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当初はテレビの制作に携わっていたが、[[1979年]]に映画監督としてデビュー。[[香港映画]]の代名詞的存在である[[ワイヤーアクション]]をいち早く取り入れ、多数の娯楽作品を制作、ヒットさせてきた。「香港の[[スティーブン・スピルバーグ|スピルバーグ]]」と呼ばれることもある。[[1997年]]、[[ジャン=クロード・ヴァン・ダム]]、[[デニス・ロッドマン]]主演の『[[ダブル・チーム]]』で[[ハリウッド]]での監督デビューも果たしている。[[ジョン・ウー]](呉宇森)が彼よりも早くハリウッドに進出した際には契約問題で苛めるなど嫉妬深い一面を見せたこともあり、巨匠[[キン・フー]](胡金銓)は悪知恵の働きすぎる人物としてツイ・ハークを評価していた<ref>『キンフー武侠電影作法』より</ref>。
当初はテレビの制作に携わっていたが、[[1979年]]に映画監督としてデビュー。[[香港映画]]の代名詞的存在である[[ワイヤーアクション]]をいち早く取り入れ、多数の娯楽作品を制作、ヒットさせてきた。「香港の[[スティーブン・スピルバーグ|スピルバーグ]]」と呼ばれることもある。[[1997年]]、[[ジャン=クロード・ヴァン・ダム]]、[[デニス・ロッドマン]]主演の『[[ダブル・チーム]]』で[[ハリウッド]]での監督デビューも果たしている。[[ジョン・ウー]](呉宇森)が彼よりも早くハリウッドに進出した際には契約問題で苛めるなど嫉妬深い一面を見せたこともあり、巨匠[[キン・フー]](胡金銓)は悪知恵の働きすぎる人物としてツイ・ハークを評価していた<ref>『キンフー武侠電影作法』より</ref>。


『蜀山奇傳』(邦題:『[[蜀山奇 天空の剣]]』)で香港映画で初めて本格的[[SFX]]作品、『小倩』(邦題:『[[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー スーシン]]』)では香港映画初の長編アニメーションを手掛けるなど、近代香港映画界では常に先駆者としてその位置を保っている。[[金庸]]、[[梁羽生]]を初めとする[[武侠小説]]の大ファンであり、近年の武侠片及び古装片(時代劇)の映画化ブームの礎をも作っている。また、近年では梁羽生の武侠小説『[[七劍下天山]]』を映像化する事業に力を注いでおり、2005年に映画『七劍』(邦題:『[[セブンソード]]』)が公開され、テレビドラマ『七劍下天山』も2006年に放送された。
『蜀山奇傳』(邦題:『[[蜀山奇 天空の剣]]』)で香港映画で初めて本格的[[SFX]]作品、『小倩』(邦題:『[[チャイニーズ・ゴースト・ストーリー スーシン]]』)では香港映画初の長編アニメーションを手掛けるなど、近代香港映画界では常に先駆者としてその位置を保っている。[[金庸]]、[[梁羽生]]を初めとする[[武侠小説]]の大ファンであり、近年の武侠片及び古装片(時代劇)の映画化ブームの礎をも作っている。また、近年では梁羽生の武侠小説『[[七劍下天山]]』を映像化する事業に力を注いでおり、2005年に映画『七劍』(邦題:『[[セブンソード]]』)が公開され、テレビドラマ『七劍下天山』も2006年に放送された。


また、俳優としての[[カメオ出演]]も多い。[[嘔吐]]の描写にも定評がある。
また、俳優としての[[カメオ出演]]も多い。[[嘔吐]]の描写にも定評がある。
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*[[カニバル・カンフー 燃えよ! 食人拳]](1980年)
*[[カニバル・カンフー 燃えよ! 食人拳]](1980年)
*[[ミッドナイト・エンジェル/暴力の掟]](1981年、監督・出演)【香】
*[[ミッドナイト・エンジェル/暴力の掟]](1981年、監督・出演)【香】
*[[蜀山奇 天空の剣]](1983年)【香】
*[[蜀山奇 天空の剣]](1983年)【香】
*[[皇帝密使]](1984年)【香】
*[[皇帝密使]](1984年)【香】
*[[上海ブルース]](1984年)【香】
*[[上海ブルース]](1984年)【香】

2010年5月17日 (月) 09:44時点における版

徐 克
Tsui Hark
生年月日 (1950-02-15) 1950年2月15日(74歳)
出生地 ベトナム
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徐 克ツイ・ハーク、Tsui Hark, 普通話ピンイン:Xú Kè, 広東語ピンイン:Chuei4 Hak1, 1950年2月15日 - )は、香港映画監督

略歴

祖先は広東省海豊県出身。ベトナムに生まれ、少年時代を過ごす。ベトナム戦争の難民として1966年香港に渡り、1966年米国へ留学。テキサス州立大学で映画を学んだ。

当初はテレビの制作に携わっていたが、1979年に映画監督としてデビュー。香港映画の代名詞的存在であるワイヤーアクションをいち早く取り入れ、多数の娯楽作品を制作、ヒットさせてきた。「香港のスピルバーグ」と呼ばれることもある。1997年ジャン=クロード・ヴァン・ダムデニス・ロッドマン主演の『ダブル・チーム』でハリウッドでの監督デビューも果たしている。ジョン・ウー(呉宇森)が彼よりも早くハリウッドに進出した際には契約問題で苛めるなど嫉妬深い一面を見せたこともあり、巨匠キン・フー(胡金銓)は悪知恵の働きすぎる人物としてツイ・ハークを評価していた[1]

『蜀山奇傳』(邦題:『蜀山奇傅 天空の剣』)で香港映画で初めて本格的SFX作品、『小倩』(邦題:『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー スーシン』)では香港映画初の長編アニメーションを手掛けるなど、近代香港映画界では常に先駆者としてその位置を保っている。金庸梁羽生を初めとする武侠小説の大ファンであり、近年の武侠片及び古装片(時代劇)の映画化ブームの礎をも作っている。また、近年では梁羽生の武侠小説『七劍下天山』を映像化する事業に力を注いでおり、2005年に映画『七劍』(邦題:『セブンソード』)が公開され、テレビドラマ『七劍下天山』も2006年に放送された。

また、俳優としてのカメオ出演も多い。嘔吐の描写にも定評がある。

主な監督作品

監督以外の作品

文化的言及

1988年アメリカ合衆国のバンド、スパークスのアルバム『官能の饗宴』の中に、ツイ・ハークへのトリビュート・ソング『ツィ・ハークは映画監督』(原題:Tsui Hark )という曲が収録されている。スパークスは後に「ロン・メイル&ラッセル・メイル」名義で1998年の『ノック・オフ』の音楽を担当した。

参照

  1. ^ 『キンフー武侠電影作法』より

外部リンク