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== 主な戦歴 ==
== 主な戦歴 ==
* 2009年 極真館 第7回 全日本空手道選手権大会 優勝(開催地:[[国立代々木競技場|国立代々木競技場第二体育館]])<ref>[http://gbring.com/sokuho/result/result2009_11/1103_kyokushinkan.htm 【極真館】ロシアから全日本の王座守った!藤井脩祐が2度目の優勝] GBR 2009年11月3日</ref><ref>[http://gbring.com/365/fujii_yusuke.htm 【極真館】格闘技ウェブマガジンGBR>365人インタビュー>266 藤井脩祐</ref>
* 2009年 極真館 第7回 全日本空手道選手権大会 優勝(開催地:[[国立代々木競技場|国立代々木競技場第二体育館]])<ref>[http://gbring.com/sokuho/result/result2009_11/1103_kyokushinkan.htm 【極真館】ロシアから全日本の王座守った!藤井脩祐が2度目の優勝] GBR 2009年11月3日</ref><ref>[http://gbring.com/365/fujii_yusuke.htm 【極真館】格闘技ウェブマガジンGBR>365人インタビュー>266 藤井脩祐]</ref>
* 2009年 全極真世界ウエイト制空手道選手権大会 in ハンガリー 軽重量級 8位(開催地:ハンガリー共和国ブタペスト)
* 2009年 全極真世界ウエイト制空手道選手権大会 in ハンガリー 軽重量級 8位(開催地:ハンガリー共和国ブタペスト)
* 2008年 極真館 第6回 全日本空手道選手権大会 軽重量級 優勝(開催地:国立代々木競技場第二体育館)<ref>[http://gbring.com/sokuho/result/result2008_11/1103_kyokushinkan.htm 【極真館】第2回全世界ウエイト制大会の日本代表が決定!イラン支部躍進] GBR 2008年11月3日</ref>
* 2008年 極真館 第6回 全日本空手道選手権大会 軽重量級 優勝(開催地:国立代々木競技場第二体育館)<ref>[http://gbring.com/sokuho/result/result2008_11/1103_kyokushinkan.htm 【極真館】第2回全世界ウエイト制大会の日本代表が決定!イラン支部躍進] GBR 2008年11月3日</ref>

2009年12月18日 (金) 17:27時点における版

藤井 脩祐(ふじい ゆうすけ、1985年11月19日 - )は、日本フルコンタクト空手空手道選手。弐段。東京都品川区出身。身長180cm、体重93kg。

盧山初雄館長率いる財団法人極真奨学会 極真空手道連盟 極真館 城南大井町支部 大井町道場 所属。

第4・6・7回オープントーナメント全日本空手道選手権(主催:極真館)の優勝者。

第1回全世界ウエイト制空手道選手権大会(開催地:モスクワ、主催:極真館)重量級4位及び敢闘賞受賞者。

日本体育大学武道学科卒業、在学中は体育会(学友会)空手部に所属していた。

主な戦歴

  • 2009年 極真館 第7回 全日本空手道選手権大会 優勝(開催地:国立代々木競技場第二体育館[1][2]
  • 2009年 全極真世界ウエイト制空手道選手権大会 in ハンガリー 軽重量級 8位(開催地:ハンガリー共和国ブタペスト)
  • 2008年 極真館 第6回 全日本空手道選手権大会 軽重量級 優勝(開催地:国立代々木競技場第二体育館)[3]
  • 2007年 極真館 第5回 全日本空手道選手権大会 3位(開催地:さいたまスーパーアリーナ
  • 2007年 極真館 第5回 全日本ウエイト制空手道選手権大会 重量級 準優勝(怪我により決勝戦棄権)(開催地:戸田市スポーツセンター
  • 2006年 極真館 第4回 全日本空手道選手権大会 優勝(開催地:さいたまスーパーアリーナ)[4]
  • 2006年 極真館 第4回 全日本ウエイト制空手道選手権大会 重量級 優勝(開催地:戸田市スポーツセンター)
  • 2005年 極真館 第1回 全世界ウエイト制空手道選手権 in ロシア 重量級 4位入賞(開催国:ロシア
  • 2005年 極真館 第3回 全日本空手道選手権大会 3位(開催地:さいたまスーパーアリーナ)
  • 2004年 極真館 第2回 全日本ウエイト制空手道選手権大会 重量級 準優勝(開催地:戸田市スポーツセンター)
  • 2004年 極真館 ウクライナ国際大会 マスタツカップ重量級 優勝(開催国:ウクライナ
  • 2003年 ニュージーランド・オーストラリアフレンドリーシップ大会 超重量級 優勝(開催国:オーストラリア
  • 2003年 極真会館(松井派) 第9回全日本青少年空手道選手権大会 高校男子70kg超級 優勝(開催地:国立代々木競技場第二体育館)
  • 2002年 ISKA全オーストラリア大会一般フルコンタクト部門 優勝(開催国:オーストラリア)
  • 2001年 ISKAオーストラリア・クイーンズランド州大会一般フルコンタクト部門 優勝(開催国:オーストラリア)

