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「全国高等学校サッカー選手権大会」の版間の差分

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この大会の優秀選手から選手を選抜し、毎年4―5月に行われるヨーロッパでのユーストーナメント大会(隔年で[[偶数]]年に[[スイス]]・[[ベッリンツォーナ]]。[[奇数]]年に[[ドイツ]]・[[デュッセルドルフ]])に日本高校選抜チームとして出場している。また、かつては「[[ニューイヤーユースサッカー]]」として、ヨーロッパのユース年代のチームを招待した交歓大会もあり、日本高校選抜もそれに出場した。
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近年はクラブユース勢の台頭とそれに伴う人材のシフトにより、ユース年代のサッカー大会としてのプレステージが[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-18)大会]]に移行しが、今なお多くの高校サッカー部の選手にとっては最も価値あるサッカートーナメントの位置を占めている大会であり、社会的にも最も大きな注目を集めるサッカー大会の一つである。また、クラブユースの台頭に伴って、かつて優勝を寡占した名門校の地位が下がり、また近年のサッカーの普及に伴って各地域の底上げがなされたことで、近年の大会は「戦国模様」を呈している。
近年はクラブユース勢の台頭とそれに伴う人材のシフトにより、ユース年代のサッカー大会としてのプレステージが[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-18)大会]]に移行し、当大会のレベル低下を指摘されているが、今なお多くの高校サッカー部の選手にとっては最も価値あるサッカートーナメントの位置を占めている大会であり、社会的にも最も大きな注目を集めるサッカー大会の一つである。また、クラブユースの台頭に伴って、かつて優勝を寡占した名門校の地位が下がり、また近年のサッカーの普及に伴って各地域の底上げがなされたことで、近年の大会は「戦国模様」を呈している。


=== 大会歌 ===
=== 大会歌 ===

2009年10月6日 (火) 07:15時点における版

全国高等学校サッカー選手権大会(ぜんこくこうとうがっこうさっかーせんしゅけんたいかい)は、高校サッカー部の頂点を決めるサッカーの大会。各都道府県代表(東京都は2校)48校による、トーナメント戦で行われる。通称「選手権」「冬の国立」「冬の高校サッカー」。英語表記は「ALL JAPAN HIGH SCHOOL SOCCER TOURNAMENT」。

概説

毎日新聞社主催時代

1918年(1917年度)に、大阪府豊中村豊中グラウンド大阪毎日新聞(現:毎日新聞)の主催による「日本フートボール優勝大會」として創設された(全国高校ラグビー大会の前身となるラグビー競技も併催)。当初は関西地区のみの大会で、関東地区では「関東蹴球大會」、中部地区では「東海蹴球大會」が別々に開催されていた。1925年度の第9回大会から全国での地区予選制となり、名称も「全國中等學校蹴球(しゅうきゅう)選手権大會」と改められ、ラグビー大会と分割した。以降、太平洋戦争による中止を挟み、戦後の学制改革で現在の名称となっても関西での開催が続いていた(開催会場は後述)。

そうしたなか、高校総体(インターハイ)が整備された1965年に、本大会をインターハイに組み入れるか否かで、大会運営をめぐる問題が発生。結局、暫定的に別大会として開催することに落ち着いたものの、同時に第1回大会より主催していた毎日新聞社が主催を降り、後ろ盾が無くなった。また運営コストがかさみ、大会継続は危機的状況となった。

読売新聞社主催へ

一方で当時、読売新聞社では正力松太郎が中心となり、将来的なプロ化もにらんだ本格的なサッカークラブである読売サッカークラブ1969年に発足させるなど、サッカーに対して力を入れつつあった。そうした動きの中で「クラブの長期的な存続には、将来的な選手の供給源の充実が不可欠である」として高校サッカーに対する支援を行うことになり、1970年8月には日本テレビの主催で全国の強豪校11チームを招待した「高校サッカー研修大会」を開催した。

読売新聞社・日本テレビではこの研修大会を継続して開催する意向だったが、夏場はインターハイや国民体育大会の予選など試合数が多く、日本蹴球協会(現:日本サッカー協会、以下JFA)側では研修大会の継続は難しいと判断。そこで代わりの策として、JFAでは本大会の主催に読売新聞社が加わること、並びに日本テレビが大会の中継を行うことを提案。これを読売新聞社側が了承したことから、翌1971年(1970年度)の第49回大会から日本テレビが大会のテレビ中継を行うことになった。しかしそれ以前はNHKが決勝戦のみテレビ中継を行っており、NHK側が日本テレビへの中継の移行に難色を示したため、1971年の決勝戦のみはNHKと日本テレビの二局同時中継という異例の形になった[1]

しかし1972年から日本テレビ系列の独占中継体制になることに対して全国高等学校体育連盟(高体連)が反発し、全国放送のNHKによる中継を廃するからには「最低でもNHKの8割のエリアをカバーできる放送体制を取る」よう要求した。当時の日本テレビのネットワーク体制ではとても無理な注文だったが、ここで電通が仲介に入り当時のTBS系列のローカル局と折衝を行い、日本テレビをキー局としつつTBS系列を含めたローカル局による全国38局の中継体制を築くことに成功。これにより1972年より正式に中継が日本テレビに移行した[2]

全国テレビ中継とスポンサーを得た本大会は、インターハイとは別個の独自の大会として運営は強化される方向に向かい、高校サッカーの最高峰の大会と位置づけられるようになった。

