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2010年4月3日 (土) 21:42時点における版

ヨハネスブルグ市都市圏
City of Johannesburg Metropolitan Municipality
ヨハネスブルグ政府庁舎
ヨハネスブルグ政府庁舎
ヨハネスブルグ市都市圏の市旗 ヨハネスブルグ市都市圏の市章
都市圏 都市圏
愛称 : joburg(ヨバーグ)
位置
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)の位置図
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)
ヨハネスブルグの位置(ハウテン州)の位置図
ヨハネスブルグの位置(ハウテン州)
座標 : 南緯26度12分16秒 東経28度02分44秒 / 南緯26.20444度 東経28.04556度 / -26.20444; 28.04556
歴史
建設 1886年
都市圏 2000年
行政
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
  ハウテン州
 都市圏 ヨハネスブルグ市都市圏
市長 アモス・マソンド
アフリカ民族会議
地理
面積  
  都市圏 1,644.96 km2 (635.1 mi2)
標高 1,753 m (5,751 ft)
人口
人口 2007年現在)
  都市圏 3,888,180[1]
    人口密度   2,364人/km2(6,122.7人/mi2
その他
等時帯 南アフリカ標準時 (UTC+2)
市外局番 011
公式ウェブサイト : city of johannesburg

ヨハネスブルグアフリカーンス語: 英語: Johannesburg)は、南アフリカ共和国ハウテン州にある都市都市圏)、同州の州都である。アフリカ有数の世界都市

概要

国内最大の都市で、人口は3,888,180人[1]。都市圏人口は7,850,000人であり、世界第31位のメトロポリスを形成している。近年、経済治安の悪化、貧困エイズ問題などの不安材料も多い。

ヨハネスブルグの名称の由来は、1856年の金鉱発見の際に測量のため派遣されたヨハネス・マイヤーとヨハネス・リシックの名と、アフリカーンス語で『』を意味する『burg』にちなんでいる。


歴史

金鉱が発見された農場

19世紀半ばまでは、先住民族であるサン人による小さな集落のひとつであった。1853年にトランスヴァール共和国の成立移行も開拓のためボーア人が定住したものの大きく変わるものではなかった。

1886年ウィットウォーターズランド(『白水の峰』を意味するアフリカーンス語)の鉱脈が発見され、アフリカ各地からの移住者が増加した。


19世紀末から20世紀初頭にかけてのボーア戦争で、イギリスが現地のオランダ系移民ボーア人に勝利して金鉱をおさえた。その後、イギリス人とブール人は和解、黒人の権利を踏みにじり鉱山労働などで酷使するアパルトヘイト政策を行った。

アパルトヘイト統治時代、市内はアフリカーナー居住区とアフリカ系・カラード居住区に分断され、アフリカーナー居住区への優遇政策が実施されていた。

1990年代、アパルトヘイトが廃止されたことで居住区の移動制限が撤廃されたため、職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系・カラードが移住したもののほとんど職を得ることができなかったため、一部の失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化している。

2000年、周辺の自治体と合併しヨハネスブルグ市都市圏が発足。

2002年、「持続可能な開発に関する世界首脳会議」が開催された。これは、1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットを受けたものである。この国際会議において、「持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言」が出された。

地理

ウィットウォーターズランド

南アフリカ東部にある標高が1,753 m(5,751 ft)の高地に位置する。周辺地域は、ウィットウォーターズランドと呼ばれる小さな峰で、北部や西部の郊外は起伏のある丘がある一方、東部の都心地域は平野である。

気候

10月から4月の夏の期間は乾燥した陽光に恵まれて、午後遅い時間に時折激しい雨が降る。ヨハネスブルグの気温は通常穏やかで、夏の1月でも最高気温は26℃で冬の6月でも最低気温は平均して16℃である。冬の間は時々気温は深夜に凍えるほど下がり霜が降りる場合もある。雪は滅多に降らず、1956年5月、1981年9月、2006年8月に経験したくらいである。2007年6月27日も降雪があり、その時は約10cmの積雪があった。年間平均降水量は713mmでそのほとんどが、夏の期間に降る。

