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|カタカナ表記=ホンダ ケイスケ |
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2010年3月19日 (金) 12:26時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | ケイスケ | |||||
カタカナ | ホンダ ケイスケ | |||||
ラテン文字 | HONDA Keisuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1986年6月13日(38歳) | |||||
出身地 | 大阪府摂津市 | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | MF | |||||
背番号 | 7 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2004-2007 2008-2009 2010- |
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90 (11) 68 (24) | ||||
代表歴2 | ||||||
2008- |
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1. 国内リーグ戦に限る。2009年1月1日現在。 2. 2010年3月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日 - )は、大阪府出身のプロサッカー選手。ロシアリーグ・CSKAモスクワ所属。ポジションは主にミッドフィールダー(OH、SH、ST)。
来歴
小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。中学生時代にはガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大らと共にプレーしたが[1]、ユースチームへの昇格の内定が出なかったため星稜高校へと進学した[2]。1年時に全日本ユース選手権で準優勝し、3年時の第83回全国高等学校サッカー選手権大会では石川県勢としては初のベスト4入りの原動力となった[2]。2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ナビスコカップなどの公式戦にも起用され数試合出場を果たした。
高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受けたが[2]、2005年シーズンから名古屋とプロ契約を結んだ。開幕戦から先発出場しアシストを決め、翌2006年にはレギュラーに定着した。2005年のFIFAワールドユースオランダ大会に日本代表として参加。初戦オランダ戦に守備的な中盤として先発した[3]が、試合は前半にオランダが圧倒、後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となった(後半19分、水野晃樹。結果は1-2で敗戦)。この後チームは16強に進出するものの、守備的な中盤梶山陽平の復調もあり出場機会はなし。2006年にはA代表にも飛び級で初招集されたが出場はなかった。2007年北京五輪アジア予選では主力として五輪出場権獲得に貢献した。
2008年1月にさらに高いレベルでのプレーを求めてオランダ1部リーグのVVVフェンローへ移籍した。入団会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちに昨シーズンまで名古屋の監督を務めていたセフ・フェルホーセンが率いるPSVアイントホーフェン戦に出場している。残りのシーズンはレギュラーとしてプレーしたものの、5月にクラブのエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。2008年6月に開催されたワールドカップ3次予選のバーレーン戦でA代表初出場を果たした。8月に行われた北京オリンピック本大会では中盤の主力として一次リーグ3試合すべてに出場、谷口博之や梶山陽平らと共に攻撃を牽引したが、チームは3連敗で決勝トーナメント進出を逃し、自身もオランダ戦で決勝点となるPKを与えてしまうなど不本意な大会となった。同年7月には元保育園勤務の一般人と入籍していたことを発表している。
2008年-2009年シーズンは2部に降格したVVVに残留した。チームでは攻撃の軸として活躍し、開幕から首位を独走するチームの原動力となった。シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任されている。4月24日の対ハーレム戦に勝利し2部優勝と1部復帰が決定した。リーグ戦計36試合に出場した中で16ゴール13アシストをあげた活躍が評価され、2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した[4]。シーズン終了後にはPSV、アヤックスなどオランダ強豪チームへの移籍が検討されたが[5]、クラブが1000万ユーロ(約13億円)と高額の移籍金を設定したため交渉はまとまらず残留が決定した。
2009年-2010年シーズンもVVVで開幕を迎えることとなりチームの中心として活躍した。2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦でA代表初ゴールを記録した。冬の移籍市場において移籍金900万ユーロ(約12億円)[6][7][8]、4年契約でロシアサッカー・プレミアリーグの強豪PFC CSKAモスクワへの移籍が決まった。翌2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦でCSKAでの初出場を記録。同時にチャンピオンズリーグにも初出場となった。 2ndレグでは前半39分にCL初となるアシストと後半55分に決勝点となる初得点FKを決めチームをロシアリーグ初となるCLベスト8へ導いた。
評価・プレースタイル
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/Keisuke_Honda_Eredivisie_3.jpg/250px-Keisuke_Honda_Eredivisie_3.jpg)