決勝大会の東京移転

第55回大会(1976年度)からは、決勝大会の会場を関東に移すこととなった。元々日本テレビやJFA関係者の間では決勝大会を首都圏で開催したいという要望が強かったことに加え、当時日本テレビで本大会の中継スタッフだった坂田信久が「(日本テレビに中継が移って)最初の二年で関西ではスタンドを満員にするのは厳しいとわかった」と語っているように、大会の採算面からも関西開催では大会の発展が厳しいという認識が関係者の間で広まり、最終的に高体連の47都道府県の委員長会議で多数決により会場の移転が決まった。しかし現在もなお、関西のサッカー関係者にはこの決定に不満を唱えるものが多数存在するという[3]

さらに第62回大会(1983年度)からは、原則として1都道府県1代表制で実施されるようになり(それ以前は、第60回記念大会(1981年度)を除き、都道府県大会のあと、さらに東北や九州などの地域大会で代表校を決めていた)、現在に至っている。

現在

国立競技場でのプレーが許されるのは、開幕戦を戦うチームとベスト4のチームの最大6チームだけであり、厳しく狭き門であると言える。開幕戦のなかった第77回(1998年度)以前はさらに厳しく、ベスト4の4チームだけであった。なかには、第67回大会(1988年度)のように、準決勝が駒沢陸上競技場で行われたため、国立のピッチに立てたのが決勝を戦う2チームだけというケースもあった(当時、1月第1土曜日に全国大学ラグビー選手権大会の決勝が国立競技場で行われており、この年の1月第1土曜日であった1月7日の準決勝は会場変更になった。1989年1月7日昭和天皇崩御したため、準決勝は1月9日に延期されたが、結局会場の変更はなく、駒沢陸上競技場で準決勝が行われた)。第62回大会(1983年度)も、同様の理由で準決勝が駒沢で行われた(準決勝が駒沢で行われたのは第62,67回大会の2回だけである)。第87回大会(2008年度)は全国大学ラグビー選手権大会決勝と日程が重なったため、準決勝は埼玉スタジアム2002で行われ、国立では開幕戦と決勝のみが行われた。また第56回大会(1977年度)では、唯一の例外として準々決勝のうち1試合(北陽高校vs習志野高校)が国立競技場で行われた(参考:高校スポーツデータ室)。「目指せ国立」は、この大会のキャッチコピーともなっている。

この大会の優秀選手から選手を選抜し、毎年4―5月に行われるヨーロッパでのユーストーナメント大会(隔年で偶数年にスイスベッリンツォーナ奇数年にドイツデュッセルドルフ)に日本高校選抜チームとして出場している。また、かつては「ニューイヤーユースサッカー」として、ヨーロッパのユース年代のチームを招待した交歓大会もあり、日本高校選抜もそれに出場した。

近年はクラブユース勢の台頭とそれに伴う人材のシフトにより、ユース年代のサッカー大会としてのプレステージが高円宮杯全日本ユースサッカー選手権(U-18)大会に移行し、当大会のレベル低下を指摘されているが、今なお多くの高校サッカー部の選手にとっては最も価値あるサッカートーナメントの位置を占めている大会であり、社会的にも最も大きな注目を集めるサッカー大会の一つである。また、クラブユースの台頭に伴って、かつて優勝を寡占した名門校の地位が下がり、また近年のサッカーの普及に伴って各地域の底上げがなされたことで、近年の大会は「戦国模様」を呈している。

大会歌

大会歌はバーズの「ふり向くな君は美しい」(作詞:阿久悠、作曲:三木たかし)である。これは、1976年度の第55回大会よりテーマソングとして使用されており、戦いに敗れた者の健闘を讃える曲として長年高校サッカーファンに愛されている。現在は、テーマ曲と併用して使われている(後述の「イメージソング」を参照のこと)。

レギュレーション

  • 都道府県大会は、おおむね9 - 11月にかけて各都道府県で行われる。大会の試合方式は、各都道府県により多少異なる。原則として、各都道府県予選に優勝した学校が全国大会に出場するが、東京都のみ2校出場が認められ、全48校でトーナメントを戦う。
    • 第69回大会(1990年度)では、武南習志野清水市商国見が推薦出場で予選免除されたため、全52校で争われた。
      • この年度は、都道府県大会が行われていたのと同時期に開催されたAFCユース選手権に、日本代表として上記の4校から選手が選出されていたため、推薦出場という措置がとられた。
    • 第79回大会(2000年度)では、前年度優勝の市立船橋が推薦出場で予選免除されたため、全49校で争われた。しかしその市立船橋が早々に敗退してしまったことが「予選免除による調整不足」と判断され推薦出場枠は翌年から廃止に。
  • 全国大会はトーナメント方式の一発勝負で行われる。全国大会の場合、警告2回で次の試合出場停止。
  • 試合時間については次の通り行う。
    • 準々決勝までは前後半40分ハーフの計80分で行い、前後半終了時に同点の場合は即PK戦で決着をつける。
    • 準決勝は前後半45分ハーフの計90分で行い、前後半終了時に同点の場合は即PK戦で決着をつける。
    • 決勝は前後半45分ハーフの計90分で行い、同点の場合は前後半10分ハーフ計20分の延長戦を行う。延長戦終了後、同点の場合はPK戦で決着をつける。
      • 第78回大会(1999年度)まで、決勝で延長戦でも決着が付かない場合、両校優勝(事実上優勝校無し)としていた。
      • 第81回大会(2002年度)まで、決勝も前後半40分ハーフの計80分で行われていた。
      • 第86回大会(2007年度)まで、準決勝も準々決勝までと同様の試合形式で行われていた。

