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「サーベラス (モニター)」の版間の差分

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|兵装||[[アームストロング・ホイットワース|アームストロング]] Mark I 10[[インチ]]:25.4[[センチメートル|cm]](15口径)[[前装式]][[ライフル砲|連装砲]]2基<br />12[[ポンド]]:7.62cm[[榴弾砲|単装榴弾砲]]2基([[青銅]]製)<br /> (1883年:[[ノルデンフェルト]] [[機関砲|四銃身機関砲]]4基)<br />(1890年:ノルデンフェルト 6ポンド:5.7cm(40口径)[[速射砲|単装速射砲]]2基)<br />()1897年:[[ハイラム・マキシム|マキシム]]・ノルデンフェルト 14ポンド速射砲2基)
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|装甲(鉄製)||舷側:150~200mm+[[オーク]]材230~280mm<br />甲板:25~38mm+[[チーク]]材250mm<br />ブレストワーク部:200~230mm+オーク材230~280mm<br />砲塔:230~250mm(側盾)<br />司令塔:-mm
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== 概要 ==
== 概要 ==
[[イギリス]]の[[植民地]]であった[[オーストラリア]]の[[ビクトリア州|ビクトリア植民地政府]]海軍の[[軍艦]](HMVS=Her Majesty's Victorian Ship)として、イギリスで建造された。[[モニター艦]]に分類され、特に艦中央部にブレストワークと呼ばれる上部構造物を備えることから、[[ブレストワーク・モニター]]と呼ばれる系列ある。完成後、オーストラリアへの航海時には、航洋性能を高めるために簡易的な帆走設備と乾舷を高める囲いなど臨時の改装が施されていた。燃料となる[[石炭]]搭載量がわずか210トンであったため、回航には相当の困難が伴った。
本艦は[[イギリス]]の[[植民地]]であった[[オーストラリア]]の[[ビクトリア州|ビクトリア植民地政府]]海軍の[[軍艦]](HMVS=Her Majesty's Victorian Ship)としてオーストラリアの沿岸部を防衛する任務のため、イギリスで建造された。本艦は沿岸[[モニター艦]]に分類され、特に艦中央部に'''ブレストワーク'''と呼ばれる上部構造物を備えることから、[[ブレストワーク・モニター]]と呼ばれる系列に位置しており、同種艦にイギリス海軍の「デバステーション級」などがある。完成後、オーストラリアへの回航航海時には、航洋性能を高めるために簡易的な帆走設備と乾舷を高める囲い臨時に装着するなどの改装が施され、その姿は同時期の砲塔[[装甲艦]]「[[モナーク (装甲艦|モナーク(HMS Monarch)]]」に酷似していた。燃料となる[[石炭]]搭載量がわずか210トンであったため、回航には相当の困難が伴った。本艦の仮想敵としてイギリス海軍のライバルである[[フランス海軍]]のフランス極東艦隊があり、中でも二等装甲艦[[ラ・ガリソニエール級装甲艦|ラ・ガリソニエール級]]「ラ・ガリソニエール」は強力な敵であった。列強の植民地獲得が盛んな時代にあって、本艦の存在はオーストラリアにとって熱望されていた。
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[[File:Victorian Navy (AWM 300032).jpg|thumb|left|150px|本艦を描いたイラスト。]]
File:HMS Devastation 1871.jpg|「HMS デバステーション(Devastation)」
[[File:HMVS Cerberus flying deck 1895 AWM P00952.003.jpeg|thumb|left|150px|艦上で対水雷艇用の速射砲を運用する水兵達。]]
File:HMS Monarch (1868) William Frederick Mitchell.jpg|「HMS モナーク(Monarch)」
サーベラスは、ビクトリア政府海軍の主力艦として、[[メルボルン]]港など[[ポートフィリップ湾]]一帯の防衛任務に当てられた。[[1883年]]以降、[[水雷艇]]対策として各種の[[速射砲]]が追加された。
File:Galissonniere.jpg|フランス海軍二等装甲艦「ラ・ガリソニエール」
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== 艦形 ==
[[File:Victorian Navy (AWM 300032).jpg|thumb|left|150px|回航後の本艦を描いたイラスト。]]
本艦の基本構造は乾舷が低い平甲板型[[船体]]の前後に2基の背の低い円筒形[[砲塔]]を配置する当時の典型的なブレストワーク・モニターの艦形である。ブレストワークとは、当時の低い乾舷を持つ船体にそのまま円筒形の砲塔を置いたのでは、砲塔がはまる穴から波浪が容赦なく艦内に浸水してしまう。そのため、砲塔の位置をブレストワークと呼ばれる舷側装甲を持つ構造物で砲塔の位置をかさ上げする事で少しでも浸水を少なくしようと言う工夫であった。この設計は同時代のイギリス海軍の装甲艦「[[デバステーション級装甲艦|デヴァステーション級]]」などに見られる。ブレストワークを用いる事で低い乾舷から機関区や居住区は波浪よりも高い位置に位置するために外洋航行時に乗員が行動するスペースを得られた。

