「RCDエスパニョール」の版間の差分
m -{{コメント依頼}} |
|||
95行目: | 95行目: | ||
== 現所属メンバー == |
== 現所属メンバー == |
||
;2010年 |
;2010年2月26日現在 |
||
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> |
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> |
||
103行目: | 103行目: | ||
* 4 {{flagicon|ESP}} MF [[ハビエル・マルケス|ハビ・マルケス]] |
* 4 {{flagicon|ESP}} MF [[ハビエル・マルケス|ハビ・マルケス]] |
||
* 5 {{flagicon|ARG}} DF [[イバン・ピリュ]] |
* 5 {{flagicon|ARG}} DF [[イバン・ピリュ]] |
||
* 7 {{flagicon|JPN}} MF [[中村俊輔]] |
|||
* 8 {{flagicon|ESP}} FW [[ホセ・マリア・カジェホン・ブエーノ|ホセ・カジェホン]] |
* 8 {{flagicon|ESP}} FW [[ホセ・マリア・カジェホン・ブエーノ|ホセ・カジェホン]] |
||
* 9 {{flagicon|ESP}} MF [[イバン・デ・ラ・ペーニャ]] (主将) |
* 9 {{flagicon|ESP}} MF [[イバン・デ・ラ・ペーニャ]] (主将) |
2010年2月26日 (金) 13:24時点における版
RCDエスパニョール | |||
---|---|---|---|
原語表記 | Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona | ||
愛称 | Periquitos | ||
クラブカラー | 青と白 | ||
創設年 | 1900年 | ||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | ||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | ||
ホームタウン | バルセロナ | ||
ホームスタジアム | エスタディ・コルネリャ=エル・プラット | ||
収容人数 | 40,000[1] | ||
代表者 |
![]() | ||
監督 |
![]() | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
レイアル・クルブ・デポルティウ・エスパニョール・デ・バルセロナ (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) は、スペイン・カタルーニャ州・バルセロナに本拠を置くプロサッカークラブ。現在はリーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属する。
歴史
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/Espanyol_80.jpg/220px-Espanyol_80.jpg)
エスパニョールは1900年10月28日にバルセロナ大学工学部の学生を中心として設立された[2]。初期にはサグラダ・ファミリア近くの広場でプレーし、ソシエダ・エスパニョーラ (Sociedad Española de Footbal) と名乗っていたが一年後にクルブ・エスパニョール (Club Español de Fútbol) に名称を変更している。外国籍選手を多く起用していた当時のスペインにおける多くのクラブとは異なり、選手はスペイン人のみに限定していた。1910年にクラブ名をクルブ・デポルティウに変更すると共にユニホームも現在まで続く青地に白のストライプが入ったデザインとなった。
1912年にはアルフォンソ13世より「レアル」の名の利用が許されレアル・クルブ・デポルティーボ・エスパニョール (Real Club Deportivo Español de Barcelona) と呼ばれるようになった。1930年代の第二共和制下では、王室色を廃してカタルーニャ語を使用したクルブ・エスポルティウ・エスパニョール (Club Esportiu Espanyol) と称していた。1995年にはクラブ名をカタルーニャ語表記 (Reial Club Deportiu Espanyol de Barcelona) に改めている。
同じくバルセロナを本拠地とするFCバルセロナとの試合はカタルーニャ・ダービーとして盛り上がりを見せる。カタルーニャ民族主義に基づき伝統的に反マドリードの意識が強いカタルーニャにあって王立を意味する「レアル」を冠しているために地元での人気はFCバルセロナに押されがちである。
近年の戦績は、2004-05シーズンにリーグ戦5位、2005-06シーズンにはコパ・デル・レイ制覇、2006-07シーズンにはUEFAカップで準優勝を記録するなど、着実な成績を残している。またリーガ・エスパニョーラに属するクラブの中でも屈指の下部組織を擁し、ダニエル・ハルケ、マルク・トレホンなど有望な若手選手を次々に輩出している。
2006年夏、アスレティック・ビルバオでUEFAカップ出場権を獲得したエルネスト・バルベルデ監督と契約した。