使用会場

現在使用されている会場

以前使用されていた会場

多くの会場が、施設改修や芝の張り替えなどの理由で、幾度となく変更されている点もこの大会の特色である。

日程

同大会は選手の健康管理を考え、第73回大会(1994年度)より、それまでの新年元日1月1日)開幕(試合は1月2日から)から年内12月30日開幕(試合は大晦日12月31日)から)に早め、試合日程に余裕を持たせる措置をとった。これに伴い、以前は3回戦と準々決勝の中間日(1月5日)のみだった休養日が拡大され、3回戦と準々決勝の中間日(1月4日)に加えて、1回戦と2回戦の中間日(元日)、準々決勝と準決勝の中間日(1月6日)も休養日に当てられるようになった。

なお、第81回大会(2002年度)以降は、決勝戦をハッピーマンデー制度が適用された成人の日(1月第2月曜日)に移動して、さらに余裕を持たせている(ただし、1月第2月曜日の成人の日が1月8日であった、第85回大会(2006年度)については、準々決勝と準決勝を1月5・6日の連続開催とし、7日を休養に当てた。また、第86回大会(2007年度)は、1月6日が日曜日である点を考慮して準決勝を開催)。準決勝と決勝の間隔が開いたことにより、その間のコンディションの維持、もしくは回復が新たなポイントとなった。

開幕戦

元日開幕の頃は、開会式は天皇杯決勝戦の前座イベントとして行われていた(開幕式の模様は1月2日に1回戦の実況に先だって放映されていた)。ところが、12月30日開幕となって以降、開幕日は開会式のセレモニーのみ行われ、試合自体は行われていなかったため、観客動員の減少が懸念されていた。これをふまえて、第78回大会(1999年度)から一部変更し、開会式直後に国立競技場にて「オープニングマッチ」を開催することになった。

初めて開催された第78回大会では集客を考え、地元の東京のチームの試合が選ばれた。東京都は毎年2校出場するが、この年は帝京高校が2回戦から登場のシード校だったため、もう一校の国学院久我山高校の試合と事前に決められた(抽せんの結果対戦相手は沖縄県の具志川高校となった)。

次年度の第79回大会(2000年度)では、趣向を変えて、前年度優勝チームの市立船橋を推薦出場とし、対戦相手を抽せんで決めて開幕戦を開催してみたものの、その後、同校が2回戦敗退(PK戦による)と成績がふるわなかったことから、前年度優勝チームの推薦出場・開幕戦招待はその年度限りで廃止。第80回大会(2001年度)以降は、1回戦の対戦カードのうち、埼玉県、千葉県、神奈川県代表の試合を除いたものの中から1試合抽出し、対戦カードが決定されるようになった。さらに第86回大会(2007年度)より、東京B代表のチームの試合が1回戦に組まれた場合、その試合が最優先で開幕カードとなることになった。