ヨハネスブルグが乾燥した気候にも関わらず、600万本もの樹木がある世界最大の人工林(非商業的で)の都市と言われている。ほとんどの樹木は都市の北側に鉱業のため19世紀に植えられたものである。この地域の開発はダイヤモンド鉱山などを牛耳るドイツ系移民の企業家Hermann Ecksteinが開発していた。彼はこの辺りを"forest estates Sachsenwald"と呼んでいた。その名前も、" Saxonwold"に変わり現在は郊外の地名になっている。第一次世界大戦中、白人居住区はこの地域に移り森林も保持され新しい木も植えられたが、現在は北側の開発が進み、多く樹木が伐採されている。20、30年のうちに多くの森林が失われることが危惧されている。

ヨハネスブルグの気温
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 年間
月間最高気温( 35 34 32 29 26 23 24 26 31 32 33 32 35
平均最高気温(℃) 26 25 24 21 19 16 17 19 23 24 24 25 22
平均最低気温(℃) 15 14 13 10 7 4 4 6 9 11 13 14 10
月間最低気温(℃) 7 6 2 1 -3 -8 -5 -5 -3 0 2 4 -8
降水量(mm 125 90 91 54 13 9 4 6 27 72 117 105 713
South African Weather Service(2007年7月26日)

政治

アパルトヘイト廃止以前は、市内は人種居住区別に11の行政区(アフリカーナー行政区7・アフリカ系、カラード行政区4)が設置されていた。行政区域はきわめて非効率的で、市政府は税支出の90%をアフリカーナー居住区に、アフリカ系やカラード居住区への税支出は10%に過ぎなかった。

1995年、アパルトヘイト廃止に伴い成立した市政府は、税支出の民族別不均衡の是正に取り組むと同時に、民族別居住区の撤廃を実施した。

1999年、市域の拡大を行いヨハネスブルグ市都市圏が発足、市内を民族構成や地域構成を基に約300,000人を目安とした新たな11行政区・109地区[2]に再編した。

2006年2月、市政府は行政サービスの効率化を図るため、市議会の議決を経て7行政区[3]への再編した。

行政

行政区分

治安

概要

交通量が少ない中央経済地区(F区)

南アフリカは世界でも有数の犯罪発生率の高さで、特にヨハネスブルグの危険性は突出しており、「世界最悪の犯罪都市」「世界の犯罪首都」と称されるほどである。地元警察にて公式発表される殺人事件による犠牲者数は、1日当たりで80名で、外国からの駐在員及び観光客だけでも1日当たりで20名である。もっとも、あくまでも警察にて認知した公式件数であり、行方不明となったままの外国人も数多いのが現状である。

アパルトヘイト廃止後、職を求めて国外からの不法入国者を含む多くのアフリカ系・カラードが一挙に市街地へと流れ込んだ。しかし、アパルトヘイト時代の黒人に対する教育環境は非常に貧しく、非識字者はもちろん算数の初歩程度の知識すら有さない者も多い。南アフリカに隣接する国家から流入する者も同様である。こうした黒人達が高層ビルの林立する近代都市で職を得る機会はかなり乏しい。その結果、一部の者を犯罪へ駆り立て、多くの犯罪組織が作られることとなり治安は急速に悪化した。これを嫌った白人富裕層は、ヨハネスブルグからサントンなどの近郊へと職場(企業)も住居も移した。こうした悪循環で益々仕事の機会がなくなり、ついには街の一部(ヨハネスブルグ中心部等)は完全なゴーストタウンと化した。写真にある近代的な高層ビル群や高級マンションには逃げ出した白人達に代わって、市街地に流れ込んできた職のない黒人たち(周辺諸国からの不法移民含む)が、不法入居者として住みつき、麻薬取引をはじめとする犯罪の温床と化した。上記展望写真からも明らかなように、近代的なビル群が林立するわりには車道の交通量が不自然に少ない。

有刺鉄線を張り巡らす商店

とりわけヨハネスブルグ中央部界隈の治安の悪さは、戦時下にない地域としては世界でもワーストクラスとなってしまった。市域全体でも昼夜を問わず殺人強盗は日常的に生じ、どの店でもショーウィンドーには鉄格子が据え付けられている。市域全体における、人口当たりの殺人事件発生率については、もはや地元の警察ですら実数を把握できない状況にあるが、少なくとも殺人被害が、エイズをも超えて死亡原因の一位にあるものと推測される(行方不明者や自殺か他殺か不明の遺体の発見、更に不法入国者の動向など、行政側ではもはや事件としての把握すら不能に陥っている)。