プロフィール

中学2年生の時に、当時の極真会館(松井派)城南川崎支部大井町道場(金子雅弘師範)に入門。

中学卒業後、オーストラリア、クイーンズランド州の高校へ留学すると共に、極真会館の第28、29回全日本大会で旋風を巻き起こした鳥人ギャリー・オニールの育ての親でもあるキャメロン・クイーン師範(元・極真会館オーストラリア支部長)のもとで内弟子として極真空手の修行を続ける。

留学中も一時帰国した際には、中学時代から参加していた有名な極真会館城南川崎支部の朝練で、多くの世界チャンピオンを育て上げ名伯楽と謳われた廣重毅師範(現・極真館副館長)と金子雅弘師範の指導のもと、不動の王者と言われていた数見肇を筆頭に、高久昌義など、当時、極真を引っ張っていた多くの名選手達の胸を借り、頭角を現していった。

高校卒業後、日本へ帰国したが、留学中に所属していた名門、城南川崎支部が極真会館(松井派)を離脱していたため、その新たな組織となった極真館城南大井町支部へ復帰する。留学中は、渡欧して間もなく、わずか15歳でオーストラリアの一般の大人の大会へ出場し中量級で優勝を果たした。その後に出場する全ての大会に於いて、常に優勝、準優勝と安定した実力発揮している。また、留学中に師範推薦で日本代表として一人出場したウクライナ国際大会マス大山カップに於いて、現役高校生でありながら強豪ウクライナ選手を相手に果敢に戦い、廬山館長が見守るなか、準決勝戦で、相手選手を上段回し蹴りで失神KO。続く決勝でも、強い突きで相手を効かせ、2試合連続一本勝ちを果たし、その存在をアピール。そして、帰国後、初出場した国内大大会である第2回全日本ウエイト制選手権大会の重量級へ出場し、いきなりの準優勝を果たし脚光を浴びる。この実績が認められ、19歳で日本代表選手に選抜され、2005年9月にモスクワに於いて催された極真館主催の第1回全世界ウエイト制空手道選手権大会に出場。極真館から出場した日本選手、8名中7名が初日の予選で敗退する波乱の中、唯一、最年少の藤井が準決勝戦まで駒を進めた。準決勝戦では、極真会館(松井派)時代には、ロシアのトップ選手で冷徹な貴公子として名を馳せたセルゲイ・オシポフ選手と対戦し、惜しくも敗れはしたものの4位入賞を果たし、その果敢な戦いぶりを認められ敢闘賞を受賞。

2006年4月には20歳で第4回全日本ウエイト制の重量級で優勝し、同年11月の第4回全日本選手権大会では21歳と4日で優勝を果たした。この年齢での全日本優勝記録は、数見肇らと並び、極真史上最年少タイ記録でもある。

また、2007年4月29日に開催の極真館 第5回全日本ウエイト制大会では、極真空手史上初となる手技顔面攻撃フリールールへ出場、怪我により決勝戦を棄権し準優勝にとどまった。

試合スタイル

出入りの速いヒットアンドアウェイの戦い方を得意とし、過去出場した各大会では、常に上位を外さない安定した強さを持つ。重量級でありながらスピード感ある軽快なフットワークと、回転力のある遠くへ伸びる重い突きから上中下と蹴り分けるコンビネーションと運足は、対戦相手も反応が追い付かないほどのスピードを持っている。藤井の試合を観戦した某有名空手家からも「彼は自分の空手スタイルを確立している」と言わしめるほど卓越した極真新世代の戦い方で人気がある。

脚注

外部リンク