2006-07シーズン前半戦は優勝争いに絡んだが、後半戦に大きく失速して11位でシーズンを終えた。FWラウール・タムードとFWルイス・ガルシアの両エースが合わせて25得点し、ラウール・タムードはマラニョンが持っていたクラブ記録(111得点)を塗り替えた。UEFAカップではアヤックス・アムステルダムなどと同居したグループリーグを4戦4勝(得点11、失点2)で首位通過し、決勝トーナメントではリヴォルノ・カルチョ、マッカビ・ハイファ、ベンフィカ、ヴェルダー・ブレーメンを倒して決勝に進出した。決勝ではPK戦の末にセビージャFCに敗れたが、FWワルテル・パンディアーニが得点王を獲得した。
2007年夏、スーパーサブ的な存在だったワルテル・パンディアーニがCAオサスナに移籍したが、MFバルド、MFミラン・スミリャニッチ、DFクレメンテ・ロドリゲスなどを獲得して選手層の充実を図った。
2008年夏、エルネスト・バルベルデ監督がオリンピアコスに去り、ヘッドコーチを務めていたティンティン・マルケスが新監督に就任した。レアル・マドリード・カスティージャからFWホセ・カジェホン、CDヌマンシアからグレゴリー・ベランジェを加えたものの、陣容に大きな変化はなかった。
2008-09シーズンは開幕3戦で勝ち点7と良いスタートを切ったものの、4節からのセビージャFC、FCバルセロナ、レアル・マドリード、ビジャレアルCFとの4連戦(2分2敗)を機に順位は低下し、2008年11月に4連敗したことでティンティン・マルケス監督が解任された。マネ監督が第2監督から昇格したが、6戦を指揮して白星を奪えず、女子チームの監督をしていたかつての英雄、マウリシオ・ポチェッティーノ監督が迎えられた。最下位でFCバルセロナとのバルセロナ・ダービーを迎えたが、イバン・デ・ラ・ペーニャの2ゴールで首位のFCバルセロナに勝利した。この15節ぶりの勝利がきっかけとなり、29節から最終節までの10試合を8勝1分1敗で乗り切り、10位まで順位を上げた。この10試合中に21得点しているが、これはシーズン105得点を挙げたFCバルセロナの同期間中の得点数と同じである。モンジュイックのラストゲームとなった最終節でエースのラウール・タムードがハットトリックを達成したが、シーズン6得点に終わり、連続二桁得点記録は9シーズンで途切れた。
移籍が噂されたラウール・タムードに代わり、新キャプテンに生え抜きのDFダニエル・ハルケが就任した。司令塔ジョアン・ベルドゥ、日本代表のMF中村俊輔らを加えて期待に満ちたプレシーズンを送っていたが、2009年8月上旬にダニエル・ハルケが心臓発作で死去する出来事があり、精神的にも肉体的にも不安を抱えながら新シーズンを迎えることとなった。
第2節のレアル・マドリード戦は新スタジアムエスタディ・コルネジャ=エル・プラットでのリーグ初戦となったが、0-3で完敗した。
スタジアム
1923年から1996年まではワールドカップの会場にもなったエスタディ・デ・サリアを利用していたが、負債の返済の為この敷地を売却せざるを得なくなり[2]、バルセロナオリンピックのメインスタジアムであったエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(モンジュイック)に移転した。バルセロナ市から賃借していたこのスタジアムはトラックを有した陸上競技場でありサポーターの評判は良いものではなかった[1]。
2009年、市中心部からは西に位置するコルネジャに4万人収容のサッカー専用スタジアムであるエスタディ・コルネジャ=エル・プラットが完成し、同年8月2日にこけら落しとしてリヴァプールFCとの親善試合が行われた。
-
エスタディ・デ・サリア(1923年-1996年)
-
エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス(1996年-2009年)
-
エスタディ・コルネリャ=エル・プラット(2009年-現在)
サポーター・マスコット
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/32/Espanyol.jpg/220px-Espanyol.jpg)
以前利用していたサリア・スタジアム前の公園にインコが多く住んでいたため、もしくは"Gato Perico"という漫画のキャラクターから、クラブのサポーターはスペイン語でインコを意味する「ペリコ」と呼ばれる[2]。クラブのマスコットも着ぐるみのインコであり、その奇妙なデザインから人気が高い。
タイトル
国内タイトル
- コパ・デル・レイ:4回
- 1928/1929、1939/1940、1999/2000、2005/2006
- カタルーニャ選手権:12回
- 1903、1904、1906、1907、1908、1912、1915、1918、1929、1933、1937、1940
- コパ・カタルーニャ:12回
- 1995、1996、1999、2006
国際タイトル
なし
過去の成績
- 1996 - 1997 プリメーラ・ディビシオン 12位
- 1997 - 1998 プリメーラ・ディビシオン 10位
- 1998 - 1999 プリメーラ・ディビシオン 7位
- 1999 - 2000 プリメーラ・ディビシオン 14位
- 2000 - 2001 プリメーラ・ディビシオン 9位
- 2001 - 2002 プリメーラ・ディビシオン 14位
- 2002 - 2003 プリメーラ・ディビシオン 17位
- 2003 - 2004 プリメーラ・ディビシオン 16位