歴代優勝校

年度 優勝校 スコア 準優勝校 ベスト4
日本フートボール優勝大会
1 1917年 御影師範 1-0 明星商 神戸一中、姫路師範
2 1918年 御影師範 5-1 明星商 姫路師範、奈良師範
3 1919年 御影師範 4-1 姫路師範 神戸一中、関学高等
4 1920年 御影師範 3-0 姫路師範 明星商、関学高等
5 1921年 御影師範 (0-0)3-0 神戸一中 京都師範、関学高等
6 1922年 御影師範 4-0 姫路師範 神戸一中、桃山中
7 1923年 御影師範 5-1 京都師範 神戸商、神戸一中
8 1924年 神戸一中 3-0 御影師範 京都師範、池田師範
全国中等学校蹴球選手権大会
9 1925年 御影師範 1-0 広島一中 京都師範、暁星中
1926年 (大正天皇崩御のため中止)
10 1927年 崇実 6-1 広島一中 東高師付中、都島工
11 1928年 御影師範 6-5(延長) 平壌高普 青山師範、明星商
12 1929年 神戸一中 3-0 広島師範 市岡中、東高師付中
13 1930年 御影師範 3-2 広島一中 青山師範、堺中
14 1931年 御影師範 6-1 愛知一師範 京都師範、広島一中
15 1932年 神戸一中 2-1 青山師範 愛知一師範、京都師範
16 1933年 岐阜師範 8-4(延長) 明星商 御影師範、京都師範
臨時
大会
1934年 神戸一中 5-3 明星商 御影師範、広島一中
17 1935年 神戸一中 2-1 天王寺師範 刈谷中、富山師範
18 1936年 広島一中 5-3 韮崎中 海星中、埼玉師範
19 1937年 埼玉師範 6-2 神戸一中 明星商、豊島師範
20 1938年 神戸一中 5-0 滋賀師範 崇仁商、広島一中
21 1939年 広島一中 3ー0 聖峰中 札幌師範、湘南中
22 1940年 普成中 4-0 神戸三中 明星商、滋賀師範
23 1941年 (中止)
24 1942年 (中止)
1943年
- 1945年
(太平洋戦争により中断)
25 1946年 神戸一中 2-1 神戸三中 堺中、和歌山中
26 1947年 広島高師付中 7-1 尼崎中 甲府中、水戸工
全国高等学校蹴球選手権大会
27 1948年 鯉城 2-0 上野北 池田、山田
28 1949年 池田 2-0 宇都宮 刈谷、山口東
29 1950年 宇都宮 4-0 小田原 岸和田、高知農
30 1951年 浦和 1-0 三国丘 長田、真岡
31 1952年 修道 2-1(延長) 韮崎 上野、刈谷
32 1953年 東千田
岸和田
1-1(延長) (両校優勝) 宇都宮工、韮崎
33 1954年 浦和 5-2 刈谷 東京都立朝鮮人高、熊本工
34 1955年 浦和 4-1 秋田商 韮崎、宇都宮工
35 1956年 浦和西 3-2 日立一 仙台育英、藤枝東
36 1957年 秋田商 4-2(延長) 刈谷 浦和西、明星
37 1958年 山城 2-1 広島大付 東京教大付、明星
38 1959年 浦和市立 1-0 明星 神戸、藤枝東
39 1960年 浦和市立 4-0 遠野 藤枝東、秋田商
40 1961年 修道 2-0 山城 宮城工、関西学院
41 1962年 藤枝東 1-0 浦和市立 明星、広島大付
42 1963年 藤枝東 2-0(延長) 明星 豊田西、浦和市立
43 1964年 浦和市立 3-1 宇都宮学園 仙台育英、鎌倉学園
44 1965年 習志野
明星
0-0(延長) (両校優勝) 京都商、新島学園
全国高等学校サッカー選手権大会
45 1966年 藤枝東
秋田商
0-0(延長) (両校優勝) 3位:浦和市立[3-1](延長)
4位:神戸
46 1967年 洛北
山陽
0-0(延長) (両校優勝) 3位:習志野[3-1]
4位:韮崎
47 1968年 初芝 1-0 山陽 3位:広島工[1-0]
4位:遠野
48 1969年 浦和南 1-0 初芝 3位:広島市商[1-0]
4位:韮崎
49 1970年 藤枝東 3-1 浜名 3位:浦和南[3-0]
4位:初芝
50 1971年 習志野 2-0 壬生川工 3位:帝京[3-0]
4位:清水市商
51 1972年 浦和市立 2-1(延長) 藤枝東 3位:帝京[1-1](延長)
3位:関西大倉
52 1973年 北陽 2-1 藤枝東 3位:相模工大付[6-0]
4位:四日市中央工
53 1974年 帝京 3-1 清水東 3位:児玉[0-0]
3位:相模工大付
54 1975年 浦和南 2-1 静岡工 愛知、広島工
55 1976年 浦和南 5-4 静岡学園 帝京、八幡浜工
56 1977年 帝京 5-0 四日市中央工 北陽、浦和南
57 1978年 古河一 2-1 室蘭大谷 八千代、本郷
58 1979年 帝京 4-0 韮崎 水戸商、愛知
59 1980年 古河一 2-1 清水東 韮崎、岡崎城西
60 1981年 武南 2-0 韮崎 古河一、清水市商
61 1982年 清水東 4-1 韮崎 帝京、守山
62 1983年 帝京 1-0 清水東 韮崎、四日市中央工
63 1984年 帝京
島原商
1-1(延長) (両校優勝) 武南、藤枝東
64 1985年 清水市商 2-0 四日市中央工 宇都宮学園、秋田商
65 1986年 東海大一 2-0 国見 秋田商、室蘭大谷
66 1987年 国見 1-0 東海大一 四日市中央工、市船橋
67 1988年 清水市商 1-0 市船橋 前橋商、暁星
68 1989年 南宇和 2-1 武南 前橋商、国見
69 1990年 国見 1-0(延長) 鹿児島実 東海大五、武南
70 1991年 四日市中央工
帝京
2-2(延長) (両校優勝) 国見、市船橋
71 1992年 国見 2-0 山城 武南、習志野
72 1993年 清水市商 2-1 国見 鹿児島実、東福岡
73 1994年 市船橋 5-0 帝京 奈良育英、守山北
74 1995年 静岡学園
鹿児島実
2-2(延長) (両校優勝) 東福岡、初芝橋本
75 1996年 市船橋 2-1 桐光学園 徳島商、静岡学園
76 1997年 東福岡 2-1 帝京 丸岡、藤枝東
77 1998年 東福岡 4-2 帝京 滝川二、前橋育英
78 1999年 市船橋 2-0 鹿児島実 前橋育英、富山一
79 2000年 国見 3-0 草津東 富山一、青森山田
80 2001年 国見 3-1 岐阜工 鹿児島実、前橋育英
81 2002年 市船橋 1-0 国見 滝川二、桐蔭学園
82 2003年 国見 6-0 筑陽学園 滝川二、鹿児島実
83 2004年 鹿児島実 0-0(延長)
(PK 4-2)
市船橋 国見、星稜
84 2005年 野洲 2-1(延長) 鹿児島実 多々良学園、遠野
85 2006年 盛岡商 2-1 作陽 八千代、神村学園
86 2007年 流経大柏 4-0 藤枝東 津工、高川学園
87 2008年 広島皆実 3-2 鹿児島城西 前橋育英、鹿島学園

主催

担当都道府県 参加民放社名 放送系列 備考   担当都道府県 参加民放社名 放送系列 備考
東京都 日本テレビ NNS 主幹局   愛媛県 南海放送 NNS
茨城県 高知県 高知放送
北海道 札幌テレビ 山口県 山口放送
青森県 青森放送 福岡県 福岡放送
岩手県 テレビ岩手 佐賀県
宮城県 ミヤギテレビ 長崎県 長崎国際テレビ 1991年開局
秋田県 秋田放送 熊本県 くまもと県民テレビ 1982年開局
山形県 山形放送 鹿児島県 鹿児島読売テレビ 1994年開局
福島県 福島中央テレビ 大分県 テレビ大分 FNS/NNS
新潟県 テレビ新潟 1981年開局 宮崎県 宮崎放送 JNN
長野県 テレビ信州 1980年開局 沖縄県 沖縄テレビ FNS
山梨県 山梨放送 栃木県 とちぎテレビ 独立U協 1999年開局
静岡県 静岡第一テレビ 1979年開局 群馬県 群馬テレビ
愛知県 中京テレビ 埼玉県 テレビ埼玉 1979年開局
富山県 北日本放送 千葉県 チバテレビ
石川県 テレビ金沢 1990年開局 神奈川県 テレビ神奈川
福井県 福井放送 NNS/ANN 岐阜県 岐阜放送 1968年開局
大阪府 読売テレビ NNS 三重県 三重テレビ
鳥取県 日本海テレビ 1989年フルネット化 滋賀県 びわ湖放送
島根県 京都府 KBS京都
広島県 広島テレビ 奈良県 奈良テレビ
岡山県 西日本放送 1983年相互乗り入れ 和歌山県 テレビ和歌山
香川県 兵庫県 サンテレビ
徳島県 四国放送

