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「アレッサンドロ・コスタクルタ」の版間の差分

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== 人物 ==
== 人物 ==
*ACミランDF[[パオロ・マルディーニ]]、元ACミランMF[[デメトリオ・アルベルティーニ]]、ACミランFW[[アンドリー・シェフチェンコ]]とは非常に仲が良い。特に2歳年下のマルディーニとはミランのユース時代から20年来の親友である。
*ACミランDF[[パオロ・マルディーニ]]、元ACミランMF[[デメトリオ・アルベルティーニ]]、ACミランFW[[アンドリー・シェフチェンコ]]とは非常に仲が良い。特に2歳年下のマルディーニとはミランのユース時代から20年来の親友である。
*ミラン在籍時、[[エドガー・ダーヴィッツ]]に対し「腐ったリンゴ」と発言した。
*ミラン在籍時、[[エドガー・ダーヴィッツ]]に対し「腐ったリンゴ」と発言した。
*ニックネームはビリー。由来はミラノの[[バスケットボール]]チームの名前から。小さいころからそのチームのファンである。
*ニックネームはビリー。由来はミラノの[[バスケットボール]]チームの名前から。小さいころからそのチームのファンである。

2010年3月16日 (火) 02:45時点における版

アレッサンドロ・コスタクルタ
名前
愛称 ビリー
ラテン文字 Alessandro Costacurta
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1966-04-24) 1966年4月24日(58歳)
出身地 ヴァレーゼ県
イェラーゴ・コン・オラーゴ
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
代表歴
1991-1998 イタリアの旗 イタリア 59 (2)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレッサンドロ・コスタクルタAlessandro Costacurta, 1966年4月24日 - )は、イタリアの元サッカー選手である。現役時代はセリエAACミランを代表するディフェンダーだった。

経歴

ACミランユースチームを経て1985年にトップチーム昇格。モンツァ(当時C1・3部リーグに相当)で1シーズン過ごした後はACミラン一筋でプレー。22歳の時にガッリからポジションを奪う。当初は特出した能力がなかったものの、バレージからライン統率を教わっていき、その後はバレージマルディーニ等と共に世界最高のディフェンスラインを形成し、クラブの黄金時代の一翼を担った。コスタクルタ自身は「ヨーロッパNo.1クラブ決定戦」UEFAチャンピオンズリーグ(カップ)制覇を4度経験している(1988-89、89-90、93-94、2002-03シーズン)。

イタリア代表歴は59試合・2得点。代表レベルではタイトルに縁がなく、1994年1998年ワールドカップEURO1996に出場したが、いずれも優勝に届かなかった。

2006-2007シーズンのコッパ・イタリア準決勝ローマ戦において先発したが相手のスピードに全くついて行けずにオウンゴールまで献上してチームも敗退、落胆を隠せず試合後に引退を表明した。引退後はACミランのフロントを勤めたいと語っている。2007年5月19日にホームスタジアム、サン・シーロでのウディネーゼ戦をもって現役を引退した。試合は2-3で負けたものの、コスタクルタ自身はリーグ戦で15シーズンぶりとなるゴール(PK)を決めて引退の花道を飾った。リーグ戦出場試合数は457試合。2007-08シーズンはコーチとしてクラブ内部にとどまっていたが、シーズン終了後に解説者に転身し2008年10月27日にセリエBマントヴァの監督に就任した。 しかし、2009年2月10日成績不振を理由にマントヴァの監督を辞任した。リーグ戦4勝5分4敗の成績であった。

人物

所属クラブ

1986.9-1987 イタリアの旗 モンツァ期限付き移籍

獲得タイトル

  • UEFAチャンピオンズリーグ優勝 4回(1988-89、1989-90、1993-94、2002-03)
  • インターコンチネンタルカップ優勝 2回(1989、1990)

脚注

  1. ^ マルコ・イアリア 「世界のトピックスに迫る:イタリア編」 『WORLD SOCCER MAGAZINE 2007 4.19 Vol.160』 第9巻第14号通算160号、ベースボール・マガジン社、2007年、94-95頁。雑誌 29903-7/19