南アフリカの都市では、経済的な貧困に加えて、既に死因の一位となっているエイズ蔓延による深い絶望感、さらにアパルトヘイト時代に鬱積した不満の反動とが複雑に絡み合い、銃器が簡単に入手できる環境から、実に簡単に殺害行為が引き起こされるようになってしまった。強盗に襲われたら決して逆らわないことである。しかし警告なしで殺してから金品を奪うという犯罪も多いので、危険な地域には決して立ち入ってはならない。

治安の悪化と共に、富裕 - 中産階級層のオフィスや居住地は北部のサントン地区などの郊外へ移転しはじめた。こうした地区の中心部には、ホテルが併設された大型ショッピングセンターが存在しており、常駐する武装警備員により治安が良好に保たれている。南アフリカの観光ツアーで、単なるショッピングセンターへの立ち寄りが強調される理由はここにある。しかし、こうしたシェルター代わりの施設の内部ですら、宝石店が襲撃され、強盗犯と警備員の間で銃撃戦が発生する事例が生じるなど、もはや緊張を緩められるという場所ではなくなってきている。

危険情報

日本の外務省からは、南アフリカに対しては危険情報が出されている[4]が、ヨハネスブルグはその中で1項目として挙げられている状態で、ダウンタウンやヒルブロウ地区については「可能な限り公共輸送機関の利用は避け、同地区には立ち入らないように」という勧告も出されている。しかし、ヨハネスブルグでは、自動車での移動においても、交差点の赤信号にて停車した日本人ドライバーが武装ギャングに襲撃され殺されたり、乗用車の故障のため高速道路の脇に車を停めて車外に出たドライバーがギャングに殺されたりする事件が発生している。地元警察の見解は「前者では、たとえ赤信号であっても事故の恐れがなければ乗用車でも『停止しない』のが常識であり、後者では、いかなる理由があろうとも、車外に出るとは非常識で、携帯電話で警察の救援を求めるべきだった」という始末である。

日本人が駅周辺を歩くことは、昼間であっても自殺行為である。鉄道やバスといった公共交通機関は黒人の低所得層が利用する手段であり、彼らは身の危険を冒してまで、ギャングに襲撃されている「非黒人」を助けてはくれない。空港・商店・ホテルなどの建物内から移動するときは、必ず車を使用すべきである(ほとんどのホテルは送迎を行っている)。夜間は車であっても極力外出しないことである。危険な地区では、決して停車しないように警告されているが、むしろ今では危険地域の方が多くなってしまった。

このように、極端に治安が悪い地域が多いため、もはや観光目的で行くような場所ではないとも言われている。また、2010年FIFAワールドカップの開催地に決まっているが、治安問題から開催そのものも不安視されている。

産業

交通

ヨハネスブルグ国際空港があり、これが南アフリカ共和国の空の玄関である。鉄道高速道路も各都市を結び、よく整備されている。

鉄道

メトロレール路線図
(ヨハネスブルグ都市圏)

中央駅であるヨハネスブルグパーク駅に各路線が連絡している。

寝台列車
通勤列車

空路

国内最大のO・R・タンボ国際空港のほか、国内線専用のランセリア空港、小規模空港であるランド空港グランドセントラル空港がある。

高速道路

観光

テーマパーク
動物園
博物館
美術館
商業施設

教育

ウィットウォータズランド大学

ヨハネスブルグには公立・私立共に質の高い大学がある。2005年1月、ランド・アフリカーンス大学、ウィットウォータズランド工科大学、ビスタ大学の3つが合併し、ヨハネスブルグ大学が設立された。この大学では英語だけでなくアフリカーンス語でも教育が行われる。

大学

スポーツ

FNBスタジアムが、2010年に開催される第19回FIFAワールドカップ決勝戦を行うファイナルスタジアムとして決定されているが、命名権を持つファースト・ナショナル・バンクのFIFAスポンサー権利範囲が国内に限定されるため、大会中はスタジアム名を「サッカーシティ・スタジアム」に変更する。

友好都市


関連項目

脚注

  1. ^ Statistics South Africa, Community Survey, 2007, Basic Results Municipalities (pdf-file Retrieved on 2008-03-23.(英語)
  2. ^ Johannesburg's administrative regions - city of johanenesburg - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト(英語)
  3. ^ The seven regions - city of johanenesburg - ヨハネスブルグ市都市圏政府サイト(英語)
  4. ^ http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4.asp?id=122#header

外部リンク

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