コンテンツにスキップ

「スカイライナー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Z (会話 | 投稿記録)
m =歴史= 京成3400形電車
Sat.K (会話 | 投稿記録)
=歴史= リンク付加程度。
12行目: 12行目:
[[1978年]][[5月21日]]、新東京国際空港開港にあわせ、ようやく本来の空港連絡特急として上野-成田空港(現在の[[東成田駅|東成田]])間で運行されることとなったが、当時の成田空港駅はターミナルビルから大きく離れ、バス連絡を要する等の不便さがあり、客足はなかなか伸びなかった。さらに開港直前の[[5月5日]]、宗吾車庫に留置中の編成が放火され、全焼するという事件があり、運行開始から減便を余儀なくされるという波乱含みのスタートであった。
[[1978年]][[5月21日]]、新東京国際空港開港にあわせ、ようやく本来の空港連絡特急として上野-成田空港(現在の[[東成田駅|東成田]])間で運行されることとなったが、当時の成田空港駅はターミナルビルから大きく離れ、バス連絡を要する等の不便さがあり、客足はなかなか伸びなかった。さらに開港直前の[[5月5日]]、宗吾車庫に留置中の編成が放火され、全焼するという事件があり、運行開始から減便を余儀なくされるという波乱含みのスタートであった。


[[1983年]]から外部塗色をアイボリーに青、赤のストライプを入れたものに変更し、新形のAE100形が登場した[[1990年]]には、新型車に合わせて従来の6両編成7本を8両編成5本に組み替えた。
[[1983年]]から外部塗色をアイボリーに青、赤のストライプを入れたものに変更し、新形の[[AE100形電車|AE100形]]が登場した[[1990年]]には、新型車に合わせて従来の6両編成7本を8両編成5本に組み替えた。


[[1991年]][[3月19日]]には、空港ターミナルビル直下に現在の成田空港駅が開業し、JR東日本の特急成田エクスプレスとともに同駅に乗り入れを開始した。空港アクセスの利便性は、格段に向上したが、スカイライナーは新たな競争にさらされることとなった。
[[1991年]][[3月19日]]には、空港ターミナルビル直下に現在の成田空港駅が開業し、JR東日本の特急[[成田エクスプレス]]とともに同駅に乗り入れを開始した。空港アクセスの利便性は、格段に向上したが、スカイライナーは新たな競争にさらされることとなった。


その後、AE100形の増備にともない、[[1993年]]6月にAE形はすべて姿を消し、[[京成3400形電車]]に足回り等が利用された。現在はAE100形8両編成7本が運用されている。なお、同形は、[[東京国際空港]](羽田空港)と新東京国際空港(成田空港)を結ぶ空港連絡特急の運行を視野に入れ、地下鉄乗り入れを考慮した構造になっているが、今のところ実現していない。
その後、AE100形の増備にともない、[[1993年]]6月にAE形はすべて姿を消し、[[京成3400形電車]]に足回り等が利用された。現在はAE100形8両編成7本が運用されている。なお、同形は、[[東京国際空港]](羽田空港)と新東京国際空港(成田空港)を結ぶ空港連絡特急の運行を視野に入れ、地下鉄乗り入れを考慮した構造になっているが、今のところ実現していない。

2004年3月27日 (土) 06:58時点における版

スカイライナーは、都心から新東京国際空港(成田空港)へのアクセスを目的とした、京成電鉄が運行する京成上野駅成田空港駅を結ぶ有料特急の愛称であり、列車種別でもある。なお、京成電鉄ではこれとは別に、料金不要の特急も走っており、スカイライナーは、これの上位に位置する最上位の優等列車となっている。

山手線への連絡が上野及び日暮里のみと、アクセスがやや不便であるが、競争相手のJR東日本の特急成田エクスプレス(N'EX)に比べると料金・運賃が約半分、所要時間も短いという利点がある。

スカイライナーには、専用の車両(AE100形電車8両編成)が使用されている。

朝上りはモーニングライナー、夜間下りはイブニングライナーと名前を変え、通勤客を運ぶホームライナー運用になっている。

歴史

1973年春に予定された新東京国際空港の開港に合わせ、日本初の空港連絡特急として専用車両(AE形電車)が1972年に製造された。しかし、開港が延期されたため、約1年半雨ざらしの憂き目にあったが、1973年12月30日から上野-成田間のノンストップ特急で暫定的に使用開始された。

1978年5月21日、新東京国際空港開港にあわせ、ようやく本来の空港連絡特急として上野-成田空港(現在の東成田)間で運行されることとなったが、当時の成田空港駅はターミナルビルから大きく離れ、バス連絡を要する等の不便さがあり、客足はなかなか伸びなかった。さらに開港直前の5月5日、宗吾車庫に留置中の編成が放火され、全焼するという事件があり、運行開始から減便を余儀なくされるという波乱含みのスタートであった。

1983年から外部塗色をアイボリーに青、赤のストライプを入れたものに変更し、新形のAE100形が登場した1990年には、新型車に合わせて従来の6両編成7本を8両編成5本に組み替えた。

1991年3月19日には、空港ターミナルビル直下に現在の成田空港駅が開業し、JR東日本の特急成田エクスプレスとともに同駅に乗り入れを開始した。空港アクセスの利便性は、格段に向上したが、スカイライナーは新たな競争にさらされることとなった。

その後、AE100形の増備にともない、1993年6月にAE形はすべて姿を消し、京成3400形電車に足回り等が利用された。現在はAE100形8両編成7本が運用されている。なお、同形は、東京国際空港(羽田空港)と新東京国際空港(成田空港)を結ぶ空港連絡特急の運行を視野に入れ、地下鉄乗り入れを考慮した構造になっているが、今のところ実現していない。

停車駅

京成上野駅 - 日暮里駅 - 京成成田駅(一部を除く) - 空港第2ビル駅 - 成田空港駅

北総・公団線の延伸計画

現在、北総開発鉄道北総・公団線を成田空港まで延伸する計画が具体化しつつある。これが実現すると、日暮里駅から成田空港駅まで、スカイライナーで約1時間を要しているのが、約40分で結ばれることになる。