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[[1977年]]に[[スタンダール・リエージュ]]でトップデビューし、1981-82、1982-83シーズンの[[ジュピラーリーグ]]優勝に貢献。[[1986年]]に[[KVメヘレン]]に移籍後、[[UEFAカップウィナーズカップ|カップウィナーズカップ]]、[[UEFAスーパーカップ]]などのタイトルを獲得。1988-89シーズンにはジュピラーリーグでチーム41年ぶりとなる優勝に貢献した。 |
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[[1979年]]に[[サッカーベルギー代表|ベルギー代表]]デビュー。当初は[[ジャン=マリー・パフ]]の控えだったが、1980年代後半から正GKとなり、[[FIFAワールドカップ|W杯]]は[[1990 FIFAワールドカップ|1990年イタリア大会]]・[[1994 FIFAワールドカップ|1994年アメリカ大会]]の2回出場。アメリカ大会では好守を連発してベルギーのベスト16進出に貢献し、大会最優秀ゴールキーパーに与えられる[[FIFAワールドカップにおける賞#ヤシン賞|ヤシン賞]]の初代受賞者となった。 |
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W杯後の[[1994年]]に[[ポルトガル]]の名門[[SLベンフィカ]]に移籍し、[[1999年]]に40歳で引退した。ベルギー代表通算58試合出場。2000-01シーズン途中の[[2001年]]1月にスタンダール・リエージュの監督に就任し、2001-02シーズン終了まで務めた。さらに[[2006年]]から2シーズン、スタンダール・リエージュの指揮を執り、07-08シーズンに[[ジュピラーリーグ|リーグ]]優勝に導き最優秀監督賞を受賞した。2008年に[[KAAヘント]]の監督に就任、2009-10シーズンにはヘントをリーグカップの優勝に導き、リーグも2位という |
W杯後の[[1994年]]に[[ポルトガル]]の名門[[SLベンフィカ]]に移籍し、[[1999年]]に40歳で引退した。ベルギー代表通算58試合出場。2000-01シーズン途中の[[2001年]]1月にスタンダール・リエージュの監督に就任し、2001-02シーズン終了まで務めた。さらに[[2006年]]から2シーズン、スタンダール・リエージュの指揮を執り、07-08シーズンに[[ジュピラーリーグ|リーグ]]優勝に導き最優秀監督賞を受賞した。2008年に[[KAAヘント]]の監督に就任、2009-10シーズンにはヘントをリーグカップの優勝に導き、リーグも2位という成績で終えた。2010-11シーズンからは[[FCトゥウェンテ]]を指揮する。 |
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==プレースタイル== |
==プレースタイル== |
2010年6月16日 (水) 02:27時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | 鉄の男 | |||||
ラテン文字 | Michel Preud'homme | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1959年1月24日(65歳) | |||||
出身地 | Seraing | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | FCトゥウェンテ (監督) | |||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右 | |||||
代表歴 | ||||||
1979-1995 |
![]() | 58 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ミシェル・プロドーム(Michel Preud'homme, 1959年1月24日 - )は、ベルギー出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。2010年よりFCトゥウェンテの監督を務める。
経歴
1977年にスタンダール・リエージュでトップデビューし、1981-82、1982-83シーズンのジュピラーリーグ優勝に貢献。1986年にKVメヘレンに移籍後、カップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップなどのタイトルを獲得。1988-89シーズンにはジュピラーリーグでチーム41年ぶりとなる優勝に貢献した。
1979年にベルギー代表デビュー。当初はジャン=マリー・パフの控えだったが、1980年代後半から正GKとなり、W杯は1990年イタリア大会・1994年アメリカ大会の2回出場。アメリカ大会では好守を連発してベルギーのベスト16進出に貢献し、大会最優秀ゴールキーパーに与えられるヤシン賞の初代受賞者となった。
W杯後の1994年にポルトガルの名門SLベンフィカに移籍し、1999年に40歳で引退した。ベルギー代表通算58試合出場。2000-01シーズン途中の2001年1月にスタンダール・リエージュの監督に就任し、2001-02シーズン終了まで務めた。さらに2006年から2シーズン、スタンダール・リエージュの指揮を執り、07-08シーズンにリーグ優勝に導き最優秀監督賞を受賞した。2008年にKAAヘントの監督に就任、2009-10シーズンにはヘントをリーグカップの優勝に導き、リーグも2位という成績で終えた。2010-11シーズンからはFCトゥウェンテを指揮する。
プレースタイル
ゴールキーパーとして体格的には小柄な部類に入るが、それを補って余りある驚異的な反射神経と身体能力を誇り、神懸りのセーブを連発するいわゆる「当りだしたら止まらない」タイプの選手である。
彼のキャリアのハイライトといえるのが前出の1994年アメリカ大会グループリーグの対オランダ戦。ベルギーが第1シード国だったものの、戦前の予想では攻撃力に勝るオランダ優位の予想が多数を占めており、後半にベルギーが先制点を挙げるものの、そこから試合終了までの時間、デニス・ベルカンプを中心としたオランダ攻撃陣が怒涛の反撃を見せ、ロングシュート・ミドルシュート・ヘディングとありとあらゆる方法でベルギーゴールに襲い掛かった。しかし、プロドームがファインセーブを連発。ベルギーは見事因縁の近隣国対戦に1-0の勝利を飾った(このオランダ戦は「9.0」というサッカー誌の採点では通常ありえない高評価をプロドームに与えた雑誌まであった)。
プロドームはこの活躍が認められ初代ヤシン賞に輝いた。なお、2006年ドイツ大会までのプロドーム以外のヤシン賞受賞者はすべて優勝、または準優勝のチームから選出されている。決勝トーナメント一回戦で敗退したプロドームが受賞できたのはいかに大会を通じて大きなインパクトを彼が与えたかを物語っており、ワールドカップの歴代名キーパーを語る際には必ず挙がる存在となっている。
選手歴
- 1977年-1986年
スタンダール・リエージュ
- 1986年-1994年
KVメヘレン
- 1994年-1999年
SLベンフィカ