「熊野大社」の版間の差分
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== 参考文献 == |
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*篠原四郎 『熊野大社』 [[学生社]]、改訂新版 平成13年(2001年) |
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:公式本、著者は宮司を務めた(明治31年~昭和53年)。 |
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*『熊野大社』 |
*『熊野大社』 熊野大社崇敬会編、平成2年(1990年) |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2009年10月22日 (木) 12:03時点における版
熊野大社 | |
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熊野大社本殿 | |
所在地 | 島根県松江市八雲町熊野2451番 |
位置 | 北緯35度22分23.50秒 東経133度4分13.98秒 / 北緯35.3731944度 東経133.0705500度 |
主祭神 | 熊野大神櫛御気野命 |
社格等 |
名神大社(熊野坐神社) 国幣大社 別表神社 |
創建 | 神代 |
本殿の様式 | 大社造 |
例祭 |
節分祭 立春立志祭 御櫛祭 長寿祭 元宮祭 大祓・夏越祭 秋季例大祭(10月14日) 鑽火祭 |
熊野大社(くまのたいしゃ)は島根県松江市八雲町にある神社。火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。意宇六社の一つ。
和歌山の熊野三山も有名だが、熊野大社から和歌山に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。
『出雲国風土記』には熊野大社と記されていた。その後『延喜式神名帳』では熊野坐神社と記された。
中世には熊野信仰の影響を受けて「上の宮(熊野三社)」と「下の宮(伊勢宮)」に分かれた(上の宮は明治の神社合祀で下の宮に統合された)。
近代社格制度のもとで神社名を熊野神社として1871年に国幣中社に列格した。1916年に国幣大社に昇格した。1977年に上古の名前を回復する形で現在の熊野大社と改称した。
祭神
祭神名は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」とし、素戔嗚尊の別名であるとしている。「伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)」は「イザナギが可愛がる御子」の意、「加夫呂伎(かぶろぎ)」は「神聖な祖神」の意としている。「熊野大神(くまののおおかみ)」は鎮座地名・社名に大神をつけたものであり、実際の神名は「櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」ということになる。「クシ」は「奇」、「ミケ」は「御食」の意で、食物神と解する説が通説である。
これは『出雲国造神賀詞』に出てくる神名を採用したものであり、『出雲国風土記』には「伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命(いざなひのまなご くまのにます かむろのみこと)」とある。本来、櫛御気野命は素戔嗚尊とは無関係であったものとみられるが、『先代旧事本紀』「神代本紀」には「出雲国熊野に坐す建速素盞嗚尊」とあり、かなり古い時代から櫛御気野命が素戔嗚尊と同一視されるようになったと考えられる。明治に入り、本来の形に復するとして祭神名を「神祖熊野大神櫛御気野命」として素戔嗚尊の名を廃したが、後の神社明細帳では「須佐之男命、またの御名を神祖熊野大神櫛御気野命」となり、元に戻っている。
創建
神代。『日本書紀』に出雲国造をして厳神の宮を作らしむとの記載あり(出雲大社のことであるという説もある)。
神階
正二位(貞観9年)。
神紋
一重亀甲に「大」の文字。
建造物
- 本殿 - 大社造。現在のものは昭和23年(1948年)の造営。
- 鑽火殿 - 鑽火祭の舞台となる。大正4年(1915年)の造営。
- 舞殿 - もともと拝殿だった建物を昭和53年(1973年)に移築したもの。
- 稲田神社 - 祭神:櫛名田比売命、足名椎命、手名椎命他六社合祀。
- 伊邪那美神社 - 祭神:伊邪那美命他十九社合祀。元々は上の宮の社殿。
- 荒神社
- 稲荷神社
文化財
県指定
主な行事
- 2月3日 - 節分祭
- 3月下旬 - 立春立志祭
- 4月13日 - 御櫛祭
- 4月29日 - 長寿祭
- 5月第4日曜日 - 元宮祭
- 6月30日 - 大祓・夏越祭
- 10月14日 - 例大祭
- 10月15日 - 鑽火祭
交通
JR松江駅から一畑バス八雲行きで23分、八雲バス停で八雲コミュニティバス熊野行きバスに乗り換え16分、熊野大社前下車。
参考文献
- 篠原四郎 『熊野大社』 学生社、改訂新版 平成13年(2001年)
- 公式本、著者は宮司を務めた(明治31年~昭和53年)。
- 『熊野大社』 熊野大社崇敬会編、平成2年(1990年)