しかし、上部構造物は前後を主砲塔に挟まれているために上へ上へと多層構造化せざるを得なく、窮屈な印象を見るものに与えた。艦首水面下に[[衝角]]を持ち、乾舷は僅か0.9mでしかない艦首甲板上にアームストロング社製「25.4cm(15口径)前装填式砲」を連装式の主砲塔に納めて1基を配置し、その背後に甲板1段分上がって上部構造物が設けられ、その上に前後の砲塔の上部にオーバーハングする形で'''空中甲板'''(フライングデッキ)と呼ばれる構造物を設置し、そこに箱型の操舵艦橋を設け、後部に船内に外気を入れる煙管型の通風筒と細身の1本[[煙突]]が立ち並び。その背後に簡素な単脚式の[[マスト]]が立つ。マストの周囲には艦載艇置き場となっており、片舷2本1組つのボート・ダビットにより舷側甲板へと下ろされ、そこから舷側に付いた2組のボート・ダビットにより運用されていた。上部構造物の後部から後部主砲塔が1基配置され、そこから甲板1段分下がって後部甲板があった。

== 武装 ==
本艦の主武装はアームストロング社製「Mark I 25.4cm(15口径)前装式ライフル砲」である。前装填式とは現在の[[艦砲]]は後装填式と呼ばれる砲の後部を開閉して砲弾を装填する形式が主流であるが、この時代の艦砲は砲弾と装薬を砲口から装填する前装填式が主流であった。この砲は発射する砲弾を回転させて安定させるためにライフリング(施条)が砲身内に刻んであった。砲弾の装填方法は砲塔内に砲身を人力で引き込み、400ポンドの砲弾を鉄の[[フック]]の付いた[[チェーン]]と[[滑車]]で弾薬庫から人力で吊り上げて砲口から棒で押し込む形式をいまだ採用していた。装薬は布製の袋に詰められた物を手渡しリレーで弾薬庫から砲塔内まで輸送された。

この砲を、直径約8m・高さ約4mほどの円筒形の砲塔内に連装で2門を納めた。砲塔の旋回には砲塔の下部にギヤが刻まれたにより砲塔自体が巨大な歯車となり、補助ボイラーにより発する蒸気を送られた蒸気機関についた歯車で旋回する。蒸気機関とは別に数人がかりで回すクランクハンドルが歯車に接続され、細かい微調整に人力を必要とした。砲身の仰角・俯角操作、砲弾・装薬の装填に人力を必要とした。このため、砲の運用には1門あたり約20名ほどの砲員を必要とした。本艦の主砲塔はブレストワーク上の前後2基が据え付けられ、上部構造物を挟み込む形で位置していた。