過去の参加放送局

担当都道府県 民放社名 中継終了年次 引き継いだ社名 理由
岩手県 岩手放送
(現:IBC岩手放送)
1982年 テレビ岩手 系列局への一本化
福島県 福島テレビ (未確認) 福島中央テレビ 系列局への一本化
栃木県 日本テレビ 1999年 とちぎテレビ 地元局開局による移行
新潟県 新潟放送 (未確認) テレビ新潟 系列局への一本化
長野県 信越放送 1990年 テレビ信州 長野朝日放送開局による
テレビ信州フルネット化のため
静岡県 静岡放送 1983年 静岡第一テレビ 系列局への一本化
石川県 北陸放送 1990年 テレビ金沢 系列局開局による移行
愛知県 名古屋テレビ 1973年 中京テレビ 系列整理による一本化
島根県 山陰放送 1971年 日本海テレビ 日本海テレビへのNNS
番組一本化のため
岡山県 山陽放送 - 西日本放送 相互乗り入れによる
系列局への一本化
長崎県 長崎放送 1991年 長崎国際テレビ 系列局への一本化
熊本県 熊本放送 1982年 くまもと県民テレビ 系列局への一本化
大分県 大分放送 1999年 テレビ大分 系列局への一本化
鹿児島県 南日本放送 1994年 鹿児島読売テレビ 系列局開局による移行

補足

  • 毎年、日本テレビ(主幹局)+NNS系列放送局+独立UHF放送局(若干局)が、幹事局とされている。
  • かつては一部地域において、1つの県で2つのテレビ局が共同で主催・制作していた時期があった。静岡県では静岡第一テレビと静岡放送が(静岡地区においては参加局の切り替えが行われた年に限り、両局で決勝戦が同時放送された)、長野県ではテレビ信州と信越放送が、長崎県では長崎国際テレビと長崎放送が、熊本県ではくまもと県民テレビと熊本放送が共同で行っていた。石川県では1990年のテレビ金沢開局後も、石川県大会は1994年まで北陸放送で放送されていた。これらは、NNS系列局が開局して年数がまだ経っておらず、制作能力がまだ弱かったことや、テレビ信州についてはテレビ朝日系列メインのクロスネットだったことと、フルネット後も信越放送が長野県大会の主催を続けており、SBC(信越放送)杯兼高校選手権県予選というねじれが解消されるのに時間がかかったためである。
  • また、日本テレビ系フルネット局がない、もしくはあっても、クロスネットでメインネットが日本テレビ系でない地域では、系列に関係なくテレビ第一波目のVHF局が参加放送局だった地域が多かった。そのため、JNN系列局が参加していた地域もあった。しかし、日本テレビ系の新局が開局したことにより、制作参加局がそちらへ移るようになったため、現在は宮崎放送のみとなった。
  • 三重県は現在、三重テレビが担当しているが、日本テレビが中継を開始した当初は名古屋テレビが、1973年4月の系列整理による一本化から1980年度の大会までは、中京テレビが担当していた(三重テレビが放送を開始したのは、1981年度の第60回記念大会から)。
  • 優勝校にはサッカーボールを模った金色の民放杯が、また準優勝校には銀色、3位になった高校には銅色の民放杯が贈呈される。なお、民放杯は協賛社杯同様永久保持が認められている。

