より、以前は男子が行田から西遊馬公園(さいたま市西区)間約33km、女子が鴻巣から西遊馬公園間約23kmであった強歩大会のコースが、男女とも西遊馬公園をスタート・ゴールとして男子23.2km、女子13.6kmに短縮された。
  • 2007年、Mr.Children結成15周年の5月10日発売のアルバム『B-SIDE』等に収録されている「ひびき」のPVに、大宮高校が使われている。
  • 2007年(平成19年度)より、前校長の方針によって夏季休業日数が1週間程削減された。
  • 2008年4月26日、横浜国立大学名誉教授宮脇昭の発案により植樹祭(『植樹祭 〜大宮高校 命の森づくり〜』)が実施された。宮脇は当日生徒の指導をし、53種・計3,294本の植樹がなされた。なお、当日日本テレビが取材を行い、後日情報番組『NEWS ZERO』にてその様子が放送された。

教育組織

次の教育組織がある。

  • 全日制の課程
    • 普通科
    • 理数科
  • 高連研
高等学校連合研究会(高連研)の埼玉県本部事務局が設置されている。このため大宮高校は大規模高校や、定時制併置高校でないが、教頭職が2名置かれている。

学校行事

  • オリエンテーションキャンプ
  • 文化祭(大高祭)
  • 体育祭
  • 修学旅行
  • 強歩大会(西遊馬公園(さいたま市西区)をスタート・ゴールとして男子:約23.2km・女子:約13.6km)
  • 球技大会(前期と後期に実施)

生徒会活動・部活動など

  • 運動部
    • ラグビー部
    • 野球部
    • 卓球部
    • 男子ソフトテニス部
    • 女子ソフトテニス部
    • 男子硬式テニス部
    • 女子硬式テニス部
    • 男子バレーボール部
    • 女子バレーボール部
    • 男子バスケットボール部
    • 女子バスケットボール部
    • 男子ハンドボール部
    • 女子ハンドボール部
    • 男子バドミントン部
    • 女子バドミントン部
    • サッカー部
    • 水泳部
    • ボート部
    • ダンス部
    • 陸上競技部
    • 柔道部
    • 剣道部
    • 弓道部
    • 山岳部
    • 空手道部
  • 文化部
    • 文学部
    • 生物部
    • 物理部
    • 化学研究部
    • 美術部
    • 音楽部
    • 英語部
    • 演劇部
    • 家庭科部
    • 茶道部
    • 華道部
    • 筝曲部
    • 写真部
    • 吹奏楽部
    • ギター部
    • 落語研究部
    • 書道部
    • 天文研究部
    • フォーク部
    • 棋道部
    • 漫画研究部

野球部は甲子園に春夏合計で7回出場し、夏にベスト4になったことがある。ボート部や棋道部が全国大会に出場している。

文学部と漫画研究部は漫文連合として連携した活動を行っている。

校風

自由・自主創造の校風である。制服は男子は学ラン、女子はブレザーである。頭髪は基本的に自由だが稀に頭髪検査が行われることがあり、金髪や目に余る長髪(男子)、アクセサリーは指導が入ることもある。1年生時に行われる「国際情報」という教科は2週で3回あり、うち1回は英語Iの授業を行う。

特色

沿革に由来する特色として男女別学(併学)が挙げられる。男子だけのクラス(通称:男クラ)、女子だけのクラス(女クラ)、男女共学のクラス(共クラ)の3種類のクラスが1つの学年に混在している。学年が上がる度に科目・進路選択等の利便性も考慮して共クラが増えることが多い。各学年に1クラスずつ置かれる理数科は、いずれも男女共学クラスである。校章には「やまぼうし」をデザインしたもの(男子の襟章)と「なでしこ」をデザインしたもの(女子の襟章)の2種類がある。以前は女子の校章を象ったブローチがあり、生徒が着ける校章としては日本で一番大きいものだったが、廃止された。大宮高校独自のものとして大高体操というものがあり、体育の授業や、体育祭等の準備運動として行われる。近年になって体操の一部を廃止した。1980年から1990年代前半にかけては、当時の人気校の県立浦和西高校などとともに進学実績や偏差値で県内の共学校のトップを競っていたが、近年では、さいたま新都心駅の開業により電車での通学が便利になった面や、入試で埼玉県有数の高倍率となった面等、県内の注目を集めることが増えている。2007年2月の入試(後期募集)では、それまで県内トップを維持していた県立浦和高校の合格者平均点(179.5点)を0.5点上回り県内トップ(180.0点)となった。また、科別に比較しても、普通科179.6点・理数科186.3点といずれも浦和高校を上回った[1]。ただし、問題は同じものを使用していても、記述問題や小論文の採点基準は学校ごとに異なるため、単純に比較することはできない。

授業アンケート

7月、12月、3月の最後のテスト終了後に授業アンケートなるものを実施している。これは教師の質を高めるため生徒が意見、要望などを書いて提出するものとなっており、評価カード(マーク式)1枚、アンケート用紙1枚のセットとなっている。2008年度より記名式となった。

校長協会々長校

県内有数の進学校でありながら、過去に学校長が埼玉県高等学校・校長協会会長に就任した例が1度もなかった。副会長就任ですら数回に留まっていた。

会長校に就任するのは、浦和高等学校長が最多であり、次いで熊谷高等学校長であった。ほかに浦和第一女子高等学校(4年間)・川越高等学校(1年間)が会長校になった例もある。

しかし2006年4月に、大谷幸男がはじめて大宮高等学校長から会長に1年間だけ就任した。

大谷幸男校長の前職が教育委員会(教育局)指導部長であったという異例の人事であったこともある背景にある。

同高校長職の前職を検討すると、大谷校長以前の4代の校長は、県体育課長・県首席管理主事(課長級)・県体育課長・埼玉県浦和市立高等学校長であった。

県教育局の組織は、課長の上に副部長(部次長)・部長がある。従来は課長級から、大宮高等学校々長に転出する例が一般的であったのに、大谷校長は、異例の部長級からの転出であった。

大谷校長の後任の校長、森泉秀雄は、5代前の校長、岡田潔と同じく、埼玉県さいたま市立浦和高等学校(旧浦和市立高等学校)長から補された。

また指導部長の転出先は、退職する者を除き、教育局指導部長制度発足以来、教育長・埼玉県立教育センター所長・浦和高等学校長・熊谷高等学校長のみであったが、大谷校長はこの慣行を破った人事異動であった。[2]

進学

県内でも有数の進学校であり、国立大学には毎年100人以上が合格している。生徒の現役での大学進学志向が非常に強いことも特徴であり、毎年7割以上の生徒が現役で大学に進学する。しかし近年では国立大学志向が高まっており、現役進学率は年々減少傾向にある。1991年に理数科が設置されてからより進学校としての方向性が明確となり、近年では現役での早稲田大学合格者が100人を突破しており、2006年度は最も早稲田大学の合格者が多かった(現役114名・浪人25名)。

出身有名人

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ http://yomiuri-mc.co.jp/shingaku/newsgr/2007/may/yomiuri/ken/oomiya.html
  2. ^ この節の参考文献『全国教育新聞埼玉版 2006年4月号』・『世界新報埼玉版 2006年4月号』・『埼玉県高等学校教職員名簿』