回航後に空中甲板上に対水雷艇用装備として「アームストロング 12ポンド(7.62cm)青銅製榴弾砲」が単装砲架で2基が追加され、更に1883年には「ノルデンフェルト 1インチ=25mm4連装機関砲」が4基搭載され、一部はマスト上に設けられた見張り所に配置された。1890年に「ノルデンフェルト 6ポンド=5.7cm(40口径)速射砲」が単装砲架で2基が追加され、1897年に近接戦闘用として「マキシム・ノルデンフェルト 14ポンド=7.62cm速射砲」が単装砲架で片舷1基ずつ計2基が追加され続けた。
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File:RML 10 inch 18 ton gun diagrams.jpeg|アームストロング「Mark I 25.4cm(15口径)前装式ライフル砲」の断面図。
File:RML 10 inch gun HMVS Cerberus Ballarat AWM P01473.001.jpeg|廃艦後に記念品となった本艦の「Mark I 25.4cm(15口径)前装式ライフル砲」。
File:HMVS Cerberus flying deck 1895 AWM P00952.003.jpeg|回航後に空中甲板に増設された対水雷艇用のノルデンフェルト 14ポンド(7.62cm)速射砲を運用する水兵達。
File:1-InchNordenfelt4BarrelGunNavalActionDrawing.jpg|本艦にも搭載された対水雷艇用のノルデンフェルト 1インチ四連装機関砲を運用する水兵達の図。
File:57mm 48cal Nordenfelt Krepost Sveaborg 1999.jpg|本艦にも搭載された対水雷艇用のノルデンフェルト 6ポンド速射砲。
File:QF14pounder&GunCrewHMVSCerberus1900.jpg|ブレストワーク上に搭載された対水雷艇用のマキシム・ノルデンフェルト 14ポンド速射砲を操作する水兵達。
</gallery>== 機関 ==
本艦の機関は角型ボイラー4基にMaudslay Son & Field式単動式レシプロ機関2基2軸推進で最大出力1,370馬力で速力9.75ノットを発揮した。燃料は石炭で、210トンの石炭で機関の整備休憩を挟みながら6ノットで10日間の連続航海が可能であった。当時の機関は現代の物と異なり、主連続航行するには信頼性も稼動性に欠けており、ある程度稼動させたら機関を停止させて整備と休憩を必要としていた。また、平時に運用するに当たって砲塔旋回用の蒸気機関や[[浸水]]を汲み出す[[ポンプ|蒸気ポンプ]]に開口部の少ない船内に新鮮な外気を通風するための蒸気駆動の[[換気扇]]を動かすために燃費の悪い主ボイラーを焚き続ける訳には行かず、燃費の良い小型の補助ボイラー1基を別個に搭載して平時や航海時に使用していた。機関に接続された直径約3.7mの4枚羽根[[スクリュープロペラ|スクリュー]]で推進され、海底に接触しないように[[竜骨 (船)|キール]]よりも高い位置にスクリューの先端が位置するように配置していた。スクリューの背後には小型の[[舵]]が据え付けられ、人力により操舵された。後に1876年に蒸気駆動の舵取り機が設置されて本艦の運動性を向上させた。

== 艦歴 ==
サーベラスは、イギリスから回航後の1871年4月9日に[[ポートフィリップ湾]]に到着した。本艦はビクトリア政府海軍の主力艦として、[[メルボルン]]港などポートフィリップ湾一帯の防衛任務に当てられた。[[1883年]]以降、[[水雷艇]]対策として各種の[[速射砲]]やサーチライト等艦上構造物に追加された。


[[1911年]]に[[オーストラリア海軍]]が成立すると、その所属艦として引き継がれた。旧式化が著しく弾薬庫などとして使用された。1921年に「プラティパス II(HMAS Platypus II)」と改名され、港に係留されてオーストラリア海軍の[[J級潜水艦]]部隊の支援用に使われた。
[[1911年]]に[[オーストラリア海軍]]が成立すると、その所属艦として引き継がれた。旧式化が著しく弾薬庫などとして使用された。1921年に「プラティパス II(HMAS Platypus II)」と改名され、港に係留されてオーストラリア海軍の[[J級潜水艦]]部隊の支援用に使われた。
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== 同型艦 ==
== 同型艦 ==
[[インド海軍]]向けに、同型のモニター艦マグダラ(HMIS Magdala)が建造された。ボンベイ(現・[[ムンバイ]])の防備に当てられた。
本艦の同型艦として[[インド海軍]]向けに、同型のモニター艦マグダラ(HMIS Magdala)が建造された。ボンベイ(現・[[ムンバイ]])の防備に当てられた。


== 参考図書 ==
== 参考図書 ==

2010年4月17日 (土) 14:22時点における版

1871年に撮影されたサーベラス
艦歴
発注 1867年7月1日にパルマー造船所に発注。
起工 1867年9月1日
進水 1868年12月2日
就役 1870年9月12日
退役 1924年
その後 1926年9月2日、防波堤として沈められる。
除籍
性能諸元(竣工時)
排水量 常備:3,340トン
3,560トン(満載)
全長 69m(225フィート
-m(水線長)
全幅 14m(45フィート)
吃水 5m(16フィート)
機関 型式不明石炭専焼角型缶4基&補助缶1基
+Maudslay Son & Field式レシプロ機関2基2軸推進
最大
出力
1,370hp
最大
速力
9.75ノット
(公試時:12.4ノット(1900年4月13日に記録))
航続
距離
6ノットで途中停止しつつ10日間の連続航海可能
燃料 石炭:210トン
乗員 96名(戦時には40名増員可能)
兵装 アームストロング Mark I 10インチ:25.4cm(15口径)前装式連装砲2基
12ポンド:7.62cm単装榴弾砲2基(青銅製)
(1883年:ノルデンフェルト 四銃身機関砲4基)
(1890年:ノルデンフェルト 6ポンド:5.7cm(40口径)単装速射砲2基)
()1897年:マキシム・ノルデンフェルト 14ポンド速射砲2基)
装甲(鉄製) 舷側:150~200mm+オーク材230~280mm
甲板:25~38mm+チーク材250mm
ブレストワーク部:200~230mm+オーク材230~280mm
砲塔:230~250mm(側盾)
司令塔:-mm

