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「忍者」の版間の差分

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== 著名な忍者 ==
== 著名な忍者 ==
*伊賀崎道順
*[[伊賀崎道順]]
*[[風魔小太郎]]
*[[風魔小太郎]]
*[[猿飛佐助]](架空の人物)
*[[猿飛佐助]](架空の人物)
*[[霧隠才蔵]](架空の人物)
*[[霧隠才蔵]](架空の人物)
*藤森保武([[万川集海]]の執筆者)
*藤森保武([[万川集海]]の執筆者)
*[[服部正成|服部半蔵正成]]
*加藤段蔵(飛び加藤/鳶加藤)
*加藤段蔵(飛び加藤/鳶加藤)
*二曲輪猪助
*二曲輪猪助
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*[[百地丹波]](架空である百地三太夫のモデルとなった人物)
*[[百地丹波]](架空である百地三太夫のモデルとなった人物)
*藤林長門
*藤林長門
*[[石川五右衛門]]
*児雷也/自来也/我来也(架空の人物)
*児雷也/自来也/我来也(架空の人物)
*[[石川五右衛門]]
*[[服部正成|服部半蔵正成]]


== 忍者を題材とした物語 ==
== 忍者を題材とした物語 ==

2005年9月16日 (金) 08:20時点における版

忍者(にんじゃ)とは、鎌倉時代から江戸時代にかけて、戦国動乱の時期に、大名領主に仕え、武士足軽といった身分からはみ出した立場で隠密行動をし、間諜や暗殺を仕事としていたとされる集団の名称。世界的にも有名である。戦前は、「忍術使い」、「妖術使い」といった呼称が一般的であったが、戦後、村山知義白土三平司馬遼太郎らの作品を通して、「忍者」、「忍びの者」、「忍び」という表現が一般化した。飛鳥時代には、聖徳太子が、大伴細人(おおとものほそひと)を「志能備」(しのび)として使ったと伝えられる。 別称に「乱破(らっぱ)」「素破(すっぱ)」「草」「しのび」などがある。

概要

全身に黒色の衣装をまといにはを塗り背中、夜陰に紛れて敵地に侵入する、というイメージで描かれることが多い。この衣装はもともとは伊賀甲賀地方で使われていた野良着が元になっているといわれる。いろんな特殊訓練をしたり特殊な道具なども所持しており、これらの道具を「忍具」行為を「忍術」という。なお女性の忍者をくノ一(くのいち)と呼ぶ。

忍術には陰忍と陽忍がある。陰忍とは姿を隠して敵地に忍び込み内情を探ったり破壊工作をする方法であり、通常イメージされる忍者とはこのときの姿である。対して陽忍とは、姿を公にさらしつつ計略によって目的を遂げる方法である。いわゆる諜報活動や謀略、離間工作などがこれにあたる。

近年の研究では、身体能力に優れた厳しい規律に律された諜報集団という面の他に、優れた動植物知識や化学知識を持つ技術者集団としての一面も持つことがわかっている。

歴史

発祥と変遷

忍者という存在の発祥の由来については諸説ある。忍者は、各地に分かれていくつかの集団を構成していた。その中でも甲賀・伊賀地方には多数の忍者屋敷があり、訓練などをしていたと考えられる。伊賀と甲賀は鎌倉時代にはその領地の大半が荘園であったため守護や地頭の支配を受けなかったが、戦国時代となって荘園が崩壊すると地侍が数十の勢力に分かれて群雄割拠した。各地侍が勢力を保つために情報収集とゲリラ戦を行なう忍術が自然発生したと考えられている。

服部氏伝説

昭和37年(1962年)、伊賀上野市の旧家から発見された上嶋家文書(江戸時代末期の写本)によると、伊賀、服部氏族の上嶋元成の三男が申楽()役者の観阿弥で、その母は楠木正成の姉妹であるという。正成の甥が観阿弥ということになる。偽系図といわれている。(根拠は特にない。)ちなみに観阿弥の息子世阿弥は先祖は、服部氏と自称していた。