- 2004 - 2005 プリメーラ・ディビシオン 5位
- 2005 - 2006 プリメーラ・ディビシオン 15位
- 2005 - 2006 プリメーラ・ディビシオン 11位
- 2006 - 2007 プリメーラ・ディビシオン 11位
- 2007 - 2008 プリメーラ・ディビシオン 12位
- 2008 - 2009 プリメーラ・ディビシオン 10位
- 2009 - 2010 プリメーラ・ディビシオン
現所属メンバー
- 2010年2月26日現在
- 1
GK イドリス・カルロス・カメニ
- 2
DF ハビエル・チカ
- 3
DF ダビド・ガルシア(副将)
- 4
MF ハビ・マルケス
- 5
DF イバン・ピリュ
- 8
FW ホセ・カジェホン
- 9
MF イバン・デ・ラ・ペーニャ (主将)
- 10
FW ルイス・ガルシア(第4主将)
- 11
MF ジョアン・ベルドゥ
- 12
DF ファクンド・ロンカリア
- 13
GK ハビ・ルイス
- 14
FW ベン・サハル
- 16
DF ニコラス・パレハ
- 17
FW パブロ・ダニエル・オスヴァルド
- 18
DF フアン・フォルリン
- 19
MF フェルナンド・マルケス
- 20
FW フェラン・コロミナス
- 22
MF モイセス・ウルタード(第3主将)
- 23
FW ラウール・タムード
- 24
FW イバン・アロンソ
- 25
GK クリスティアン・アルバレス
- 27
MF フリアン・ロペス
- 30
DF ビクトル・ルイス
- 35
DF ディダク・ビジャ
ローン移籍中の選手
- in
DF イバン・ピリュ ニューウェルス
DF ファクンド・ロンカリア ボカ・ジュニアーズ
FW パブロ・ダニエル・オスヴァルド ボローニャFC
- out
MF エドゥアルド・コスタ グレミオ 2007 -
MF ジョナタス フラメンゴ 2008 -
FW ホナタン・ソリアーノ アルバセテBP
DF バルド マラガCF
DF グレゴリー・ベランジェ UDラス・パルマス
MF ロマン・マルティネス CDテネリフェ
MF アンヘル・マルティネス ラーヨ・バジェカーノ
MF ミラン・スミリャニッチ スポルティング・デ・ヒホン
2009 - 10移籍
歴代監督
マルセル・ドミンゴ 1958 - 1959
ハビエル・クレメンテ
ラモン・モジャ
ファンデ・ラモス
パコ・フローレス
マルセロ・ビエルサ
ホセ・アントニオ・カマーチョ
ルイス・フェルナンデス 2003.11 - 2004.6
ミゲル・アンヘル・ロティーナ 2004.6 - 2006.5
エルネスト・バルベルデ 2006 - 2008
ティンティン・マルケス 2008
ホセ・マヌエル・エスナル 2008 - 2009
マウリシオ・ポチェッティーノ 2009-
歴代所属選手
GK
リカルド・サモラ 1916 - 1919
パブロ・カバジェロ 1999 - 2000
アレクサンダー・マンニンガー 2002 - 2003
セルヒオ・サンチェス・サンチェス 2002 - 2003
イドリス・カルロス・カメニ 2004 -
キコ・カシージャ 2007 -
DF
マウリシオ・ポチェッティーノ 1994 - 2000,2004 - 2006
イバン・エルゲラ 1998 - 1999
ジョアン・カプデビラ 1998 - 1999
デリオ・トレド 2000 - 2001
モレノ・トリチェッリ 2002 - 2004
ダニエル・ハルケ 2002 - 2009.8
ピエール・ウォメ 2003 - 2004
セルヒオ・サンチェス 2005 - 2009
ヘスス・マリア・ラクルス 2005 - 2009
フアン・ベラスコ 2006 - 2007
マルク・トレホン・モヤ 2006 - 2009
クレメンテ・ロドリゲス 2007 - 2008
スティーヴ・フィナン 2008 - 2009
MF
パウロ・ソウザ 2001 - 2002
アラン・ボゴシアン 2002 - 2003
マキシ・ロドリゲス 2002 - 2005
イバン・デ・ラ・ペーニャ 2002 -
ジョルディ・クライフ 2003 - 2004
ムスタファ・ハッジ 2004
ファンフラン 2005 - 2006
パブロ・サバレタ 2005 - 2008
フランシスコ・ルフェテ 2006 - 2009
アルベルト・リエラ 2006 - 2008
ミゲル・パランカ 2006 - 2008
ミラン・スミリャニッチ 2007 -
ジョアン・ベルドゥ 2009 -
中村俊輔 2009 -
FW
ラディスラオ・クバラ 1963 - 1965
アルフレッド・ディ・ステファノ 1964 - 1966
ジョルディ・ラルディン 1992 - 1997
イスマエル・ウルサイス 1995 - 1996
ミオドラグ・アンジェルコビッチ 1996 - 1997
ラウール・タムード 1996 -
ダリオ・シルバ 1998 - 1999
西澤明訓 2000 - 2001
サボ・ミロシェビッチ 2002 - 2003
ホナタン・ソリアーノ・カサス 2002 - 2009
ルイス・ガルシア 2005 -
ワルテル・パンディアーニ 2006 - 2007
エベルトン 2008
ホセ・カジェホン 2008 -
ベン・サハル 2009 -
参照
- ^ a b Espanyol Prepare To Bid Farewell To The Montjuic , Goal.com, 29 May 2009
- ^ a b c PERICOZ - RCD Espanyol Supporters Club