サーベラス(HMVS Cerberus)は、オーストラリアビクトリア植民地政府海軍が保有したモニター艦で同型艦はない。後にオーストラリア海軍が承継し、1921年にプラティパス II(HMAS Platypus II)と改名した。現在も防波堤として船体が現存している。

概要

本艦はイギリス植民地であったオーストラリアビクトリア植民地政府海軍の軍艦(HMVS=Her Majesty's Victorian Ship)としてオーストラリアの沿岸部を防衛する任務のため、イギリスで建造された。本艦は沿岸モニター艦に分類され、特に艦中央部にブレストワークと呼ばれる上部構造物を備えることから、ブレストワーク・モニターと呼ばれる系列に位置しており、同種艦にイギリス海軍の「デバステーション級」などがある。完成後、オーストラリアへの回航航海時には、航洋性能を高めるために簡易的な帆走設備と乾舷を高める囲いを臨時に装着するなどの改装が施され、その姿は同時期の砲塔装甲艦モナーク(HMS Monarch)」に酷似していた。燃料となる石炭搭載量がわずか210トンであったため、回航には相当の困難が伴った。本艦の仮想敵としてイギリス海軍のライバルであるフランス海軍のフランス極東艦隊があり、中でも二等装甲艦ラ・ガリソニエール級「ラ・ガリソニエール」は強力な敵であった。列強の植民地獲得が盛んな時代にあって、本艦の存在はオーストラリアにとって熱望されていた。

艦形

回航後の本艦を描いたイラスト。

本艦の基本構造は乾舷が低い平甲板型船体の前後に2基の背の低い円筒形砲塔を配置する当時の典型的なブレストワーク・モニターの艦形である。ブレストワークとは、当時の低い乾舷を持つ船体にそのまま円筒形の砲塔を置いたのでは、砲塔がはまる穴から波浪が容赦なく艦内に浸水してしまう。そのため、砲塔の位置をブレストワークと呼ばれる舷側装甲を持つ構造物で砲塔の位置をかさ上げする事で少しでも浸水を少なくしようと言う工夫であった。この設計は同時代のイギリス海軍の装甲艦「デヴァステーション級」などに見られる。ブレストワークを用いる事で低い乾舷から機関区や居住区は波浪よりも高い位置に位置するために外洋航行時に乗員が行動するスペースを得られた。

しかし、上部構造物は前後を主砲塔に挟まれているために上へ上へと多層構造化せざるを得なく、窮屈な印象を見るものに与えた。艦首水面下に衝角を持ち、乾舷は僅か0.9mでしかない艦首甲板上にアームストロング社製「25.4cm(15口径)前装填式砲」を連装式の主砲塔に納めて1基を配置し、その背後に甲板1段分上がって上部構造物が設けられ、その上に前後の砲塔の上部にオーバーハングする形で空中甲板(フライングデッキ)と呼ばれる構造物を設置し、そこに箱型の操舵艦橋を設け、後部に船内に外気を入れる煙管型の通風筒と細身の1本煙突が立ち並び。その背後に簡素な単脚式のマストが立つ。マストの周囲には艦載艇置き場となっており、片舷2本1組つのボート・ダビットにより舷側甲板へと下ろされ、そこから舷側に付いた2組のボート・ダビットにより運用されていた。上部構造物の後部から後部主砲塔が1基配置され、そこから甲板1段分下がって後部甲板があった。

武装

本艦の主武装はアームストロング社製「Mark I 25.4cm(15口径)前装式ライフル砲」である。前装填式とは現在の艦砲は後装填式と呼ばれる砲の後部を開閉して砲弾を装填する形式が主流であるが、この時代の艦砲は砲弾と装薬を砲口から装填する前装填式が主流であった。この砲は発射する砲弾を回転させて安定させるためにライフリング(施条)が砲身内に刻んであった。砲弾の装填方法は砲塔内に砲身を人力で引き込み、400ポンドの砲弾を鉄のフックの付いたチェーン滑車で弾薬庫から人力で吊り上げて砲口から棒で押し込む形式をいまだ採用していた。装薬は布製の袋に詰められた物を手渡しリレーで弾薬庫から砲塔内まで輸送された。

