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Pauro 2003 (会話 | 投稿記録) 青磁の焼成は還元焼成ばかりではなく多様な焼成方法があるので削除。歴史に関しても若干の加筆編集。 |
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[[画像:B-Qingbai-Kanne.JPG|thumb|200px|景徳鎮の白磁]] |
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'''白磁'''(はくじ)とは、白素地に無色の[[釉薬]]をかけた[[磁器]]の総称である。 |
'''白磁'''(はくじ)とは、白素地に無色の[[釉薬]]をかけた[[磁器]]の総称である。 |
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[[ケイ酸]]と[[アルミニウム]]を主成分とする白色の粘土の素地に、[[鉄分]]のない植物灰と[[カオリナイト|高陵石]]から精製された透明釉薬を |
[[ケイ酸]]と[[アルミニウム]]を主成分とする白色の粘土の素地に、[[鉄分]]のない植物灰と[[カオリナイト|高陵石]]から精製された透明釉薬を掛け、高温の還元炎で焼き上げて作る磁器の一種。 |
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== 歴史 == |
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=== 日本 === |
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白磁の製造技術が日本に伝来したのは、16世紀ごろと言われ、[[文禄・慶長の役]]に際し、朝鮮半島から来た陶工によって |
白磁の製造技術が日本に伝来したのは、16世紀ごろと言われ、[[文禄・慶長の役]]に際し、朝鮮半島から来た陶工した陶工によって持たされたという定説になっているが、それ以前に各地の窯業地で粗製の白磁の生産が試みられている。そして、1616年ごろ[[佐賀県]][[有田]]の泉山で、白磁に適した地層が見つかり、[[李参平]]によって、白磁が製造され定着したと思われる。また当時の状況として、白磁の技術は、染付けの素地としてもっぱら利用されるようになった。 幕末の文化・文政年間(1804年~1830年)ころには、白磁や青花は日用品として、普及する事となった。 |
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明治に入って、京都の3代目、[[清風与平]]が白磁の美を追求してひとつの分野を開拓した。 |
明治に入って、京都の3代目、[[清風与平]]が白磁の美を追求してひとつの分野を開拓した。 |
2010年4月26日 (月) 01:35時点における版
白磁(はくじ)とは、白素地に無色の釉薬をかけた磁器の総称である。 ケイ酸とアルミニウムを主成分とする白色の粘土の素地に、鉄分のない植物灰と高陵石から精製された透明釉薬を掛け、高温の還元炎で焼き上げて作る磁器の一種。
歴史
中国
起源は560~570年代の北斉(中国)に遡ると言われ、青磁の製造技術の完成と共に発展し、北宋時代の定窯で、白磁の名品が多く作られるようになった。
1000年ごろ、景徳鎮にて微量の鉄分を含む釉薬で焼く、青白磁(青影)が盛んに作られ、東アフリカまで輸出されるようになる。 元代後半になると、景徳鎮窯では青の染付けをあしらった、青花 (せいか)の製造がはじまるが、下地は白磁である。 清代にはいると、景徳鎮だけでなく、各地の窯で白磁の量産が行われ、一般の日用品として広く普及した。
日本
白磁の製造技術が日本に伝来したのは、16世紀ごろと言われ、文禄・慶長の役に際し、朝鮮半島から来た陶工した陶工によって持たされたという定説になっているが、それ以前に各地の窯業地で粗製の白磁の生産が試みられている。そして、1616年ごろ佐賀県有田の泉山で、白磁に適した地層が見つかり、李参平によって、白磁が製造され定着したと思われる。また当時の状況として、白磁の技術は、染付けの素地としてもっぱら利用されるようになった。 幕末の文化・文政年間(1804年~1830年)ころには、白磁や青花は日用品として、普及する事となった。
明治に入って、京都の3代目、清風与平が白磁の美を追求してひとつの分野を開拓した。
出典
- 日本大百科全書 Web版ニッポニカプラス 【白磁】