屈強なフィジカルを持ち(「基本的に小さいころからサッカーは倒れたら負けというつもりでやってきた。」[9]とも語っている)、キック力に優れ、スルーパス、ロングパス、シュートの能力、なによりフリーキックの精度が高く、無回転とカーブする球を蹴り分けることができる。また全ての中盤のポジションと、サイドバック[10]も務めユーティリティ性に優れている。
日本代表では守備時の運動量の少なさを指摘されるものの、攻撃時にはゴール前へ飛び出すことが多い。これはプレーの効率性を上げるためメリハリを重要視しているためだという[11]。 VVVフェンローでは、本田を攻撃の中心としたフォーメーションが採用されていた。
VVVフェンローに移籍後はセンターハーフも務め、同僚のサンドロ・カラブロから「お前がゴールを決めているのはユーチューブ(You Tube)の中だけ」とシュート意識の低さに関して批判をうけた[12]後は「おれはゴール前だったら絶対パスは出さない。悪いけど、カラブロがフリーであろうがなんだろうが、前が空いていたらシュートを打つ。そういうところは少しずつ意識改革ができている。おれもあいつらに“欲”という意味では負けているつもりはないし、もっとわがままにやってもいいのかなと思っている」[13] と自らゴールを狙っていく姿勢を強めたことを語っている。このような経緯もあり、近年はMFとしては非常にゴールが多い選手として知られているが、アシストも多く記録し、更に本田のシュートのこぼれ球を味方が押し込みゴールを奪うというケースも多々あり、VVV時代はチームの得点の大半が本田を起点とするものであった。
また、サポーターからの信頼も厚く、2009-10シーズン第2節のADO戦では、序盤0-2と劣勢に立たされながら本田の2ゴールで同点とした試合で、退場処分を受けながらなかなかピッチから出ようとしない相手選手に対し、本田が駆け寄り退場するように促した際、相手選手が激昂し本田の胸を突き、これをきっかけとし両軍入り乱れの乱闘となった。この時、サポーターからHONDA!HONDA!と大合唱が起きた。
左利きの選手は左サイドのポジションに位置するのが一般的であるが中に切り込んで左足でシュート打たせることを目的として、右寄りのポジションに位置させられることが多い。 これは日本代表における中村俊輔と同じ位置であるためしばしば本田と中村が比較されることがある。また本人も中村から定位置を奪うという旨の発言をしている。[14] また、元カメルーン代表FWパトリック・エムボマは、本田はロベルト・バッジオのようなスタイルだと絶賛した。[15]
人物・エピソード
- 利き足と生年月日が一緒である家長昭博とはジュニアユースの同期生であり、親友として互いに尊重しあう間柄[16]である。
- 実兄で現在は俳優の本田弘幸も元サッカー選手で、2005年には大分トリニータ入団が決まっていたが怪我の為に現役生活を終えた。東京オリンピックにカヌー競技のカナディアンペアで出場した本田大三郎は大叔父であり、その息子でレスリングのフリースタイルで3大会連続のオリンピック出場経験を持つプロレスラーの本田多聞は従兄弟違いになる[2]。
- 2008年7月に元保育園勤務の保育士の女性と結婚した[17]。オランダ時代には夫妻の他に日本から連れてきた柴犬のテツと共に生活していた。
- 勝気な性格であり、その発言は時にビッグマウスともとられてしまう。北京五輪の予選リーグで敗退が決まった後の消化試合では数名の選手と共に反町監督の指示に造反していた事を明かし、メディアで物議をかもした[18]。しかし、そのような背景にはサッカーに対する非常に高い向上心があり、これまでのインタビューでも、ガンバ大阪ユースに昇格出来なかった時の悔しさや、学生時代から常に世界で活躍するプロサッカー選手を見据えていたことなどを度々語っている。また後にこの造反劇に関しては本人が雑誌「Number」で事実ではないことを語っている。
- 我を押し通すことを信条とする一方、自己分析を行い批判を素直に受け入れるなど柔軟な一面も見せることがある。VVVフェンローにおいてはキャプテンとして抜群の存在感を発揮し、チームメイトからも一目おかれる存在であった。また海外でステップアップを重ねるためにはもっと自己主張をしなくては上り詰めることはできないと自分では自覚している、まだまだ自己主張は足りていないと語る。
- プライベートでは、いつも両腕に腕時計をつけている。理由は「Classicを追い求めているため」というよくわからないもの[19]。なお別の番組では理由を「ボディバランスを保つため」と語っていたが[20]、これは本人によれば「ボケたつもりがツッコミを入れられず流されてしまった」ものだという[19]。
- 2009年-2010年シーズン前のシーズンオフ、移籍先がなかなか決まらない中、「VVVでの自分の役目はもう終わった。」と移籍を望む自分の心境を吐露するが、[21]シーズン直前になり「移籍に執着がなくなった。」と気持ちを切り替えたことを語っている。[22]
所属クラブ
- ユース経歴
- 1994年 - 1998年
摂津フットボールクラブ
- 1999年 - 2001年
ガンバ大阪ジュニアユース
- 2002年 - 2004年
星稜高校
- 2004年
名古屋グランパスエイト(特別指定選手として登録)
- 2004年
- プロ経歴
- 2005年 - 2007年
名古屋グランパスエイト
- 2008年1月 - 2009年
VVVフェンロー
- 2010年1月 -
PFC CSKAモスクワ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2004 | 名古屋 | 39 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |
2005 | 名古屋 | 24 | J1 | 31 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 35 | 2 |
2006 | 名古屋 | 24 | J1 | 29 | 6 | 4 | 2 | 1 | 0 | 34 | 8 |
2007 | 名古屋 | 24 | J1 | 30 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 35 | 3 |
