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「マンフレッド交響曲」の版間の差分

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《'''マンフレッド交響曲'''({{lang-ru-short|'''{{lang|ru|Манфред-Симфония}}'''}} / {{lang-fr-short|'''''{{lang|fr|Manfred Symphonie}}'''''}})'''[[ロ短調]]'''》'''[[作品番号|作品]]58'''は、'''[[ピョートル・チャイコフスキー]]'''が[[1885年]]5月から9月にかけて書き上げた[[管弦楽]]曲。[[ジョージ・ゴードン・バイロン|バイロン卿]]が[[1817年]]に書いた[[劇詩]]『[[マンフレッド]]』(''[[:en:Manfred|Manfred]]'')に基づくチャイコフスキー唯一の[[標題音楽|標題交響曲]]であり、チャイコフスキーが番号付けを行なわなかった唯一の[[交響曲]]である(ただし順番から言うと、《[[交響曲第4番_(チャイコフスキー)|交響曲 第4番]]》《[[交響曲第5番_(チャイコフスキー)|交響曲 第5番]]》の間に作曲されている)。
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[[ミリイ・バラキレフ]]に献呈され、[[1886年]][[3月11日]]に、マックス・エルトマンスデルファーの指揮により[[モスクワ]]で初演された。全曲を通した演奏は約55分である。作曲者によって1885年に[[連弾|4手ピアノ]]版も作成されている。
[[ミリイ・バラキレフ]]に献呈され、[[1886年]][[3月11日]]に、マックス・エルトマンスデルファーの指揮により[[モスクワ]]で初演された。全曲を通した演奏は約55分である。作曲者によって1885年に[[連弾|4手ピアノ]]版も作成されている。


== 作曲の経緯 ==
== 作曲の経緯 ==
「バイロンの『マンフレッド』による標題交響曲」という発想は、バラキレフによるものだった。しかし、なぜかバラキレフ自身が作曲に着手しようとはせず、[[エクトル・ベルリオーズ]]に作曲を打診するが、ベルリオーズは高齢と病気の為、作曲を断っている。次にバラキレフが白羽の矢を立てたのがチャイコフスキーだったのである。バラキレフは[[1882年]][[10月9日]]のチャイコフスキー宛の書簡で、自分が手をつけようとはしない理由を次のように釈明している。
「バイロンの『マンフレッド』による標題交響曲」という発想は、バラキレフによるものだった。しかし、なぜかバラキレフ自身が作曲に着手しようとはせず、[[エクトル・ベルリオーズ]]に作曲を打診するが、ベルリオーズは高齢と病気の為、作曲を断っている。次にバラキレフが白羽の矢を立てたのがチャイコフスキーだったのである。バラキレフは[[1882年]][[10月9日]]のチャイコフスキー宛の書簡で、自分が手をつけようとはしない理由を次のように釈明している。
:「この壮大な主題は私には似合いませんし、私の内なる精神構造にも調和しないのです。」
:「この壮大な主題は私には似合いませんし、私の内なる精神構造にも調和しないのです。」


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近年は主要なオーケストラや指揮者によって、録音に採り上げられることが増えている。たとえば[[イーゴリ・マルケヴィチ]]や[[ユージン・オーマンディ]]、[[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ]]、[[ロリン・マゼール]]、[[アンドレ・プレヴィン]]、[[エフゲニー・スヴェトラーノフ]]、[[ヴェロニカ・ドゥダロヴァ]]、[[ミハイル・プレトニョフ]]、[[ウラジミール・フェドセーエフ]]、[[ユーリ・テミルカーノフ]]、[[リッカルド・ムーティ]]、[[リッカルド・シャイー]]、[[アンドルー・リットン]]、[[ユーリ・アーロノヴィチ]]、[[小林研一郎]]、[[ウラディーミル・アシュケナージ]]らの録音がある。
近年は主要なオーケストラや指揮者によって、録音に採り上げられることが増えている。たとえば[[イーゴリ・マルケヴィチ]]や[[ユージン・オーマンディ]]、[[ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ]]、[[ロリン・マゼール]]、[[アンドレ・プレヴィン]]、[[エフゲニー・スヴェトラーノフ]]、[[ヴェロニカ・ドゥダロヴァ]]、[[ミハイル・プレトニョフ]]、[[ウラジミール・フェドセーエフ]]、[[ユーリ・テミルカーノフ]]、[[リッカルド・ムーティ]]、[[リッカルド・シャイー]]、[[アンドルー・リットン]]、[[ユーリ・アーロノヴィチ]]、[[小林研一郎]]、[[ウラディーミル・アシュケナージ]]らの録音がある。