テレビ・ラジオ中継

テレビ中継

民間放送43社(地上波)での放送
  • 原則として、各都道府県の主としてNNS系列29局、および東京MXテレビを除く独立UHF放送局12局、宮崎放送JNN)、沖縄テレビFNS)が、都道府県の地方大会決勝や全国大会における当該地域の試合(一部地域を除き独立UHF放送局などでは地元代表校の勝敗を問わず放送)、また全国大会の開会式、準決勝及び決勝を放送する。ただし、日本テレビは東京都茨城県(日本テレビは関東圏の広域放送だが、それ以外の関東各県は各独立UHF局担当)、日本海テレビ鳥取県島根県西日本放送香川県岡山県福岡放送福岡県佐賀県を担当する。なお、広域放送の中京テレビ・読売テレビでもそれぞれの本社所在府県のみ(中京テレビ:愛知県、読売テレビ:大阪府)の担当である。また、関連番組としてベスト8・ベスト4に勝ち上がったチームを詳しく紹介する「ベスト8・ベスト4への歩み」と、当日の試合を振り返る「全国高校サッカーハイライト・"サッカー魂"」(一部地域を除く)が放送される。
    • 一県一代表校制度の実施以前、当時民放テレビ局の存在しない栃木県の場合は、群馬県との北関東ブロック大会の試合や全国大会の一回戦などの試合は、群馬テレビのみで放送され、日本テレビでの中継が無かったため、栃木県内では視聴できない状況があった。ただし、同じく民放テレビ局が現在でも存在しない茨城県の場合は、古河第一高校や水戸商業高校など全国大会でも好成績を残す学校があったことと、早くから一県代表校地域となったために、日本テレビによる決勝戦の中継が行われていた。
    • 地方大会に関しては、参加放送局により都道府県の地方大会準決勝ハイライトから放送するところもあるなど、まちまちである。
    • オープニング・エンディングともに、全国共通のを地方大会から使用するところもあれば、局独自制作のを使用するところもあるなどまちまちである。オープニング・エンディングVTRが同じだが、提供クレジットが局のものだったものもある。
    • 日本テレビが中継を開始してから1990年代初期の頃までは、決勝戦を除いては前半戦の途中から(だいたい20分前後のあたりから)放送を開始することが多かった。
    • 2005年1月8日の準決勝第2試合において、PK戦5人目終了時点で成功同数であった状況で放送終了した。その後、番組終了から2時間で、約200件に及ぶ抗議電話が、放送された日本テレビへかかってきたという(なお、翌年から準決勝の延長時間が5分拡大されている)。そのためか、遅れネット局はこの試合のスコア表示およびPK戦を最後まで放送する対応をなされた。また、決勝・準決勝以外でもPK戦の途中で番組終了するケースも多々ある。2004年12月31日は各会場で雪に見舞われて放送が中断したり、試合途中に除雪作業をしたために、PK戦の途中で終了した所もあった。
    • 中継では各参加局からアナウンサーが派遣され、地元校の実況の他、ベンチ・応援席リポート(同一アナウンサーが担当するのではなくベンチと応援席それぞれにアナウンサーを配置)も担当する。アナウンサーは長年大会にかかわりのあるメイングループとそれ以外のご当地アナウンサーの二つに分かれており、メイングループは地元校が敗退しても決勝戦まで主に応援席リポート、サブ(実況者のサポート)の仕事がある一方、アナウンサーをまったく派遣しない局(テレビ埼玉・千葉テレビ・とちぎテレビ・奈良テレビ)もある。
    • 実況は初戦(1回戦と2回戦の一部)をご当地アナウンサーが、2戦目以降は決勝までメイングループのアナウンサーが担当する。初戦は東西対決のため、奇数回大会を東日本のアナウンサーが担当し、偶数回大会は西日本のアナウンサーが担当する。局の事情(兼営局などにみられる)で実況経験のないアナウンサーが派遣された場合や元から派遣されたアナウンサーがいない場合は、もう一方のアナウンサーが担当するが、どちらもいない場合(埼玉・千葉・栃木各県代表VS奈良県代表試合など)はメイングループのアナウンサーが担当となる。中継するチームが初戦の場合は、ハーフタイムの時間にチーム紹介VTRを流す。また2戦目以降はスタンドからリポートが入る。
    • 準決勝では参加局枠があり小澤昭博(読売テレビ)がほぼ毎年担当している。過去の準決勝実況経験者には、宮城テレビの三雲茂晴、青森放送の大竹辰也(現在はフリー)、読売テレビの小城敏牧野誠三(現在はともに別部署所属)等がいる。決勝戦は日本テレビのアナウンサーが担当し、ここ数年は藤井貴彦が担当している。
    • 最近では珍しくはないが、女性アナウンサーもリポーターや実況を務めており、実況者としては今までに、宮城テレビの岩瀬裕子(既に退職)、テレビ神奈川三崎幸恵佐藤亜樹テレビ和歌山の山田みゆきの4名が務めている(三崎は佐藤に山田は上枝俊也に引き継いでいる)。また85回大会(2006年)では日本テレビ系列局外の平田雅輝三重テレビ)が、開会式の進行と優勝インタビュアーを担当した。日本テレビでは鈴江奈々が試合の実況をしたこともある。
    • メイングループの実況は監督エピソードに終始し、ピッチ上の展開を疎かにしており、特に解説者がその監督に師事していた場合、完全に話が試合から脱線する傾向があり、これを非難する声も大きい。またご当地アナウンサーは地元校に肩入れするアナウンサーがここ1、2年出ており、レベルの低下が叫ばれている。
    • 決勝戦のエンディングでは参加全アナウンサーがフルネームでスクロール表示される(所属局クレジットはなし)技術スタッフと制作会社も競技場ごとに表示される。
    • 地上デジタル放送では、開会式と3回戦から決勝まで(2007年度は準々決勝から決勝まで、2006年度までは準決勝・決勝のみ)をハイビジョン制作、準決勝・決勝を5.1chサラウンドステレオで放送。連動データ放送もある(NNS系列以外では実施していない局もある)。
    • 第85回(2006年)の幹事社は、日本テレビ放送網読売テレビ放送テレビ岩手テレビ神奈川静岡第一テレビ福井放送びわ湖放送山口放送熊本県民テレビである。
    • 第85回以降の準決勝・決勝の大会協賛スポンサーによる提供クレジットは、日本テレビ系列番組の『世界一受けたい授業』・『世界の果てまでイッテQ!』と同じカラーテロップになっているが、ユニフォームの色が被ることから、全社じゅうたん付きで表示している。
衛星放送
  • BS日テレでは、準々決勝~決勝を録画で放送。また、日テレG+では、12月に地方大会の決勝戦を、1月末からは全国大会の全試合を録画放送している。
動画配信

ラジオ中継

各地の中波ラジオ局が、各当地校の試合を中継しているが、局によって扱いはまちまちである。

  • 静岡放送では地元代表校の試合を初戦から生中継する。
  • 決勝戦はニッポン放送RFラジオ日本でも中継されるが、2009年はRFラジオ日本のみ中継された。また、ラジオ関西では2005年まで、RFラジオ日本の中継を放送していた。
  • 鹿児島実業が2005年、鹿児島城西が2009年に決勝戦に進出したため、南日本放送にもネットされた。
  • 鹿島学園(茨城県)出場試合を、エフエムかしま(茨城・鹿嶋市のコミュニティFM局)が中継した(2006年)。

イメージソング

第73回大会(1994年度)からは、回ごとのイメージソングも設けられている。これらの曲はテレビ中継のエンディングで流れるほか、開会式や決勝戦でライブパフォーマンスを披露することもある。

