「ヴェンセスラウ・デ・モラエス」の版間の差分
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'''ヴェンセスラウ・デ・モラエス''' ''(ジュゼ・ジ・ソウザ・ジ・モライシュ)''('''Wenceslau José de Sousa de Moraes''', [[1854年]][[5月30日]] - [[1929年]][[7月1日]])は[[ポルトガル]]の[[軍人]]、[[外交官]]、文筆家。[[リスボン]]生まれ、[[徳島市]]で死去。 |
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2010年3月2日 (火) 15:03時点における版
ヴェンセスラウ・ジョゼ・デ・ソウザ・デ・モラエス Venceslau José de Sousa de Morais | |
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誕生 |
1854年5月30日 ポルトガル、リスボン |
死没 |
1929年7月1日(75歳没) 日本、徳島 |
職業 | 軍人、外交官、作家 |
国籍 | ポルトガル |
ウィキポータル 文学 |
ヴェンセスラウ・デ・モラエス (ジュゼ・ジ・ソウザ・ジ・モライシュ)(Wenceslau José de Sousa de Moraes, 1854年5月30日 - 1929年7月1日)はポルトガルの軍人、外交官、文筆家。リスボン生まれ、徳島市で死去。
略歴
1854年にポルトガルの首都リスボンに生まれる。海軍学校を卒業後、ポルトガル海軍士官として奉職。1889年に初来日。マカオ港務局副司令を経て、外交官となる。1899年に日本に初めてポルトガル領事館が開設されると在神戸副領事として赴任、のち総領事となり、1913年まで勤める。
モラエスは1902年から1913年まで、ポルト市の著名な新聞「コメルシオ・ド・ポルト(ポルト商業新聞)」に当時の日本の政治外交から文芸まで細かく紹介しており、それが次々に集録されて「Cartas do Japão(日本通信)」という6冊に本に納められている。
神戸在勤中に芸者おヨネ(本名は福本ヨネ)と出会い、ともに暮らすようになる。1912年にヨネが死没すると、13年に職を辞し引退。ヨネの故郷である徳島市に移住した。ヨネの姪である斎藤コハルと暮らすが、コハルにも先立たれる。徳島での生活は必ずしも楽ではなく、スパイの嫌疑をかけられたり、「西洋乞食」とさげすまれることもあったという。1929年、徳島市で孤独の内に没した。
著作と評価
著書に『おヨネとコハル』、『日本精神』、『ポルトガルの友へ』、『徳島日記』がある。ポルトガル語で著述したこともあり、生前には日本ではほとんど注目されることがなかったが、死後、日本語への翻訳がなされ、昭和初期の時代の風潮もあり、日本賛美として取り上げられるようになった。
モラエス自身を取り上げた小説に、新田次郎の『孤愁 サウダーデ』(未完)がある。
徳島市のモラエスの旧宅は現在眉山の山上に移築されて博物館施設「モラエス館」として保存・活用されており、また壮年期を過ごした神戸の文学館ではモラエスに関する資料が展示されているなど、後世に伝えるべき文筆家として高く評価されている。以前旧宅のあった徳島市伊賀町一帯には「モラエス通り」と名付けられた通りがある。
作品年譜と文献案内、参考資料
- 1895年 - "Traços do Extremo Oriente"
- 1897年 - "Dai-Nippon"(「大日本」)
- 1904年 - "Cartas do Japão"(日本通信、1904~1905年;1928年)
- 1905年 - "O culto do chá"
- 1906年 - "Paisagens da China e do Japão"
- 1907年 - "A vida japonesa"(日本の生活)
- 1916年 - "O Bon-Odori em Tokushima"(徳島の盆踊り)
- 1917年 - "Ko-Haru"
- 1919年 - 「午砲 / O tiro do meio dia」
- 1923年 - "Ó-Yoné e Ko-Haru"(おヨネとコハル)
- 1924年 - "Relance da história do Japão"
- 1926年 - "Os serões no Japão"
- 1926年 - "Relance d'alma japonesa"
その他
- 『日本精神』(講談社学術文庫、花野富蔵/訳、1992年)
- 『ポルトガルの友へ』
- 『徳島日記』