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
2007-08 | VVV | 29 | エールディヴィジ | 14 | 2 | - | - | 14 | 2 | ||
2008-09 | VVV | 10 | エールステ・ディヴィジ | 36 | 16 | - | 1 | 0 | 37 | 16 | |
2009-10 | VVV | 10 | エールディヴィジ | 18 | 6 | - | 2 | 2 | 20 | 8 | |
ロシア | リーグ戦 | ロシア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | CSKAモスクワ | 7 | プレミアリーグ | 1 | 1 | - | |||||
通算 | 日本 | J1 | 90 | 11 | 10 | 2 | 5 | 0 | 105 | 13 | |
オランダ | エールディヴィジ | 32 | 8 | - | 2 | 2 | 34 | 10 | |||
オランダ | エールステディヴィジ | 36 | 16 | - | 1 | 0 | 37 | 16 | |||
ロシア | プレミアリーグ | 1 | 1 | - | |||||||
総通算 | 158 | 35 | 10 | 2 | 8 | 2 | 176 | 39 |
- 2004年は特別指定選手として出場。
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国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA CL | |||
2009-10 | CSKAモスクワ | 18 | 2 | 1 |
タイトル
クラブ
VVVフェンロー
- エールステディヴィジ:2008-2009
PFC CSKAモスクワ
- コパ・デル・ソル:2010
個人
- エールステディヴィジMVP:2008-2009
代表歴
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/Keisuke_Honda_Eredivisie_2.jpg/220px-Keisuke_Honda_Eredivisie_2.jpg)
出場大会
- U-20日本代表(2005年)
- FIFAワールドユース選手権・オランダ大会(ベスト16)
- U-21日本代表(2006年)
- U-22日本代表(2007年)
- U-23日本代表(2008年)
- 北京オリンピック・サッカー(グループリーグ敗退)
- 日本代表
試合数
- 国際Aマッチ 12試合 4得点(2008年 - )
日本代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2008 | 1 | 0 |
2009 | 10 | 3 |
2010 | 1 | 1 |
通算 | 12 | 4 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2009年5月27日 | 日本、大阪 | ![]() |
○4-0 | キリンカップサッカー |
2. | 2009年10月10日 | 日本、横浜 | ![]() |
○2-0 | キリンチャレンジカップ |
3. | 2009年10月14日 | 日本、宮城 | ![]() |
○5-0 | キリンチャレンジカップ |
4. | 2010年3月3日 | 日本、豊田 | ![]() |
○2-0 | AFCアジアカップ2011最終予選 |
CM出演
関連項目
- 大阪府出身の人物一覧
- ガンバ大阪の選手一覧#下部組織出身者
- 特別指定選手としてJリーグクラブに登録された選手一覧
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
- U-20サッカー日本代表
- オリンピックサッカー日本代表選手
脚注
- ^ 本田圭佑という男。、安田理大公式ブログ、06/19/2008
- ^ a b c d 一人立つ、夢への舞台 サッカー・本田圭佑さん、朝日新聞、2008年7月14日
- ^ [http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/japan/wy/column/2005/200506/at00005012.html スポーツナビ 次につながる死闘を演じた大熊ジャパン(1/2) 2010年3月18日閲覧 ワールドユース現地リポート]
- ^ 本田が最優秀選手 サッカーオランダ2部、共同通信社、2009年5月15日
- ^ 本田にPSVからオファー!VVV幹部明言、サンスポ、2009.4.28
- ^ [1]、Чемпионат.ру、2010年1月02日
- ^ [2]、Футбол на Куличках、2010年1月04日
- ^ [3]、日本代表MF本田、CSKAモスクワに移籍、2010年1月02日
- ^ VVVの本田圭佑「おれは“特別な存在”になる」 (1/2) 、スポーツナビ、2009年1月16日
- ^ 2006年は、チームの事情などから左サイドバックを務めることが多かった。
- ^ 岡田監督と本田圭佑のサッカー観の隔たり。 Number Web 2009年2月26日
- ^ VVVの本田圭佑「おれは“特別な存在”になる」 (1/2) 、スポーツナビ、2009年1月16日
- ^ VVVの本田圭佑「おれは“特別な存在”になる」 (2/2) 、スポーツナビ、2009年1月16日
- ^ 本田が俊輔越えに意欲、代表で定位置奪う、日刊スポーツ、2009年6月26日
- ^ エムボマ氏本田にホレた「彼はバッジオ」、日刊スポーツ、2010年3月14日
- ^ WEBサッカーマガジン 本誌連動インタビューより
- ^ 本田圭佑、7月に結婚していた ブログで発表
- ^ 3戦全敗1次L敗退、反町監督に選手造反 (2/2ページ)、サンスポ、2008.8.14
- ^ a b 『S☆1・スパサカ』(TBSテレビ)2009年7月4日放送分での小倉隆史との対談による。
- ^ 『NEWS ZERO』(日本テレビ)2009年6月18日放送分
- ^ [4] VVVの本田圭佑「今は気持ちをコントロールしようと必死」、スポーツナビ、2009年7月29日
- ^ [5] VVVの本田圭佑「移籍に執着がなくなった」、スポーツナビ、2009年7月31日