なお、第82回大会(2003年度)を前に「Golden Age 〜黄金世代〜 全国高校サッカー選手権大会イメージソングコンピレーション」がキューンレコード(第82回大会のゴスペラーズが所属するレーベル)から発売され、大会歌「ふり向くな君は美しい」も含め、第82回大会までのイメージソングが収録されている。ただし、第74回大会の「風になって」は収録されていないが、TOKIOが所属するジャニーズ事務所が原盤権を持っているため、同社の許可が下りなかったものと推定される。

イメージキャラクター

第81回大会(2002年度)より、高校サッカー経験を持つ日本の現役プロサッカー選手(平山相太は起用当時アマチュア)がイメージキャラクターとして、大会ポスターのモデルに起用されている(出身校名の後の※は、在学中に本大会進出経験なし)。

応援マネージャー

第84回大会(2005年度)より応援マネージャーが導入された。選手と同世代の女性タレントが起用され、主にテレビの中継や関連番組に登場する。また開会式では入場行進の先導役を務める。

全国大会の組み合わせ抽せんの手順(現在)

  • 基本的に予備抽せんを経て本抽せんとなる。抽せん会は2003年(第82回大会実施分)から、東京都港区汐留の日本テレビ本社スタジオで行われている。2002年には六本木のディスコ「ヴェルファーレ」で、またそれ以前は東京都立日比谷高等学校で行われた。

予備抽せん

  • 全国大会の抽せん会場に来たチームから、順にくじを引き、その番号が小さい順に本抽せんを行なう。

本抽せん

  • トーナメント表の番号(1番から48番)に各校が振り分けられる。原則として、初戦で同じ地区が対戦しないように東西(福井、岐阜、愛知までが東ブロック。京都、滋賀、三重から西ブロック)に分けられている。抽せんの際、東ブロックは奇数の番号札、西ブロックは偶数の番号札を引く(ただし、第79回大会は出場校が49校だった関係で、トーナメント番号38番以降が入れ替わっていた)。ただし事前の制約があるチームから抽せんする。

シード校

  • シード校は、前年度の成績でベスト4以上だった都道府県に割り当てられる。出場校が異なっていてもシード権は引き継がれる。シード校のトーナメント表における番号が決まっている。前年度優勝の都道府県のチームは1番、準優勝の都道府県のチームは48番、3位の2校は24番と25番(この2つの番号は、前年度大会の準決勝で対戦した都道府県が、決勝まで対戦しないように分けられる)にまず入る。この4校は抽せんする必要が無い。この際に、西ブロックのチームが1番か25番に、あるいは東ブロックのチームが24番か48番に入った場合は、東ブロックの他のチームが偶数の番号札(2番か26番)、西ブロックの他のチームが奇数の番号札(23番か47番)を引くことになる。シード校は、全チーム2回戦が初戦になる。他には、シード校の初戦の対戦相手やそれ以外のチームでも8校(トーナメント番号11番から14番、35番から38番を引いたチーム)も2回戦からとなる。

開催地区の抽せん

  • 開催地である東京都A、千葉県、神奈川県、埼玉県の4校。これらのチームは、開催地区が重ならないように準決勝まで対戦しないように分けられる。まず、トーナメント表の4つのゾーンの中のどこに入るか、ゾーン抽せんをする(Aゾーンが1番から12番、Bゾーンは13番から24番、Cゾーンが25番から36番、Dゾーンが37番から48番)。その後に、決まったゾーンの中のどこに入るかを決める本抽せんをする。ただし、半分は西ブロックに割り当てる番号なので、本抽せんの箱にある5枚または6枚の抽せん札から選択する(ちなみに第84回大会までは、ゾーン抽せんは8つのゾーンに分かれていた)。4校の抽せんが終了すると、東京都Bのチームの抽せんをする。東京は2チームが出場するので、この2校が決勝まで対戦しないように分けられ、すでに決まっている東京都Aのチームと反対側に入る。なお東京都Bは、1回戦に決まると無条件に国立競技場での開幕カードとなる(86回大会より)。また、抽せんの際に2回戦か3回戦に開催地区と当たる可能性のある番号に決まると、東京以外の会場になる。

東海地区の抽せん

  • 東海地区は静岡県、岐阜県、愛知県、三重県の4校だが、三重県は西ブロック、他3県は東ブロックのため、初戦で対戦しないように分けられる。まず三重県のチームが抽せんする。この時、すでにシード校の中に東の東海地区のチームがある場合は、そのチームと初戦で対戦することになる番号札を事前に抜き取ってから抽せんする。また三重県のチームが抽せんした時点で初戦の対戦相手が決まらなかった場合は、そのチームと初戦で対戦することになる番号札を一時的に抽せん箱から抜き取ってから、残り3県のチームが抽せんをする。抜き取った番号札がある場合、この抽せんが終わった後に抽せん箱に戻される。

これですべての制約のある抽せんが終わる。後は残りの高校が1校ずつくじを引いていき、すべての組み合わせが決定する。これらすべての抽せんは制約のあるチーム、無いチームすべて範囲内で予備抽せんの番号の小さい順に行なわれる。組み合わせ決定後に開幕戦のカードを決める抽せんをして(開幕戦の項を参照)、さらに選手宣誓の抽せんも行なう。選手宣誓は、開幕戦を戦う2チーム以外の46チームの中から選ばれる。