その反面、現在でもげられる機会には恵まれていない。<!--演奏時間が彼の交響曲では最も長く、[[オーケストラ]]に対する要求の高さから{{要出典|この曲の「要求の高さ」を示す出典を示してください。|date=2008年11月}}、きちんと演奏することが難しいという面もあるが、上記のように作品の説得力や価値に疑問を持つ演奏家も少なくないためだとも考えられる。{{要出典|「作品の説得力や価値に疑問を持つ演奏家が少なくない」ことを示す出典を示してください。|date=2008年11月}}←作品の評価についてはこの節の冒頭でも述べられている通りです。但し、実演に恵まれない理由については出典があったとしても主観的憶測にならざるを得ませんのでいっそコメントアウトし、実演の機会が少ない、という事実のみの記述に留めた方が良いかと思います。-->
その反面、現在でも演でげられる機会には恵まれていない。<!--演奏時間が彼の交響曲では最も長く、[[オーケストラ]]に対する要求の高さから{{要出典|この曲の「要求の高さ」を示す出典を示してください。|date=2008年11月}}、きちんと演奏することが難しいという面もあるが、上記のように作品の説得力や価値に疑問を持つ演奏家も少なくないためだとも考えられる。{{要出典|「作品の説得力や価値に疑問を持つ演奏家が少なくない」ことを示す出典を示してください。|date=2008年11月}}←作品の評価についてはこの節の冒頭でも述べられている通りです。但し、実演に恵まれない理由については出典があったとしても主観的憶測にならざるを得ませんのでいっそコメントアウトし、実演の機会が少ない、という事実のみの記述に留めた方が良いかと思います。-->


== 関連項 ==
== 参考書籍・外部リンクなど ==
*[http://www.tchaikovsky-research.net/en/Works/th028.html Manfred Symphony on Tchaikovsky-research.net]
* http://www.tchaikovsky-research.org/en/Works/th028.html
*[http://w3.rz-berlin.mpg.de/cmp/tchaikovsky_sym_manfred.html MP3 files of excerpts from the 4 movements]

== 関連項 ==
主な標題交響曲
主な標題交響曲
* [[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]:《[[幻想交響曲]]》《[[イタリアのハロルド]]》
* [[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]:《[[幻想交響曲]]》《[[イタリアのハロルド]]》
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* [[レインゴリト・グリエール|グリエール]]:《[[交響曲第3番_(グリエール)|イリヤ・ムーロメッツ]]》
* [[レインゴリト・グリエール|グリエール]]:《[[交響曲第3番_(グリエール)|イリヤ・ムーロメッツ]]》
* [[リヒャルト・シュトラウス|R.シュトラウス]]:《[[アルプス交響曲]]》《[[家庭交響曲]]》
* [[リヒャルト・シュトラウス|R.シュトラウス]]:《[[アルプス交響曲]]》《[[家庭交響曲]]》

== 外部リンク ==
*[http://www.tchaikovsky-research.net/en/Works/th028.html Manfred Symphony on Tchaikovsky-research.net]
* http://www.tchaikovsky-research.org/en/Works/th028.html
*[http://w3.rz-berlin.mpg.de/cmp/tchaikovsky_sym_manfred.html MP3 files of excerpts from the 4 movements]


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2010年4月22日 (木) 16:38時点における版

マンフレッド交響曲》(: Манфред-Симфония / : Manfred Symphonieロ短調作品58は、ピョートル・チャイコフスキー1885年5月から9月にかけて書き上げた管弦楽曲。バイロン卿1817年に書いた劇詩マンフレッド』(Manfred)に基づくチャイコフスキー唯一の標題交響曲であり、チャイコフスキーが番号付けを行なわなかった唯一の交響曲である(ただし順番から言うと、《交響曲 第4番》《交響曲 第5番》の間に作曲されている)。

