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「松本哲也 (野球)」の版間の差分

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バスター打法とはまた別でしょう。バントの構えをしているわけでもないですし。
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== プレースタイル ==
== プレースタイル ==
=== 打撃 ===
=== 打撃 ===
右手と左手を離して構える[[打撃 (野球)#特徴的な打法|バスター打法]]を採用している<ref>洗川広二[http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/baseball091102_1_2.html “つなぐ思い”が掴んだレギュラーポジション 読売ジャイアンツ・松本哲也] - OCNスポーツ、2010年4月22日閲覧。</ref>。フォームについて[[専修大学]]のGMの[[江崎久]](現専修大学野球部監督)からは「(過去[[近藤和彦]]が採用していた)『[[打撃 (野球)#特徴的な打法|天秤打法]]の真似ではないか』という声も聞くが、大学時代は普通に構えて打っていた。ギリギリで巨人に取ってもらって、必死にプロのレベルに対応しようとする中で生まれた打法でしょう」と語っている<ref>[http://www.zakzak.co.jp/spo/200905/s2009051215_all.html 「平成の天秤打法」…巨人育成から昇格の2番・松本]-zakzak記事</ref>。
右手と左手を離して構える[[打撃 (野球)#特徴的な打法|天秤打法]]を採用している<ref>洗川広二[http://sportsnews.blog.ocn.ne.jp/column/baseball091102_1_2.html “つなぐ思い”が掴んだレギュラーポジション 読売ジャイアンツ・松本哲也] - OCNスポーツ、2010年4月22日閲覧。</ref>。フォームについて[[専修大学]]のGMの[[江崎久]](現専修大学野球部監督)からは「(過去[[近藤和彦]]が採用していた)『[[打撃 (野球)#特徴的な打法|天秤打法]]の真似ではないか』という声も聞くが、大学時代は普通に構えて打っていた。ギリギリで巨人に取ってもらって、必死にプロのレベルに対応しようとする中で生まれた打法でしょう」と語っている<ref>[http://www.zakzak.co.jp/spo/200905/s2009051215_all.html 「平成の天秤打法」…巨人育成から昇格の2番・松本]-zakzak記事</ref>。


読売新聞巨人担当番記者・矢萩雅人は松本の打撃を「追い込まれてもファールで粘る打撃技術を持っている」と評価している<ref name="ynewsmatsumoto">{{cite news |title=(4)育成、今年もブレーク |publisher=[[YOMIURI ONLINE]] |url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/npb0007/npb20090928_01.htm |}}</ref>。
読売新聞巨人担当番記者・矢萩雅人は松本の打撃を「追い込まれてもファールで粘る打撃技術を持っている」と評価している<ref name="ynewsmatsumoto">{{cite news |title=(4)育成、今年もブレーク |publisher=[[YOMIURI ONLINE]] |url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/npb0007/npb20090928_01.htm |}}</ref>。

2010年5月17日 (月) 13:57時点における版

松本 哲也
読売ジャイアンツ #31
ファイル:YG-Tetsuya-Matsumoto.jpg
2009年9月16日、東京ドームにて。背番号64時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 山梨県山梨市
生年月日 (1984-07-03) 1984年7月3日(40歳)
身長
体重
170 cm
66 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 中堅手
プロ入り 2006年 育成選手ドラフト3巡目
初出場 2008年5月31日
年俸 3000万円(2010年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

松本 哲也(まつもと てつや、1984年7月3日 - )は、山梨県山梨市出身のプロ野球選手読売ジャイアンツ所属の外野手

経歴

叔父松本純也が元ラグビー日本代表(スクラムハーフ)、父親が社会人ラグビーの選手だった影響で、中学時代は野球部とラグビー部を掛け持ちしていた。しかし体の小ささに悩んだ結果、ラグビーの道を諦め高校から本格的に野球を始める[1]

山梨学院大学附属高等学校時代には1年夏に甲子園に出場。2年先輩に玉山健太、1年先輩に大島崇行(共に広島東洋カープ)がいた。

東都専修大学へ進学し、4年時には主将を務め、東都大学リーグで9季ぶりの1部復帰に貢献した。同期に長谷川勇也福岡ソフトバンクホークス)がいた。2006年育成選手として巨人に入団。