伊賀では藤林・百地・服部の上忍三家が他の地侍を支配下に置き、最終的に合議制を敷いて戦国大名に支配されない地域を形作っていた。外部からの侵略に対しては結束して戦い、織田信長が伊賀を支配するために送り込んだ築城奉行滝川雄利を追放し、報復として攻め込んできた織田信雄の軍を壊滅させている(第一次天正伊賀の乱)。改めて大軍を編成した第二次天正伊賀の乱で伊賀忍者は壊滅的な打撃を受けたが、百地丹波以下100名が紀州根来に逃げ延びたと言われる。

徳川幕藩体制下

伊賀忍者は本能寺の変の際に、にいた徳川家康を護衛して伊賀越えを行なったことから、徳川幕府に召抱えられるようになった。お庭番は、八代将軍吉宗が紀州から連れて来た薬込役を起用したもので、伊賀忍者とは異なる。これらの忍者やお庭番は、徳川幕府のために諸大名の内情を探るだけでなく、江戸城下の世論調査を行ったり、大奥の警護や、参勤交代で国返りして空き家となった諸大名の屋敷の管理、同心として江戸城下の治安の警護を行なった。諸国の内情を探るために扮装をする際には、当時幕府の御用商人であった三井の店に変装用の衣服が用意されており、そこで着替えをしたことが、明治時代に元お庭番に聞き取りをした記録によって知られている。

諸国を行脚した松尾芭蕉は、三重県伊賀市の出身であったため、忍者、隠密だったのではないかという説があり、小説などにも扱われている。ただしこの説には確定的な根拠はなく、現状では単なる想像の範疇である。

島原の乱の際には忍者の一隊が一揆軍の立てこもった原城内に潜入し、兵糧が残り少ないことを確認した記録が残っている。

忍具

忍具とは、忍者が用いる道具である。

忍術

忍術とは、忍者が用いる術である。

忍者の方針

  • 戦い、殺しはできるだけ避ける。そのために遁術、五車の術などを発展させている。
  • 遠出する時には特に持ち物を少なくし、現地調達に頼る。
  • 自分の正体がばれないように努力する。四方髪(よもがみ)などを使う。
  • 自分が弱者だと思わせる。
  • 逃げる時には素早く。そのため、逃げる術が多い。

土地

忍者の流派

忍者服

戦闘用に野良着を改造したもので、闇に紛れるため色は黒ではなく茶色に近い。

組織

戦国時代・安土桃山時代

江戸時代

  • 広敷伊賀者
  • 明屋敷番伊賀者
  • 西山丸伊賀者
  • 小普請方伊賀者
  • 鉄砲百人組
    • 伊賀組与力
    • 伊賀組同心
    • 甲賀組与力
    • 甲賀組同心
  • 目付配下
    • 徒目付
    • 小人目付
  • 将軍直属
    • お庭番

お庭番の職務

表向きの職務

  • 大奥の警護
    • お庭番所の宿直
    • 出火の際の案内
    • 工事の際の人の出入りの監視
  • 将軍家若君の警護
  • 大奥外での正室や奥女中の警護
  • 将軍への御用取り次ぎ

裏の職務

  • 江戸向地回り御用
江戸近辺の情報収集
幕府内の要職(老中、旗本、奉行)に対する監視と情報収集
  • 遠国御用
江戸近辺以外の地方の情報収集

文献資料

史料


著名な忍者

忍者を題材とした物語

小説
映画
TV番組
  • ニンジャウォーリアーズ
  • 天誅
  • 伊忍道
  • 忍者龍剣伝
  • 最後の忍道
  • 忍者くん
  • 忍者くん阿修羅の章
  • 忍者ハットリ君
  • 忍者じゃじゃ丸くん
  • 忍者プリンセス
  • 影の伝説
  • サスケVSコマンダー
  • 忍-Shinobi- / 忍-Kunoichi-
  • 仮面の忍者 赤影
  • ドラゴン忍者
  • 忍者タートルズ
  • 御魂~忍~(みたま しのび)
  • 未来忍者
  • ニンジャコンバット

外部リンク