ミリイ・バラキレフに献呈され、1886年3月11日に、マックス・エルトマンスデルファーの指揮によりモスクワで初演された。全曲を通した演奏は約55分である。作曲者によって1885年に4手ピアノ版も作成されている。

作曲の経緯

「バイロンの『マンフレッド』による標題交響曲」という発想は、バラキレフによるものだった。しかし、なぜかバラキレフ自身が作曲に着手しようとはせず、エクトル・ベルリオーズに作曲を打診するが、ベルリオーズは高齢と病気の為、作曲を断っている。次にバラキレフが白羽の矢を立てたのがチャイコフスキーだったのである。バラキレフは1882年10月9日のチャイコフスキー宛の書簡で、自分が手をつけようとはしない理由を次のように釈明している。

「この壮大な主題は私には似合いませんし、私の内なる精神構造にも調和しないのです。」

チャイコフスキーは1885年になるまでの数年間、この題材を忘れていたのだが、その年バイロンの『マンフレッド』をついに手に入れ、標題交響曲の作曲に着手したのである。バラキレフは予め、どのような標題を用いるべきか詳述し、どの調性を用いるべきかや転調の仕方まで指図してきたのだが、チャイコフスキーは自分自身の判断を貫いた。完成した際には、チャイコフスキーのいつもの癖で、本作を自分の最上の作品の一つと見なしていたのだが、時間が経つにつれて自信を失い、第1楽章を除いて破棄しなければと考えるようになった(ただしこの思い付きは実行されなかった)。

楽器編成

フルート3(第3フルートはピッコロ持ち替え)、オーボエ2、コーラングレクラリネット(A管)2、バスクラリネットバスーン3、ホルン4、コルネット2、トランペット2、テノールトロンボーン2、バストロンボーン1、チューバ1、ティンパニバスドラムシンバルタムタムトライアングルタンバリンハープ2、弦楽五部オルガン

楽曲構成

以下の4つの楽章から成る。

  1. アルプスの山中を彷徨うマンフレッド(Lento lugubre)
  2. アルプスの妖精(Vivace con spirito)
  3. 山人の生活(Andante con moto)
  4. アリマーナの地下宮殿(Allegro con fuoco)

版の違い

原典版と改訂版の2つの版が存在する。原典版では、終楽章のコーダにおいて、開始楽章のコーダが回想されるが、改訂版ではその後に救いのハーモニウムのコラールが付いているという違いがある。スヴェトラーノフは「クリンのチャイコフスキー博物館所蔵の自筆草稿を用いた録音」を謳っているが、その詳細については現在のところ不明な点が多い。原典版の演奏時間は約50分でキタエンコヤンソンスらがこの版を使っている。

評価

一般的には本作を偉大な作品と見る向きは多くない。たとえば音楽評論家デイヴィッド・ハーウィッツによると、レナード・バーンスタインは本作を「屑」呼ばわりして、決して録音しようとしなかった。しかし、アルトゥーロ・トスカニーニのように、本作をチャイコフスキーのもっとも華麗で霊感あふれる作品に数える向きもある(ただし、彼はかなりの部分にカットを加え、録音では45分程度の長さにされている)。

近年は主要なオーケストラや指揮者によって、録音に採り上げられることが増えている。たとえばイーゴリ・マルケヴィチユージン・オーマンディムスティスラフ・ロストロポーヴィチロリン・マゼールアンドレ・プレヴィンエフゲニー・スヴェトラーノフヴェロニカ・ドゥダロヴァミハイル・プレトニョフウラジミール・フェドセーエフユーリ・テミルカーノフリッカルド・ムーティリッカルド・シャイーアンドルー・リットンユーリ・アーロノヴィチ小林研一郎ウラディーミル・アシュケナージらの録音がある。

その反面、現在でも実演で取り上げられる機会には恵まれていない。

関連項目

主な標題交響曲

外部リンク