2007年、春季キャンプ中の紅白戦で活躍し、原辰徳監督に「走攻守で存在感があった。収穫だった」と言わしめた。紅白戦や練習試合での活躍が首脳陣に認められ、巨人の育成選手から初めて支配下登録された選手となった。1年目は1軍出場は無く、2軍では79試合に出場し、打率は.285、4盗塁に対し6盗塁死、三塁打は1本と俊足を発揮出来なかった。

2008年5月28日の対楽天戦で一軍デビューを果たす。5月31日のソフトバンク戦でプロ初先発したが、プロ初打席で三ゴロを放ち、一塁ベースを駆け抜けた際に右くるぶしをはく離骨折。実戦復帰は2ヵ月後になり、その後一軍昇格の機会はなかった。二軍では打率.276、チームトップの10盗塁を記録。

2009年、初の開幕1軍入りを果たし、4月5日の対広島戦でプロ初安打を記録。初めて2番打者で先発出場した5月6日横浜ベイスターズ戦でトム・マストニーから三塁打を放ち、プロ初打点を記録した。この試合以降、2番・中堅手としてレギュラーに定着。当初は相手先発が左腕の際は先発を外れていたが、後半戦からは投手の左右に関係なく先発を任された。「まだプロの身体が出来ておらず、フル出場は厳しい」という原監督の判断で定期的に休養日を与えられたため、規定打席にはわずかに届かなかったが、的確なチームバッティングで強力打線のつなぎ役を務め、堅い中堅守備でも再三のピンチを救うなどチームのリーグ3連覇と7年ぶりの日本一に貢献。育成枠出身選手としては初となるゴールデングラブ賞、育成枠出身の野手初の新人王を受賞。山口鉄也に続き、2年連続で巨人の育成枠出身選手が新人王を獲得した。本塁打0本で新人王に選ばれた野手は同じ山梨県出身の久慈照嘉以来二人目である。

プレースタイル

打撃

右手と左手を離して構える天秤打法を採用している[2]。フォームについて専修大学のGMの江崎久(現専修大学野球部監督)からは「(過去近藤和彦が採用していた)『天秤打法の真似ではないか』という声も聞くが、大学時代は普通に構えて打っていた。ギリギリで巨人に取ってもらって、必死にプロのレベルに対応しようとする中で生まれた打法でしょう」と語っている[3]

読売新聞巨人担当番記者・矢萩雅人は松本の打撃を「追い込まれてもファールで粘る打撃技術を持っている」と評価している[4]

守備と走塁

読売新聞巨人担当番記者・矢萩雅人は「俊足と高い守備能力を持つ外野手である」と評価している。[4]

1980年代青い稲妻と呼ばれ、同姓で俊足を武器に活躍した松本匡史(本名は松本哲)を目標とし、試合では青い手袋とリストバンドを着用している。[5]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 巨人 3 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2009 129 424 372 55 109 11 1 0 122 15 16 9 27 0 21 0 4 59 8 .293 .338 .328 .665
通算:2年 132 425 373 55 109 11 1 0 122 15 17 9 27 0 21 0 4 59 8 .292 .337 .327 .664
  • 2009年度シーズン終了時

背番号

  • 105 (2007年 - 2007年2月24日)
  • 47 (2007年2月25日 - 同年終了迄)
  • 64 (2008年 - 2009年)
  • 31 (2010年 - )

タイトル・表彰

個人記録

登場曲

メディア出演

CM

脚注

  1. ^ スポーツ報知
  2. ^ 洗川広二“つなぐ思い”が掴んだレギュラーポジション 読売ジャイアンツ・松本哲也 - OCNスポーツ、2010年4月22日閲覧。
  3. ^ 「平成の天秤打法」…巨人育成から昇格の2番・松本-zakzak記事
  4. ^ a b “(4)育成、今年もブレーク”. YOMIURI ONLINE. http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/npb0007/npb20090928_01.htm 
  5. ^ 2006年度ニュース一覧 | 専修大学
  6. ^ CMライブラリ 松本哲也・大きな記事篇 - 日本生命、2010年5月8日閲覧。
  7. ^ 人々に勇気と感動…30秒間の“松本物語”スタート - スポニチ、2010年3月26日、2010年5月8日閲覧。

関連項目