この砲を、直径約8m・高さ約4mほどの円筒形の砲塔内に連装で2門を納めた。砲塔の旋回には砲塔の下部にギヤが刻まれたにより砲塔自体が巨大な歯車となり、補助ボイラーにより発する蒸気を送られた蒸気機関についた歯車で旋回する。蒸気機関とは別に数人がかりで回すクランクハンドルが歯車に接続され、細かい微調整に人力を必要とした。砲身の仰角・俯角操作、砲弾・装薬の装填に人力を必要とした。このため、砲の運用には1門あたり約20名ほどの砲員を必要とした。本艦の主砲塔はブレストワーク上の前後2基が据え付けられ、上部構造物を挟み込む形で位置していた。

回航後に空中甲板上に対水雷艇用装備として「アームストロング 12ポンド(7.62cm)青銅製榴弾砲」が単装砲架で2基が追加され、更に1883年には「ノルデンフェルト 1インチ=25mm4連装機関砲」が4基搭載され、一部はマスト上に設けられた見張り所に配置された。1890年に「ノルデンフェルト 6ポンド=5.7cm(40口径)速射砲」が単装砲架で2基が追加され、1897年に近接戦闘用として「マキシム・ノルデンフェルト 14ポンド=7.62cm速射砲」が単装砲架で片舷1基ずつ計2基が追加され続けた。

== 機関 ==

本艦の機関は角型ボイラー4基にMaudslay Son & Field式単動式レシプロ機関2基2軸推進で最大出力1,370馬力で速力9.75ノットを発揮した。燃料は石炭で、210トンの石炭で機関の整備休憩を挟みながら6ノットで10日間の連続航海が可能であった。当時の機関は現代の物と異なり、主連続航行するには信頼性も稼動性に欠けており、ある程度稼動させたら機関を停止させて整備と休憩を必要としていた。また、平時に運用するに当たって砲塔旋回用の蒸気機関や浸水を汲み出す蒸気ポンプに開口部の少ない船内に新鮮な外気を通風するための蒸気駆動の換気扇を動かすために燃費の悪い主ボイラーを焚き続ける訳には行かず、燃費の良い小型の補助ボイラー1基を別個に搭載して平時や航海時に使用していた。機関に接続された直径約3.7mの4枚羽根スクリューで推進され、海底に接触しないようにキールよりも高い位置にスクリューの先端が位置するように配置していた。スクリューの背後には小型のが据え付けられ、人力により操舵された。後に1876年に蒸気駆動の舵取り機が設置されて本艦の運動性を向上させた。

艦歴

サーベラスは、イギリスから回航後の1871年4月9日にポートフィリップ湾に到着した。本艦はビクトリア政府海軍の主力艦として、メルボルン港などポートフィリップ湾一帯の防衛任務に当てられた。1883年以降、水雷艇対策として各種の速射砲やサーチライト等が艦上構造物に追加された。

1911年オーストラリア海軍が成立すると、その所属艦として引き継がれた。旧式化が著しく弾薬庫などとして使用された。1921年に「プラティパス II(HMAS Platypus II)」と改名され、港に係留されてオーストラリア海軍のJ級潜水艦部隊の支援用に使われた。

J級潜水艦部隊の解散に伴い、1924年にスクラップとして売却された。一旦は解体工事が始まったが、1926年に防波堤に転用されることとなり、ヴィクトリア州メルボルン郊外のブラックロック(Black Rock)にあるハーフムーン湾(Half Moon Bay)に沈められた。船体が残された世界でも稀なモニター艦となったが[1]、波浪の影響で破損が進行しており、地元で保存運動が行われている。

艦歴

  • 1867年 イギリスのPalmers Shipbuilding and Iron Companyの造船所で進水。
  • 1870年 竣工。
  • 1871年 オーストラリアへ回航。
  • 1911年 オーストラリア海軍に移籍。
  • 1921年 プラティパス IIと改名。潜水艦の係留母艦任務。
  • 1924年 スクラップとして売却。
  • 1926年 防波堤として沈められる。

同型艦

本艦の同型艦としてインド海軍向けに、同型のモニター艦マグダラ(HMIS Magdala)が建造された。ボンベイ(現・ムンバイ)の防備に当てられた。

参考図書

  • 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
  • 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)

注記

  1. ^ スウェーデン海軍のセルヴは現在もイェーテボリの海事博物館で保存されている。モニター艦に近い砲塔艦としては、チリ海軍のワスカル記念艦として保存されている。

関連項目

外部リンク