その他、備考

  • (同じ抽せん箱に入る可能性は無いが)混同しやすい6番と9番の番号札に関しては、アラビア数字算用数字)は用いないで、漢数字を使用する。よって6は「六」、9は「九」と書かれている。
  • もし、抽せん会までに代表校が決まらなかった場合は、抽せん日には都道府県代表の番号だけ決めておき、代表校が決まるとその番号に入る。これまでに代表校が決まらない事例としては、災害により地区予選の開催が遅れること(最近では第83回大会の新潟県予選が、新潟県中越地震の影響で、抽せん会の時点で準々決勝以降が残っていた)や、地区予選開催時期に、U-18など年齢制限のある日本代表に招集される選手がいる、またはその可能性がある場合、そのチームの主力選手の欠場による戦力的な不利をなくすため(第86回大会の予選では、この理由で6県が抽せん会までに予選が終了しなかった)などがあった。なお、第69回大会で採られた措置(レギュレーションの項を参照)もあった。
    • このようなケースでは、対戦相手が抽せん会で決まらないことで、すぐに相手の分析ができないが、その地区の予選会場で相手をある程度しぼりこんで分析できるなどのメリット・デメリットが、対戦相手には生じるといえる。

主催者の不手際

  • 第80回大会で起きた。予備抽せんの後、主催者が14番目の長野県代表の松商学園高校を富山県代表(この大会の富山県代表はシード校だったため、予備抽せんはあまり意味がなかったための不注意と思われる)と記してしまい、14番目以降がすべて抽せん順が1つずつ間違ったまま、あと2校というところまで気付かれなかった。このため、14番目以降の抽せんがすべてやり直された。このため、対戦相手も大きく変わってしまった。なかでもシード校は、前回準優勝の滋賀県代表の草津東高校は群馬県代表の前橋育英高校、前回3位の青森県代表の青森山田高校は鹿児島実業高校との強豪との初戦に変わってしまい、共に初戦で敗退している。ちなみに間違えられた松商学園高校の初戦は、前回優勝校の長崎県代表の国見高校だった。

その他特記事項

  • サッカー以外のほとんどのスポーツで全国大会はあるが、この大会のように第1回から第8回までが「関西地区のみの大会」であり、第9回大会から「全国大会」になったにも関わらず、第1回 - 第8回大会までも「全国大会」として含めてカウントとしているケースは珍しい。この時代の関西、特に兵庫県の競技レベルが高かったのは事実だが、他地域から関西へ練習試合に行くと勝ったり負けたりがあり、他地域からこの大会の参加は拒否されていた。これについての意見として、「関西地区のみの大会」を前身とするのは何ら問題はないが、「全国 … 大会」と銘打っている以上、全国から参加を認めた1925年の第9回大会からを第1回大会と改め、「全国中等学校蹴球選手権大会 - 全国高等学校サッカー選手権大会」とすべきという意見もある。これは歴代優勝回数ランキングなど、とくに大会の歴史・記録統計の際に問題となりうる。
  • この大会の発祥は豊中グランドであるが、同様のルーツを持つ高校野球高校ラグビーのように、豊中を聖地化するような動きは無い。これには、上記の理由と豊中グランドイコール高校野球の聖地とイメージが強すぎる事と、当時の主催が毎日新聞社(現在は日本テレビ)だった点があげられる。
  • 草創期に7連覇した御影師範をはじめ、戦前まで参加していた師範学校は、現在の学制では大学に相当する。しかし、現在の単線型の学校体系と異なり、当時は複線型の学校体系であったため、現代の感覚で両者を峻別するのには無理がある。また、師範学校男子生徒の年齢層も、1908年から1925年までは15歳 - 19歳程度(4年制)、1925年から1943年までは14歳 - 19歳程度(5年制)で、むしろ現代の高校生に近い年齢層であった(一方の旧制中学生は12歳-17歳程度)。なお、野球では中等学校野球と師範学校野球は区別されていた。

協賛

テレビ中継のオープニング・エンディングでのスポンサー紹介では、PUMAを除いて、各社のコーポレートメッセージ・キャッチコピーが付け加えられる形での紹介方法である。

  • TEIJIN
  • 三井ホーム
  • PUMA
    この中継で放送されるCMはオリジナル。高校サッカー経験のある同社契約のプロサッカー選手が、ハイライト映像&思い出とともに語るというもの(第87回大会の出演は高校サッカー経験がほとんどない三浦知良だったので、例年と作りが異なっていた)。CMの最後は、高校サッカーへエールを送る。
  • Coca-Cola
    第85回本大会におけるCMおよび場内看板などの広告活動は、同社のスポーツドリンク「AQUARIUS」に限定している。各試合放送終了後のヒッチハイクスポンサーでもあり、第85回本大会でのヒッチハイクCMでは、「ジョージア」のCMも放送された。第86回大会は、「コカ・コーラ」がCMおよび場内看板などの広告活動の際に、主に用いられている。
  • 明治製菓(放送では「Meiji」名義)
    同社のお菓子のCM、年度によりサプリメント「ザバス」のCMが放送されている。また都道府県予選から決勝にかけての時期が、秋から冬と風邪の流行期に差し掛かることも関係してか、うがい薬「イソジン」のCMが放送される。87回大会(2009年)からは同根の明治乳業との経営統合が決定していることから、明治乳業が発売しているスポーツ飲料のVAAM(ヴァーム)のCMが放送された。
  • FUJI XEROX(1970年から参加)

なお、上記6社はすべて4回ずつCMを流す。主に試合開始前に1回、ハーフタイム中に2回、後半終了後に1回1社ずつ流す。後半の提供クレジットは、4回目のCMが放送された順番に表示される。

過去の協賛社

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ 『スポーツ中継 知られざるテレビマンの矜恃』(梅田明宏著、現代書館2008年)pp.98 - 101
  2. ^ 梅田 pp.102 - 104
  3. ^ 梅田 pp.104 - 106