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[[1986年]][[2月6日]]、2連敗後の再起戦で尾崎富士雄の持つ[[ボクシング日本王者一覧|日本]]ウェルター級王座に挑戦し、2-1の判定勝利で同王座を獲得。同年6月5日、初防衛戦で尾崎とのリターンマッチに5RKO負けを喫し、王座を失った。
[[1986年]][[2月6日]]、2連敗後の再起戦で尾崎富士雄の持つ[[ボクシング日本王者一覧|日本]]ウェルター級王座に挑戦し、2-1の判定勝利で同王座を獲得。同年6月5日、初防衛戦で尾崎とのリターンマッチに5RKO負けを喫し、王座を失った。


[[1987年]][[1月8日]]、日本[[スーパーウェルター級|ジュニアミドル級]]王座決定戦を[[久保健司]](アポロ)と争い、初回2分59秒KO勝利で王座を獲得した。
[[1987年]][[1月8日]]、日本[[スーパーウェルター級|ジュニアミドル級]]王座決定戦を[[久保健司]](アポロ)[[http://www11.ocn.ne.jp/~kenz/]]と争い、初回2分59秒KO勝利で王座を獲得した。


同王座を1度防衛後の1987年8月23日、猛暑の韓国・[[仁川広域市]]で鄭栄吉(韓国)の持つOPBF東洋太平洋ジュニアミドル級王座に挑戦し、[[脱水 (医療)|脱水症状]]を起こして9RKO負けを喫した。日本同級王座は全KO勝利で4度防衛した後、1988年10月6日に返上した。
同王座を1度防衛後の1987年8月23日、猛暑の韓国・[[仁川広域市]]で鄭栄吉(韓国)の持つOPBF東洋太平洋ジュニアミドル級王座に挑戦し、[[脱水 (医療)|脱水症状]]を起こして9RKO負けを喫した。日本同級王座は全KO勝利で4度防衛した後、1988年10月6日に返上した。

2009年10月24日 (土) 01:42時点における版

田端 信之
基本情報
本名 田端 信之
通称 和製ハーンズ
階級 ウェルター級
スーパーウェルター級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1963-12-27) 1963年12月27日(60歳)
出身地 神奈川県横浜市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 32
勝ち 24
KO勝ち 22
敗け 6
引き分け 2
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田端 信之(たばた のぶゆき、男性、1963年12月27日 - )は、日本の元プロボクサー神奈川県横浜市出身。元日本ウェルター級、同スーパーウェルター級王者。現役時代はコーエイ工業小田原ボクシングジム所属。身長186cm。パンチ力、テクニックともに中量級では傑出し、「和製ハーンズ」の異名をとった。

来歴

プロ

1981年12月27日、プロデビュー戦に初回KO勝利を収めた。

デビュー以来6戦連続KO勝利後の1982年12月19日、不戦勝で東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得。翌1983年3月5日、8戦連続KO勝利で全日本ジュニアウェルター新人王を獲得し、同大会のMVPに選出された。

1984年1月13日、プロ12戦目にして無限川坂(上福岡)との対戦に10R判定負けで初黒星を喫し、同年4月5日には尾崎富士雄(帝拳)との対戦に4RKO負けを喫して2連敗となった。その後、6勝(5KO)を上げるが、1985年9月30日、オーストラリアブリスベン・フェスティバル・ホールでオーストラリアウェルター級王者のブライアン・ジェンセンに5RTKO負け。同年11月16日、韓国城南市で後のOPBF東洋太平洋ジュニアウェルター級王者・李相縞(韓国)に10RKO負けを喫した。

1986年2月6日、2連敗後の再起戦で尾崎富士雄の持つ日本ウェルター級王座に挑戦し、2-1の判定勝利で同王座を獲得。同年6月5日、初防衛戦で尾崎とのリターンマッチに5RKO負けを喫し、王座を失った。

1987年1月8日、日本ジュニアミドル級王座決定戦を久保健司(アポロ)[[1]]と争い、初回2分59秒KO勝利で王座を獲得した。

同王座を1度防衛後の1987年8月23日、猛暑の韓国・仁川広域市で鄭栄吉(韓国)の持つOPBF東洋太平洋ジュニアミドル級王座に挑戦し、脱水症状を起こして9RKO負けを喫した。日本同級王座は全KO勝利で4度防衛した後、1988年10月6日に返上した。

1989年3月20日、田島吉秋(ベル協栄)の持つ日本ミドル級王座に挑戦し、三者三様の判定引分となって3階級制覇は果たせず、この試合を最後に現役を引退した。

引退後

2007年には翌年公開の映画「ラブファイト」のために林遣都北乃きい大沢たかおらにボクシングを指導した。

2008年には「ザ・おやじファイト」に出場し、ミドル級王座を獲得した。

現在は東京渋谷区神宮前で社会人にボクシングを指導する他、B-UPスパーリングマッチのプロデューサーを務め、2009年8月23日には第1回大会が開催された。

獲得タイトル

関連項目

外部リンク

前王者
尾崎富士雄
第31代日本ウェルター級王者

1986年2月6日 - 1986年6月5日

次王者
尾崎富士雄
空位
前タイトル保持者
カーロス・エリオット
第18代日本ジュニアミドル級王者

1987年1月8日 - 1988年10月6日(返上)

空位
次タイトル獲得者
上山仁