「フランチェスコ・トルド」の版間の差分
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'''フランチェスコ・トルド'''('''Francesco Toldo''', [[1971年]][[12月2日]] - )は、[[イタリア]]・[[パドヴァ]]出身の[[サッカーイタリア代表|元同国代表]]の[[サッカー|サッカー選手]]([[ゴールキーパー (サッカー)|GK]])。 |
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[[1989年]]に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ACミラン]]でキャリアをスタート。その後下部クラブを転々とし、[[1993年]]に[[フィオレンティーナ]]へ移籍し活躍。イタリア代表にも招集され、[[1995年]][[10月8日]]の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦で代表デビューを果たす。以来[[ジャンルイジ・ブッフォン]]と並ぶゴールキーパーとしてイタリア代表を牽引していたが、[[EURO2004]]終了後に代表は引退した。[[ペナルティーキック|PK]]をストップすることに定評があり、[[EURO2000]]での[[準決勝]][[オランダ]]戦で、試合中に2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップし、さらに、0-0のまま迎えた[[ペナルティーキック|PK]]戦でも2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップして勝利の立役者になった。 |
[[1989年]]に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[ACミラン]]でキャリアをスタート。その後下部クラブを転々とし、[[1993年]]に[[フィオレンティーナ]]へ移籍し活躍。イタリア代表にも招集され、[[1995年]][[10月8日]]の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦で代表デビューを果たす。以来[[ジャンルイジ・ブッフォン]]と並ぶゴールキーパーとしてイタリア代表を牽引していたが、[[EURO2004]]終了後に代表は引退した。[[ペナルティーキック|PK]]をストップすることに定評があり、[[EURO2000]]での[[準決勝]][[オランダ]]戦で、試合中に2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップし、さらに、0-0のまま迎えた[[ペナルティーキック|PK]]戦でも2本の[[ペナルティーキック|PK]]をストップして勝利の立役者になった。 |
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その後2005-2006シーズン、当時急成長していた[[ジュリオ・セザル・ソアレス・エスピンドラ|ジュリオ・セザル]]に正GKの座を譲るが、彼の貴重なバックアッパーとしてチームを支え |
その後2005-2006シーズン、当時急成長していた[[ジュリオ・セザル・ソアレス・エスピンドラ|ジュリオ・セザル]]に正GKの座を譲るが、彼の貴重なバックアッパーとしてチームを支えた。 |
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==プレースタイル== |
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長身を生かしたハイボール処理なども非凡な物をもちインテルでは守護神として活躍していたが、 |
長身を生かしたハイボール処理なども非凡な物をもちインテルでは守護神として活躍していたが、ジュリオ・セザルに守護神の座を明け渡した。代表では要所要所で光ったもののあまり出番は無かった。[[ジャンルイジ・ブッフォン]]という超逸材が同時期にいたのが彼の不幸であろう。 |
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彼の真骨頂はハイボール処理もさながら、PKに非常に強いことも挙げられる。代表、クラブにおいても幾度となくPKをストップしてきている。 |
彼の真骨頂はハイボール処理もさながら、PKに非常に強いことも挙げられる。代表、クラブにおいても幾度となくPKをストップしてきている。 |
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また自ら騒ぎの中心となる事は少ないが、チームが乱闘騒ぎになったりチームメイトが悪質なファール又は不可解な判定を受けたときにはすかさず相手選手や審判に詰め寄る姿が良く見られ、ピッチでプレーをしていない時でもベンチからイエローカードを提示される姿も良く見られ |
また自ら騒ぎの中心となる事は少ないが、チームが乱闘騒ぎになったりチームメイトが悪質なファール又は不可解な判定を受けたときにはすかさず相手選手や審判に詰め寄る姿が良く見られ、ピッチでプレーをしていない時でもベンチからイエローカードを提示される姿も良く見られた。 |
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2010年7月8日 (木) 07:10時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | トルドーネ | |||||
ラテン文字 | Francesco Toldo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1971年12月2日(52歳) | |||||
出身地 | パドヴァ | |||||
身長 | 196cm | |||||
体重 | 90kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1995–2004 | イタリア | 28 (0) | ||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランチェスコ・トルド(Francesco Toldo, 1971年12月2日 - )は、イタリア・パドヴァ出身の元同国代表のサッカー選手(GK)。
略歴
1989年にセリエA・ACミランでキャリアをスタート。その後下部クラブを転々とし、1993年にフィオレンティーナへ移籍し活躍。イタリア代表にも招集され、1995年10月8日のクロアチア戦で代表デビューを果たす。以来ジャンルイジ・ブッフォンと並ぶゴールキーパーとしてイタリア代表を牽引していたが、EURO2004終了後に代表は引退した。PKをストップすることに定評があり、EURO2000での準決勝オランダ戦で、試合中に2本のPKをストップし、さらに、0-0のまま迎えたPK戦でも2本のPKをストップして勝利の立役者になった。 その後2005-2006シーズン、当時急成長していたジュリオ・セザルに正GKの座を譲るが、彼の貴重なバックアッパーとしてチームを支えた。
プレースタイル
長身を生かしたハイボール処理なども非凡な物をもちインテルでは守護神として活躍していたが、ジュリオ・セザルに守護神の座を明け渡した。代表では要所要所で光ったもののあまり出番は無かった。ジャンルイジ・ブッフォンという超逸材が同時期にいたのが彼の不幸であろう。
彼の真骨頂はハイボール処理もさながら、PKに非常に強いことも挙げられる。代表、クラブにおいても幾度となくPKをストップしてきている。
また自ら騒ぎの中心となる事は少ないが、チームが乱闘騒ぎになったりチームメイトが悪質なファール又は不可解な判定を受けたときにはすかさず相手選手や審判に詰め寄る姿が良く見られ、ピッチでプレーをしていない時でもベンチからイエローカードを提示される姿も良く見られた。
エピソード
02-03シーズンのイタリアダービーでは1点ビハインドの終了間際に事実上の同点ゴールを決めた。(トルドのシュートが倒れているヴィエリの足に当たって入ったので記録上はヴィエリのゴール。)
所属クラブ
- 1989-1990 ACミランユース
- 1990-1991 ヴェローナユース
- 1991-1992 トレント
- 1992-1993 ラヴェンナ
- 1993-2001 フィオレンティーナ
- 2002-2010 インテル
獲得タイトル
クラブ
- ヴェローナ
- セリエC1 : 1992-93
- フィオレンティーナ
- セリエB : 1993-94
- コッパ・イタリア : 1995-96, 2000-01
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 1996
- インテル
- セリエA : 2005-06, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2009-10
- コッパ・イタリア : 2004-05, 2005–06, 2009-10
- スーペルコッパ・イタリアーナ : 2005, 2006, 2008
- UEFAチャンピオンズリーグ : 2009-10
代表
- UEFA U-21欧州選手権1994 優勝
- EURO2000 準優勝
個人
- オスカル・デル・カルチョ : 2000