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== 参考文献 ==
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* 国会図書館所蔵「長氏家譜大要」
* 国会図書館所蔵「長氏家譜大要」
* [[小池一夫]]作・[[坂本瓢]]画「小池一夫選集/捨身の男」(秋田漫画文庫/1982)
* [[小池一夫]]作・[[坂本瓢]]画「小池一夫選集/捨身の男」(秋田漫画文庫/1982)


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2009年10月1日 (木) 04:50時点における版

長 連弘(ちょう つらひろ、文化12年8月13日1815年9月15日)- 安政4年4月22日1857年5月15日))は、加賀藩年寄。加賀八家長家第9代当主。

父は加賀藩年寄本多政礼。母は長連愛の娘。養父は長連愛。正室は中川八郎右衛門の妹。子は長連恭、長連篤、長成連。幼名音吉。通称九郎左衛門。官位従五位下大隅守。

文化12年(1815年)加賀藩年寄本多政礼の次男として生まれる。天保2年(1831年)外祖父連愛の死去により家督と3万3000石の知行を相続。加賀藩年寄となる。弘化4年(1848年)12月従五位下大隅守に叙任。嘉永2年(1849年)政権を担い、儒者上田作之丞の教えを受けた改革派・黒羽織党による藩政を主導する。嘉永5年(1852年)前政権を担当していた奥村尚実と協力関係にあった御用商人銭屋五兵衛を投獄して獄死させる。安政元年(1854年)失脚して藩主前田斉広に年寄職を罷免される。安政4年(1857年)4月22日死去。享年43。家督は嫡男の連恭が相続した。

参考文献

  • 国会図書館所蔵「長氏家譜大要」
  • 小池一夫作・坂本瓢作画「小池一夫選集/捨身の男」(秋田漫画文庫/1982)