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2010年3月29日 (月) 15:26時点における版

撃墜されたU-2の残骸

U-2撃墜事件(ユーツーげきついじけん)は、1960年ソ連を偵察飛行していたアメリカ合衆国偵察機U-2が撃墜され、偵察の事実が発覚した事件。予定されていた米ソ首脳会談を吹き飛ばす事になった。

時代背景

米ソ冷戦が激しくなる中、アメリカ合衆国はソ連にミサイル・ギャップ(技術格差)をつけられた、という認識が高まりソ連の戦略ミサイルを徹底的に監視することで安全保障を確保する方針を固め、当時、ロッキード社で開発されたU-2偵察機による高高度偵察飛行によりソ連領内のミサイル配備状況等の動向を探っていた。

撃墜事件

同型の偵察機U-2
同型のミサイルS-75

撃墜成功

定期的に高高度で領空侵犯してくるU-2に対し、ソ連防空軍はMiG-19P迎撃戦闘機などで幾度となく迎撃を行っていたが、当時のソ連の戦闘機での迎撃は実質的に不可能であった。ソ連は新型のSu-9迎撃戦闘機の完成を急ぐと共に新型の地対空ミサイルの開発も進めており、これらは共に実戦配備に就いた。

そして、パリサミット開催予定の2週間前の1960年5月1日、パキスタンペシャワールの空軍基地を離陸し、ソ連領内で偵察飛行中のU-2に対し、ソ連側がS-75地対空ミサイル(ЗРК С-75)を発射しこれを撃墜することに成功した。なお、この際1機のSu-9迎撃戦闘機も迎撃に上がっていたが、迎撃に失敗した。

嘘の証言

パイロットのゲーリー・パワーズは、脱出し一命を取り留めた(自殺用の毒薬を所持していたがこれを使用しなかった)が、ソ連側に捕まり公開裁判にかけられ、スパイ行為を行っていたことを自白し、アメリカ側のスパイ行為の実態が明るみに出た。当初、アメリカ政府は、「高高度での気象データ収集を行っていた民間機が、与圧設備の故障で操縦不能に陥った」という嘘の声明を発表したものの、パワーズの自白が明らかになると態度を一変し、当時のアメリカ合衆国大統領アイゼンハワーは、「ソ連に先制・奇襲攻撃されないために、偵察を行うのはアメリカの安全保障にとって当然のことだ。パールハーバーは二度とご免だ」と発言しスパイ飛行の事実を認めた。

釈放

パワーズは8月19日にスパイ活動で有罪と判決され、懲役3年および7年間の重労働が宣告された。しかし、ソ連とアメリカはスパイを交換釈放することで合意した。1年9ヶ月後の1962年2月10日、自首し亡命を申し出た別のスパイの供述を元にFBIが逮捕したソ連のスパイ、“マーク”ルドルフ・アベル大佐とベルリンのグリーニケ・ブリッジで身柄交換された。

SA-2

この事件の際有名になったソ連の迎撃ミサイルはS-75NATOコードネーム:SA-2 Guideline)として西側に認知され、ヴェトナム戦争でも多くのアメリカ軍機を撃墜することとなった。

なお、西側ではSA-2としか認識していないが、実際にはS-75、SA-75等数種ある地対空ミサイルがどれも「SA-2」としてまとめられてしまっている。

余波

フルシチョフが事件に関する謝罪を要求したので、パリ・サミットは崩壊し、フルシチョフは5月16日に会談を一方的に打ち切った。

この事件以後、アメリカのミサイル技術も格段に向上し、ミサイルギャップも影を潜めたため、U-2によるソ連領内の高高度偵察飛行が行われることは無くなったが、アメリカと対立する国々へのU-2による高高度偵察飛行は、キューバ危機の際、再びU-2が対空ミサイルで撃墜されるまで頻繁に続けられたほか、中華人民共和国北朝鮮に対するスパイ飛行が行われた。中華人民共和国に対してのスパイ飛行はアメリカより中華民国空軍に供与された機体で行われていた。アメリカや中華民国側はこの件に関して当然のことながら沈黙を保ったが、中華人民共和国側はソ連より供与されたSA-2により数機を撃墜し、残骸を北京軍事博物館に並べて一般公開している。

この事件が起こる前年にも、アメリカ軍厚木基地所属のU-2がエンジントラブルで藤沢飛行場へ緊急着陸するという事件が起きた。事件当日は飛行場でグライダー大会が行われており、多数の親子連れがU-2を目撃する事態となってしまった。U-2撃墜事件が起こる前の当時、同機は完全に秘密扱いされていたので、厚木からアメリカ軍がU-2を回収しにやって来るまでにU-2を目撃した民間人は、日本領土内に住む日本人であるにも拘らず、アメリカ軍の守秘義務誓約書にサインさせられた[1]

日本人が日本国内で偶然にアメリカ軍の機密を知ってしまった場合には、アメリカとの二国間条約に基づいて制定された日本国の法律によって、機密保持義務を課すことが出来たのである。なお、このアメリカ軍の守秘義務誓約に違反した場合には、刑事特別法の機密等侵害罪により日本で刑事罰の対象となる。ただし、実際に起訴されて有罪判決を受けた事例は無い。

脚注

  1. ^ 国籍不明機の日本上空飛行に関する緊急質問 - 第33回国会衆議院本会議会議録

関連項目