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'''鉄舟寺'''(てっしゅうじ)は、[[静岡県]][[静岡市]][[清水区]]にある[[臨済宗妙心寺派]]の[[寺院]]。山号は補陀落山。本尊は[[千手観音菩薩]]。 |
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この寺は、[[飛鳥時代]][[藤原氏]]の出身である久能忠仁が[[久能山東照宮]]付近に建立した堂に始まり、その後[[奈良時代]]の僧[[行基]]が来山して久能寺と号したという。[[平安時代]]に入って[[天台宗]]に改められ、[[1570年]]([[永禄]]13年)[[武田信玄]]によって現在地に移された。 |
この寺は、[[飛鳥時代]][[藤原氏]]の出身である[[久能忠仁]]が[[久能山東照宮]]付近に建立した堂に始まり、その後[[奈良時代]]の僧[[行基]]が来山して久能寺と号したという。[[平安時代]]に入って[[天台宗]]に改められ、[[1570年]]([[永禄]]13年)[[武田信玄]]によって現在地に移された。 |
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[[江戸時代]]には朱印寺領として200石余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住([[住職]]がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。旧幕臣で[[明治]]以降[[静岡藩]]権大参事もつとめたこともある[[山岡鉄舟]]は[[臨済寺 (静岡市)|臨済寺]]から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。 |
[[江戸時代]]には朱印寺領として200石余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住([[住職]]がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。旧幕臣で[[明治]]以降[[静岡藩]]権大参事もつとめたこともある[[山岡鉄舟]]は[[臨済寺 (静岡市)|臨済寺]]から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。 |
2010年6月2日 (水) 14:47時点における版
鉄舟寺(てっしゅうじ)は、静岡県静岡市清水区にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は補陀落山。本尊は千手観音菩薩。
歴史
この寺は、飛鳥時代藤原氏の出身である久能忠仁が久能山東照宮付近に建立した堂に始まり、その後奈良時代の僧行基が来山して久能寺と号したという。平安時代に入って天台宗に改められ、1570年(永禄13年)武田信玄によって現在地に移された。
江戸時代には朱印寺領として200石余りを与えられ、多くの支坊を有したが、江戸時代後期あたりから衰退し、明治に入ると無住(住職がいないこと)になって寺は荒廃してしまった。旧幕臣で明治以降静岡藩権大参事もつとめたこともある山岡鉄舟は臨済寺から今川貞山を招いて復興し、寺号も鉄舟寺と改められた。
文化財
国宝
- 法華経(久能寺経)
重要文化財(国指定)
- 錫杖 など